第六話 王子様はもういらない。
思えば、初めてお会いしたときからエルトン王太子殿下は私を嫌っていました。
「伯爵令嬢? 未来の国王である僕の婚約者がたかが伯爵令嬢だって? 冗談じゃない! 僕はそなたとは結婚しないからな! そして身の程を弁えない伯爵家は潰してしまうぞ!」
そう叫ばれて睨まれて、恐怖で泣いてしまったことを覚えています。
殿下は泣きじゃくる私にさらに激怒なさいました。
本来はそのまま王都の伯爵邸で暮らすはずだったのですけれど、怯え切った私を案じた父母が心を落ち着かせようと、一度伯爵領へ戻してくれたのでした。泣けば周囲を心配させるだけだとわかっていましたが、どうしても涙を止められなかった私は庭の低木の陰に隠れて──
『ごめんよ、アタシの愛し子。アタシがアンタに与えた加護は人間の悪意には効果がない。あの王子様を懲らしめようにも、アンタの優しさのせいでアタシの加護がアイツにも及んでいて魔導は効かない。魔導で回りのものをぶっ壊せば王子様にも被害を与えられるけど、それだとほかの人間を巻き込んでしまうから、アタシが邪獣になっちまう』
神涙獣様には善も悪もありません。
人間と触れ合い、善きことをすれば聖獣様に、悪しきことをすれば邪獣になると言われています。邪獣は大暴走の元凶にもなりかねない強い魔力を持った存在なので、見つけ次第滅ぼされることになっていました。
六歳のときに王太子殿下と婚約をして十二年。久しぶりに会った神涙獣様はあのときと同じような言葉を口にしました。音のある声ではないのですが聞こえてきます。
『アタシは邪獣にはなりたくないんだよ。むずかってたアンタが、アタシに揺り篭を揺らされて笑い声を上げたときから、アンタはアタシの愛し子だ。聖獣になって、アンタの子々孫々まで見守りたいのさ』
邪獣としての力の強さや周囲に及ぼす影響によっては、神様自らが邪獣を滅ぼすという話です。
『願いを叶えられなくてすまなかったねえ。王子様のお嫁さんになりたいって願いは叶えられなかったけれど、新しい願いを叶えてあげるよ。なにがいい?』
神涙獣様は人間と触れ合い、人間の願いを叶えることで実体を持ちます。
実体がなく影や雲を纏った状態では出来ることが限られ、また自分の力も制御しきれないのだと、殿下と婚約する前、毎日一緒に庭で遊んでいたころに教えてもらいました。
力が限られていても加護は与えられるということで、私は神涙獣様の魔力で守られていて攻撃的な魔導に傷つけられることはないのです。攻撃的な魔導には精神的なものへの攻撃、魅了なども含まれます。
教えられていたにもかかわらず、私は今日この瞬間まで、神涙獣様を猫だと思っていました。伯爵領の屋敷の庭に住み着いていた猫と仲良くしていたつもりだったのです。
「ああ、そうでした。私はあなたにお願いしましたね、王子様のお嫁さんになりたいって。だってエルトン王太子殿下と結婚しないと、この伯爵家を潰されてしまうと思っていたし……」
『理由はともあれ、受けてしまった願いは願いだ。叶えられなくてごめんよ』
「いいえ、あなたのせいではありませんわ。元凶を倒して大暴走を収めて欲しいとか病気の人を治してほしいとか、希少な鉱石のある場所を教えて欲しいとかお願いすれば良かったんですよね」
力を制御しきれないので病人を直接治すことは難しいようですが、魔力を注いで回復薬の薬効を高めることは出来ると、婚約前に願いを聞かれたときに説明してくれました。
『そうだよ。なにがいいかい、アタシの愛し子』
「そうですねえ……」
失礼ながら、神涙獣様を撫でながら考えます。
実体のない影のはずなのに、神涙獣様の毛皮は天鵞絨のように滑らかで手触りが良いのです。幼い私は抱き着いて、全身で神涙獣様に包まれていましたっけ。
願い事、願い事──なんにしましょう。願い事を叶えてもらわないと神涙獣様は実体を持つ聖獣様に変われないのです。神涙獣様のままだと、条件を満たしたときしかこの屋敷から移動出来ないのだと言われたことを思い出します。とりあえず、王子様のお嫁さんになりたいとは、二度と言う気はありません。
「条件……」
『なんだい? 可愛いアンタの願いに妙な条件を付ける気はないよ?』
「ありがとうございます。あの……神涙獣様がこの土地から移動出来るようになるのって、どんな条件のときでしたか? 王都でお見かけした覚えがあるんです」
言ってから気づきました。
夕焼け空の神涙獣様を見たのは悪夢の終わり、処刑されたときでした。
あれは……悪夢、だったのですよね?




