44. アユラ「すべては取引で」
「ザフィーラ……それが彼女の名前?一体何者なの?」
クルンバトに尋ねる。第十とはいえ皇子にはるばる異国まで遣いをさせる女性……しかも誰も知り得ないような情報を持っていて、こんな短い手紙一つで会ったこともない私を動かしてみせる。どう考えても只者じゃない。
「この世でたった一つの宝石……ニシャプールの奇跡……神が地上にお造りになられた至上の美……」
「要するに美人なのね?皇帝の寵姫?それとも皇太子アミル・サマーンの、かしら?」
「違う!彼女をあんな俗物どもの手に渡すものか!呪いを解いてザフィーラを奴らの醜い奪い合いから救い出すのはこの私だ!」
「へぇ〜」
奪い合い、ね。つまりバラクシャーの宮殿で今、一人の美女を巡って争いが起きている?どうやらこのザフィーラは帝国の中枢にかなり近い場所にいる女性のようだ。ますます面白い。手紙にある通り、この取り引きは後々大きな意味を持ってくるかもしれない。彼女が何故私を知っていて、何を期待してるのか分からないけど、ひとまず新月の件は探ってみよう。
「ダムード、マクブートに行くわよ」
ずっと影のように後ろに控えていたもう一人の王子に声をかける。
「はい、アユラ様。お供いたします」
立ち上がると私を見下ろすような長身。軍神の彫刻のように美しく精悍な顔がじっとこちらを見つめる。
「あのね……あなたはもう兵士じゃなくて王子なのよ?私の従者じゃなくて婚約者としての振る舞いを求めてるんだけど?」
「まだ御恩に報いていない私に、貴方の隣に立つ資格はありません」
頭を下げ、再び私の前に膝をつく。
「やれやれ、こっちはこっちで面倒だわ。義理堅すぎるのも考えものね」
私は嘆息し、バラクシャーの皇子を振り返った。
「あんたも来るのよ、クルンバト」
「おい、不敬だぞ!殿下と呼べ!」
「はいはい。来ないならこのまま牢獄行きだけど?」
二人の屈強な衛兵にガッチリと腕を固められ、自分の立場を思い出した殿下が呻く。
「そこに行けば本当に呪いを解く方法が分かるんだろうな!」
「さあね。でもザフィーラはそう言ってる」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。でも何かが大きく動き出している、そんな予感がする。
もちろんただの勘だ。
*
「単刀直入に聞くわ。あんた、新月と取り引きしたわね?」
マクブートの若き王、ハニパリは片方の眉をわずかに動かし、口元をニヤリと歪めた。それが返事だ。
「それはまあ別にいいんだけど、チャバダの件もあんたが噛んでるの?」
口元の笑みが消えた。表情が固まり、少し何か考えを巡らせている様子が手に取るように分かる。
武門の出らしく肝の据わった男だし、頭の回転も速い。けど腹芸は苦手。商売の相手としては好ましい。私に対して中途半端な誤魔化しは通用しないと分かっているから、すぐに本音が出てくる。
「いや……それは本当に知らない。新月は取り引きに必要なこと以外、余計なことは何も言わないからな」
「じゃあ私は余計なことを言っちゃったわね。でもこっちも大した情報は無いのよ。チャバダには何も伝手が無いしね」
ハニパリは腕組みをしてまた考えを巡らせる。
「あそこは坊主が牛耳ってる国だ。幼い王は操り人形。寺の中のことは俺もよく分からん」
「王宮内のことは誰が執り仕切ってるの?」
「グェンホーって宦官だ。僧籍も持っている。寺では導師の小間使いみたいな役どころだ」
「じゃあとりあえずその男に会える?」
「会ってどうする?あんな木っ端を突ついたところで何も出てくるとは思えんが」
訝しむマクブート王に、私はある確信を持って答えた。
「挨拶よ」
もちろん傀儡の幼王でも使いっ走りの宦官でもなく、新月への。私が会いに来たことを知らせてあげないと。
同じ商売人だから、私には彼の習性がよく分かる。
何か面倒が起きた時こそ、そこにお金の匂いを嗅ぎ取るのが商売人というものだ。
彼が今チャバダで何かを企んでいるなら、敵国マハヴァールの王太子妃(予定)であり、商売敵ナプトゥラ家の娘でもある私の訪問は迷惑以外の何物でもないだろう。だからこそ彼は私の前に姿を現す。あとは商売人同士、取り引きの時間だ。彼が何を得て、私が何を得るか、すべては取り引きで決まる。
「まあいい。顔つなぎぐらいは頼まれてやる」
ハニパリは話が早くて助かる。予定通り協力を取り付けたところで、ふともう一つのキーワードを思い出した。
「そういえば……人を怪物に変える呪いって、聞いたことある?」
「呪い?人を怪物にって……なんだそりゃ?」
武人肌で迷信の類に興味が無いハニパリは、唐突な話題に呆れたような声を出した。




