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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第25話 赤札は、走らせるな

 色札の試験運用は、朝から始まった。


 赤は走る。


 黄は見る。


 白は流す。


 短い。


 覚えやすい。


 受付の壁にも、荷場の柱にも、書記室の扉にも同じ言葉が貼られている。


 文字を読めない人足にもわかるように、赤札には走る足の絵、黄札には目の絵、白札には流れる川の絵も添えた。


 セリアの発案だ。


 俺はそれを見て、素直に感心した。


「これなら、字が苦手な人でもわかりますね」


「あなたにもわかるようにしました」


「俺基準ですか」


「有効な基準です」


 否定できない。


 俺は作業部屋の椅子に座り、机の上に置かれた札を見ていた。


 身体はまだ重い。


 背中と右肩、太腿に痛みが残っている。


 歩けないわけではないが、荷場に立ち続けるのは無理だ。


 今の俺の役割は、地図と札を見ること。


 走るのではなく、走らせるものを決めること。


 ただし、それが一番難しい。


 赤札は強い。


 赤が出れば、人は走る。


 だからこそ、赤を乱発されると現場は壊れる。


 欠け指は必ずそこを突く。


 そう思っていたら、本当に来た。


 午前の鐘が鳴る少し前、受付から職員が駆け込んできた。


「赤札です!」


 机の空気が変わった。


 セリアがすぐ筆を取る。


「場所は」


「西水門。黒い布を結んだ男が、革袋を小舟に積んだと」


 西水門。


 革袋。


 黒い布。


 危険条件は揃っている。


「誰からの報告ですか」


「日雇いの男です。名前は不明。急いで去りました」


 名前不明。


 少し弱い。


 だが、無視はできない。


「黄に近い赤ですね」


 俺が言うと、セリアが頷いた。


「赤黒ですが、確認付き」


「ガルドさんは?」


「荷場の巡回中です」


「西水門へは、領兵1人とギルド職員1人。封印係はまだ動かさない。まず見るだけ」


「赤なのに?」


 職員が戸惑う。


「赤でも、全部を全力で走らせたら詰まります。まず確認。革袋を見つけたら触らず囲う」


「はい!」


 職員が走った。


 その背中を見送る間もなく、次が来た。


「赤札です! 南門外で黄色い布の女を見たと!」


 セリアの筆が止まらない。


「報告者は」


「市場の野菜売りです。門番へ言い、門番からこちらへ」


 南門。


 黄色い布。


 報告経路は門番経由。


 これは少し強い。


「南門へは領兵を出していいです。ただし、追跡しすぎない。黄色い布そのものが囮かもしれない」


 職員が頷いて出ていく。


 さらに、3つ目。


「赤札! 東水門の小舟に黒い粉!」


 部屋がざわついた。


 セリアが顔を上げる。


 マルセルも帳面から目を離した。


 西水門。


 南門。


 東水門。


 短時間で3つの赤。


 全部、欠け指が好みそうな場所と物だ。


 だが、早すぎる。


 綺麗すぎる。


 俺は胸の奥で、戻り札の文を思い出した。


 怒りは判断材料。


 目的ではない。


 焦りも同じだ。


 焦りは知らせだ。


 命令ではない。


「待ってください」


 俺は言った。


 職員が止まる。


 マルセルが目を細めた。


「何か見えるか」


「見えすぎます」


「見えすぎる?」


「西、南、東。短い時間に赤が3つ。しかも全部、黒い布、黄色い布、黒い粉。こちらが反応する言葉ばかりです」


 セリアがすぐ3枚の報告札を並べた。


 文字を見る。


 西水門。


 革袋。


 黒い布。


 南門。


 黄色い布の女。


 東水門。


 黒い粉。


 報告者は違う。


 場所も違う。


 だが、書き方が似ている。


 危ないものを見た。


 急げ。


 軽急便が狙われる。


 そんな言葉が、どれにも入っていた。


「同じ人間が言葉を仕込んでいるかもしれません」


 俺が言うと、セリアが頷いた。


「確かに、表現が似ています。普通の報告なら、もっと言い方にばらつきが出るはずです」


「つまり、偽赤札か」


 マルセルが低く言う。


「全部偽物とは限りません。でも、目的はこっちを走らせることです」


 俺は地図を見た。


 西水門、南門、東水門。


 そこへ人を出すと、どこが薄くなる?


 商人ギルド本館。


 荷場。


 職人通り。


 灰鴉亭前の臨時受付。


 それとも。


 俺は白箱を見た。


 通常依頼の白札が入る箱。


 赤が騒がしい時、白は流れる。


 それがルールだ。


 なら、欠け指が狙うのはそこではないか。


 赤で目を散らし、白に本命を紛れ込ませる。


「白箱を止めてください」


 俺は言った。


 マルセルが眉を上げる。


「通常依頼を止めるのか」


「全部ではありません。今から出る白札の中で、今日初めて来た依頼、受取人が曖昧な依頼、軽すぎる荷、匂いのある荷だけ止める」


 セリアが即座に白箱を引き寄せた。


 ノルが隣から覗き込む。


「俺も見ます」


「お願いします。西市場や日雇いの言い方が混じってないか見てください」


 ノルは真剣な顔で頷いた。


 白札の山を、3人で仕分ける。


 通常の干し魚。


 布地。


 工具。


 手紙。


 薬草の空箱返却。


 馬具の修理品。


 油瓶。


 俺の目が止まった。


「これ」


 セリアも同時に顔を上げる。


 白札。


 荷名は「灯油瓶」。


 届け先は「北馬草屋」。


 受取人は「店の者」。


 曖昧だ。


 通常なら白で流れてもおかしくない。


 しかし、今このタイミングで馬草屋。


 馬の近く。


 油瓶。


 匂い。


「中身確認は?」


 俺が聞く。


 セリアが札を読む。


「開封可。だが、受付では匂い確認のみ。灯油の匂いあり、とあります」


 ノルが顔をしかめた。


「灯油って書いてるけど、これ、持ってきた奴の名前がない」


「依頼人不明?」


「いや、記号だけ。西市場の奴がよく使う“代理”の書き方だ。でもギルドの白札でこの書き方は変だ」


 来た。


 俺は胸が冷えるのを感じた。


「その荷、まだ出ていませんか」


 職員が走って確認に行く。


 数息の後、戻ってきた。


「荷場にあります。馬草屋行きの荷車に積む直前です!」


「止めてください。触らず、封印係を呼ぶ。馬から離す」


「はい!」


 今度は本当に走らせる。


 赤ではない。


 白に紛れた本命だ。


 セリアが札を赤黒へ移そうとする。


 俺は止めた。


「これは赤です。でも記録は“白から赤へ昇格”にしてください」


「理由は」


「偽赤3件による注意逸らし。同時刻の白札内に受取人曖昧、代理記号、馬関連、匂い荷」


 セリアがすぐに書く。


 マルセルが短く笑った。


「白を流す仕組みを逆手に取られたわけか」


「はい」


「だが、拾った」


「ノルさんのおかげです」


 ノルは油瓶の札を睨んだまま、小さく息を吐いた。


「代理の書き方、癖があった。西市場の裏仕事でよく見るやつだ」


「大手柄です」


「また薬代、減るか?」


 マルセルが鼻を鳴らした。


「少しな」


 ノルは少しだけ笑った。


     ◆


 封印係の確認結果は、すぐに出た。


 油瓶の中身は灯油ではなかった。


 獣臭の油。


 しかも、昨日回収したものより濃い。


 北馬草屋に置かれていれば、馬が暴れ、魔物を寄せる原因にもなったかもしれない。


 荷場ではなく、馬草屋。


 ギルドの外側を狙った攻撃だ。


 赤札3つは、すべて偽情報だった。


 西水門には革袋なし。


 南門の黄色い布の女は、ただ黄色い肩布を巻いた旅人。


 東水門の黒い粉は、炭焼きの煤。


 だが、その偽の赤がなければ、白札の油瓶は流れていた。


 欠け指は、色札の仕組みを見ている。


 そして、白を使ってきた。


「赤を信じすぎるな、白を見捨てるな、ですね」


 俺は言った。


 セリアが筆を止めずに頷く。


「白の中にも抜き打ち確認を入れる必要があります」


「全部見ると重くなります」


「だから条件を決める」


「受取人曖昧、代理記号、匂い荷、馬や水場や子どもに関わる荷。この4つが重なったら白でも黄へ」


「3つでも黄でよいでしょう」


「確かに」


 また仕組みが増える。


 だが、今回は軽くする方向だ。


 白を全部止めるのではない。


 条件が重なった白だけ、黄へ上げる。


 赤は走る。


 黄は見る。


 白は流す。


 ただし、白の中に黄の種があれば拾う。


「白に黄の種」


 セリアが呟いた。


「その言い方、使えますね」


「現場用に短くしますか」


「はい」


 セリアは紙に書いた。


 白でも、種があれば黄。


 短い。


 覚えやすい。


 少し変だが、現場ではこれくらいがいい。


 マルセルがそれを見て言った。


「種とは何だと聞かれるぞ」


「受取人曖昧、代理記号、匂い荷、馬水場子ども。この4つを種にします」


「よし」


 マルセルは職員を呼び、受付へ伝えさせた。


     ◆


 午後、偽赤札の報告者たちのうち、1人が見つかった。


 西水門の革袋を報告した日雇いの男だ。


 彼は捕まったわけではない。


 自分から灰鴉亭へ来た。


 ダンテに連れられて、商人ギルドへ送られてきた。


 男は怯えていた。


「俺は金をもらって言っただけだ。革袋があるって言えば、食い物をくれるって」


「誰に」


 マルセルが聞く。


「顔は見てない。黄色い布を腕に巻いた女だ」


 また黄色布の女。


 今度は偽赤札の散布役。


「黒い布や欠け指は?」


「知らない。本当に知らない。俺はただ、言えって言われたことを言っただけだ」


 ガルドが睨むと、男はさらに縮こまった。


 俺は椅子に座ったまま、その男を見た。


 日雇い。


 腹を空かせた男。


 偽情報を流すだけの簡単な仕事。


 危険荷を運ぶより軽い。


 だが、それでも道を曲げる。


「今後、偽の赤札を流したら、商人ギルドの仕事からは外します」


 俺は言った。


 男が顔を上げる。


「でも、今回は?」


「今回は記録します。あと、今日の食事は出します。ただし、明日は本物の仕事をしてください。嘘ではなく、荷下ろしで」


 マルセルが俺を見る。


「また甘い」


「罰だけだと、次は欠け指側へ逃げます」


「わかっている。だが、記録は残す」


「それでお願いします」


 男は何度も頭を下げた。


 これで改心するかはわからない。


 また嘘をつくかもしれない。


 だが、嘘をつく者にも、正しい仕事へ戻る細い道を置いておく。


 それも必要だ。


 完全に切れば、裏道へ落ちる。


 裏道へ落ちれば、欠け指の手駒になる。


【人員流路設計:継続】


【対象:偽情報提供者】


【対応:記録・低額正規仕事への再誘導】


【注意:再犯監視】


 再犯監視。


 嫌な言葉だが、必要だ。


 信じるだけでは足りない。


 記録して、見て、戻れる道を作る。


     ◆


 夕方、ガルドが黄色い布の女の足取りを持ってきた。


 南門の旅人ではなく、偽赤札を配った女。


 彼女は職人通りの裏を抜け、古い染料倉庫へ入ったらしい。


 領兵が踏み込んだ時には、すでにいなかった。


 ただし、そこには紙片が残されていた。


 ガルドが机に置く。


 そこには、また欠け指の文があった。


 赤は走る。


 白は流れる。


 なら、黄は腐る。


 俺はそれを読んで、息を止めた。


「黄を狙う気ですね」


 セリアが言った。


「はい」


 赤を乱して、白に紛れる。


 それを拾えば、次は黄を腐らせる。


 黄札は保留、確認、様子見。


 ここを溜め込ませれば、ギルドはじわじわ詰まる。


 赤ほど派手ではない。


 白ほど流れもしない。


 黄は、放置すれば腐る。


 欠け指は、それも見ている。


「黄札の処理期限が要ります」


 俺は言った。


「半刻ごとの見直しだけでは足りません。黄は、いつまで黄で置くか決める。朝の黄は昼までに、昼の黄は夕までに、夕の黄は夜前に、赤か白へ動かす」


 セリアが頷く。


「黄は置き場ではなく、仮置き場」


「はい。黄は見る。でも見たら決める」


 マルセルが腕を組む。


「また短い言葉がいるな」


「黄は寝かすな」


 俺が言うと、セリアが筆を止めた。


「少し乱暴ですが、現場には効きそうです」


「黄は寝かすな。赤か白へ送れ」


「採用しましょう」


 また1つ、鎖が軽くなった。


 黄は見る。


 だが、寝かすな。


 赤へ上げるか、白へ戻すか。


 それを決める。


 判断を先延ばしにしない。


 欠け指は、保留の山を作らせようとしている。


 なら、こちらは保留を溶かす。


     ◆


 夜になって、ようやく受付の渋滞はかなり減った。


 赤黒箱は空に近い。


 黄黒箱にはまだ札があるが、見直し時刻ごとに減っている。


 白箱は流れている。


 完全ではない。


 だが、朝の詰まり方とは違う。


 職員の顔にも、少し余裕が戻っていた。


 ノルは白箱の横で、代理記号のある札を見つけるたびにセリアへ持っていく役をしていた。


 最初はおどおどしていたが、夕方にはかなり慣れてきていた。


「これ、黄の種あり」


 ノルがそう言って札を出す。


 セリアが確認する。


「正解です。受取人曖昧、代理記号。匂い荷ではないので黄止まり」


「黄は寝かすな、だよな」


「そうです。見直し箱へ」


 ノルは頷き、札を移した。


 その様子を見て、俺は少し笑った。


 軽急便の下働き見習い。


 危険荷を受けて倒れた若者が、今は偽の道を見つける側に回っている。


 これは小さな無双ではないかと思った。


 人を正しい場所に置く。


 それだけで、道は少し変わる。


 オルディンが作業部屋に来たのは、夜の鐘の少し前だった。


 ギルド長は色札の箱を見て、満足そうに頷いた。


「朝より軽くなったな」


「まだ重いです」


「だが、動く重さだ」


「はい」


 それは嬉しい言葉だった。


 重い鎖でも、動くなら使える。


 動かない鎖は、ただの重石だ。


「今日の成果は?」


 オルディンが聞く。


 セリアが淡々と読み上げる。


「偽赤札3件を確認。白札に紛れた獣臭油を発見、回収。東水門の匂い薬を回収。職人通りの焼き印写しを阻止。偽情報提供者1名を記録。黄札処理規則を追加」


「悪くない」


「欠け指本人は未捕捉です」


 俺が言うと、オルディンは薄く笑った。


「それでも、今日は勝ちだ」


「勝ちですか」


「彼は赤を走らせ、白に紛れ、黄を腐らせようとした。こちらは、それを読んで道を軽くした。なら勝ちでよい」


 勝ち。


 そう言われると、少しだけ胸が熱くなる。


 戦ってはいない。


 斬ってもいない。


 だが、今日は確かに敵の手をいくつか止めた。


 頭の中の軍師や探偵の力を、少し借りた。


 ノルやセリアやマルセルやガルドの力も借りた。


 1人で無双したわけではない。


 でも、道を変えた。


 それでいいのかもしれない。


     ◆


 下宿へ戻ると、身体は疲れ切っていた。


 戦闘していないのに、頭が熱い。


 低出力の推理模倣は、戦闘ほど身体を壊さない。


 だが、疲れる。


 見えすぎる。


 疑いすぎる。


 戻り札がなければ、全部を疑って眠れなくなるかもしれない。


 俺はベッドに座り、戻り札を手に取った。


 俺はアスト。


 役割は運び手。


 戦闘も推理も目的ではない。


 道を守る手段。


 怒りは判断材料。目的ではない。


 使ったら戻る。


 そこに、今日の言葉を足す。


「赤は走る。黄は見る。白は流す。黄は寝かすな」


 妙な呪文みたいだ。


 でも、今日の俺には大事な言葉だった。


【戻り札:有効】


【自己固定率:96%】


【推理模倣残滓:低下】


【優先順位整理:安定】


 息が少し楽になる。


 欠け指はまだいる。


 黄色い布の女も逃げた。


 敵は、こちらの仕組みを読み、札を読み、弱点を突いてくる。


 だが、こちらも読める。


 赤に走らされない。


 白を流しっぱなしにしない。


 黄を腐らせない。


 鎖を軽くし、道を動かす。


 それが今日の無双だった。


 派手ではない。


 だが、道を守った。


 窓の外では、領都の夜が静かに流れている。


 その流れのどこかに、欠け指の道もある。


 俺は目を閉じた。


 信じ込めた力だけが、俺の武器になる。


 なら今夜は、こう信じる。


 俺は、走る札を止められる。


 流れる荷を拾える。


 腐る前の黄を動かせる。


 道はまだ、こちらの手で軽くできる。


第25話─了

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