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夏乃さんと魑魅魍魎の謎  作者: 巫 夏希
第四話 人魚帳

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第1話 人魚のいる港

 夏休みも半分ほど過ぎていた。

 大学生というものは自由だと世間では思われているらしいが、実際のところそうでもない。

 レポートはあるし、ゼミの課題もある。何より、民俗学という学問は本を読んでいるだけでは済まない。

 資料館へ行き、文献を漁り、ときには現地調査まで行う。

 そんなわけで、僕は大学の図書館で古い郷土史を読んでいた。

 すると、スマートフォンが震えた。

 画面を見る。

 送信者は柊木夏乃だった。


『洋平、今週末は空いているか?』


 相変わらず前置きがない。

 僕は思わず苦笑した。

 そして返信する。


『一応空いています』


 既読は一瞬で付いた。


『なら決まりだ』


 何が決まったのだろう。

 嫌な予感しかしない。


『どこへ行くんですか?』


 そう送ると、しばらくして返事が来た。


『海だ』


 ますます嫌な予感がした。



◇◇◇



 二日後。

 僕は特急列車の窓から海を眺めていた。

 青空の下で海面が輝いている。

 景色だけなら旅行そのものだった。


「夏乃さん」

「なんだ」

「どうして僕は海へ向かっているんですか」


 向かい側の席に座る夏乃さんはサンドイッチを食べていた。

 美人なのに食べ方が豪快である。


「人魚だ」

「はい?」

「人魚が出たらしい」


 また始まった。

 僕は額を押さえた。


「民俗伝承の人魚ですよね?」

「もちろん」

「本物じゃなくて?」

「本物だったら私は生物学者を連れていく」


 それはそうだ。

 夏乃さんは笑いながら新聞の切り抜きを差し出した。

 見出しにはこう書かれていた。


『人魚伝説の港町で男性転落死』

「転落死……」

「先月の出来事だ」


 記事によると、港町の防波堤から男性が海へ転落したらしい。

 酒を飲んでいたため事故として処理された。

 しかし。


「人魚伝説と何の関係が?」

「その男が調べていたんだよ」


 夏乃さんは楽しそうに言った。


「人魚伝説を」



◇◇◇



 目的地は人口三千人ほどの小さな港町だった。

 駅を出ると潮の匂いがする。

 観光地というほどではないが、漁業で成り立っているらしい。

 商店街を歩いていると、人魚のイラストが描かれた看板が見えた。


「町おこしですね」

「そのようだな」


 僕たちはまず観光案内所へ向かった。

 そこで話を聞く。


「人魚伝説ですか?」


 案内所の女性は慣れた様子で頷いた。


「昔からありますよ。この辺りでは有名です」

「どんな伝承なんです?」

「漁師が海で人魚を助けたんです」


 人魚を助ける。

 昔話では珍しくない。


「すると人魚がお礼に豊漁をもたらしたそうです」

「なるほど」

「でも約束を破ると海へ連れていかれるとも言われています」


 豊穣と禁忌。

 民俗伝承としてはよくある構造だった。

 僕はメモを取った。

 すると夏乃さんが口を開く。


「転落死した男性は何を調べていたんだ?」

「え?」

「人魚伝説だよ」


 女性は少し顔を曇らせた。


「詳しくは知りません。でも古い神社に通っていたみたいです」

「神社?」

「海神神社です」



◇◇◇



 神社は町外れの岬にあった。

 小さな神社だったが歴史は古そうだった。

 石段を上る。

 境内には誰もいない。


「静かですね」

「こういう場所は嫌いじゃない」


 夏乃さんは鳥居を見上げた。

 僕は拝殿の横にある説明板へ向かう。

 そこには由緒が書かれていた。


『海難事故を防ぐため建立』


 そして。


『境内に人魚の骨を祀る』

「人魚の骨?」

「よくあるやつだな」


 夏乃さんが言う。

 確かに民俗学では珍しくない。

 各地に人魚のミイラや骨と呼ばれるものが存在する。

 多くは魚や猿の骨を組み合わせたものだ。


「見学できますかね」


 そのときだった。


「見学ならできますよ」


 後ろから声がした。

 振り返る。

 六十代くらいの男性だった。

 神職らしい。


「宮司さんですか?」

「ええ」


 男性は穏やかに笑った。



◇◇◇



 人魚の骨は宝物庫に保管されていた。

 ガラスケースの中——確かに骨らしきものがある。


「どう思う?」


 夏乃さんが尋ねる。


「少なくとも本物の人魚ではありません」

「だろうな」


 骨格に不自然な部分があった。

 恐らくは、後世の加工品だろう。

 しかし——それ以上に気になることがある。


「宮司さん」

「はい」

「亡くなった男性はここへ来ていたんですか?」


 宮司は頷いた。

「よく来ていました」

「何か調べていた?」

「古文書ですね」

「古文書?」

「人魚伝説の原型を探していたそうです」


 その言葉に僕は反応した。

 伝承には必ず変化の過程がある。

 現在知られている物語が、最初からその形だったとは限らない。


「見つかったんですか?」

「ええ」


 宮司は答えた。


「見つけたようでした」



◇◇◇



 神社を出る頃には夕方になっていた。

 海が赤く染まっている。

 宿へ向かう途中、夏乃さんが言った。


「事故だと思うか? 洋平」

「まだ何とも」

「私は違うと思う」


 即答だった。


「どうしてです?」

「調べていた人間が死んだ」

「偶然かもしれません」

「偶然かもしれない」


 夏乃さんは頷いた。

 そして続けた。


「だが、古文書を見つけた直後だ」


 確かに引っ掛かる。

 あまりにも出来すぎている。

 宿へ到着したあと、僕はロビーで町の資料を読んでいた。

 そのとき、一冊の郷土誌が目に入った。

 何気なくページをめくる。

 すると、


「……あれ?」


 僕は思わず声を上げた。

 古い記録が載っていた。

 明治時代の新聞記事。

 内容を読んで、僕は目を見開く。

 そこにはこう書かれていた。


『人魚伝説調査中の郷土史家、海で溺死』


 背筋が冷たくなる。

 一人ではない。

 百年以上前にも。

 同じような人物が死んでいた。

 そのときだった。


「洋平」


 夏乃さんの声。

 振り向くと——夏乃さんはいつになく真面目な顔をしていた。


「面白いものを見つけた」

「何です?」

「死んだ男の泊まっていた部屋だ」

「はい」

「壁の裏からノートが出てきた」


 僕は固まった。


「……それ、警察案件じゃないですか?」

「安心しろ」

「安心できません」

「宿の主人に許可は取った」


 夏乃さんは笑った。

 そして一冊のノートを差し出す。

 表紙にはこう書かれていた。


『人魚伝説調査記録』


 その瞬間。

 僕は直感した。

 この港町には、人魚ではなく。

 人間が隠し続けてきた何かがあるのだと。

 そして、それを知ろうとした人間は。

 なぜか海で死んでいるのだと。


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