43. アユラ「新月」
煩いのがいなくなったところで私はもう一度手紙に目を落とす。クルンバトの言う通り女の字だ。マハヴァールの文字に慣れていないのか、多少癖のある筆跡だけど、几帳面な正確さが表れている。
「アユラ・ナプトゥラ様、一つ、取り引きをいたしましょう」
自分の名前も前置きも挨拶も無く、いきなりこれだ。まるで私の性格を知っているかのようだ。
「新月という言葉が意味するモノをご存じですね?」
小気味よいほどに単刀直入。その言葉のインパクトを十分に理解した上で、いきなり核心から入ってくる。面白い。この手紙の差出人は本当に面白い。内容の真偽はともかく、たった二行の文面で私の興味を完全に惹き付け、怪しげな取り引きに誘っている。
新月とは何か、正確に言えば私は知らない。というより誰も知らない。それは実態の分からない一種の伝説のようなものだ。相応の対価を支払えばどんなものでも手に入れることができる闇の商人。
わりと有名な話では、バラクシャーに反旗を翻した第二皇子サラムの軍勢が三月と待たず壊滅した裏に、新月の関与があったと言われている。
サラムは密かにオウランのシン皇帝から支援を受けていて、反乱の鎮圧には時間がかかると見られていた。ところがサラム軍の兵たちの間である香木が流行り出した。これを焚いて煙を吸うと世にも楽しい夢が見られるという。そして何度も吸っているうちに、だんだん夢から醒められなくなってゆく。
サラムがこの香木の危険性に気付いた時には、すでに兵の半分以上が夢に取り憑かれていた。禁じてももう遅い。兵たちはどこからか香木を手に入れ、上の目を盗んでは煙が見せる夢に耽った。サラム軍の士気は瞬く間に崩壊し、反乱は大方の予想を裏切ってあっさりと片付いた。
この香木を持ち込んだのが新月の仕業らしい。
マハヴァールにも似たような話がある。
ある地方の農民たちが、滞納していた税の免除を求めて領主の館を取り囲んだ。すると困った領主の元に新月が現れて取り引きを持ちかけた。領主は法外な対価を呑んで農民たちを追い払ってくれと頼んだ。新月は何かを焼いた灰のようなものを領主に差し出し、館の上から農民たちに向かって振り撒くように言った。領主が言われた通りにすると、翌日から館を取り囲んでいた農民たちが次々と病に倒れ始めた。
農民たちは去り、一安心した領主は新月に約束した対価を支払わなかった。すると去った農民たちの村で病がどんどん広がり、税を納める者が誰もいなくなってしまった。
結局、その領主に代わってお父様が新月に対価を支払うと、村の流行病は収まった。今もその地方はナプトゥラ家が治めている。
新月はお父様にも取り引きを持ちかけた。別に危険な品ではなく、ごく普通の毛皮や織物の取り引きで、取り分は悪くなかった。全く損な話ではなかったそうだけど、お父様は断った。私が理由を聞くと、お父様の答えはたった一言、「ただの勘」。その時はもったいないと思ったけど、今はなんとなく分かる気がする。絶対に損のない儲け話なんて乗るもんじゃない。
というわけで、我が家と関係無くもない、ひどく胡散臭くてきな臭い存在、それが新月。その名前が登場する時は大抵、ろくなことが起こらない。手紙の主はそんな私の胸中を見通したかのように警告を発している。
「彼はチャバダで何か新しい仕事を始めようとしています。それはあなたの国とは無関係かもしれない。関わらない方がいいかもしれない。でももし、あなたの勘が少しでも不穏な気配を感じ取ったなら、すぐにその理由を確かめた方がいいかもしれない。ご存じの通り、彼の仕事は早い」
意外な名前が出てきた。チャバダはマハヴァールとマクブート、それにオウランとも国境を接する山岳の少数民族国家。かつてはマハヴァールの一部だったけど、今は独立してマクブートの同盟に加わっている。
商売人の目線から見るとこの国に目ぼしい産物は無いから、私はこの国をほとんど放置してきた。どのみちマクブートさえ押さえてしまえばチャバダは脅威になる存在じゃない。そう思っていたのだけど、新月はあそこに何を見出したんだろう?確かに不穏な気配がプンプン漂っている。
この手紙の主はどこからそんな情報を掴んだんだろう?そもそも何故見ず知らずの私にこんな手紙を送ってきたんだろう?私と取り引きしたいと言う。でも彼女の要求はひどく漠然とした「お願い」だった。
「今お伝えできる大事なことはそれだけです。でもいずれ、もっとあなたの力になれるかもしれない。私からあなたにお願いすることは一つだけ。私の味方になってください。きっとお互いにとって悪い取り引きにはならないと思います。 ザフィーラ」




