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自己暗示の異世界無双 〜信じ込めた力だけが、俺の武器になる〜  作者: あちゅ和尚


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第17話 黒い箱は、道を汚す

 その夜、俺はあまり眠れなかった。


 身体は疲れている。


 背中も太腿も、まだ完全には治っていない。


 自然治癒促進のおかげで、寝たきりからは抜けた。


 だが、だからといって元気なわけではない。


 目を閉じれば眠れそうなのに、頭だけが妙に起きていた。


 黒い箱。


 黒い外套の男。


 金貨1枚。


 東門外の古塔。


 中身不明。


 受取人不明。


 目的地危険。


 受理不可。


 机の上に置いた木札が、暗がりの中でも見える気がした。


 運ばないと決めた荷。


 それなのに、その荷はまだ俺の中に残っている。


「……厄介やな」


 小さく呟く。


 運んだ荷は、届けばいったん終わる。


 もちろん、その後のことは気になる。


 薬草も、バルムも、谷村への物資もそうだ。


 だが、運ばなかった荷は違う。


 どこへ行ったのか。


 誰が運んだのか。


 運ばれた先で何が起きるのか。


 それが見えない。


 見えない荷ほど、気持ちが悪い。


 大型トラックに乗っていた頃もそうだった。


 中身を教えられない荷。


 やたら急がされる荷。


 受取人が曖昧な荷。


 伝票の名前と現場の名前が違う荷。


 そういうものは、だいたい後で揉める。


 この世界では、その揉め方が命に直結する。


 俺は寝返りを打とうとして、背中の痛みに顔をしかめた。


「痛っ……」


 無理に動くな。


 そう言われなくても、身体が教えてくる。


 俺はゆっくり息を吐き、いつもの確認をした。


 俺。


 51歳。


 大型トラック運転手。


 日本で事故に遭った。


 今はアスト。


 固有スキルは自己暗示。


 役割は運び手。


 運ぶべき荷を運ぶ。


 運んではいけない荷は、運ばない。


【自己確認行動を検知】


【自己固定率:96%】


【役割固定:運び手】


【状態:安定】


 その表示を見て、少しだけ呼吸が楽になった。


 眠れる。


 そう思った時だった。


 下宿の廊下で、慌ただしい足音がした。


 嫌な予感がした。


 扉が叩かれる。


「アスト。起きているか」


 ガルドの声だった。


「起きました」


「なら支度しろ。東門の詰所から呼び出しだ」


 心臓が、嫌な音を立てた。


 東門。


 古塔。


 黒い箱。


 俺はベッドから起き上がり、痛みを飲み込んだ。


「……出ましたか」


 扉の向こうで、ガルドが短く答えた。


「ああ。お前が断った荷らしい」


     ◆


 夜明け前の領都は、まだ眠っていた。


 だが、東門の周辺だけは違った。


 兵士の声。


 馬の蹄。


 松明の明かり。


 詰所の前には、数人の兵が立っている。


 俺は小さな荷馬車に乗せられて来た。


 歩けないわけではないが、ガルドが許さなかった。


「今日だけは素直ですね」


 同行していたマルセルが言った。


「無理して歩いたら、リーナさんに怒られます」


「ここにはいないぞ」


「いなくても怖いです」


「よい傾向だ」


 マルセルが真顔で頷く。


 なんだか、リーナの影響が商人ギルド全体に広がっている気がする。


 詰所の中に入ると、兵士が俺たちを待っていた。


 門番ではなく、少し上の役目の男らしい。


 革鎧の上に、領主館の印が入った短い外套を羽織っている。


「商人ギルドのアストか」


「はい」


「昨日、黒い箱の軽急便依頼を断ったと聞いている」


「記録があります」


 セリアが作った写しを、マルセルが差し出した。


 兵士はそれを受け取り、目を通した。


「中身不明、受取人不明、目的地危険、報酬相場外。受理不可。……よく残していたな」


「断るにも記録が要ります」


 俺が答えると、兵士は少しだけ目を細めた。


「その記録が役に立った」


「何があったんですか」


 兵士は詰所の奥を顎で示した。


「別の運び屋が、東門外の古塔近くで倒れていた。命はある。だが、意識はまだ混濁している」


「黒い箱は?」


「回収した。封は一部切られていたが、完全には開いていない」


 俺は息を止めた。


 完全には開いていない。


 つまり、途中で何かが起きた。


「中身は?」


「それを見るために、今は領主館の封印係を待っている。だが、箱の外側に漏れた粉で、運び屋の手袋が黒く変色していた」


 粉。


 嫌な言葉だ。


「毒ですか」


 マルセルが聞く。


「わからん。だが、ただの装飾品ではない」


 兵士は別の木札を机に置いた。


 そこには簡単な地図が描かれている。


 東門から古塔までの道。


 そして、倒れていた地点。


 古塔の手前。


 道から少し外れた場所だ。


「運び屋は、古塔へまっすぐ向かっていなかった」


 兵士が言う。


「途中で林側へ入っている。そこで倒れていた」


 俺は地図を見た。


 東門。


 古塔。


 林。


 小道。


 古塔は目的地ではなく、目印だった可能性がある。


 受取人は古塔にいたのではなく、近くの林で待っていたのかもしれない。


 または、そこで荷を別の者に渡す予定だった。


「運び屋は誰ですか」


 俺が聞くと、兵士は少し顔をしかめた。


「名前はノル。年は20前後。正式な運び屋ではない。酒場や市場で、急ぎの使い走りをしていたらしい」


「素人ですか」


「半分はな」


 半分。


 嫌な表現だった。


 金が欲しくて、危ない荷を受けた若者。


 中身を知らされず、ただ運んだ。


 黒い箱を。


 金貨1枚の荷を。


 俺たちが断った荷を。


「ノルさんは、中身を知っていたんですか」


「意識が戻らんとわからん。だが、荷札も契約も持っていない。金だけは持っていた」


「報酬は?」


「銀貨5枚」


 金貨1枚ではない。


 俺たちに提示した額より、ずっと少ない。


 黒い外套の男は、商人ギルドには金貨1枚を見せた。


 だが、裏の運び屋には銀貨5枚。


 最初から、こちらを試したのか。


 あるいは、断られる前提で、軽急便の基準を探ったのか。


 背中が冷える。


「黒い外套の男は?」


 ガルドが聞いた。


「見つかっていない。古塔付近にもいなかった」


 つまり、荷だけが残った。


 運び屋は倒れた。


 受取人は消えた。


 黒い箱の中身は不明。


 最悪だ。


 兵士が俺を見る。


「お前に聞きたいのは2つだ。ひとつ、昨日の男が言ったことを詳しく。もうひとつ、この荷をどう見るか」


「俺は中身を知りません」


「知っているとは思っていない。だが、断った理由は聞きたい」


 断った理由。


 俺は木札を見る。


 中身不明。


 受取人不明。


 目的地危険。


 報酬相場外。


「運べる条件が揃っていませんでした」


 俺は答えた。


「小さく軽くても、荷としては危険です。中身がわからなければ、扱い方がわからない。受取人がわからなければ、渡し方がわからない。目的地が人目の少ない場所なら、受け渡し時に何が起きるかわからない。報酬が高すぎるなら、隠したい理由がある」


 兵士は黙って聞いている。


「そういう荷を受けると、運び手はただの道具になります。何を運んだのかも知らず、誰に渡したのかも知らず、結果だけ背負わされる」


「結果を背負う、か」


「はい」


 俺は東門の地図を見た。


「倒れていたノルさんが、そうです」


 部屋が静かになった。


 運び屋ノル。


 彼はたぶん、金が欲しかった。


 軽い箱を運ぶだけだと思ったのかもしれない。


 だが、その結果、詰所で意識混濁のまま寝かされている。


 何を運んだのかもわからないまま。


 俺は拳を握った。


 怒りがあった。


 黒い外套の男へ。


 危ない荷を、安く、素人に持たせたことへ。


 そして、少し前の自分へ。


 もっと何かできたのではないか、と。


【警告】


【過剰責任化の兆候】


【役割範囲を確認してください】


 表示が出る。


 うるさい。


 でも、正しい。


 俺は全部を背負えない。


 俺たちは断った。


 記録も残した。


 領兵にも知らせた。


 それでも、裏道で運ばれた。


 そこまで全部は止められない。


 だが、次に減らすことはできるかもしれない。


「この件で、商人ギルドとして新しい記録が必要です」


 俺は言った。


 マルセルがすぐ反応する。


「記録?」


「はい。受理不可で終わらせない。危険な断り荷は、領兵や門へ回す記録にする」


 兵士の目が少し動いた。


「詳しく」


「全部ではありません。普通の断り荷まで領兵に流したら迷惑です。でも、いくつか条件が重なったものは危険荷として扱う」


 俺は指を折った。


「中身不明。受取人不明。目的地危険。報酬相場外。夜間指定。人目の少ない場所。依頼人が身元を明かさない。危険物の可能性がある。こういう条件が複数重なったら、黒札を作る」


「黒札?」


 マルセルが聞く。


「仮の名前です。危険な断り荷の記録。商人ギルド内だけでなく、門と領兵へ知らせる札」


 兵士は腕を組んだ。


「門番に知らせれば、似た荷を持つ者を止められる可能性がある」


「はい。全部は無理でも、少なくとも目を向けられます」


「だが、客の情報を領兵に流すことになる。商人は嫌がるぞ」


 マルセルが渋い顔で言った。


 その通りだ。


 信用商売としては、客の依頼内容を簡単に外へ出すのは危ない。


 だが、危険物は別だ。


「だから基準が必要です」


 俺は言った。


「ただ怪しいだけではなく、危険条件が複数重なった場合。あと、領兵へ渡す情報も最小限にする。荷の特徴、目的地、依頼人の特徴、危険理由。商売上の細かい金額や客名は、必要な時だけ」


「金額も危険理由になるが?」


 兵士が言う。


「相場外、とだけ伝える。具体額はギルド内記録に残す」


 マルセルが少し考え、頷いた。


「それなら通せるかもしれん」


 兵士も頷いた。


「領兵としても、何でもかんでも持ち込まれるのは困る。だが、今回のような荷は早く知りたい」


 黒札。


 また仕組みが増える。


 便利な道具に鎖をかけると、その鎖を嫌う荷が裏道へ逃げる。


 なら、裏道へ逃げたことも見えるようにしなければならない。


 完璧には無理だ。


 だが、少しでも見えるようにする。


     ◆


 封印係が来たのは、それからしばらく後だった。


 灰色の衣を着た中年の男だ。


 手袋を重ね、細い金属の棒と、白い布を持っている。


 俺たちは少し離れた場所から見守ることになった。


 黒い箱は、詰所の石机の上に置かれている。


 近くで見ると、昨日受付で見た時よりも不気味だった。


 黒い革の一部に、灰色の粉が付着している。


 金属の留め具には細かい傷。


 黒紐は1本だけ切れている。


 ノルという若者が、途中で開けようとしたのか。


 それとも、運んでいるうちに紐が切れたのか。


 封印係は慎重に箱を調べた。


「外側に眠り粉の気配がある」


 眠り粉。


 兵士が眉を寄せる。


「暗殺用か」


「それほど強いものではない。だが、素手で触れば意識が濁る。運び屋が倒れたのは、これだろう」


「中身は」


 封印係は箱を開けた。


 全員が息を詰める。


 中に入っていたのは、小さな黒い石だった。


 卵ほどの大きさ。


 表面は艶がなく、炭のように黒い。


 だが、ただの石ではない。


 周囲の空気が少し重く感じる。


 封印係の顔が険しくなった。


「黒鳴石だ」


 兵士たちの間に緊張が走った。


 俺は知らない。


 この身体の記憶にも、はっきりした知識はない。


 だが、悪いものだということだけは空気でわかった。


「危険物ですか」


 俺が聞くと、封印係がこちらを見た。


「魔物寄せに使われることがある石だ。弱い魔力を揺らし、獣や小型魔物を興奮させる。鉱山や森で使えば、事故が起きる」


 魔物寄せ。


 俺は背筋が冷えた。


「東門外の古塔に、なぜそんなものを」


「そこで使うつもりだったとは限らない」


 封印係が言った。


「受け渡し場所かもしれん」


 俺は昨日の男の言葉を思い出す。


 今夜中に東門外の古塔へ届ける。


 目的地は古塔。


 だが、受取人は不明。


 もしこれがどこかの森道や鉱山道へ運ばれていたら。


 魔物を興奮させる。


 隊商を襲わせる。


 軽急便や薬草輸送の道を荒らす。


 あるいは、鉱山町や谷村の混乱に乗じて使う。


「鉱山町と関係ありますか」


 俺は思わず聞いた。


 兵士がこちらを見る。


「なぜそう思う」


「今、北の道が重要になっています。薬草、バルム殿、谷村物資。もし魔物が出れば、全部止まります」


「黒鳴石を北道へ運ぶつもりだったと?」


「可能性です」


 言ってから、自分で怖くなった。


 考えすぎかもしれない。


 だが、道を止めるなら、魔物を直接操る必要はない。


 出やすくするだけでいい。


 1か所で隊商が襲われれば、皆が止まる。


 薬も人も物資も届かなくなる。


 兵士の顔が険しくなった。


「領兵に北道警戒を出す」


 ガルドが頷く。


「商人ギルドからも、北へ向かう便へ警告を回す。黒鳴石の可能性、魔物の異常行動に注意」


 マルセルの判断も早い。


 封印係は黒鳴石を白い布で包み、別の小箱へ移した。


「これは領主館で封じる。お前たちは触るな」


 誰も触りたくない。


 俺は黒い箱を見た。


 小さい。


 軽い。


 金貨1枚。


 軽急便向きに見えた荷。


 だが、中身は道を壊す石だった。


 運ばなかった判断は、正しかった。


 でも、正しかっただけでは終わらない。


 それは裏道へ逃げ、若い運び屋を倒し、北道への危険を残した。


 運ばない荷は、消えるわけではない。


 別の道を探す。


 その道まで考えなければならない。


【新規認識】


【危険荷:道害要素】


【役割固定:運び手】


【補助派生:危険荷判定】


【注意:危険荷の拒否後対応が必要です】


 拒否後対応。


 また面倒な言葉が増えた。


 だが、必要だ。


 断って終わりではない。


 危険な荷は、断った後こそ動きを見る必要がある。


     ◆


 商人ギルドへ戻ると、すぐに会議になった。


 黒鳴石。


 眠り粉。


 倒れた運び屋ノル。


 東門外の古塔。


 黒い外套の男。


 そして、北道への危険。


 オルディンは報告を聞き終えると、しばらく黙っていた。


 その沈黙は重かった。


「軽急便を作れば、正規の急ぎ道が生まれる」


 やがて、オルディンが言った。


「すると、正規に乗らない荷は浮き上がる。今回のようにな」


「裏道が見えるようになる、ということですか」


 俺が言うと、オルディンは頷いた。


「だが、見えた裏道は、こちらを嫌う」


 その通りだ。


 黒い外套の男は、こちらの鎖を見ていた。


 いつまで錆びずにいるか、見ておこう。


 あれは脅しでもあり、試しでもあった。


「黒札制度を作りましょう」


 俺は言った。


 会議室にいたセリアが、すでに筆を持っている。


「危険条件が複数重なった依頼は、受理不可だけで終わらせない。ギルド内記録、門への警告、領兵への最低限通知」


「条件を言え」


 オルディンが促す。


「中身不明。受取人不明。目的地危険。夜間指定。報酬相場外。依頼人身元不明。触るな、聞くな、開けるなだけを強く言う。封が正規ではない。危険物の可能性。あと、道を荒らす可能性がある荷」


「道を荒らす荷?」


「今回の黒鳴石みたいに、運ぶことで街道や隊商に危険が出るものです」


 セリアが書いていく。


 黒札。


 危険拒否記録。


 通知範囲。


 受付判断。


 門番連絡。


 領兵連絡。


 商人ギルド内部警戒。


 書かれるたびに、仕組みが形になる。


 マルセルが腕を組んだ。


「面倒だが、必要だな。商人ギルドが危険荷を断った直後に、別の運び屋へ流れれば、結局街道が危なくなる」


「はい」


「なら、断った時点で道を見張る必要がある」


「全部は無理です」


「全部は無理でも、危ないものだけだ」


 オルディンが頷いた。


「採用する。セリア、黒札の原案を作れ。マルセル、領兵との通知窓口を決めろ。ガルド、裏運びに関する情報を集めろ」


「承知しました」


 それぞれが動き出す。


 俺は少しだけ椅子に深く座った。


 身体が重い。


 東門まで行き、詰所で話し、戻って会議。


 正直、かなり疲れている。


 でも、今は倒れるわけにはいかない。


 そう思った瞬間、マルセルが俺を見た。


「お前は休め」


「でも」


「でもではない。黒札の項目は出した。あとはセリアが形にする。お前が倒れれば、またリーナに怒られる」


「今いないのに、みんなリーナさんを盾にしますね」


「便利だからな」


 便利な道具扱いされている。


 だが、逆らえない。


 俺は素直に立ち上がった。


     ◆


 下宿へ戻る前に、俺は詰所へ寄った。


 ノルという若い運び屋の様子が気になったからだ。


 ガルドは渋い顔をしたが、短時間ならと許した。


 ノルは詰所の奥の簡易寝台に寝かされていた。


 顔色は悪い。


 だが、呼吸はある。


 手袋は外され、手は布で包まれている。


 眠り粉の影響だろうか。


 目は閉じたまま、時々うなされるように眉を動かしていた。


「助かりますか」


 俺が兵士に聞くと、兵士は頷いた。


「命はある。薬師を呼んだ。しばらく休めば意識も戻るだろう」


「よかった」


 本当に、そう思った。


 彼は軽率だったのかもしれない。


 金につられたのかもしれない。


 だが、死んでいい理由にはならない。


 俺は寝台の横に立ち、黒い箱を思い出した。


 あれを持ったのがエドだったかもしれない。


 軽急便の若い伝令だったかもしれない。


 もし俺たちが金貨に目を奪われて受けていたら。


 そう考えると、背中が冷える。


「運び手が中身を知らない荷は、怖いな」


 ガルドが横で言った。


「はい」


「だが、戦場でも似たようなものだ。何を運ばされているか知らない兵が、最初に死ぬ」


「……重いですね」


「だから記録しろ。聞け。断れ。お前のやり方は面倒だが、こういう時には効く」


 ガルドはそう言って、ノルを見た。


「こいつも、次は断ることを覚えるだろう」


「次があれば」


「ある。死んでいないならな」


 ガルドらしい言い方だった。


 荒い。


 でも、少し優しい。


 俺はノルに向かって小さく頭を下げた。


 助けられなかった。


 でも、次に同じことを減らす。


 それが、今できることだ。


     ◆


 夜。


 下宿の部屋に戻ると、机の上に黒札の写しが置かれていた。


 セリアが届けさせたらしい。


 まだ原案だ。


 文字は綺麗で、項目が整っている。


 危険拒否記録。


 依頼人特徴。


 荷の特徴。


 危険条件。


 目的地。


 時刻。


 通知先。


 対応。


 俺はそれをゆっくり読んだ。


 全部はすらすら読めない。


 でも、前より読める。


 それが少し嬉しかった。


 同時に、重かった。


 この札は、運ぶための札ではない。


 運ばないため。


 そして、運ばれそうな危険荷を見つけるための札だ。


 道を守る札。


 黒い箱は、道を汚す荷だった。


 それを止めるには、運ぶ技術だけでは足りない。


 断る技術。


 記録する技術。


 知らせる技術。


 そして、裏道へ逃げた荷を見逃さない仕組み。


 俺はベッドに腰を下ろし、胸の奥で自分を確認した。


 俺。


 51歳。


 大型トラック運転手。


 今はアスト。


 固有スキルは自己暗示。


 役割は運び手。


 運ぶべき荷を運ぶ。


 運んではいけない荷は、断る。


 断った危険荷の行き先も、できる限り見る。


【自己確認行動を検知】


【自己固定率:96%】


【役割固定:運び手】


【新規補助:危険荷判定】


【新規補助:拒否後対応】


【注意:裏道との衝突可能性が上昇しています】


 わかっている。


 あの黒い外套の男は、たぶんこれで終わらない。


 軽急便の鎖を嫌う者たちは、必ずまた別の道を探す。


 だが、こちらも道を作る。


 正規の道を。


 安全に、記録を残し、責任を見える形で荷を運ぶ道を。


 それが広がれば、裏道は少しずつ見えやすくなる。


 見えれば、止められる荷もある。


 全部は無理だ。


 でも、ゼロではない。


 俺は黒札の写しを机に置いた。


 運ばなかった荷が、今日はひとつの仕組みになった。


 苦い成果だった。


 だが、必要な成果だった。


 窓の外には、領都の夜が広がっている。


 そのどこかで、まだ誰かが危ない荷を持って走っているかもしれない。


 その全部を止める力は、俺にはない。


 けれど、少なくとも。


 俺の道では、黒い箱を通さない。


 そう信じることから始めるしかなかった。


第17話─了

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