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花元思案 その二 『信長の野望』や『三國志』のゲームはなぜ面白いか

 歴史を題材にしたシミュレーションゲームと言えば、日本ではコーエーテクモゲームスの作るものが有名です。

 中でも、『信長の野望』と『三國志(さんごくし)』はシリーズ化されて新しいものが作られ続け、どちらも十作以上あります。


 他にも、コーエーテクモはさまざまな時代や国を題材にしたゲームを作ってきました。

 チンギスハーンの時代の世界を舞台にしたもの、項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の争いのもの、源平合戦もの、ナポレオンになってヨーロッパを征服するものなどです。


 しかし、これらは一作で終わるか続いても数作で、しばらく新作が出ていません。

 なのになぜ、『信長の野望』と『三國志』は人気が衰えず、新しいファンを獲得しながら作られ続けているのでしょうか。


 舞台となる時代がもともと人気が高く登場する人物たちも比較的知られているという理由もあるでしょうが、それ以外にもこの二つの時代には共通点があります。

 その特徴のために、シミュレーションゲームにとりわけ向いているのです。



 中国史の年表を眺めると、(しん)(かん)(とう)(そう)(げん)(みん)(しん)など、国号の違う王朝がたくさんあります。

 数十年から数百年で王朝が滅び、新しい王朝にとってかわられることが続いたのです。

 王朝の末期はしばしば戦乱が起き、勝ち抜いた人物が次の支配者になりました。


 世の人々はこういう人物の登場を歓迎し、英雄と呼びます。

 戦いを終わらせて平和な時代をもたらし、弱った中国が再び立ち上がれるようにしてくれたからです。


 こうした王朝交代期を小説にする場合、普通は英雄を主人公にし、分裂した中国を統一していく過程を描くことになります。

 英雄こそが「正義」であるとされて活躍が語られる一方、彼に敵対して滅ぼされた者たちは中国統一を邪魔した「悪」です。


 家臣や仲間についても同じです。

 英雄の陣営の者たちは、彼の美質や将来性を見抜いて力を貸した協力者です。

 敵対した勢力の家臣は主君を選びそこなった愚か者で、面白い逸話があったとしても、滅ぼされた敵側の人物のしたことと見なされます。


 こうした見方は、小説ならば一人の主人公を追いかけるので問題は起きないのですが、歴史シミュレーションゲームとしては大きな欠点となります。

 さまざまな勢力から一つを選んで中国統一を目指すゲームなのに、正統なのは一つしかないのです。

 三国時代でたとえれば、曹操はいるけれども、劉備や孫権の勢力は存在しない物語です。

 英雄以外の勢力が全て彼の引き立て役になってしまうのです。

 配下の武将たちも、英雄勢力の能力の評価は高め、それ以外は敗者側なので低めになるでしょうし、魅力の点でも劣ります。

 英雄を倒してみたい場合や、よほど個性のある人物でなければ、自分の分身として操りたいとあまり思わないでしょう。


 この点、三国時代は曹操の魏、劉備の蜀漢、孫権の呉という、三人の英雄と三つの国が並び立ち、勝ったり負けたりしながら互角に近い戦いをしています。

 しかも、この三人は中国が統一される前に死んでしまい、魏も(しん)に乗っ取られるなど、いずれも勝者ではありません。

 歴史的には晋が統一したので魏が正当に見えますが、『三国志演義』は劉備が主人公であり、呉も孫策の自立から数えると八十年以上続いていて泡沫(ほうまつ)勢力ではありません。

 人材の面でも、それぞれに個性や魅力にあふれる人物が多数いて、どれかの勢力が圧倒してはいません。

 主人公の強さやすぐれたところを示すには強力なライバルが必要ですが、三国時代は三つの勢力が互いの魅力を引き出し合っているのです。


 ゲームを遊ぶ時、正統と信じて担当できる勢力が三つあること。

 これが他の時代との大きな違いです。

 関羽や張飛を味方につけた時のありがたさと敵に回した時の恐ろしさ、どうしたら劉備や孫権が中国を統一できたのかと想像する楽しみを、三つの陣営から味わうことができます。

 三陣営とも初期には勢力が小さく、ある程度近い条件から始めることができることも大きいかも知れません。


 日本の戦国時代はさらに選択肢が多いです。

 東北から九州まで各地に大勢力に発展した大名がおり、名将と呼ばれた武将があまたいます。

 ひいきの大名家やプレイする人の住む地域の勢力にも、天下統一の可能性があるのです。

 天下を統一し中央政権を樹立したのは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ですが、武田信玄や上杉謙信、毛利元就や伊達政宗なども人気があり、三英傑(さんえいけつ)に勝てなかったやられ役という扱いはされません。

 三国時代と日本の戦国時代は、比較的短い期間にたくさんの名将や大政治家が現れて活躍していることも共通しています。


 この点、中国の春秋(しゅんじゅう)戦国(せんごく)時代は、名将や大政治家の数では上回るのですが、期間が長すぎて同じ時代に集まっていません。

 主人公を誰にすればよいかも悩むでしょう。

 逆に、項羽と劉邦の争いや源平合戦は、時代は短く、主人公は定まるものの、対立する陣営は事実上二つであり、時期によってどちらが優勢かはっきりしています。

 登場人物たちの数や知名度でも劣ることは(いな)めません。


 このように、『信長の野望』と『三國志』は、いわば三人主人公や多数主人公の状態にあり、さまざまな角度から時代を体験することができます。

 多くの主人公が無理なく存在した時代という奇跡が、この二つのシリーズを長く愛されるものにしているのだろうと思います。




  おまけ


 もし私が『三国志演義(えんぎ)』を書くなら、誰を主人公にするか考えてみました。


 まず、孫家は無理です。

 孫堅は早く死にますし、孫策も同様です。

 孫権は長生きしますが、基本的に都の建業から動かず、戦いも政治も臣下に任せています。

 名君と言えなくもないですが、個人での活躍も、才知のきらめきやすぐれた武勇もなく、主人公らしくありません。


 次に曹操です。

 彼は大金持ちの家に生まれ、後漢王朝での地位も高く有能と評価されていました。

 政治にも軍事にも優れ、文学の才能まであります。

 環境と才能に恵まれすぎているため、庶民である読者の気持ちを仮託(かたく)できる人物ではありません。


 では、劉備はどうでしょうか。

 彼はむしろを売る貧しい境遇から志を立て、義兄弟や軍師などを自身の魅力で集めて勢力を拡大し、曹操や孫権に対抗できる存在にのし上がっていきました。

 始めから名門だった他の二人に比べて、皇帝というゴールまでの落差が大きいです。


 こう考えると、劉備が主人公に選ばれたのは当然と言えるでしょう。

 曹操は裕福で権勢(けんせい)のある家の出身で、権力と財力と武力で天下の人々に自分の命令を聞かせようとした悪役であり、それに対抗して弱い人々を守るのが極貧の庶民から出発した劉備なのです。


 英雄とは、「弱きを助け、強きを(くじ)く」人物です。

 権力者や大金持ちなど、強い力を持っていて勝手をやって人々を苦しめる者たちを、主人公は庶民の味方になってやっつけ、こらしめるのです。

 ゆえに、自分が最強であることを(ほこ)ったり気まぐれに弱い者を蹴散らしたりするのは、古典的な主人公の人柄や行いではありません。

 「気はやさしくて力持ち」という言葉のように、強い力を持っていてもよいことや人助けにだけ使って悪いことはしないのがヒーローなのです。

 三国志演義の劉備の人柄が史実とはかなり違うのはこのためだと思います。

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