第二十五話 月光は囁く
月光よ
夏か盛りや
訪れぬ
『トビタツ神社の石碑』 上の句より。
夕方の日差しが遠く蒼い山間へと沈み込んでいく。
山車が練り歩く音、気合を入れただろう履き慣れない下駄やサンダルがコンクリートに響いている。屋台からも美味しそうな匂いが漂っていて、面白そうな品が吊り下げられていた。
そう、今日は待ちに待った夏祭り。月光獅子伝説を祀る、あの祭りなのだ。
提灯に明かりがつき始めた頃、私、若葉春流は滑り込みセーフとばかりに待ち合わせ場所に走り寄る。
だが、目に入った華やかさに驚きつつ気色ばむ。
「ユキコちゃん、浴衣だぁ」
生成りの木綿生地に大ぶりな白百合があしらわれたそれはユキコちゃんの色白な肌によく似合っていた。
「お姉ちゃんが着てきなさいって言うから。ハルルちゃんは……いつも通りね、着付けてきそうなの二人はいそうなのに」
残念そうにしながらユキコちゃんはため息を吐く。
「お母さんとおばあちゃんなら振り切った」
だって、結構な時間拘束されるんだもん。普段から着飾らないタイプだし、気恥ずかしくてゴネて逃げたのだ。この話を幼馴染のスミレ姉さんが聞いたら、来年ではお二人に加えてもう一人防衛戦を張ってきそうである。手強くなるぞ、と内心恐れ戦く。
いつものオレンジ色のオーバーサイズのTシャツの裾を風にはためかせた呼之邉哲が人混みの中から入りこむ。
「お、普段着仲間の登場‼︎」
「何だよ、普段着仲間って……、ハナエ、おま……」
いつもは切り揃えられたユキコちゃんの黒いボブは綺麗に編み込まれていて、簪から垂らされた小ぶりの花飾りが首を傾げる度に揺れる。そんな艶やかな姿を見て、テツくんは呆気に取られているようだ。と言うよりも、見惚れているな、これは。
二人の空気を壊さないように、一歩二歩と下がって……。
トンッ。
私の背中に何かが当たった。背後には支柱なんてなかったはずだし、ここら辺には石碑があるが後数メートルは離れているはずだ。そうだとしても、こんなに人肌じみたものはない。もしかして、誰かとぶつかった⁉︎
「すみません‼︎」
勢いよく頭を下げると、視界に深縹色の鼻緒をあしらった黒い雪駄を履いた白い素足が入った。どことなく、見覚えのある色味をしているなと、額。
トン。
『ワカバ』
私のおでこにスラッと伸びた白い指で迷いなく書く、皇月レノンの姿が。
「コウヅキ、浴衣だ」
薄鈍色に銀色の糸が織り込まれた浴衣を着た彼は、不思議な風合いを残していたが良く似合っていた。
「『ぶつかって、ごめんね』」
『ワカバだと思ったから、気にしてない』
何で私と分かったんだろうと驚く。だが、それはどういう意味だと頬を膨らませるが、コウヅキの様変わりした格好にムズムズと温かいものが胸の中に広がっていくのを感じて。
「『前のもよかったけど、今のもすてき』」
二度目だ。コウヅキの浴衣姿を見たのは。
コウヅキは白状を持っていない空いた手の方で、後頭部を掻く。
『ほら、行くんだろ』
夕焼けのせいかな。ヤツの耳がちょっと赤かった。
石畳に私のスニーカーを叩きつける。
やっちまったのだ。班の皆で廻っていたのに、急な人混みでちょうど途切れたのである。何が途切れたかって? コウヅキ達と私との間でプツンとね。
「待って、コウヅキ」
夕闇の中で一際目立つ金糸を目に留めて、足を早める。人の波をかき分けて、なんとか追いついた。
「もう、迷子になっちゃうじゃないの……」
どっちだかがと自重しつつ、膝を抱えて息を吸って吐く。
その時、目の前にいる彼が振り向いた。いつもの仏頂面と相まみえると思っていたが……。
「……其方は誰じゃ?」
いや彼ではない。
「ん? あれ、コウヅキじゃない⁉︎」
彼どころか彼女……、今まで見かけたこともない女の子だったのである。
顔が熱くなってしまうのは仕方がないことだと思うわけでして。
「すみません、あの、同じクラスの男の子が着ていた浴衣の色味と柄が似ていたので……」
「間違えたと?」
「はい……」
今にして思えば、どうしてコウヅキとこの少女を間違えたのだろうと自分自身に呆れてしまう。確かに背格好は同じだし、顔立ちだって本当に整っているし、着ている浴衣だって似たような色合いだけども。決定的に違うのは方から胸元へと垂らされた長い銀色の髪だ。夕日に染まったそれが金色に見えたのだろうけど。
少女はジロジロと、まるで品定めでもしているかのような視線を私に向ける。格好がつかないあの事に気づかないといいのだけれども。
「では、逸れたのは其方だけじゃろう」
「うっ、そうとも言いますね」
やっぱり気づかれてしまった。若葉春流、十歳、ただいま迷子中だということに!
みんな行っちゃったなぁ、私を探しているのかな、まさかだけれども誰にも気付かれてない感じなのか。
さて、どうしようかと顎をさする。
集合場所に戻ろうかな、祭り会場の入り口だから人にジロジロと見られる運命だが一番マシな方法だ。一人で見学して廻りに行くっていうのもあるな、一応だけど夏休みのグループワークの為に来ているんだし、ちゃんと調査すれば良いよ、多分。祭りの運営本部に行って迷子アナウンスをしてもらうっていう手もあるが、コレは最後の切り札として使いたいよね、あんまり使いたくない手だけど。
ウンウン唸る私を見て、銀色の髪を揺らして彼女は笑った。
「妾と行こうか」
息を吐く合間に私の手を引いて。
「童達を探しながら、今宵の宴を楽しもうぞ」
細めて輝いだ瞳を見て気付いた。あ、コウヅキと同じ青い色だ。
輝き始めた星々へ手を伸ばすかのような竹林の支えになっている石弊は、ひと休みにはちょうど良い。夜風で冷やされた石造りの上に腰を掛けつつ、私はハッと気付いた。
「そういえば迷惑じゃない?」
「何がじゃ」
「いや、ねぇ、友達とか家族とかで来たんじゃないかと思ってさ」
迷子の連れ探しなんて、運の悪いんじゃないかなって。なんだったら、恋人とかと来ているのかもしれないし。だって、おばあちゃんの言葉を借りると、別嬪さん、というやつだから。
「妾も一人で来たからな、随分とな」
彼女はフッと笑う。最近ずっと見続けたような誰かさんに似た笑い方だった。ソイツもなんとなく寂しそうに見えたけど。
私の手元からずれたのだろうか、コロリと音を立てた涼やかなそれに、青い目の少女は珍しそうに目をやる。
「これは、何ぞ?」
「ラムネだよ、シュワっと弾けて甘いんだ」
古風な言い回しをしているのに知らないんだと思いつつ、迷子に付き合ってくれた礼として、「はい、これ」と蓋を開けたラムネ瓶を渡す。手に取った彼女は瓶に流れる汗を払い口元へと傾けた。中で一際キラキラと光る物を見てハッとする。
「そのビー玉、あなたの瞳に似てるね」
透明感がある淡さで、思わず欲しくなりそうなビー玉。ラムネの瓶の中で揺れる度、青の濃さを変えていく様は見ていて飽きない。
「変かの?」
「ううん、とっても素敵、綺麗、ほら夜空を照らしてるみたい」
思ったままに言ってしまったけど、初対面の人で、それに加えて外見について口を出すっていうのは失礼だったのではないかと。
ソロリと彼女の様子を伺う。だって、本当に美しいと思ったんだもの。怒ってないよね。もしかして、呆れられたのかな……。
彼女は目を大きく開けた。
「そうか」
静かにそう言っていたし、銀色の髪から覗く口元は怒気もなく。なんなら、口角が上がっていた。
「妾の目をそう表したのは、其方くらいじゃ」
「そうなの? こんな綺麗なのに……」
それは高嶺の花だからかなと思う。よく見ると彼女が来ている浴衣だって最近よくあるプリントタイプではない、きちんと織り込められた生地でできているから。つまり、おそらくだけれども高貴な御嬢様でいて美少女……、話しかける勇気だけで心臓バクバクになるんじゃないだろうか。
ん? 普通に話しかけてるなぁ私……。私のハート鉄でできているのだろうか。
「まぁ、もう一人いるがの」
「え、誰々?」
純粋に興味が湧く。だって、澄まし顔に見せていて照れていたようだから。やや頬が赤く染まっていたから。きっと彼女を想っている人に違いない。
彼女は一房の髪を掬った。
「こんな髪の色でもあるからな、バケモンと多く言われたな」
「酷い」
私は憤慨した。たった一人の少女を傷つけたその言葉は、どれ程の痛みを与えたのだろうか。彼女に、そう切り掛かった人達はそのことを全く分かってなどない‼︎
彼女はひどく苦々しげに、「まぁ、あの荒れ様じゃそう言わざるを得ないが」と呟く。
どこか遠くを眺めるように懐かしく、銀色の髪の少女は夜空を見る。
「そんな中、初めて妾を見た其奴は言うた」
こんな優しそうに笑う人はいないんじゃないかと、ハルルは思った。だって、だって。
「“夜空を照らす星、いや、月みたいだ”……とな」
贈られただろうその言葉を、これ以上に愛おしいもの等ないとばかりにしていたのだから。
私は真っ赤になっていたと思う。頬や耳だって熱いもの。
「随分とキザな口説き文句……」
照れ隠しにちょっと皮肉を言ってやらないと済まない。ああいうのは恋人とかに掛ける言葉じゃないの……。そんな思い出の一節を私に言うだなんて、惚気られてるよね、コレ?
彼女は私の赤色に照った顔を見て、やっとのこさ気付いたらしい。ムッとしながら口を尖らせていた。
「其方も似たようなこと言うていたじゃないか。それに、其奴は素直な質をしていてな、下心もなく見たまんまを言う男よ」
言い訳のようにモゴモゴと古風に言う少女が、何だか可愛くていじらしくて。
「好きなんですねぇ、その人のこと」
ふふ、と私は笑う。彼女のそんな姿が微笑ましいから。
「嗚呼、一等に愛おしいぞ」
はにかんだ彼女は、悪戯めいて可愛かった。
同い年くらいだけど、彼女はきっと私よりも随分と大人だ。
だから気になるわけでして。
「じゃぁ、その人と一緒に来たの? もしかしてデート?」
静かに彼女は「いな」と呟く。
彼女の青い瞳は夜空を見ていた。正確には、そこで輝く星や月を見ている。多分、先ほど話してくれた男の人を重ねているのだろう。
「会えておらん」
本当に寂しそうだった。遠くに離れた誰かを酷く切なく想うように。
だから、私は伝えたい。
「きっと会えるよ、あなたの大事な言葉を言ってくれた人だから」
まだまだ子供で、ちっぽけなワカバハルルだけども。こんな私でも、きっと、きっと。
彼女は深く息を吐いた。
「そうか」
重たい何かから解き放たれたように、石畳から一段と軽やかに降りていく。
「“誰そか給う頃に逢はぬこと”じゃからな」
私が座っている石弊の隣に、彼女はカラリとラムネの瓶を置く。視線をそれに向けると空っぽで、よく見れば瓶も割れてないのにビー玉が綺麗になくなっていた。割らずに取る方法なんて教えたっけと、彼女の方を見ようとしたが、いなかった。名も知らぬ美しいその少女は。
竹林が急に吹いた強い風で騒めいた。座っていた側に置かれてた空き瓶が風に流されカラコロと音を立てて地べたへと転がっていく。
私はそれを追いかけた。やっと拾えたその時。
空気が変わった。何となく静かで涼しい夏の夜が、ガヤガヤとした活気のある熱い夜に。そうだ、夏祭りだ、そこに私は皆とやって来てたんだ。
「おーい、ワカバ、何処だーー?」
「あっ、見つけた‼︎ 何処に行ってたのハルルちゃん」
声を張り上げたテツくんの姿。その背後から私を見つけて駆け寄ってくるユキコちゃん。
ポケットにラムネの空き瓶をしまいつつ、「あ、ごめんごめん、人混みに入っちゃって、コウヅキと見間違えてさ」と頭の後ろらへんを掻く。
「ふーん、そんなに似てるヤツだったのか」
興味心もなく、さっさと夏祭りの見学だとばかりにテツくんは先陣をきって、心配そうに私を見たユキコちゃんも後に続く。
今度は迷子にならないように、私もと、歩き出そうとしたその時。
コウヅキが私の腕を軽く引き、そして綴る。
『心配したぞ』
軽く曲げた両手の五本指を胸元に右手を上に左手を下にして揺らしながら押し当てる、『心配』の手話の単語だ。
私は何だか嬉しかった。
「『コウヅキ、心配してくれてありがとう』」
手の平を床に向けた左腕を腹部の前に出し、開いた右手で手の甲を軽く一回叩いて自分の顔の前に留めて会釈する。『ありがとう』の手話の単語。やっと、彼の手に渡せたんだ。
目を見開いたコウヅキは、フンッと手を離した後に。
『べつに』
彼は、ぶっきらぼうに指文字で返す。
誰そか給う
頃に逢はぬこと
『トビタツ神社の石碑』 下の句より。




