第二章 12
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大広間につくと、まずはイボーがロッテをソファに寝かせた。主が、もう一つのソファに腰掛ける。ネイリンは、迷ってから、ロッテの寝ているソファの前にひざまずき。彼女のケアに、まずは努めようと思った。
ネイリンがロッテのそばにいるのを確認してから、リールを探してまいります――とカーテが口を開いた。
「ルイ、あなたはトーナス様を探してきなさい」
いわれたルイは、なにかいいたそうにしたが、結局口をつぐんだ。
「トーナス、いない」イボーが口を開いた。「さっき、リールにきいた」
「トーナスは、まだ帰らないのか?」主は、杖を身体の前で立てている。
「といいますか、どこかにでかけたかどうかも分かりません」
カーテが、泣きそうな顔でいう。彼女の顔を見て、遅まきながらネイリンも気がついた。
ジーナスの死により、トーナスの不在は、またべつの意味を持つに至っている。
彼の行方不明がなにを意味するのかは、まだ分からない。だが、ジーナスの死だけを悲しんでいられない状況になるのかもしれない。
カーテの表情は、そのようなことを予感してのものなのだろう。
「なら、探せ」主はいった。低い声だった。
「イボー、下を探す」彼は、力強い声でいった。イボーだけは、この異常事態下で、いつもとかわらなかった。「ジーナスにも、会いたい」
「イボー、ジーナス様は……」カーテがつぶやくようにいう。
「ジーナス、寒そうだった。なにかかけてやりたい」
イボーは、事態を正確に理解していないとカーテは思っていたようだが、彼は彼なりの理解と心配をしているらしかった。
カーテは、イボーの言葉をきいて、我慢ができなくなったように、言葉をつまらせながら、エプロンから取り出したハンカチを目元に当てた。
「さっさと探してこい」主は、短くいった。
彼の言葉を受けて、カーテは厨房につづく扉へ向かった。ルイは階段を上り、二階へ。イボーは、住人たちの部屋につながる廊下に向かった。
大広間には、物いわず床を見つめつづける主、ソファで眠るように気を失っているロッテ、三人からは少しはなれたところで腕を組んでいるラパルクと、そしてネイリンだけが残された。
プライは、どうしたらいいだろう。
ロッテが心配だから、今は動けない。彼は病気なのだから、そっとしておいた方がいいだろう。……本当にそうだろうか。危険はないのか。そこまで考えてぞっとした。この屋敷には今、ジーナスを殺した人間が、まだいるかもしれないのだ。ならば、一人でいるプライは危険かもしれない――。
「ラパルク」不安げな顔から、意図が伝わったらしい。彼は、思いのほか冷静なようだ。
「ああ、プライの様子を見てくるよ。ただ、心配はいらないと思う。あいつは寝ていただけだ。危険に合う筋合いにない」
その言葉をきいて、主がピクリと動いた気がした。殺された息子に対する非礼と取ったのかもしれない。だがラパルクは、そんな主を気にかけた様子もなく、落ち着いた足取りで階段を上っていった。
大広間は、三人になった。
ネイリンは、少し不安になる。
もし、主がジーナスを殺した犯人だったらどうなるのだろう――。
そんなわけはないのは分かっている。彼はジーナスの父親だ。それに若いジーナスを相手にするなど、物理的にできることではない。感情面でも体力面でも、ありえないのは分かっていつつした想像だが、思考はつづいた。
仮に彼が犯人だとしても、危険はないだろう。ネイリンだって、腕に覚えがないわけではない。老人と戦って負ける気はしなかった。だが、人を殺してしまえるほどの、ある意味での覚悟を備えた人間を前にしたとき、自分はいつもどおり戦えるのだろうか――。
思考はつづく。
ジーナスを殺した人間が、老人などではなく、若い筋骨を備えた男だったら――。
そこでネイリンは、ある可能性に思い至った。
ジーナスを殺したのは、行方不明のトーナスなのではないのか。
いや、先ほどから、この可能性については、頭のすみで考えていた。当然だ。ジーナスの死を確認した段階で、トーナスの行方不明は、彼の死か、もしくは、彼の犯行を連想させる。
彼は、主と同じようにジーナスの肉親だ。トーナスが犯人などと、感情面では考えられない、というより考えたくはないが、肉親だからこその憎悪、というものも、世間にはあるときく。
だから、動機面から考えては、可能性を消去できない。
そして行方の知れない現状。それは、弟を殺したからこその逃亡の故、と考えれば、しっくりくることはくるのだ。
犯人は――トーナスなのか?
ロッテを見る。表情のない彼女は、眠っているようにも見える。失神と眠りとは同じものなのだろうか。あどけない顔をしている彼女は、夢を見ているのだろうか。
彼女の父親を殺したのが伯父だとしたら――この娘はどうなってしまうのだろう。
胸が、息をするだけで苦しい。
カーテが大広間に戻ってきた。真っ青な顔をしたリールが横にいる。
「旦那様……」リールが、エプロンを両手で揉みながらいう。
主は、なにも反応しなかった。
とにかく、全員がそろうまでは、なにもしゃべる気はなさそうだった。
ネイリンとしても、なにかいえる状況ではなかった。また、なにをしゃべっていいのかも分からない。気詰まりの中、それぞれの思考、不安が大広間を渦巻いている気がした。
二階からラパルクとルイが戻ってきた。プライはつれてはきていなかった。
「プライは、かわりなく寝ていた」ラパルクがいう。「このまま寝かせておいてやろう」
全員を大広間に集めろ、といった主ではあったが、そのラパルクの言葉に反対はしなかった。
しばらくの後、イボーが戻ってきた。
「トーナスはいない」イボーは、主の横に立った。「どこにもいない」
主はうなづき、その場にいた全員を見回した。
「リールも、状況はきいているな」いわれたリールは、うなづいた。「先ほど、ジーナスが死んでいるのが分かった……。このことは、市には報告しないことにする」
ネイリンは、首をたれてきいていたが、頭を上げた。
「このことは、内密に処理する」主は、ネイリンを見ていった。「おまえたちにも、そのつもりでいてもらいたい」
「どういうことだ?」ラパルクが、イラついた口調でいった。「息子が死んで、まずいうことがそんなことか?」
市に報告しない、という主の言葉に驚いたネイリンだが、ラパルクの言葉をきいて、この際、そんなことは後回しかもしれない、と思った。
「おまえたちと議論をする気はない」主は言下にいった。
「葬儀はどうするんだ? それも内密にか?」
「おまえたちの知ったことではない」
「あんたの息子はただ死んだんじゃない。殺されたんだぞ。そのことについては、どう考えているんだ?」
ラパルクの追及口調に、ネイリンははらはらした。主のいいかたには、彼女としても納得のいかないところがあるが、それにしたってこういった口を利く根性はない。
「それも、おまえたちにいう必要はない。それに、まだ殺されたかどうかも確定は……」
「自殺したとでもいいたいのか? ナイフで自分で胸を刺して? ふつうに考えてそんなことあるわけがないだろう?」ラパルクはつづける。「それに、いわせてもらうが、おれたちは、剣にかけては素人じゃない。自分で刺したものかどうかぐらいは、見て分かる。そうだな、ネイリン?」
「え?」
そういわれても困る。ラパルクは剣技館に所属し、モンスター狩りにも参加していたから、傷口などからそういったことも分かるのかもしれないが、ネイリンは剣技館には入れてもらえなかったのだ。槍も自己流で、真剣も旅に出てからはじめて使ったぐらいで、傷口からなど分かることなどそうない。
だが、ジーナスの死体を見て、また昨日からの状況から判断して、自殺などありえないとは感じていたので、とりあえず、うんとだけ答えた。
「そうだとしても、おまえたちに心情を伝える必要はない」主はそういって、ラパルクの言葉をはねのけた。「そんなことよりも、連れのものの容態はどうなんだ? 回復しているのなら、速やかに去ってもらいたいのだがな」
「トーナスさんがいないそうだな」ラパルクが、主の言葉を無視していった。「彼のことはどう考えているんだ?」
「…………」主は答えなかった。
「次男が殺され、長男が行方不明。こんな状況では、だれが考えたって、結論は一つだ」
「あいつは、そんなことはしない」主が、馬鹿にしたようにいう。「トーナスは、計算のできる人間だ。殺人などという、愚かな行動はとらない」
「なら、この状況を、あんたはどう理解してるんだ」
「決まってる。愚かな何者かが侵入し、なんらかの理由によりジーナスを殺害した。そして、屋敷内をカーテたちが回って不審者を確認しなかったんだ。ならば、その不審者は、もう屋敷内にはいないということになる」
そうだ。今屋敷内には、ジーナスを殺した人間がいたかもしれないのだ。その可能性に気づきながらも、カーテたちを、所用のためにばらばらにさせた主の冷酷さに、震えが走った。
「では、トーナスさんは?」
「だから、どこかにでかけているんだろう。いずれ戻ってくる」
大広間にいるもの全員が、二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた。
殺気すら含んだ、主の頑なな物言い。敬語を捨てて、ある意味で敵視しているような言葉遣いで質問攻めにするラパルク。
静かでありながら、口をはさんだら火傷しそうな雰囲気が、二人の間にはあった。
彼らの、というより、ラパルクの姿勢を見て、ネイリンは目が覚める思いだった。
そうだ、今は呆けている場合などではないのだ。考え、発言し、条件の境界を明確にしなくてはいけない。
ネイリンは、急速に、普段の自分を取り戻しつつある自分を自覚した。
攻撃的で、野心的で、好奇心旺盛な人格が、深いところから立ち上がる。
「まだ、この屋敷には、探していない部屋があります」気づいたら、ネイリンはそう発言していた。「そこを開けてみる必要があると思います」
急に発言したネイリンを、カーテやリールが、いぶかしそうな目で見ている気がした。
ただラパルクは、そんなネイリンを見て、わずかに口元だけをゆがませた。
「二階の部屋をいってるんだな。あの部屋は、封印されているんだ。誰も入れない」主は、なんら態度をかえなかった。
「それは違います。あなたは、あの部屋の鍵が入ったケースの鍵を持ってるんですよね?」
いってしまった――といまさらになって、やっと思った。
主だけが、あの部屋を開けることができる鍵の入ったケースを開ける鍵を持っている。
だが、そのことは、知らないことになっているし、知っていてはいけないことなのだ。きいたことは内緒にするという、ロッテとの間に約束もある。だが、こんな状況では、そういったこともいっていられない。
だが、あの部屋をどさくさで覗いてしまおう――心の隅で、そうも考えている自分を自覚して、今日何度目かの自己嫌悪もしっかりとした。
――ほんとにあたしときたら……。
自分の野次馬根性にうんざりとしながらも、本来の自分をとりもどしつつある自分を、ネイリンは感じていた。
「あの部屋は、厳密な意味で、開かない部屋ではありません。あの部屋に、だれかが、さらにいうなら、あなたのいう何者かがいる可能性もあります。開けてみる必要があるんじゃないでしょうか?」
「ちょっと待て。その前に、どうしてお前がそんなことを知ってるんだ?」とやはり主に突っ込まれた。
「いや、それは……」正直にいうのは、やはりためらわれる。「そんなことはどうだっていいじゃないですか? それよりも、大事なことは、」
「わたくしがお教えしたのですわ、お祖父様」
「ロッテ!」驚いて見ると、彼女は何事もなかったかのように、すました顔でソファに座っていた。「大丈夫なの?」ネイリンは、二つの意味でいった。
「ええ。ご心配をおかけしました。今は考えるべきとき。寝てなどいられませんわ」
ロッテは、そう気丈にいった。だがその顔には、ださないようにしてはいるのだろうが、悲しみが滲みでていた。
父親の死体、しかも殺されたものを見ているのだ。心情的に、大丈夫なわけはない。
「うん、そうね」しかしネイリンは、そう同意した。
ロッテが大丈夫なわけはない。だが、だからといってなにもせず、父親の死を悲しみつづけていたら、彼女は心に変調をきたしてしまうかもしれない。
今は物理的なことを考えるのが、ロッテの心にとってもいいことかもしれない。
それに彼女のいうとおり、純粋に今は考えるべきときだ、という気もする。その意味では、彼女が、「自分が教えた」といってくれたのは、話を進める上でよかった。だが――それをいって大丈夫なのだろうか? 二つ目の意味で、ネイリンは心配した。
「おまえが教えただと」主が目を細める。感情が爆発する寸前、といった雰囲気があった。「ロッテ。あれは、我がガードナー家が代々守ってきたものだ。おまえだって、それが分かっていないわけではあるまい」
「十分に理解していますわ」ロッテは、真正面から主を見据えた。「そして、それが、ナンセンスなことであることも理解しています」
「ナンセンスだと?」ロッテの挑発的ともいえる言葉に怒り出すかと思ったら、意外なことに主は悲しそうな顔をした。「本気でいっているのか、ロッテ?」
「ええ。鏡の中に石なんて、そんなもの、理屈で考えてあるはずがありませんもの。とはいえ、」とここでロッテはネイリンをみた。「ガードナー家が秘密にしつづけたいたこと。わたくしだって、身元の怪しい人にまで、わざわざお教えしようとは思いません。友人のネイリンにだからこそ、お教えしたのです」
「友情の証に、とでもいうつもりか……」主はゆるりと首を振った。
主の様子は、爆発しそうでしない。というより、感情を爆発させるだけの気力が、体内から失せているらしかった。彼なりに、やはり次男の死は、心を痛めているのだろう。
今この家の住人は、みな冷静ではない。だからこそ、自分たちががんばらねば。ネイリンは、そういった思いを新たにした。
「お祖父様、叱責ならあとでいくらでもお受けします。でも今は、ネイリンがいうとおり、そんなことを問題にしている場合ではありませんわ。今は伯父様がどこにいて、なにをしているか。それを確認することが、最重要課題だと思います」
「分かった。秘密を教えたことを棚上げにしてもよい。だがな、ロッテ。あの部屋が完璧に封印された状態でないとはいえ、その密室性は限りなく完全に近いものだ。儂には、あの部屋に、トーナスか、もしくは違う人間かがいるとは思えないのだがな」
「でも、伯父様が他の場所にいないのも確かなのです」
「どこかに出かけた――」
「可能性などありませんわ」ロッテは、主の言葉をさえぎっていった。「今までもそんなことはありませんでした。それが、今日になって、だれにも知らせずどこかに行くなんてことは考えられません。それに、伯父様はお祖父様と違って、雨が大嫌いな方です。それは、お祖父様もご存知でしょう?」
「しかし、あの部屋は物理的に儂しか入れないんだ。トーナスや、第三者がいるわけなどない」
「べつにあの部屋を開けたからといって、今マイナスになることはないと思うんですが」ネイリンは口をはさんだ。「今は緊急事態です。だれもいないならいないでいいんです。確かめましょう。それは、おじいさんのためでもあると思います」
主は、ネイリンをひとにらみした。彼女は、それを真正面から受け止めた。
彼は目をそらすと、下を向いた、迷っているようだった。
あの部屋に、もしトーナスがいた場合、二つのケースが考えられる。
隠れている場合と、死んでいる場合だ。
隠れていたら、それは彼の犯行を示す行為だろう。死んでいたら、それだけでも悲しい事実だが、鍵にまつわるもろもろの条件から、主の立場がわるくなる。
今迷っているのは、どう考えてのものなのだろう。
迷っているという時点で、彼は潔白なのか。
それとも――。
無言の時間は、ネイリンの思考を走らせる。
やがて、主がいった。
「あの部屋の封印を解こう。今鍵を持ってくる」そういって、主は立ち上がり、自室になのだろう、向かって大広間をでた。
――やった! ついにあの部屋に入れる!
と最初に思って、そういうことじゃないよなぁ、とネイリンはすかさず反省した。
今は、あの部屋に対する興味より、トーナスの安否が重要だ。
だが――。
あの部屋の中にある、石が隠されているという鏡。それに対する好奇心は、どうしても押さえきれなかった。