その後の小話
思いついてどうしても書きたくなったので書いてしまいました。
時系列は後日談よりもさらに後、結婚してすぐの二人です。いちゃついてるだけなので短いです。
とある休日の昼下がり。
その日シーラは、自宅の居間で珍しい光景を目撃していた。
「ジークフリートさん?」
こちらの呼びかけに対する返事はない。
ジークフリートは黙して腕を組み、居間のソファに背を預け、目蓋を閉じ――まあ要するに、寝ている。
普段から態度も口も悪くオラつき気味ではあるが、あまり居眠りをするような人ではないので彼のこんな姿は珍しい。
きっと疲れているのだろう、シーラがすぐ側まで近づいていっても起きる気配はなかった。
「…………」
思考を数秒巡らせ、シーラはジークフリートの目の前で手をひらひらと振ってみる。……反応はない。
完全に深く寝入っているのを確信したシーラは、そっと身を屈め、夫の額に口づけを落とした。
ほんの一瞬、音もなく触れただけだが、妙な満足感に包まれて、シーラは無意識に止めていた息をほっと吐く。
そうしてゆっくりと身体を元の姿勢に戻したところで――こちらをガン見しているジークフリートと目が合った。
「ヒッ⁉︎」
新妻にあるまじき、まるで強者に睨まれた下っ端の如き短い悲鳴をあげたシーラは咄嗟に後退を試みる。
が、当然のように退路は既に断たれている。
いつの間にかシーラの腰にジークフリートの両腕が回されているし、彼の足首あたりで組んだ長い両足は、愛妻の身体をしれっと囲っている。
「ひいい……! ゆ、ゆるして!」
「何をだよ」
「ちょっと魔が差しただけなんです!!」
「うるせえ」
妻の必死な弁明を一蹴したジークフリートは、自然な動作で彼女の身体を抱き寄せたかと思うと、自分の片膝へと座るように誘導する。
対するシーラはというと、恥じらいが完全には捨て切れず、僅かに尻込みする様子を見せた。
「シーラ」
「…………」
こういう時に、とびきり柔らかい声色で名前を呼ばないでほしい。
まんまと耳と頬が赤く染まってしまうのが悔しくて、シーラは目を伏せたまま、観念してジークフリートの片膝の上にちょこんと腰を落ち着けた。
それから置き物のようにピンと背筋を伸ばして固まっていた身体を、徐々に、じわじわと、ゆっくりと、ぎこちなく、ジークフリートの方へと傾けてゆき、ついには彼の胸に身を預けることに成功する。
「……おせえ」
「あ、貴方の手が早すぎるだけです」
「んなわけあるか」
「十年だぞバカ」そんなよく分からない悪態をついて、ジークフリートはシーラの後頭部に手を添わす。
迫り来る妖艶な気配を察知して、シーラは反射的に目を閉じてそれに備える。
「っ、」
真っ暗になった視界で感じたのは、ほんの一瞬、音もなく額に触れた優しい口づけだけだった。
驚いてシーラが目を開くと、綺麗な青色の瞳と視線が合う。
「次は起きてる時にしろよ」
お返ししてやったと言わんばかりに満足げに微笑むジークフリートの表情を見た途端、シーラは耳と頬、首から全身に至るまで一気にぶわっと赤面した。
唇を戦慄かせ、眉をこれでもかと下げたかと思うと、そのまま俯いて何も言わなくなってしまった。
「シーラ? おい、どうした」
いくらシーラが男女の触れ合いに慣れきっていないとはいえ、流石に結婚までしておいて額にキス程度でここまで照れるのはおかしい。そもそもシーラは先ほど同じことを自分からしているはずだ。
まさか体調が悪いのではとジークフリートが訝しんだところで、押し黙っていたシーラがようやく口を開いた。
「……わ、わたし、その、」
「うん」
「あ、貴方のことだから、てっきり……」
「? うん」
「てっきり……ぇ、えっちなキスを、されるのかと思って……」
「………………………………………………」
長い長い沈黙が落ちる。
あまりにも長い沈黙に、最初は気が動転していたシーラも段々と落ち着いてきて、今度は自分がとんでもない発言をしてしまったことに気がついた。
ジークフリートに対する申し訳なさと、居た堪れなさと、羞恥心の極みのあまり、つらつらとありのままの心の内を吐露してしまったが、これではまるで、シーラが彼に深い口づけをされるのを期待して強いっているみたいではないか。
「……おまえ、」
ぽつりと上から降ってきた低い声に、シーラの肩が大きく跳ねる。
ジークフリートが一体どんな顔をしているのか見るのが恐ろしかったが、永遠にこうしている訳にもいかず、シーラはおそるおそる顔を上げた。
「……おまえ、あとで覚えてろよ……」
そうして目にしたのは、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるジークフリートの姿であった。
片手で口元を覆ってはいるが、耳から首に至るまで、シーラに負けないくらい赤く染まっていて、正直まったく隠しきれていない。
先程までの居眠り姿など比ではない、そのあまりに珍しすぎる姿にあてられたシーラには為すすべもなく。
「あとで絶対やり返す」という夫からの逆襲予告に対し、素直に頷きを返す他ないのであった。