旅の僧侶と温い酒
その夜の酒場は、少し静かだった。
昼に流れ込んできた人たちは、
宿を探すか、
町を抜けるかして、
いくらか減っている。
それでも、席は半分以上埋まっていた。
俺はカウンターで、
薄い葡萄酒を飲んでいる。
麦が足りないらしい。
最近はこの酒が多い。
スイが足元で揺れる。
色は落ち着いた青だ。
扉が開いた。
風と一緒に、
一人の旅人が入ってくる。
軽い鎧ではない。
兵士でもない。
白い外套。
首から小さな印章を下げている。
神殿の人間だ。
店主がちらりと見る。
「飲むか」
旅人は少し考えてから、頷いた。
「少し」
出てきたのは、
同じ葡萄酒だった。
旅人は席に座り、
静かに口をつける。
顔が、少しだけ緩んだ。
「温いですね」
「冷やす余裕がない」
店主が答える。
それで会話は終わるかと思ったが、
旅人は少し周りを見た。
兵士。
商人。
避難民。
そして俺。
「この町は、まだ平和ですね」
誰に言うでもない言葉だった。
「南は違うのか」
誰かが聞く。
旅人は頷いた。
「違います」
それだけだった。
酒場が少し静かになる。
俺は葡萄酒を飲む。
薄いが、喉は潤う。
「勇者は?」
奥の席から声が飛ぶ。
旅人は少し考えた。
「元気ですよ」
あっさりした答えだった。
酒場がざわつく。
「会ったのか」
「同行しています。今は少し遅れてますが」
今度は、
はっきりと言った。
何人かが身を乗り出す。
「どこだ」
「南へ向かっています」
やはりそうらしい。
「強いのか」
誰かが聞く。
旅人は少し笑った。
「強いですね」
それだけだった。
具体的な話はしない。
だが、
嘘でもない顔だ。
スイが、
床の葡萄酒に触れる。
色が少し濃くなる。
旅人がそれを見る。
「珍しい生き物ですね」
「まあ」
旅人は杯を置く。
「この町を出たら、
しばらく酒場はないでしょう」
それは困る。
「では今のうちに」
そう言って、
もう一杯頼んだ。
葡萄酒が注がれる。
温い。
薄い。
だが、
今の世界の味がした。
旅人は静かに飲み、
それ以上勇者の話はしなかった。
酒場の外では、
南風が少し強くなっている。
勇者は、
やはりこの町より南にいるらしい。
スイが揺れる。
俺は葡萄酒を飲みながら思う。
英雄の話より、
今ここにある酒の方が、
少しだけ確かだった。




