第三十六話 チョコレートケーキは涙の味、ですわ
リビングのテーブル。いつも私が座る席の向かいの椅子に、枇々木先生が座っている。
パパの仕事が一段落して、こっちに遊びに来た時のために買った椅子だけれど、まさか最初に座るのが担任の先生だなんてね。
ぴあのさんやケロちゃんは何度かうちに呼んだけれど、テレビの前のソファでくつろいでることが多かったし。
「はい、お持たせですが」
私は切り分けたケーキを一つ、枇々木先生の前に差し出して、もう一つを自分の前に置く。
「お持たせって……これは伊妻のケーキだろう」
「あら、枇々木先生が持ってきたんだから『お持たせ』でいいでしょう?」
そもそもこんなビジネスマナーの定型文なんて、きっとこんな特殊な状況想定していないわよ。
「さ、どうぞ召し上がってください」
「本当にいいのか?」
「いいのかもなにも、そもそも他人に食べてもらうために作ったケーキでしてよ」
本当は『食べてすごいって言ってもらうため』だったかもしれないけれど。
「では、いただこう」
先生がケーキを口に運ぶ。魔法は使ったけど、分量はレシピ通りだし大失敗はしていないはず。とは思うけれど、どうかしら……?
「いいんじゃないか?」
「ちょっと、それってどういうことですか」
手料理に対して微妙な反応されると、反応に困るじゃない!
「あー、その。なんだ。おいしいと言っている。調理実習のあまりものなんかでほかの生徒のケーキを食べる機会も多いが、これは十分に合格点と言っていいだろう」
「お世辞じゃないでしょうね?」
「そう思うなら自分でも食べてみたらどうだ」
「それもそうね」
私も軽く一口ケーキを口に運んだ。
「うっ……クリームがダレてるじゃない! どこが合格点よ⁉」
やっぱりお世辞じゃないの。お世辞じゃなかったら、枇々木先生ってもしかしてバカ舌?
「それはあんな事件があって出しっぱなしになってたんだからしょうがないだろう。それを差し引いても十分食べられるから、合格点だと言っているんだ」
「……そういえば、あのあとどうなったんですか?」
私は先生に訊いた。
「馬淵本人から訊いていないのか?」
先生は驚いた顔をする。けれども、今回の事件って、馬淵君と国木田君と織牙さんの事件で、私はたまたま居合わせただけだし。
ぴあのさんみたいにみんなが幸せになれるように考えて、頑張って解決しにいったならともかく。
自分のためだけに無理やり舞台に立とうとした私は、だからきっと。
――馬淵君の主人公にはなれなかった。
「伊妻?」
「なんですか?」
急に先生が目を丸くしたので、私は訊き返す。
「何故泣いている」
そう訊かれて、私は初めて、自分の頬を涙が流れていることに気づいた。
「あらやだ、私ったら」
慌てて手で涙をぬぐう。
「なんだ。その様子だと以前私が受けた恋愛相談の相手は馬淵か」
枇々木先生がぼそりと言う。
「何と言えばいいか……その」
しどろもどろになりながら、枇々木先生が次に放った一言は。
「伊妻は趣味が悪いな」
「ちょっと、私にも馬淵君にも失礼ではなくて!?」
思わず私は怒った。
「いや、その、だな。伊妻にならもっといい相手がいるんじゃないかと、だな……」
「それって私に対してフォローしてるつもりかもしれないけれど、馬淵君に対しては何のフォローにもなっていなくてよ?」
枇々木先生、なんでいきなりこんなことを言い出したのかしら。
でも真面目堅物の枇々木先生と一時期素行が不良っぽかった(本当はポチの世話をしていたわけだけど)馬淵君は仲が良くないし、その評価も当然なのかもしれないわ。
それに、どうも私のことをたまにえこひいきしてる節のある枇々木先生だもの、色恋にかまけて私の素行が乱れたりしたら、かばいきれないなんて思ってるのかも。
まったく、オジサンってどうして恋愛と非行を結び付けたがるのかしらね。
「だいたい、もっといい相手って具体的に誰でして?」
私はため息をついた。
「それは……だな。その……」
枇々木先生が自分の顔の前に人差し指を出して、すぐにひっこめるしぐさをする。
ちょっと自分の顔を指さそうとしたように見えたけれど、まさか枇々木先生もそんなナルシストじゃないわよね? たぶん、ほっぺたについたチョコレートクリームをぬぐっただけ。
「とにかく、何も同級生の中から探さなくても! 世の中広いのだから男なんかいくらでもいるだろう!」
「何ですかそれ、投げやりすぎませんこと?」
そんなことを言って、私が援助交際にでも走ったらどうするつもりなのかしら……。
「――それに、私としては不本意だが、馬淵の線もまだ消えたわけじゃない」
枇々木先生が言った一言が、私の心を揺さぶった。
「それって、どういうことですか!?」
微妙にいつもと違う時間に更新失礼いたしました!
それにしても枇々木先生は草食系だなぁ……。もっとがんばらないか!