011. 不穏な旅立ち
今日も穏やかな、ニサの町の朝。
待ち合わせ場所である東の出入り口に行くと、そこにはもう、彼女の姿があった。
「おーい、ここなのだ、ワガハイ」
ぐっすり眠れたのか、ユッカちゃんは元気だ。
昨日は装備していなかったが、シンプルな木の杖を手にしている。
彼女専用なんだろう。
背丈に合わせて、一般のそれより短いものだった。
「おはよう、ユッカちゃん」
吾輩が伝えると、
「おはよう」
「キュイ、キュイ」
クーリアとキューイも続いた。
「うむ、みんな、おはようなのだ」
ユッカちゃんの準備はできているようだけど、もう一人の彼女はどこに?
吾輩は尋ねる。
「ユッカちゃん、マルチェさんはいないの?」
「宿はいっしょに出たのだが、何やら、ちょっと急用ということで、先に行くように言われたのだ。まぁ、ワタシは立派な大人だからな。こうやって一人で待つくらい、実に簡単なことなのだ(えっへん)」
自慢げに答えたユッカちゃん。
しかし吾輩は、やはり違和感を覚えた。
彼女は、ウィヌモーラ大教の巫女だ。
昨日のように迷子になったというならまだしも、護衛役兼保護者というマルチェさんが、ユッカちゃんを一人にさせるというのはどうなのか。
もちろん、ここは治安のいい町の中だし、朝の時間帯だから、危険なことなんてまず起こらない。
とはいえ――。
「クーリア、ユッカちゃんを頼むよ。吾輩、マルチェさんを探してくるから」
「え、あ……うん(じぃーっ)」
「言っておくけど、マルチェさんの大きな胸は関係ないからね、別に」
「あえて断るところが怪しい」
「勘弁してよ、クーリア」
一言残して、吾輩は町の中心へと戻っていく。
通りにはちらほらと、露天商人が商いの準備をしている光景が。
力仕事の男性たちだろうか。
木槌や布袋を手に、談笑しながら歩いている。
またニサの町で、新しい一日が始まるんだな。
角を曲がった人気のないところで、
「…………」
吾輩はマルチェさんを発見。
クーリアには申し訳ないけれど、やはり、あのスタイルの女性だ。
目立たないと言えばうそになる。
今日は町を出るからか、簡素な旅人用マントを羽織ってはいるが、そのふくよかなふくらみは、いまだ十分な存在感を示していた。
どうやらマルチェさんは、誰かといっしょにいるらしい。
とっさに吾輩は壁に隠れ、その様子をうかがう。
彼女が話している相手は、明らかに、純血の人間ではない。
エルフや並の獣人とも違うだろう。
恵まれた体格を持つマルチェさんよりも、さらに身長が高いからだ。
頭から足元まで――体のすべてを覆うようなフード付きローブを身に着けているため、顔や種族はわからないけれど、その肩幅や大きさから考えて、おそらくは男性。
まぁ、マルチェさんも若い女性だし、いやらしい意味はなくとも、非常に女性的な魅力あふれる体型をしている。
親しい間柄の男性がいたとしてもおかしくはないが、まさか旅の途中に立ち寄った町で、手頃な相手を見つけるタイプでもないだろう。
そういうことには疎すぎる吾輩でも、あれが逢い引きでないことくらいはわかる。
雰囲気がまるで感じられないからだ。
では誰なんだ、あの相手は?
「事情は理解したが……いいんだな、計画通りで?」
「はい、構いません」
謎の巨体男性に、マルチェさんがうなずいた。
やり取りが、かすかに聞こえてくる。
事情?
計画通り?
まったくわからない。
「ゴーストの男性はいささか厄介そうですが、手出しをさせないようにすれば問題ないかと」
マルチェさんの言葉に、吾輩は穏やかではいられない。
彼女が口にした『ゴーストの男性』とは、間違いなく吾輩のこと。
ならば、吾輩に『手出しをさせない』とは、いったい?
「いいさ、こちらは指示に従うまでだ――悪いが、俺はもう出るぞ。早く村に戻らなければならないからな。あんたらは、焦らず来ればいい」
「はい――では、向こうで」
「ああ」
大きな体を隠すようにして、謎の男性は小走りで消えた。
残されたのはマルチェさん一人。
無言のまま、微動だにせずたたずんでいる。
するとマルチェさんは、不意に背中に手を回し、
「はっ」
誰もいない虚空に、あの巨大な武器を走らせた。
感じたのは、強い闘気。
昨晩の食堂ではまず放つことのなかった、戦士としての威圧感だ。
ゆっくりと武器を収めたマルチェさんは、とらえどころのない無表情のまま、吾輩が息を潜めている方へと歩いてくる。
「…………」
素早く壁の死角に入った吾輩。
おそらくは気づいていない彼女が横を通り過ぎる瞬間、
「マルチェさん」
吾輩は、静かに声をかけた。
「……ワガハイさん」
「おはようございます――探しに来たんですよ、あなたを」
「そうでしたか、それはすみませんでした」
少なくとも吾輩には、彼女は平静を保っているように思えた。
過度に焦ったり、慌てたりといった様子もない。
「あの、マルチェさ――」
「ユッカさまを待たせてしまっています。急ぎましょう、ワガハイさん」
「……ええ」
待ち合わせ場所へと向かうマルチェさんに、吾輩はそれ以上問いかけることができなかった。
吾輩の先を歩くマルチェさん。
背中の武器が、朝日に照らされて鈍く光る。
吾輩は黙って、彼女の後に続く。
何かが起こる――そんな、妙な胸騒ぎに急かされながら、ニサの町の通りを、ただ二人で。




