第10話 ──「あなた、らしく」
夜が、明けていく。
東の空が白み、朝日が、傷ついた街を優しく照らし始めた。
魔獣は、すべて討伐された。
壊れた家、ひっくり返った露店。
傷跡はあちこちに残っているが、それでも、人々は動き出していた。
片付けをする者、家族の無事を確かめ合う者。
あちこちで、安堵の声が上がっている。
グレンたちは、東門を守り抜いた先輩守護者たちと、無事に合流していた。
「よくやった。お前が指揮を執った隊のおかげで、住民に、死者は一人も出なかった。……大したもんだ、グレン」
「いえ。みんなの、おかげです」
グレンは、そう言って、はにかんだ。
その顔に、もう昨日までの影はない。
任務は、完了した。
あとは、王都へ帰るだけだ。
装備を整え、部隊が、帰路につこうとする。
その時だった。
「グレン」
声に、振り返る。
少し離れた石畳の上に、母親が、一人で立っていた。
グレンの肩が、反射的に、わずかにこわばる。
また、何か言われる——そう身構えた、その時。
「……怪我は、ないの?」
グレンは、目を見開いた。
その声には、昨日までの、冷たく突き刺さるような響きがなかった。
震えていた。
心から、我が子を案じる、母の声だった。
「け、怪我は……ありません。大丈夫です」
「……そう。よかった」
母親の肩から、ふっと、力が抜ける。
その目元が、朝日のせいだけではない赤さで、潤んでいた。
後ろで見ていたドラゴとトジが、思わず顔を見合わせる。
あの、氷のように冷たかった人が——。
しばらく、母親は、言葉を探すように、俯いていた。
やがて、意を決したように、口を開く。
「グレン。……ごめんなさい」
「え……」
「あの人が——あなたの父さんが、亡くなってから。わたしは、ずっと、家のことばかり、考えていた。スザクの名を、守らなければ。優秀な子に、育てなければ、と」
声が、揺れる。
「そうやって、名前ばかりを見て……あなた自身のことを、ちっとも、見ていなかった。あなたが、何を思って、何がつらいのか。一度も、目を向けようと、しなかった」
母親の手が、きゅっと、握りしめられる。
「あなたを追い詰める言葉を、それがスザク家にとって、あなたにとって正しいことだと、思い込んでいた。……わたしが、あなたの笑顔を、奪っていたのに」
顔を上げた母の頬を、涙が、伝っていた。
「本当に……ごめんなさい。もう、家のことなんて、気にしなくていいの。スザクの名より、あなたのほうが、ずっと大事。……あなたは、あなたらしく。どうか、元気にやりなさい」
その瞬間。
グレンの中で、長いあいだ、彼を縛り続けていた鎖が——ほどけていくのが、分かった。
完璧に。泥を塗るな。
ずっと、耳の奥で鳴り続けていた、あの声。
それが、母の一言で、溶けていく。
目頭が、熱くなる。
堪えようとしても、堪えられなかった。
大粒の涙が、頬を伝って、落ちていく。
それでも、グレンは、笑った。
涙を流しながら、これまでで一番、晴れやかな笑顔で。
「……はい、母上」
子供の頃に、忘れていた笑顔だった。
母親は、それを見て、堪えきれずに、両手で口元を覆った。
指の隙間から、涙がこぼれる。けれど、その顔は、確かに笑っていた。
「行ってきます、母上。……また、帰ります」
母親は、何も言わず、ただ、静かに頷いた。
その顔は、最後まで、優しかった。
母に背を向け、グレンは、ドラゴたちのもとへ駆けていく。
その足取りは、来た時よりも、ずっと軽かった。
「おかえり、隊長!」
「お疲れさま、グレン」
「よかったニャー、グレン!」
仲間たちが、温かく迎え入れる。
その輪の中へ、自然に、溶け込んでいく。
「はい。……ご心配、おかけしました。皆さんのおかげで、母とも、ちゃんと話せました」
グレンが、頭を下げる。
その言葉に、ドラゴが、ふと片眉を上げた。
「……ん? なあグレン。お前、なんかまた、喋り方が硬くなってねえか? 昨日は『任せてくれ』とか、もっとこう、砕けてただろ」
言われて、グレンは、少し照れたように、頭をかいた。
「ああ……。あれは、その、夢中で。気持ちが昂って、いつもと違う喋り方になっていたみたいです」
「なんだよ、それ。せっかくいい感じだったのによ」
ドラゴが、口を尖らせる。
「でも」
グレンは、ふっと、穏やかに笑った。
「やっぱり、自分は、このほうが落ち着くんです。……これが、自分なので」
自分らしく。気負いも、強がりもない。
ただ、素のグレンだった。
「ぷっ……いいニャ、それで!」
ミーナが、噴き出して笑う。
「うん。グレンが、いちばん自然でいられるなら、それが一番だよ」
トジも、優しく頷いた。
「へっ、まあ……お前がそう言うなら、いいけどよ」
ドラゴが、渋々といった顔で、それでも、笑っていた。
朝日が、肩を並べて歩く四人を、明るく照らしている。
もう、家の名前には縛られない、一人の守護者、グレンとして——
彼は、仲間たちと、笑い合いながら、歩き出していた。
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