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『父の、小言。』  作者: C・K・向田


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第四話 判断

第四話 判断



 新聞記者という仕事は、忙しいものらしい。


 私が生きていた頃から、護は帰宅が遅いことがあった。


 新聞というものは、待ってくれない。


 世の中で何かが起きれば、読者は知りたがる。昨日まで何もなかった場所で事件が起きれば、今日の新聞には、その事件が載っていることを期待する。


 だが、事件というものは、新聞社の都合に合わせて起きるわけではない。


 分からないことは、分からないままだ。


 そこが難しい。


     *


 大津で、ロシア皇太子ニコライが襲撃された。


 その知らせは、東京の新聞社にも届いた。


 帝都新聞の編集局は、落ち着かなかったに違いない。


 外国の皇太子が、日本の警察官に斬りつけられたのである。


 事件の重大さは、誰にも分かる。


 しかし、事件が重大であることと、事件の事情をすべて知っていることは、別の話だ。


 護は、届いた情報を確認していた。


 誰が襲ったのか。


 皇太子の容体はどうなのか。


 犯人は、なぜそのようなことをしたのか。


 知りたいことはいくらでもある。


 だが、確かめられないことを、記事に書くわけにはいかない。


 私は、息子の仕事ぶりを直接見ていたわけではない。


 それでも、護がどんな人間なのかは知っている。


 あの子は、分からないことを分からないままにしておくのが、あまり得意ではない。


 何とか答えを見つけようとする。


 それは悪いことではない。


 ただし、答えを急ぐあまり、事実より先に結論を出してしまってはいけない。


 人間というものは、そういう失敗をする。


 私もした。


     *


 編集局では、事件の続報を待ちながら、紙面の準備が進められていた。


 「皇太子殿下の容体は?」


 「まだ、確かな情報がありません」


 「犯人の身元は分かったのか」


 「津田三蔵という巡査だそうです」


 「動機は?」


 その問いには、すぐに答えが出なかった。


 事件を起こした人間の名前が分かっても、その人間が何を考えていたのかまでは分からない。


 名前と動機は、同じではない。


 肩書と人柄も、同じではない。


 まして、事件を起こしたという事実だけで、その人間の人生のすべてを説明できるわけでもない。


 私は、そう思う。


 だからといって、罪を軽く見ていいという話ではない。


 人を傷つけた事実は、きちんと向き合わなければならない。


 だが、何が起きたのかを伝えることと、なぜ起きたのかを説明することは、分けて考える必要がある。


 そこを混ぜると、記事は事実から離れていく。


     *


 「護、お前はどう考える」


 編集局の誰かが、そう尋ねたかもしれない。


 私は、その会話を聞いたわけではない。


 ただ、護なら、きっと簡単には答えなかっただろうと思う。


 あの子は、父親の私から、三つのことを言われて育った。


 人を大事にしなさい。


 ウソをつくのは、ダメです。


 お母さんと、弟を、大事にしなさい。


 子供の頃には、何度も聞かされて、うんざりしたこともあっただろう。


 だが、新聞記者になった今、最初の二つは、仕事にも関わってくる。


 人を大事にするというのは、相手を何でも許すことではない。


 間違いを間違いとして伝えることも、必要だ。


 ただ、その人間を面白おかしく描くために、事実を曲げてはいけない。


 ウソをつかないというのは、嘘の記事を書かないことだけではない。


 自分が知らないことを、知っているように書かないことでもある。


 私は、そう考えていた。


 護が、そこまで同じように考えていたかどうかは分からない。


 親だからといって、子供の考えまで自分と同じだと思うのは、思い上がりというものだ。


     *


 大津事件は、やがて日本とロシアの関係を揺るがす大きな問題になっていく。


 政府は対応を迫られ、世間の関心も高まる。


 しかし、事件が大きくなればなるほど、新聞記者には難しい判断が求められる。


 読者が知りたいことと、確かに分かっていること。


 政府が伝えたいことと、新聞が伝えるべきこと。


 その二つが、いつも同じとは限らない。


 新聞記者は、誰かの言葉をそのまま載せれば、それで仕事が済むというものではない。


 何を確かめるか。


 何を記事にするか。


 何がまだ分かっていないのか。


 その一つ一つを判断しなければならない。


 私は詩人だった。


 言葉を選ぶことなら、多少は分かるつもりでいる。


 だが、詩と新聞記事は違う。


 詩なら、書かなかった言葉にも意味を持たせることができる。


 新聞記事では、書かなかったことが、読者に誤解を与える場合もある。


 反対に、書く必要のないことを付け足せば、それもまた誤解のもとになる。


 難しいものだ。


 生きていた頃、護が新聞記者になると聞いたとき、私は何を思っただろう。


 大変な仕事を選んだものだ。


 それくらいは、言ったかもしれない。


     *


 その日の新聞に、どこまでの情報が載ったのか。


 私は、今ここで、護が書いた記事の内容を勝手に決めるつもりはない。


 ただ、事件の全容が分からないうちから、すべてを分かったように書くことだけは、してほしくなかった。


 世の中には、早く答えを出したがる人間がいる。


 白か黒か。


 善か悪か。


 正しいか、間違っているか。


 もちろん、判断しなければならない場面はある。


 だが、判断するためには、まず確かめることが必要だ。


 分からないことがあるなら、分からないと認める。


 それは、逃げることではない。


 むしろ、答えを急がないためには、少しばかり勇気がいる。


 護が、その勇気を持っていてくれればいいと思う。


 父親というものは、子供が大人になっても、余計な心配をするものだ。


 ……死んでからも、変わらないらしい。


     *


 家に帰れば、セツがいる。


 護が遅くなれば、あの人は心配するだろう。


 ユズルも、兄の帰りを待っているかもしれない。


 事件がどれほど大きくても、家族の暮らしは続いていく。


 新聞を読む人にも、それぞれの生活がある。


 朝、仕事に出かける人。


 家で家族の帰りを待つ人。


 食卓を囲みながら、事件の話をする人。


 記事の向こう側には、そういう人たちがいる。


 護には、それを忘れないでほしい。


 記事を書くことに夢中になって、食事を抜くのは感心しない。


 母親に心配をかけるのも、ほどほどにしなさい。


 それから、弟に頼まれた買い物を忘れるな。


 ……いや、最後のことは、新聞記者の仕事とは関係ない。


 だが、家族との約束も、約束である。


 私は、そういう父親だった。


 詩人として、どれほどの言葉を残せたのかは分からない。


 父親として、息子に何を伝えられたのかも分からない。


 それでも、護が記事を書くとき、ほんの少しでも立ち止まって考えてくれたなら。


 人を傷つける言葉ではないか。


 確かめていないことを書いていないか。


 自分の考えを、事実と取り違えていないか。


 その程度のことでも、父親の小言が役に立ったということになるのだろう。


 ……まったく。


 死んでまで息子の仕事に口を出すとは、我ながら困ったものだ。


 だが、私は、あの子の父親なのだから。


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