第7話 沈める神殿
王都を出て42日目、王女一行はファイレ共和国を通る街道から少し離れた場所で野営していた。
焚火を囲んで食事を始めたところだった。
「フレデリク! これ、美味しい!」
クレスティアは手に持った肉の串焼きを凝視し、満面の笑みを浮かべた。
「味付けが絶妙だわ。香辛料が違うのね」
「その通り。貴重な香辛料なので高価だったけど、昨日、ヘンダールさんに許しをもらったんだよ」
「高価って、いくらだったの?」
「3種類合わせて300gが銀貨15枚」
「高そうだけど、私には相場が分からないわ」
「姫様、胡椒なら銀貨2枚くらいで買えます。かなり高いと思います」
「私はフレデリクに任せて正解だったと思うぞ」
「次は、こちらをどうぞ」
フレデリクは焚火の上の鍋から煮込み料理を器によそい、三人に配った。
「フレデリク、あなたはどこの料理人なの。これも凄く美味しいわ」
「これはいける」
「本当です。絶品です」
「この地では珍しい野菜を主体にして、肉、野菜、香味野菜、香草を煮込んだものだよ」
「フレデリク、あなたを宮廷料理人に任命します」
「失礼ですが、王女殿下は騙されておいでです。野営の食事は美味しくないと言う思い込みが、そう思わせるのさ。あ、ヘンダールさん、一般論です」
「そうかしら。普通の宿屋の料理より上だと思うわ。この野菜が良い味を出しているのね」
「西の大地では普通に売っている野菜だけど、ここでは貴重みたいだね」
「ヘンダール公、フレデリクを野営料理人に任命します」
「姫様、私の罪悪感を払拭していただき、感謝します」
「さて、私はもう一本串焼きをいただくわ」
「姫様、明日は観光しませんか? たまには寄り道するのも良いかと」
ヘンダールは言った。
「そうね。皆が良ければ私は構いません。観光って何があるの?」
「ここから街道を外れて南に一日ほどかかりますが、エスタ湖と言う湖がある美しい地です。ただし、宿屋はありません」
「それって観光地とは言わないのでは?」
「ええ。昔は観光地だったそうです。私が勧める理由は、景観が美しいだけでなく、その湖には伝説があるからです」
「伝説? なんだかヘンダール公らしからぬ理由ね」
「姫様が行かれると、その伝説が現実になるような気がするのです」
「どんな伝説なのですか?」
「実際にその場所をご覧になってから説明させてください」
◇ ◇ ◇
翌朝、王女一行はヘンダールが勧めた場所へと出発した。
途中から道が荒れ始め、民家や農地などを見かけなくなり、林と荒野だけになった。夜なら不安になる土地だが、早朝に出発したおかげで、明るいうちに、その場所に到着できた。
そこには、透明な水を満たした湖があった。
湖の周囲に広がる草原には、白、赤、黄、薄紅、紫、青、青緑と言ったあらゆる色の花を咲かせた植物の群棲地が点在していた。
草原の周りにある多様な木々は、濃淡が異なる緑や黄緑の葉を茂らせ、様々な樹形から成り、緩やかな丘まで続いていた。
多彩な花の草原、多様な緑の木々と共に、淡い青の空と白い雲が湖水に映り込んでいた。
「ヘンダール公、これは驚いたわ」
「言葉がありません」
「・・・」
「以前、私が来た時と変わらず、美しいままです」
四人は、しばらくの間、その風景に見とれていた。
◇ ◇ ◇
一行は、湖が見渡せる場所を野営地にしていた。
暗闇の中にぼんやりと浮かんだ草原と丘に加え、無数の星が湖に映り込んでいた。
「今日もフレデリクの料理は抜群だったわ。ご馳走様でした」
「騎士団の遠征に来て欲しい・・・」
「気に入ってもらえたなら良かった。でも、野営料理に、これ以上期待しないでくれるかな」
「そうね。フレデリクに圧力をかけないよう、心の中で期待しておきます」
「・・・」
「美しい景色を見ながらの美味しい食事。野営が良いと思えたのは初めてです」
グレイスが茶を皆に配った。
「では、この地の伝説を語るとします」
「ヘンダール公、引っ張りましたね。どんな話かしら」
「約五百年前、この地を治めていた有力な貴族によって、この湖の中に石を積み、立派な神殿が築かれました。神殿には多くの神々を祀り、美しい場所であったことも相まって、多くの参拝者が訪れ、観光地として賑わいました。辺りに雑多な土産物店や屋台、宿屋などが増え、次第に、この地から平穏が失われました」
「ある日、大きな地震によって神殿は湖の中に沈みました。幸いにも神職や参拝者は無事に逃れました。神々が静謐を願って沈めたのだと人々は言いました。その後、この地を訪れる者はいなくなりました」
「湖に神殿があったことは忘れられ、長い時が経ったとき、一人の旅人がこの地を訪れました。旅人は夜明け前の早朝に、霧がかかった湖の中から神殿が浮かび上がるのを見ました。その神殿の前には水の女神が立っていて、旅人に立ち去るように命じ、神殿は再び湖に沈んだそうです」
「話はこれだけです。沈んだ神殿が浮かび上がる理由は語られていません。また、何故アルディンが現れたのかも不明です」
「伝説には辻褄が合わないことが多々あります。湖の中にそびえる神殿と女神の降臨。それは絵になりますね」
「万が一にもないでしょうが、明日は少し早起きして、神殿が浮かび上がるのを待ち構えてみませんか?」
「ヘンダール公、粋な趣向ですね。明日の朝、私を起こしてくださいね」
クレスティアはそう言うと、立ち上がって湖を見つめた。
「私も参加します。早朝も綺麗でしょうね」
「俺もいいですよ」
「では決まりだな」
「その伝説は、単なる作り話でもなさそうよ」
クレスティアは言った。
「この湖には強い力を持った精霊がいるみたい」
「なんと。我々はここで野営していて大丈夫ですか?」
ヘンダールは尋ねた。
「大丈夫。こちらに向ける意識は感じない。もし何かあっても私が対処できると思います」
「クレスティア、精霊とは何なのか教えてくれないか?」
フレデリクは尋ねた。
「私も聞きたいです」
グレイスが乗ってきた。
「そうね。人間には精神と肉体があるでしょう。精霊は精神だけの存在。肉体の代わりに、土、水、植物などに宿っているの。たまに動物にも」
「強さは様々だけど、皆、魔力を持っているから、人に恐れられているわね。強い魔力を持つ精霊は、魔力を通じて意思疎通ができるの。言葉ではなくて漠然とした意思のやり取りよ」
「魔物と違って悪意はなく、自然界の一部ね。ただし、精霊に出くわすことはめったにないわ」
「魔法使いなら誰もが精霊と話ができるのかい?」
「そうでもないの。ザルベレスさんはほとんどできないそうよ」
「精霊は伝説でしか聞いたことがないよ。西の大地には魔法使いもほとんどいない。少なくとも俺は見たことがない。こっちに来て驚くことばかりだよ」
「フレデリク殿、私も似たようなものです。姫様が特別なのです」
◇ ◇ ◇
翌朝、辺りはまだ闇に包まれていたが、ヘンダールは三人を起こして回った。
クレスティアとグレイスが荷馬車から出てきた。
「おはよう。まだ暗いわね」
「おはようございます。眠いです」
フレデリクは湖を眺めていたが、振り返った。
「おはよう。水面に霧がかかっているよ。伝説の通りだ。これもクレスティアの魔力のせいかな」
「本当ですね。神秘的です」
四人は草原の中を少し歩いて湖畔に着いた。
湖面の半分が霧に覆われていた。
東の空は暗闇から微かな青色に変わってきた。
クレスティアは湖に向い、意識を集中させた。
すると、湖から強い魔力の気配が沸き上がってきた。
本当に来たわ。
湖面を覆う霧の中から、幾つかの塔がゆっくりと伸び上がり、徐々に建物が姿を現した。音もなく、古い建築様式の大きな神殿が浮かび上がり、やがて、湖の中に鎮座した。
ゆっくりと流れている霧が途切れたとき、湖岸から神殿に続く石畳の参道が垣間見えた。
参道の先、神殿の前には青白い人影があった。
クレスティアは参道に足を踏み入れ、神殿へと進んでいった。
残された三人は息を飲んで見守るばかりだった。
彼女は神殿の正面に立つ人影の前で立ち止った。
『どのようなご用ですか?』
クレスティアは意思を伝えた。
『長い間、待ちわびていた。これを貰って欲しい』
白に近い青色の衣を纏った女から意思が返ってきた。
女が差し出した掌の上には指輪が浮かんでいた。
『これは?』
『人の忘れ物だ。人には有用か知らぬが、妾には禍事だ』
クレスティアはその指輪を探ってみた。
『禍事とは?』
『この地に害を成し得る力を持っておる』
力を持っているのは確かだけど、どんな力なのだろう。悪い感じはしない。
『分かりました。貰い受けましょう』
クレスティアが腕を伸ばして掌を差し出すと、浮かんでいた指輪が掌に落ちた。
その瞬間、指輪から強い魔力を感じ取り、彼女は驚いた。
『ありがたい』
女は安堵したような微笑みを浮かべた。
クレスティアも微笑みを返したあと、参道を戻っていった。
彼女は湖岸に着くと、振り返った。
立ったままの女と共に神殿は音もなく、ゆっくりと湖に沈んでいった。
再び、霧だけが湖面に漂っていた。
空の青が明るくなり、多彩な花の草原と木々が輝き始めていた。
「良く分からないけど、この指輪を捨てたかったみたい。自分では捨てられないのか、誰かに譲り渡す必要があったのか、一体どんなものなのか、興味深いわ。フィディス様に見てもらわないと」
クレスティアは指輪に興味津々といった風だった。
「姫様、あれは本当に水の女神なのですか?」
ヘンダールは尋ねた。
「いいえ。私と対面するために精霊が女神の姿を模していたの。神殿も幻影よ」
「まさか本当に伝説が現実になるとは」
「そうね。五百年も待っていたなんて。私が役に立てたみたい」
「でも、神殿が浮かび上がることは、もうないでしょうね」




