10. ユエ「その先には何も無い」
大切なのは使命であり、守るべきは太子ではなく皇帝だ。冷静に考えれば、妖は殺さず捕らえるべきだったかもしれない。敵はどうやら私の想像が及びもつかない計画を持っているようだ。警護の方法を根本から考え直さなくてはならない。何でもいいから情報が欲しかった。
獣のような妖を捕らえたところで何も分からないかもしれない。結果的に私の判断は間違いじゃなかったのかもしれない。でもそういう問題じゃない。
あの時、私の頭には太子を守る以外の選択肢が無かった。いや、頭で判断を下したわけじゃなく、体が勝手に動いた。使命よりも何よりも、太子の安全を最優先に動いた。老家の暗殺者にあるまじきことだ。それまでの私では考えられなかったことだ。
それでも太子の無事な姿にホッとして、その心配そうな表情を嬉しく感じている自分がいた。本当に困ったことになった。
この暗殺未遂事件の後、宮中の医者たちが妖の死骸を調べたが、それが何なのか誰も説明できる者はいなかった。もちろん私も同じだ。
妖は突然降って湧いたわけではなく、祭祀殿にいた女官の一人が急に暴れ出し、みるみるあの姿に変身したという。何かの毒や薬で理性を失い、あんな姿になったのか、それとも元から化け物で、人の姿に化けていたのか、どちらにしても荒唐無稽で信じ難い。
敵がどんな方法で狙ってくるか予想できない以上、皇帝の身の安全は絶対とはいえない。だから私は考え方を切り替えた。
敵をあぶり出し、黒幕を捕らえ、暗殺計画を未然に防ぐ。守るよりその方が確実だ。次にいつ敵が動くか分からない。私はすぐに手を打った。
幸い、手元に二つ駒が残っていた。捕らえた二人の刺客だ。正確には、捕らえたことになっている二人。残念ながら、情報を引き出す前に自死してしまった。手足も口も封じていたはずなのに、一体どうやって自ら命を絶ったのか。これも私には未知の妖術だった。老家はもう時代遅れなのだろうか。
でも駒は生死に関わらず利用価値がある。大事なのは捕らえたという事実だ。そこから何か情報が漏れた可能性があるーーと敵に思わせればいい。それで先ほどの芝居を打った。
最近宮中に入った皇太子の寵姫が暗殺者と通じていて、暗殺計画の一部を知っている、それが捕らわれたと知った敵はどう動くだろうか。
これから私が送られるという無尽獄は、最新の器具を使った尋問、拷問、薬物を使った洗脳、その他ありとあらゆる手段で捕虜から情報を引き出す場所だ。私が敵なら、何をどこまで知っているか分からないその娘が無尽獄に入る前に必ず口を封じる。
敵が必ず動くタイミング、そこに罠を張る。この広い宮中で誰がどう動くか、逆に隠れて動きを見せなかったのは誰か、全ての情報を洗い出して確実に敵の尻尾を掴む。
「リュオ様」
また私に心配そうな顔を向けている太子に、この際言っておかなければならないことがある。
「最初にお伝えした通り、私は太子の妃になるためにここに来たわけではありません。そんな身分も資格もありません。協力いただけるのはありがたいのですが……」
「分かっている。陛下を守ることが全てに優先する。その考えは私も同じだ」
太子は少し寂しそうな笑みを浮かべ、私から離れた。
「君の邪魔はしない。もう婚約は破棄してしまったしな」
そう、もうその芝居は終わったのだ。私の身の程には過ぎた役だった。どのみち長くは続けられない。胸の奥に薄淡い影が差しているのは自覚しているけれど、忘れてしまおう。
「これからは婚約者としてではなく、協力者として君を支える。そのためにもう少しだけ、君の側にいさせてくれ」
真摯な瞳でじっと見つめられ、胸が締め付けられるような気がした。もう少しだけ。分かっている。その先には何も無い。でも私の唇にはほんのわずかな笑みが浮かぶ。本当に困ったものだ、この方も、私も。
「はい……もう少しだけ、頼りにしてます」
私の元婚約者である太子は、ようやく笑顔を見せて頷いた。




