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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第29話 道を奪う者

 翌朝、俺は下宿のベッドの上で目を覚ました。


 身体は重い。


 背中も、右肩も、太腿も、まだ痛む。


 だが、前日よりは少しだけましだった。


 北道便は鉱山町へ届いた。


 薬草箱も、薬師道具も無事だった。


 石切坂の後ろ綱。


 油を含ませた輪留め。


 坂下の空箱。


 落石の仕掛け。


 偽の受け取り札。


 全部、途中で見つけた。


 荷は止まらなかった。


 それは確かな勝ちだ。


 だが、勝った気分にはなれなかった。


 石切坂の岩に刻まれていた言葉が、頭から離れない。


 道は、奪う。


 欠け指。


 右手の小指がない黒外套の男。


 危険荷を流し、偽札を撒き、魔物を寄せ、薬草に毒草を混ぜようとした男。


 そいつが、北道に近づいていた。


 そして今度は、道を奪うと言った。


 道を壊す、ではない。


 奪う。


 それが気持ち悪かった。


 扉が叩かれる。


「入ります」


 リーナだった。


 薬箱を持ったまま部屋へ入り、俺の顔を見た瞬間に眉を寄せる。


「眠れていませんね」


「少しは」


「少しでは足りません」


「北道便のことが」


「薬草は届きました」


「はい」


「なら、今は身体を治してください」


 正論だ。


 正論だが、胸の奥がざわついている。


 俺が返事に詰まっていると、廊下から足音が近づいてきた。


 今度はセリアだった。


 手には紙束。


 顔がいつもより硬い。


「アスト。商人ギルドへ来られますか」


 リーナが即座に言った。


「無理です」


「担架か荷車でも?」


「それなら可能ですが、できれば避けたいです」


「何が起きました」


 俺が聞くと、セリアは紙束を開いた。


「領都で噂が広がっています」


「噂?」


「北道便の薬草は、鉱山町の有力者だけに渡された。谷村には届かない。商人ギルドは薬草を隠して高く売る。軽急便は鎖が多すぎて遅い。鎖のない道なら、家族へ先に薬を届けられる」


 胸の奥が冷えた。


 荷ではない。


 人を動かしに来た。


 止まった人を動かす。


 前日の言葉が、ここへつながった。


「誰が流してます」


「まだ不明です。ただ、同じ木片がいくつも見つかっています」


 セリアは小さな木片を出した。


 黒い輪の中に、切れた鎖。


 その下に、短い言葉。


 鎖なき道は、待つ者を救う。


 俺はしばらく、その木片を見ていた。


 欠け指の印。


 今度は荷ではない。


 信用だ。


 商人ギルドの道では遅い。


 鎖があるから助からない。


 なら鎖のない道へ来い。


 そういう誘導。


 道を奪うとは、こちらの荷車を奪うことではない。


 人の信頼を奪うことだ。


 リーナも木片を見て、顔を険しくした。


「薬草は、バルム先生が重症者から使っています。隠してなどいません」


「でも、遠くの人には見えません」


 俺は言った。


「見えないところに、噂が入る」


 セリアが頷く。


「ギルド前に人が集まり始めています。谷村や鉱山町に家族がいる者、薬を買いたい者、日雇い、商人。まだ暴れてはいませんが、かなり不安定です」


「ガルドさんは」


「現場にいます。剣を抜く状況ではありません」


「抜いたら負けですね」


「はい」


 群衆を剣で散らせば、噂は本当になる。


 商人ギルドは薬を隠し、文句を言う者を力で黙らせた。


 そう見える。


 欠け指は、それを狙っている。


「行きます」


 俺は言った。


 リーナが俺を見る。


「立てる状態ではありません」


「立ちません。座って行きます」


「人前で話すだけでも負担です」


「話さないと、もっと動きます」


 リーナは黙った。


 怒っている。


 だが、止めきれないこともわかっている顔だった。


「条件があります」


「はい」


「荷車で移動。立たない。声を張りすぎない。終わったらすぐ戻る。途中で顔色が悪くなったら、私が止めます」


「わかりました」


「本当に?」


「本当に」


 リーナはまだ疑っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「戻り札を持ってください」


「はい」


 俺は戻り札を握った。


 俺はアスト。


 役割は運び手。


 戦闘も推理も目的ではない。


 道を守る手段。


 怒りは判断材料。


 使ったら戻る。


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【状態:疲労残存】


 大丈夫。


 まだ俺だ。


     ◆


 商人ギルドの前には、すでに人が集まっていた。


 30人ほど。


 いや、路地の奥まで含めればもっといる。


 女。


 老人。


 日雇い。


 商人。


 若い鉱夫らしい男。


 薬を求める家族。


 みんな、不安な顔をしていた。


 怒りだけではない。


 恐怖がある。


 家族が死ぬかもしれない。


 自分だけ置いていかれるかもしれない。


 薬が金持ちにだけ渡るかもしれない。


 その恐怖が、人を前へ押している。


 ガルドは入口の横に立っていた。


 剣は抜いていない。


 だが、手は柄の近くにある。


 マルセルは受付前で人をなだめているが、声が届き切っていない。


「薬を隠してるんだろ!」


「鉱山町だけ先に助けるのか!」


「谷村にいる弟はどうなる!」


「鎖がどうとか札がどうとか、そんなもんで人が待てるか!」


 叫びが重なる。


 その中に、妙な声が混じっていた。


「鎖のない道なら、今夜にも薬を出せるらしいぞ!」


「商人ギルドを待っていたら遅い!」


「黒い輪の札を持っている者は、南水路へ行け!」


 南水路。


 まただ。


 俺は荷車の上で顔を上げた。


 リーナが横で支えている。


 セリアが戻り札を手に持ち、俺の膝の上へ置いた。


「無理なら止めます」


「お願いします」


 俺は群衆を見た。


 叫んでいる者。


 泣いている者。


 ただ流されている者。


 そして、煽っている者。


 全部同じではない。


 ここで一括りに敵扱いすれば終わる。


 人を分ける。


 荷と同じだ。


 俺は頭の中で、低く自己暗示を組んだ。


 戦闘ではない。


 斬らない。


 ただ、声を通す。


 群れを前に言葉を届かせる指揮官。


 戦場の兵を止める将。


 広場の群衆へ言葉を投げる王。


 俺は王ではない。


 将でもない。


 だが、声を通す姿は知っている。


 借りるのは、威圧ではなく、芯。


【自己暗示候補:指揮声模倣】


【参照対象:物語内指揮官群・王者群】


【適合率:32%】


【効果:声量補正・視線誘導・恐怖抑制】


【警告:過度な威圧は反発を招きます】


 低出力。


 起動。


 胸の奥が熱くなる。


 喉に力が集まる。


 群衆の声が、少しだけ線になって見えた。


 怒りの線。


 不安の線。


 煽りの線。


 俺は息を吸い、声を出した。


「薬草は、届いています!」


 声が広がった。


 自分の声ではないように、石壁に当たり、路地へ伸びた。


 群衆の声が一瞬だけ落ちる。


 痛みが背中へ走る。


 だが、続ける。


「薬草は鉱山町に届いています。隠していません。バルム薬師が、重い患者から順に使っています」


 ざわめきが広がる。


「順番を決めているのは、商人ギルドではありません。薬師です。金を払った者からではありません。声の大きい者からでもありません。命の危ない者からです」


 泣きそうな女が口を押さえた。


 日雇いの男が眉を寄せる。


 煽っていた男が、舌打ちしたのが見えた。


 俺はそちらを見ない。


 今は全員に言う。


「谷村にも物資は届いています。水場と器を分けています。勝手に鉱山町へ向かえば、病も動きます。家族を助けたいなら、動かないでください」


「でも、待ってるだけで助かるのかよ!」


 誰かが叫ぶ。


 もっともな叫びだった。


「待つだけではありません」


 俺は答えた。


「情報を届けます。鉱山町の患者名、谷村の患者名、薬が使われた順、次に必要な物資。それを今日から掲示します」


 セリアが横で目を見開いた。


 まだ決めていない。


 だが、決めるべきだ。


 見えないから噂が入る。


 なら、見えるようにする。


「ただし、名前を勝手に晒すことはしません。家族へ確認できる形にします。薬師と領主館の確認があるものだけ出します」


 マルセルが小さく唸った。


 手間が増える。


 わかっている。


 だが、これは必要な手間だ。


 安心を運ぶ手間だ。


 その時、群衆の端で男が叫んだ。


「嘘だ! 鎖のない道なら薬を早く出せる! 黒い輪の札を持ってる者は南水路へ行け!」


 来た。


 俺はそちらを見た。


 痩せた男。


 日雇い風の服。


 だが、手がきれいすぎる。


 荷を持つ手ではない。


 そして腕には、細く黄色い糸。


 布ではなく糸。


 隠しているつもりかもしれないが、見えた。


 俺は指差さなかった。


 指差せば、群衆がその男へ雪崩れるかもしれない。


 代わりに、声を落とした。


「黒い輪の札を持っている人」


 群衆が揺れる。


「今ここで、手に持ってください」


 数人が戸惑いながら、木片を出した。


 黒い輪。


 切れた鎖。


 同じ印。


 思ったより多い。


 10人以上。


「その札を渡した者は、あなたの家族の名前を知っていましたか」


 誰も答えない。


「どの薬を、誰に、いつ渡すか。書いてありましたか」


 沈黙。


「受取人の名前は?」


 沈黙。


「薬師の印は?」


 沈黙。


 俺は息を吐いた。


「それは、薬の札ではありません。あなたを南水路へ動かすための札です」


 群衆がざわつく。


「薬は、黒い輪の札では受け取れません。薬師の緑札と、受け取りの半札が必要です。黒い輪は、薬を運びません。人を動かすだけです」


 痩せた男が逃げようとした。


 ガルドが動く。


 速い。


 剣は抜かない。


 ただ、男の腕を掴み、地面へ押さえる。


 男が叫ぶ。


「放せ! 俺は何もしてない!」


 ガルドは腕の黄色い糸を引きちぎり、掲げた。


 群衆の空気が変わった。


 怒りが、ギルドから男へ向かいかける。


 危ない。


「殴るな!」


 俺は声を張った。


 背中に痛みが走る。


 リーナが肩に手を置く。


 だが、止めない。


「この男を殴っても、薬は増えません。情報を取ります。誰が札を配ったか、どこで薬と言ったか。それを聞く」


 群衆の怒りが、ぎりぎりで止まった。


 ガルドが男を縛る。


 領兵が引き取る。


 俺はもう一度、人々を見た。


「黒い輪の札を持っている人は、受付へ出してください。責めません。代わりに、家族のいる場所と名前を記録してください。鉱山町、谷村、ハルダ、どこにいるのか。わかる範囲でいい」


 セリアがすぐ職員を動かした。


 机。


 紙。


 水。


 列を作る。


 群衆はまだ不安定だったが、流れが変わった。


 叫びから、記録へ。


 怒りから、名前へ。


 黒い輪の札から、家族の所在へ。


 これなら、動かせる。


 人を南水路へ流すのではなく、情報をギルドへ流す。


 道を奪われかけたなら、別の道へ流し直す。


【指揮声模倣:継続中】


【警告:喉・胸部負荷】


【推奨:解除】


 わかっている。


 俺は戻り札を握った。


「俺はアスト。役割は運び手。声も道具。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【指揮声模倣:解除】


【自己固定率:95%】


 少し下がった。


 でも戻っている。


 リーナが顔を覗き込む。


「終わりです」


「はい」


「今すぐ下がります」


「はい」


 今度は逆らわなかった。


     ◆


 作業部屋へ戻ると、俺は椅子に沈み込んだ。


 喉が痛い。


 胸も少し重い。


 背中の痛みも戻ってきた。


 リーナが薬湯を差し出す。


「飲んでください」


「はい」


 味は苦い。


 だが、文句は言わない。


 言ったら怒られる。


 セリアはすでに新しい札を作っていた。


 家族確認札。


 鉱山町。


 谷村。


 ハルダ。


 その他北道。


 名前。


 関係。


 必要な返答。


「また札が増えましたね」


 俺が言うと、セリアは淡々と答えた。


「これは噂を減らす札です」


「重くなりませんか」


「重くなります。ただ、黒い輪の札よりは軽い」


 その通りだ。


 噂を放っておけば、人が南水路へ流れる。


 なら、正しい情報の受け皿を作るしかない。


 マルセルが帳面を抱えて入ってきた。


「家族確認札、費用がかかるぞ」


「すみません」


「だが、黒い輪の札を持ってきた者が17人。うち5人は谷村、8人は鉱山町、2人はハルダ、2人は無関係の野次馬だった」


「無関係も混じりますよね」


「混じる。だが、混じっても列にできた。南水路へ流れるよりはましだ」


 マルセルは不満そうに見えて、納得はしている。


 ガルドも戻ってきた。


「黄色い糸の男は、サナから木片を受け取ったと言っている」


「サナ本人は?」


「見ていない。灰色の外套の女、とだけ」


「南水路は?」


「領兵を出した。すでに黒い輪の札を持った者が数人向かいかけていたが、止めた。薬はなかった。代わりに、別の木片が置かれていた」


「何と」


 ガルドは木片を机に置いた。


 そこには、こう刻まれていた。


 よく止めた。


 だが、救いを待つ者は、次も動く。


 俺はその文字を見て、息を吐いた。


 欠け指はまだ、こちらの弱いところを見ている。


 家族を想う不安。


 待つことへの恐怖。


 そこを突いてくる。


「次も人流ですね」


 セリアが言った。


「はい。でも今日、少し型ができました」


「家族確認札」


「それと、掲示です」


 俺は机に手を置いた。


「北道の情報を、毎日決まった時間に出しましょう。鉱山町、谷村、ハルダ。薬草使用、必要物資、動いてはいけない理由、動いていい時の窓口」


「情報便か」


 マルセルが言う。


「はい。荷だけじゃなく、安心と順番を運ぶ便です」


「また商売になりにくいものを」


「でも、噂で道が壊れるより安いです」


「わかっている」


 マルセルはため息をつきながらも、帳面に書いた。


 北道情報便。


 また新しい道だ。


 だが、これは必要だ。


 欠け指が信用を奪うなら、こちらは信用を運ぶ。


     ◆


 夜。


 俺は下宿のベッドに戻された。


 リーナによると、喉と胸に負担が出ているらしい。


 指揮声模倣。


 低出力でも、身体には響く。


 無双の力は便利だ。


 だが、楽ではない。


 俺は戻り札を手に取った。


 声はあまり出したくなかったので、小さく読む。


「俺はアスト。役割は運び手。戦闘も推理も声も目的じゃない。道を守る手段。怒りは判断材料。焦りも不安も判断材料。使ったら戻る」


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【指揮声模倣残滓:低下】


【状態:疲労大・安定】


 数字が戻った。


 ほっとする。


 今日、俺は剣を振っていない。


 だが、声で群衆を止めた。


 黒い輪の札を出させた。


 南水路へ流れかけた人を、家族確認札の列へ流し直した。


 道を奪われかけた。


 でも、完全には渡さなかった。


 欠け指は、荷を狙うだけではない。


 信用を奪う。


 人を動かす。


 待つことに耐えられない心を突く。


 なら、こちらは待つ理由を運ぶ。


 見える順番を作る。


 安心を、情報として届ける。


 それも軽急便の仕事になる。


 窓の外は静かだった。


 だが、この静けさの下で、人の不安はまだ動いている。


 明日から、北道情報便を作る。


 薬草だけではなく、言葉も届ける。


 欠け指が道を奪うなら、こちらは道を選び直させる。


 俺は目を閉じた。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 俺は、声でも道を変えられる。


 斬らずとも、追わずとも、荷を持たずとも。


 人の流れを、少しだけ正しい方へ戻せる。


第29話─了

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