35. イライサ「恥を知りなさい!」
ガドウィンの兵だ。国境を越えてこんな所まで我が物顔で追ってくるなんて、どこまで道理を知らない無法者たちなのだろう。
私は振り返らない。足も止めない。誰か人がいる所まで、止まらず走り続けるしかない。
後ろから武装した兵たちがガチャガチャと追ってくる足音がどんどん近付いてくる。村はもうすぐそこなのに、逃げ切れない。私は走りながら乱れる息のまま、胸も張り裂けんばかりに叫んだ。
「ガドウィンが!ガドウィンの軍隊が攻めてきました!誰か人を!人を呼んでください!誰か!誰か!」
麦畑の向こうで家畜小屋から出てきた村人がこちらに気付いて慌てて逃げて行く。
「誰か人を呼んでください!ガドウィンです!ガドウィンの軍隊です!」
「おい黙れ女!止まれと言っているのだ!」
「貴様ベルディアの王子の付き人か?」
追い付いてきたガドウィンの兵たちが乱暴に私を捕まえ、体を抑えつける。
「誰か!誰か助けを!ガドウィンの軍隊です!誰か!」
「いいから黙れ!」
兵の一人が私の顔を殴った。誰かに手を上げられるなど初めての経験だった。一瞬気が遠くなるような衝撃で何が起きたか分からなかったが、殴られた頬が火が点いたように熱くなるとともに、恐怖よりも激しい怒りが湧き上がった。
「教皇が守護するこの聖なるワシリウスの地で、神をも恐れぬこのような蛮行……恥を知りなさい!」
毅然と背筋を伸ばして睨みつける。何をされようと決して怖気づくものか。
「生意気な口を……」
もう一度私を殴って黙らせようとした兵を引き止め、上役らしい男が命じた。
「こいつで口を縛っておけ。ここは目立ちすぎる。山の中まで連れて行って王子の居場所を吐かせるぞ」
汚らしい布切れを口の中に押し込まれ、馬の轡のように顔を縛られる。なんという恥辱だろう。燃え上がる怒りが恐怖を遠ざける。
暴れる私を無理やり担ぎ上げ、無礼なガドウィンの兵たちは山道を引き上げ始めた。その直後だった。
「馬の早駆けの音だ……こっちに向かって来るぞ!」
「チッ……急げ!森まで退くぞ!」
私を担いだガドウィン兵が歩調を速める。一人が振り返って叫んだ。
「二騎……いや、三騎……あの真っ白いのは聖堂騎士団か!?なぜこんな所に!」
「何でも構わん。たった三騎で何ができる。本隊と合流してしまえばこっちのものだ」
道を外れて少し森に入ると、敵兵たちがゾロゾロと集まってきているのが見えた。一見しただけで十人以上。さらに奥からもまだ集まってくる。
これが敵の本隊?王子はまだ見つかっていないようだ。ルシエットはどうなったのだろう。ようやく助けが来たと言っても、これだけの人数を相手に三人ではどうしようもない。後から来る味方を待つのだろうか。すぐにでも手当てしなければ王子の命がいつまで持ちこたえられるか分からないというのに。
荷物のように担がれ、口に轡を噛まされたまま、気ばかり焦って呻いていると、追ってきた味方の声が木立の間に響いた。
「お嬢様!イライサ様!ご無事ですか!」
デレクの声だ。彼が助けを呼んできてくれたのだ。私は自由にならない口で精一杯の呻き声を上げる。
「ここまでのこのこ追ってくるとは好都合だ。三人とも始末すれば俺たちが国境を越えた証拠は残らん。一人も逃がすな」
圧倒的に多勢のガドウィン兵がデレクと二人の味方を取り囲んだ。やはり三人だけで追ってきた?あの僧服のような白い上衣は確かにワシリウス聖教会の聖堂騎士団の出で立ちだ。東方戦役では神懸ったような活躍を見せたと聞くけれど、これでは火に誘われて飛んできた羽虫のようなものだ。
「隊長、囲まれました」
「そのようだな」
油断無く周囲を見回して剣を構えるデレクとは対照的に、二人の聖堂騎士は落ち着き払っている。隊長と呼ばれて短く答えた方の声は女性のようだった。
「連中、俺たちを逃さないそうですよ?」
「ははっ……山の中に誘い込んでおいてこんな陣形で囲むような素人だ。数が多ければ勝てると思い込むのも無理は無い」
異様なまでの余裕を訝しみ、ガドウィンの兵が大声て威嚇する。
「おい!ワシリウスの教皇の犬が国境を越えてこんな所に何の用だ!」
どう考えてもここはまだワシリウス領だが、無理を押し通すつもりのようだ。女性の聖堂騎士は鼻で笑って剣先をそちらに向けた。
「神聖なる我が国の領土に招かれもせず不法に踏み入ったばかりか、我が国が公式に国賓として迎える貴人を拉致して危害を加えるとは……貴様ら、どれほど悪行を重ねても地獄に堕ちられるのは一度きりだぞ?」




