その33『匿名の嫌がらせ』
◇
数日後、ベルは配達の宮廷使用人からベルあての手紙を受け取った。
差出人の名前はない。
開封すると、便箋に小さい字が端から端までびっしり書き込まれていた。
『雌イタチめっ!!淫売っ!売女っ!ハリー様とエルンハルト様に近づくな!お前なんか死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!………』
ベルは思わず息を呑んだ。
背筋が寒くなった。
ベルはすぐにその手紙をクシャクシャに丸めてごみ箱に捨てようとした。
ゴミ箱に投げ込もうとしたとき、ふと手を止めた。
でも誰かに見られたらどうしよう?
ディアナ王女に告げ口されたら、きっと嘲笑される。
ベルは仕方なく、その不快な手紙を引き出しにしまった。
次の日、また同じ筆跡の手紙を受け取った。
中身もほぼ同じだった。
『雌イタチめっ!ウジ虫っ!寄生虫っ!ハリー様と会話するなっ!エルンハルト将軍を誘惑するなっ!死ね!死ね!死ね!………』
ベルはため息をついた。
差出人は誰なの?
悪い噂が広まってるなら、特定できないかも。
それにしても気味が悪い。
誰かに相談する?
将軍に?
ダメ……できない。
こんな手紙を見せたら軽蔑されるかも。
エルンハルト将軍には少しでも悪い印象を与えたくない。
ハリーに?
忙しいわよね。迷惑かけたくない。
ベルはひとりで顔の見えない他者からの悪意を飲み込んだ。
その日の午後、ディアナ王女のためのティーセットを運び、王宮の廊下を歩いていると、前方から魔法使いの一団が歩いてきた。
先日、ベルに敵意を向けたプリシラがいた。その周囲には、ハリーと同じ年頃の女性や、ベルと同じぐらいか年下に見える若い魔法使いたちが集まって歩いてきた。
ベルはプリシラと目を合わせたくなくて、自然と下を向いて歩いた。
距離が近づくとヒソヒソと話し声が聞こえる。
「あれがそうなの?別に可愛くないね。」
「そうよ。王女の侍女で無能力者の。」
「嘘でしょ?ハルマン先生、絶対に騙されてる。」
「エルンハルト将軍もカモられてるって。やなヤツ!」
ベルの耳に聞こえるぐらいの音量。
ベルは思わず身を硬くした。
魔法使いの集団とすれ違う際、無意識に歩き方がぎこちなくなったのか、足が何かに躓いた。
あっ!と思った瞬間
カッシャーーーーンッッ!!
と音がし、ベルは転んで気が付くと廊下に手をついていた。
大理石の床にはティーポットが転がり、紅茶がぶちまけ、ディアナ王女お気に入りのティーカップが粉々に砕けていた。
クスクスという笑い声がベルの後ろから響いた。
……うっ。
ベルは頭が真っ白になった。
赤面し、手を震わせながら、カップの破片を拾い集めた。
カップの破片をトレーに集めてみたものの、王女にどう言い訳しよう?と途方に暮れた。
もし正直に壊したことを言えば、弁償で給金から差し引かれる?
そうなったら実家に仕送りできない!
弟や妹が飢えてしまう!
エルンハルト将軍にお金を借りて、買って返す?
ダメダメ!金目当ての賤しい、噂通りの悪女になってしまう!
優しいから多分、貸してくれると思うけど、慈悲深い高潔な将軍に甘えちゃダメ。
ひとりで何とかしなきゃ!…と思うけど、どうすればいい?
う~~~~ん。
あっ!そうだっ!
ベルはひらめいて、誰にも見られないようにハンカチでトレーを覆い、自分の侍女部屋に運び、カップの破片をハンカチで包んで持ち出した。
エルンハルト将軍の獅子の石像も修復できたみたいだし!
急いで魔術学校のハリーの研究室へ駆け込んだ。
ハリーを見つけると、ベルは息を弾ませ
「このカップを魔法で直せる?」
ハリーはベルを見ると眉を上げ、目を細めてほほ笑んだ。
「もちろんさ!じゃ、机の上に置いて!」
ハンカチごとカップの破片を机に置くとハリーは杖で指し、呪文を唱えた。
杖の先から光が放たれた。光に照らされたカップの破片が、ひとつずつ浮き上がり、下から順番に積みあがってく。
最後に取っ手がカップの側面に張り付くと、修復は完成した。
ベルは興奮で頬を染め、手を叩いた。
「スゴイっ!魔法って何度見てもスゴイですっ!!これが修復魔法ですね!感動ですっ!」
ハリーは大事な杖でポリポリ頭を掻いた。
照れくさそうに呟く。
「こちらこそ、お褒めいただきありがとう。毎回オーバーに驚いてくれるから、僕もやりがいがあるよ。」
ベルははっと我に返った。
私何してるの?
突然押しかけ、不躾にも一方的に修復を頼んでしまった。
忙しいハリーに、迷惑をかけてしまった。
せめてお礼をしなきゃ、と思いペコッと頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。何かお礼をしたいんですけど、欲しいものはありますか?」
首をかしげてハリーを見る。
でもお金はかけられないんだ、と思い出し
「あっ!でも、その、お金は払えないので、お料理とか、お菓子とか、お裁縫とか、お掃除とか、そういうのでよかったらなんですけど。」
言ってから、あまりにも身勝手な申し出だったと気づいた。
ベルは真っ赤になってうつむき、エプロンをモジモジとつまんだ。
私ってもしかしてハリーの好意を利用してる?
噂通りの嫌な女?
金銭目当ての詐欺女?
自己嫌悪になりそうだと気づいて、ベルはハッと顔を上げ
「あのっやっぱりお金をお支払いします。でも、少し待っていただかないと、すぐには、お返しできないんですけど、必ず払いますので。」
ハリーが口をとがらせ、ベルのおでこを人差し指でツンとついた。
「まだ何も言ってないのに、ひとりで話を進めるな。」
ベルは無意識に、額のハリーの指の跡に触れた。
ハリーが
「う~~~ん。そうだな~~~。何がいいかな~~~。じゃ、今度買い物につきあってよ!」
ベルはうなずき
「わかりました。値段交渉でも荷物持ちでも何でもします!体力には自信がありますから。」
力こぶを作る仕草をする。
ハリーがムッとした表情になった。
「そういう意味じゃない。ま、いいよ。じゃ、空いた日に連絡するから。
それより、ディアナ王女のカップを割ったの?
粉々だったけどなぜ?どういう状況?」
「それが、どうして転んだのか、自分でもよくわからないんです。
学生さんかな?ハリー先生って言ってました。若い魔術師の集団とすれ違ったときに、躓いて転んで、気が付くとカップが割れてたんです。
あっプリシラさんもいました。
そういえば、粉々になるほど激しく転んではいません。」
ハリーが腕組みして呟いた。
「フム…‥王宮に見学に来ていた学生と引率の教師か。調べれば名前はわかるな。」
ベルはハリーの言葉の意味を、この時点では深く考えなかった。




