表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ほしのごしそんさま。  作者: ひろつー。
海のご子孫さま
4/15

海のご子孫さま

   第四章  海のご子孫さま


 ――凄すぎる……。


 刻任紫音は、学期末テストの成績優秀者が貼り出された白いボードを眺めながら、職員室前の廊下で呆気にとられていた。


 一位 双芭星崋  二位 刻任イオ  三位 神無月カンナ…………


 一位の星崋については、予測がついていた。何故なら、前回の中間テストでもブッチギリのトップだったから。教師たちは、我が校で数年ぶりのT大合格者候補だと騒いでいた。

 しかし。より驚くべきは、僅差で第二位の……、


「チェッ……! ナカナカヤルじゃナイカ、アノ『胸ペタ女』」


 紫音が振り向くと、同じ顔をした少女が両手を腰にあて、唇を尖らせ立っていた。

「イオ……。ねえ、本当にズルとかしてないよね?」

 イオはますますその形のいい唇を突き出し、

「あアーッ!? マタ疑ってル!? ヒドいヨご先祖さま……」

 何故か責められる時だけ、『ご先祖さま』と呼ばれる気がする。


「ゴメン。でも本当にスゴいねイオは。驚いたよ」

 イオはコロッとその表情を笑顔に変え、


「テヘヘのヘ。コレクライ、朝飯前の茶飯(ちゃめし)前だヨ! 実はあたし元の時代でハ、もう飛び級で大学まで卒業シテ、大学院生だしネ!」


「へ……っ? へえー…………」

 十五歳にして大学院生。紫音の子孫はやはりただ者ではないらしい。それに比べて……


「ネエ、紫音ハ? ドウだったノ?」


 ぎくり。

「あ、あははははっ! まあ、僕のコトは置いといて……」

 冷や汗をかいた先祖は、手に持っていた自分のテスト結果の通知紙を身体の後ろに隠す。

 全体の上から一割の成績優秀者と、逆に追試の必要のある者だけはボードに名前が貼り出されているが、それ以外の結果は紙だけの通知だ。


「……隠してもムダだヨ? 紫音の成績を調べるコトなんテ、カンタンなんだカラ!」

 それもそうだ。相手はほぼ何でも出来てしまう、自称《A (クラス)マキナ使い》の未来人。それこそ、朝飯前の茶飯前だろう。

「は、はい……」

 観念した紫音は、まるで恥ずかしい内容の書かれたラヴレターを手渡すかの様に、伏し目がちでその紙をイオに手渡した。イオはその内容を一瞥すると、


「ふーン……。二百二十二人中、百十一位……。フツウだネ…………」


 ――ショックだった。


(普通。そう、僕は何事も普通なんだ。没個性。影が薄い。存在感ゼロ。マンガとかの登場人物でいうと、完全に端役タイプのクラスメイトE。そしてヘタレ)

 ヒトより変わった特徴といえば、指先が少々器用なコトぐらい。あとは女顔……?

 そこを子孫に指摘されるなんて、もう、ご先祖さまに顔向け出来ない!

「げ……幻滅した? もしかして、僕も、他の人と入れ替えちゃおう、とか……?」

 俯く紫音。しかしイオは、ケロッとした表情で笑い、


「ソンなコトしないヨ! ソウしたラ、あたしがあたしでなくなっちゃうシ。第一、紫音は紫音! あたしノ、大切なご先祖さまだヨ!」


「……そ、そう? ありがと……」

「ナンダ、ゲンキ出せヨッ! 別に赤点取ったワケじゃナイんだシ、アトは今週の日曜日、アノ娘と海へ行くだけだゾ? ……じゃア紫音、あたしはプールの授業の着替えに行くカラ、また後でナ!」

 最後にイオは、また人差し指と薬指で変な未来風(?)ピースサインを作ると、ばっち~んと派手にウインクをし、更衣室へ着替えに行ってしまった。



 

「なあ紫音! イオちゃんの水着姿、タッマンねーよな〜!?」


 プールの授業の後。紫音は友人の白鳥圭と並んで、更衣室から教室へと向かっていた。

「たしかに胸は小せえけどよー、ソレはソレでイイなんてこの俺が考えちまうのは、マジで生まれて初めてだぜー? もういっそのコト微乳派に改宗しちまおうかなー。それにウエストは細っせーし脚はムチャクチャ綺麗だしよー!」


 興奮気味に下世話なトークを続ける白鳥の横、紫音は少し困った顔で、

「あのさ、圭。双子の妹に対してそんなコメントされても、僕はリアクションしづらいんだけど?」

「安心しろ紫音。いくらソックリでも、俺はお前になんか全っ然興味は無え! ……そうだ紫音! テストも終わったコトだしよー、今週末イオちゃんと一緒に海とか行かねーかー? お前セッティングしろよー!」

 下心丸出しの白鳥に対し、紫音は厳しい現実を突き付ける。


「圭、それなんだけどさ……。この前イオに訊いたら、『白鳥と一緒に出掛けるのは宇宙が滅びてもイヤ』だって。残念ながら、全く脈無さそうだよ?」


 それを聞いて一瞬落胆したかのように見えた白鳥は、直ぐに立ち直り、

「何だよお前! 少しはフォローしろよな!? ……まあイイや、じゃあ一緒に海にナンパしに行こーぜ? そろそろイイ季節だしよー!」

「ゴメン。今週はイオと出掛ける約束が……」

(イオが嫌がってるから海の話は圭には黙ってるけど、なんだか少し気が引ける……)

「何だよ自分だけイオちゃん独り占めしやがってよー! じゃあしょーがねえ、俺はこないだナンパした隣の女子校の香織里(かおり)ちゃんとでも遊びに行くかなー」

(前言撤回。コイツに情けは無用だった)


「それにしてもお前、せっかく女にキューミ持ち始めたのに、まだ星崋嬢にフラれたの引きずってんのかー? それともまさか妹のイオちゃんで満足しちまってんのかこのド変態野郎!」

「そ、そんなコト! ないけど……って、圭に変態とか呼ばれたくないよ!」

「じゃあさっさと次のターゲット見つけちまえよ! もうスグ夏休みだろー? 遊ぶ女の子がいたらメッチャ楽しいぜー? ……お? そうだ紫音、アイツとかどうよ? アクシデントとはいえ一度密着しちまったんだろコノヤロー羨ましい!」


 ニタリと笑って白鳥が指差した女の子は――紫音たちが通りがかった職員室前の廊下で、憂いをたたえた表情をして壁に貼られたボードをじーっと見つめていた。



 ギクリ。


(み、見つかっちまった……ッ!? よりにもよって、アイツと他約一名に! せっかく知り合いがいないのを遠くで確認してから来たのに!)


「よう瑠琉奈! 何だよお前、また恒例の赤点追試かー? 何なら俺がベンキョー教えてやろうか~? 手取り足取り!」

 聞き飽きた軽薄なその声に、瑠琉奈の血圧が急上昇する。

「うるせえ白鳥! オマエだって二つ赤点があるじゃねーか! オマエのバカが伝染(うつ)ってこれ以上バカになっちまったらかなわねえ! さっさと消えやがれこのゲス野郎ッ!」

 蹴りの構えをみせた瑠琉奈に対し、

「おぉっとー! 俺はMじゃねえよ、どっちかってゆーとSだー!」

 と言い残して、ゲス野郎白鳥は教室へ向かって逃げて行った。


 ぽつんとひとり残された紫音に対し、視線を泳がせながら挨拶をする瑠琉奈。

「よ、よお、シオン……」

「やあ、ルルナさん。圭と、仲いいんだね?」

「そッ!? そんなコトねーよッ! 誰があんなセクハラ野郎と! ――あ」

 紫音が、瑠琉奈の名前がデカデカと載った赤点ボードを見ている。


「……あ、あは。バ、バレちまったな。オレが“バカ”だってのが。幻滅したか? あ、あはははは!! なんかオレ、栄養が頭じゃなくてゼンブ胸に行っちまってるみたいでよ! バストのサイズは上がっても、テストの点は……って、またナニ言ってんだオレは!?」


 ――悲しくなってきた。


(うわあ……。ドツボだ! 何か喋る度に、余計にドツボにハマる! どうしてオレは、コイツ相手だと上手く喋れないんだ? まさか、コイツとオレは相性が……悪いのか?)


「そんなコト、ないよ」


「え…………?」

 瑠琉奈は俯きかけた顔を上げる。


「幻滅なんて全くしないよ。テストの点がどうこうなんて、小さなコトだよ。ルルナさんはルルナさん。そんなコトでルルナさんの人間的な魅力が無くなったりは、絶対しないよ」


 先ほど同じ様な事をイオに言われたせいか、紫音は自信満々にそう答えた。

「そ、そう、か……? あ、アリガト………………」

 自分の頬が赤く染まっていくのを瑠琉奈は感じる。

(そんなコトを面と向かって言われたのは、は、初めてだ。まあ、これまでオレのコトをバカだの牛だのなじったヤツは、全員この『鋼鉄の拳』でキッチリシメて黙らせてきたが)


「ははは! でもな、これでもオレ、進歩してるんだぜ? 前回は五教科も赤点だったケド、今回はたったの三教科だ! まあ、一緒にベンキョーしてくれた星崋の教え方が上手かったんだケドな!」

「へえ、頑張ったね! ……あ、そういえば大丈夫? 今週の日曜日。その、追試の勉強とか」

「ああ、それなら大丈夫だよ。三教科ぐらい何とかなんだろ。実はフンパツして、あ、あああ新しい水着も買っちまったしなッ!」

「ふーん、どんな水着なの?」


 何の下心も無く、紫音はさらっと質問を返した。その純真さが伝わったのか、普段男とのこういった類いの会話は、にべもなく拒絶してきた筈の『鋼鉄の瑠琉奈』は、


「へへっ、そ、それはまだ秘密だ! 当日までのお楽しみってヤツだな!」

「それは本当に、楽しみだね」


 ――楽しくなってきた。


 『鋼鉄の瑠琉奈』と呼ばれてきた自分が、こんな色気のある会話を男の子としている。

(もしかして、もしかしてコイツの前でならオレは…………“女の子”になれるのか!? まさか、コイツとオレは相性が……良いのか?) 


 しかし。


「――あ」

「どうしたの? ルルナさん」


「そういえば週間天気予報で、週末あたりに台風が来るかもって言ってたな。ああ、一応ウチにもテレビぐらいあるんだぜ? 昔は一時期、地デジ難民になっちまったようなブラウン管のシロモノだケドな。……でも、心配だな、天気」




「イオ、ちょっと考えたんだけどさ」

「ン――? ペロペロ。ナニ? 紫音」


 その日の学校からの帰り道。

 鞄を紫音に持たせたイオは、途中のコンビニで買ったソーダアイスを口にくわえたままひょいっとガードレールに飛び乗ると、その上を両手を広げた平均台ポーズで歩き出した。


 その斜め後ろから付き添う紫音は、

「もしかして、イオの頭の良さって――双芭さんからの遺伝じゃないの?」

 おっト! とイオは少しバランスを崩し、なんとか持ち直す。そしてそのまま腕を組んで小首を傾げ、

「ウ~ン……、レロレロ。そんなハズハ…………」

 どうやらイオも同じ疑問を抱いていた様だ。そしてアイス棒を左手で持ち、


「マア、あたしが十歳のトキに習ったレベルの授業内容をチョット忘れていたとはイエ、コノあたしのスコアを上回るなんテ、サスガはあたしの暫定ご先祖さま! ……と言いたいトコロだケド、そんなハズはナイヨ! アノ女カラ遺伝スルのは『胸の小ささ』ダケ! 《遺伝(ジーン)演算機(カリキュレーター)》の演算結果はゼッタイだヨ?」

「ふーん……。そんなに正確なんだ、その《遺伝(ジーン)☆ナントカ》って」



「ウン! だっテ、あたしが発明シタ《マキナ》だカラネ! 大学の卒業研究デ。ペロペーロ」



「…………………………………………………………………………………は?」

(怪しい。ものすごく怪しい!)


「ア!? ナンだソノ怪しんだ様な顔ハ! 言ったと思うケドあたしのおじいちゃんハ、ダ・ビンチやエジソンと並ぶと称された大天才、『究極(アルティメット)科学者(サイエンティスト)』――『刻任レオン』だヨ! ソノ後継者で『星乃(スター)継承者(サクセサー)』と呼ばれるコノあたしガ、いい加減なモノを創るかってんだヨッ! ガリッ」


 アイス棒をかじりながら、ガードレール上で腰に右手を当ててぷりぷりと怒るイオ。

「わ、分かったよ! 信じるよ、イオ」

「分かればヨロシイッ!」

「でも、そのおじいちゃん――僕の孫は、どうしてそんなに大天才になったの? まさか、僕の遺伝じゃあないよね?」


 再び思案顔になったイオは、口にくわえたアイス棒を上下させ、

「ウ~ン。実はソコがワカンナイんだヨネ。眠っていた遺伝子ガ、ある条件の(もと)で急に発現したのかもしれないシ。デモ、紫音とアノ胸ペタ女のカップリングの演算結果には自信があるヨ! ふたりの遺骨をスキャンして出した結果だカラネ」

「――い、遺骨っ!? まさか僕らのお墓を荒らしたりしたの!? ば、罰当たり!」


 どうやって罰を当てようかと紫音は考える。ここはデコピンとかだろうか?


「おット! “遺髪”の間違いだったヨ! おじいちゃんが持ってたんダ。墓荒らしなんかしてナイゾ!? ちゃんと地球へ行った時ニ、紫音のお墓参りはしてあげたんだカラ!」

「そ、そう。ありがとう……」


 自分のお墓参り。やっぱりヒトはいつかあの世へ行くんだと、リアルに痛感させられる紫音。これまでの短い人生ではそんなコトはまるで考えもせず、のほほんと周囲に流されるまま生きてきたが。

(だったらこれからは、少しでも悔いの残らない様に生きた方が……?)


「アッ! ソウソウ紫音、聞いテ聞いテ! コノ間『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)』に助けてもらった時に採取した髪の毛を《遺伝(ジーン)演算機(カリキュレーター)》にスキャンしテ、紫音の遺伝子データと掛け合わせタラ……、ヤッパリ、爆――イヤ、豊乳なあたしが出来上がったんだヨ!」


 既に食べ終えてしまったアイスの棒をお行儀悪く口にくわえたまま、イオは本当に嬉しそうに、両手でその胸の形を作る。

 その様子を見ていた紫音は、まだ心に何か引っ掛かりを覚えたままだったが、



「そう、良かったねイオ! 君の望みがかなう様に――――僕も頑張るよ」



 イオが、驚いた表情をしてばっと紫音の方を向く。

 そしてガードレールの上から紫音へ向けて――ダイブ!


「紫音! やっとソノ気ニ! 紫音! 大ス……イヤ」


「うわぁっ!? あ、アブな……え!? 何? いだぁっ!」

 かろうじてイオを受け止めた紫音だったが、ヘタレの彼にその勢いは止めきれず、たまらず歩道のアスファルト上に派手に尻餅をついた。

「ナンデモ、ナイヨ……」

 紫音に股がった体勢になったイオは、アイス棒をくわえたまま、何故か横を向いてぼそぼそと呟く。喉でも突いたらどうするんだと紫音は注意しようとしたが、


「あ! そういえば……」

「エッ!? ナ、ナニカナ……?」

「天気予報……。週末あたりに台風が来るかもしれないって。どうしよう? みんなで海へ行く日、延期しようか?」


「……大丈夫。ゼッタイニ、晴れるカラ」


 急に自信満々になったイオは、紫音に股がったまま、そう言い切った。 

「ホントに?」

「ウン、ホントニ」

 にっこりと微笑むイオを見て紫音は、きっとイオは未来の力で、高確率で当たる正確な天気予報が出来るんだろうなどと、安直に考えていた。


「アッ!? アイス当たったヨ紫音! 『ペロペロ君』もう一本ゲットだヨッ!」



 

 ――土曜日の深夜過ぎ。正確には、日曜日の明け方前。


 刻任イオは学校の水着に着替え、自室の大きな窓の前に立った。

 強まってきた風雨が窓を叩く音が、次第に激しさを増していく。


 ふウ、と大きく息を吐き、

(コノ《天候(ウェザー)操作(コントローラ)》の欠点ハ、接近しないと効果が無いコトカナ? 《空間(スペース)跳躍(ジャンプ)》は今の状態だと片道が限界。座標が安定スル、帰りだけだナ。明日の分もあるシ……)

 そしてもう一度大きく深呼吸すると、両手でゆっくりとコードサインを形成し、


「《空乃(エアリアル)(ウインガ)》&《不可視(インヴィジブル)障壁(スクリーン)》!」


(……ココまでしなくてもと少し思うケド、 “ヤツら”に見つかる前に迅速に目的を達成しなくちゃナ! 計画を延期している猶予なんか無いシ)

 その背中に青白く光る四枚の翼を浮遊させた少女は、片手にビニール袋に入れたティッシュペーパー製てるてる坊主を握りしめ、がらっと窓を全開にすると、


「さア! イッくヨーッ!! 待ってろヨ胸のデカいあたしッ!」


 荒れ始めた夜空へ向かって、たったひとり――高く舞い上がった。




 ――当日。快晴。


 集合場所の最寄り駅から電車に乗って、ダッシュで四人がけの席を確保した途端、イオは隣の紫音に寄りかかって、ぐっすりと眠ってしまった。

 まあ、折り合いの悪い双芭さんとといきなり喧嘩し出すよりはいいかと、紫音は諦める。


 イオの服装は、星形のバッジを付けた水色のキャップに、水色と白のボーダー柄のショートタンクトップ。ブルーのデニムのミニスカートからスラリと伸びた脚の先には、水色のビーチサンダル。

 こちらの時代に来てから揃えたカジュアルな服装。それはイオの整った容姿と健康的なキャラクターを十分に引き立て、どこぞのアイドルユニットのメンバーと言われても違和感がない程だった。


「うふっ。イオちゃんと紫音くん、本当に仲がいいんですね?」

 紫音の正面、通路側に座った星崋が、眼を細めて笑う。


 星崋の装いは、ツバの広い帽子に、凝ったフリルで飾られた見るからに上品なワンピース。そのやや短めの丈から伸びた白い脚の先には、涼しげな編み上げのサンダル。

 色彩は全て純白。

 長い黒髪とのコントラストが美しく、見るからに育ちのいいセレブお嬢様の夏のバカンスといった風情。


「ああ、ゴメンね双芭さん。こいつ、興奮して良く眠れなかったらしくて。昨日の夜は、ふたりでてるてる坊主とか作ってたんだけどね」

「えっ? そんなコトしてたんですか? でもそういうの、なんだか楽しそうですね」

「実はオレも昨日作っちまったよ! こんなのいったい何年ぶりかな? しっかし、子供騙しのおまじないなんかじゃなくって、ホントに効いちまったみてーだな?」


 イオの正面、窓際に座った瑠琉奈は、ウェーブのかかった明るい色の髪を珍しくポニーテールにまとめている。

 その真っ赤なキャミソールの肩紐の横には、既に下に着ている水着のものであろう、同じく赤い肩紐が並び、古着のデニムのホットパンツから伸びた長い脚の先には、赤いコサージュ付きのビーチサンダル。

 いつもは全く女っけのないラフな服装の彼女だが、今日はかなり頑張った。生まれて初めて、鏡の前に三十分以上立った。


 でも実はキャミソールもホットパンツも、いつものごとく近所のお姉さんのお下がり。

 サンダルも千円未満のセール品という超安物ファッションではあったが、瑠琉奈のその日本人離れしたスタイルと凛とした雰囲気はそれを全く感じさせず、元来の女性らしい容姿によく似合っていた。こちらの方も、どこぞのグラビアモデルと見間違えんばかり。


「台風が急に進路を変えて、しかもすぐに衰えちゃうなんてね。ホントにてるてる坊主おかげか、もしくは僕らの日頃の行いが良かったのかな?」

「あはは! でも逆に天気が良過ぎて、真っ黒になっちまわねえ様に気を付けねえとな!」

「うふふ。そうですね」

 そう微笑みながら、星崋はさりげなく紫音の方を向く。


(やっぱり……紫音くんの眼は他の男のヒトと違って、怖くありません)


 しかし星崋は、とある決心をしていた。そしてチラリと隣に座った親友に視線を移し、

(瑠琉奈さんにとって。紫音くんが本当に『運命のヒト』であるかどうかは、まだ判りません。でもこんな瑠琉奈さんは、初めてです。男のヒト相手に、こんなに楽しそうに話す瑠琉奈さんは。もう彼女は、『鋼鉄』なんかではありません。それに――)

 今度は、向いの席で寝息を立てている少女を眺め、

(紫音くんの双子の妹さんも、どうやらそれを欲している様ですから。彼女は、わたくしよりも瑠琉奈さんの方がお兄さんに相応しい、と判断したのでしょう。そしてそれは正しいと思います。瑠琉奈さんは、素晴らしいヒトです。優しくって、強くって、恰好よくって、綺麗で……。そう。わたくしは瑠琉奈さんの為に、自分の“想い”を捨てて――――)


「……ムニャ。モウ紫音……」


 いつのまにか紫音の膝枕体勢になっていたイオの、突然の寝言。

 その時瑠琉奈は、星崋から聞いたある言葉を思い出していた。

(そういえば、シオンがイオのむ、胸を触ってたって……? コイツらまさか、ホントに双子の兄妹どうしで、で、デキ……!? 以下略)

 瑠琉奈が怪しい妄想に入ろうかという瞬間、


「……ソノ娘と早ク、くっついちゃえヨ……」


(え!? “ソノ娘”って!? も、もしかして、オ、オレのコトか……?)

 瑠琉奈は頬が赤くなるのを必死に堪える。


 ちなみに紫音の服装は、地味なグレーのTシャツに短パン。以上。


 そうして四人それぞれの思惑を乗せた電車は、間もなく海岸近くの駅へと到着した。




 ――ヤベえ。


(ヤバすぎる! オレの隣のふたりが、かっ、かかかカワイ過ぎるうッ! どちらも甲乙つけがてえ。もう、鼻血が出ちまいそうだ……ッ!)


 着替えを終えた海の家の更衣室前。

 まるで思春期に突入したばかりの男子中学生よろしく悩んでいるのは、紫音ではない。

 それは“中身が男”である、ひとりの女の子だった。



 先週。テスト勉強の合間に、水着を買う為に星崋とショッピングモールへ行った時。

 育ちのいいお嬢様である星崋が、意外にもかなり大胆な水着ばかりを選んで試着するので、瑠琉奈は心底ビックリした。


(オマエ、そ、そそそんなヒモみてーなキワドいの着たら、み、見えちまうぞ……ッ!?)


 幸い(?)試着は下着の上からだったのでセーフだったが、瑠琉奈はもうその姿をほとんど直視出来なかった。

 でも、そんな星崋に影響されたのか。間違っても対抗しようとは思わなかったハズだが、


(結局オレは、ケッコウ派手なヤツを選んじまった。ソレ、ワゴンセールで安かったし。そう、安かったし。サイズも、他に無かったしッ!)


 気付けば、星崋は最後には布地が多めなマトモなモノを選んでいて、瑠琉奈は心底? ホッとした。

(そうだよな。オマエはそんなキャラじゃないよな! 純情可憐なお嬢様だよな、ふう)



 ――しかし。

 こうして夏の陽光にさらされた星崋の水着姿は。


 白い。白すぎる。


 白い水着は着る者を選ぶというが、その純白のビキニのトップと腰に巻かれたパレオは、まるで星崋のスリムで整った清楚なボディラインの為にデザインされたかの様に、よく似合っていた。

 その肌の色も。まるで生まれて初めて陽に当たるかのような、透き通る様な、白。

 誰もその心を融かすコトが出来ないから、この娘は『氷の星崋』なんて呼ばれているが……、その肌の白さは、まるで本当に雪の結晶のようだ。

 そして、黒く輝く長い髪は左右に束ねられ、その白い肢体と美しい対比を見せている。


(ん? まさか……)

「星崋、オマエもしかして海へ泳ぎに来るの、初めてか?」

「はい、ええと、日本の海では初めてです。海外で、数回だけ」

 少し恥ずかしそうに、その身をよじる星崋。


(学校のプール授業は全部日陰で見学していたらしいし、どうりで白いハズだ。こんな綺麗な肌を、陽に焼いちまってイイのか? そうだ、すぐに日焼け止めローションを塗ってやらなくっちゃな。……ん? 誰が? ………………オレ!?)

 そこで瑠琉奈はぶんぶんと首を振って妄想を追い払い、慌てて反対方向を向く。


 ――そこには。


 星の様にきらきらとした明るい魅力を振りまく、天使の様にキュートなもうひとりの少女がいた。


 大小の白い星柄の入った薄いブルーのビキニが、均整の取れた健康的なプロポーションに良く似合っていて――その胸の膨らみは星崋と全く同様に控えめだが、それでも美しい緩やかな稜線を描いている。


(オレは、オレみたいなバカデカいのより、これ位の方が好み……いや、何でもねえ! なんか、ヌイグルミなんかひとっつも持ってねえオレでさえ、ぎゅ~っと抱き締めたい様な衝動に駆られちまう! オ、オレもこんな妹欲し…………おっと)


「すっげーナ!? ルルナのスタイル! あたしはモウ、感動しちゃったヨ!」

「そ……、そうか?」


 イオはイオで、想像を遥かに超えた瑠琉奈の衝撃的プロポーションに眼を輝かせていた。


 ただ胸が巨大なだけではなく。信じられない程に細くくびれた腰と、長く伸びた美脚が生み出す魅惑のボディライン。

 もう一介の高校生レベルを遥かに超越し、そこらのグラビアアイドルでさえ文字通り裸足で逃げ出すんじゃないかというくらいの、神の領域の造形美。

 そしてその奇跡の芸術品を包み込むのは、少々キワどい、燃える様な赤色のビキニ。


(コレはモウ! いかに不感症な紫音といえどモ、普通じゃいられないに違いナイッ!)


「ネエ紫音ッ! ルルナのスタイル、すっげーヨナ!? ……ッテ、ナニ上に着てんノ?」

 紫音は、地味な紺色の海パンと……、上にグレーの半袖ラッシュガードを着ていた。

「ナニって……日焼けするのイヤだし。紫外線はお肌の敵でしょ? それに上半身でも裸はちょっと恥ずかしいし……」

「『女子』かヨッ!? オマエハッ!!」

「まあ、いいじゃねえか。実際、今日は日差しが強烈だし。それにその方が、男の裸を見た星崋が怖がらなくって済むからな」

「わ、わたくしなら、大丈夫です……よ?」


 星崋はその後に、『紫音くんなら……』と続けようとして、止めた。

 せっかく親友を応援すると決めたのに、自分が紫音の気を引く様な事を言って邪魔をしてしまっては、元も子も無い。

「そう、瑠琉奈さん。わたくしの背中に、日焼け止めを塗って下さいね?」

「えぇッ!? や、やっぱオレが塗るのか?」


「はい。そして瑠琉奈さんの背中は……紫音くん、塗ってあげて下さいね?」


「ええぇッ!? シオンが、オ、オレの……ッ」

「オオ!? ソレはイイ考えだナ! 塗っちゃえヨ紫音。塗っちゃえ塗っちゃエ! モウ、ベットベトニッ」

「え? 別に、いいけど……」

 旧世紀であったなら。セクシーダイナマイトバデーと評されたであろう瑠琉奈の肢体を眼前にしても、紫音はあっさりとそう答えたが――


「ねえねえキミたちー! なんなら俺らが四人とも塗ってあげるよー?」

「そうそう! エンリョしなくていいって!」

「キミら全員メッチャレベル高いねー!? そっちのふたりは双子? どっから来たの? まさか高校生?」


 見るからにチャラいナンパ野郎ども、その三が現れた。人数は、三人。


 駅からココに来るまでの僅かな間に、既に二組に声を掛けられていた紫音たち。

 どちらも直ぐにお断りしたが、自分がまたしても女の子に間違われている事実に紫音は軽いショックを覚えた。しかも今回は、水着になっているのにも拘らず。


「あのー。僕、一応男なんだけど……」

「ん? マジかッ!? どうりでひとりだけ色気の無えカッコウだと思ったぜ!」

「チェッ、まあイイや。キミらさー、一緒に楽しく遊ぼうよ? お兄さんたちとさー」

 男性恐怖症の星崋は、瑠琉奈に寄り添ってがたがたと震えている。

「オイ、オマエら。 残念ながらコッチは間に合ってんだよ。悪いが他を当たりな」

 瑠琉奈が毅然とした態度でそう答える。前の二組は、あっさりそれで引き下がった。


 しかし――

「えー? まさかキミらこんなヤツひとりで満足してんの? それはナイっしょ?」

「そうそう、こんな地味なギャル男君ほっといてさー、俺らとビーチバレーでもしない? ドキドキハプニング満載のさー」

 今回は、しつこかった。

 ふと紫音が気付くと、イオが何やらコードサインを形成しようとしているではないか。


(ちょっとイオ! ここではマズいって!)

(エー!? ナンでだヨー? コイツラコノ時代風に言うト、“ウザい”ってヤツダロ?)

(そうだけどさ、こんな人の多いトコで《マキナ》を使っちゃったら、色々面倒でしょ?)

(ムー……。じゃア紫音、カッコ良くアイツラ追っ払えヨ! ルルナの前デ!)

 そうしたいのはヤマヤマだが、なんせ彼はヘタレ。返り討ちに遭うパターンが濃厚だ。

 その時、


「…………ひうっ」


 ナンパ師のうちの一人が、怯える星崋の腕を無理矢理掴んだ。

「ねえキミさー、そんなに怖がんないでよ? 俺らとっても優しいよー?」

「――ちょ、ちょっとっ!」

 思わずそう叫んだ紫音が前に出ようとした瞬間――


「……オマエらの相手は、オレがひとりでしてやんよ」


 眼光に鋭さを増した萌木瑠琉奈が、ナンパ師の腕を振り払いその前に立ち塞がる。

「おおっとー!? やっとその気になったの? 男しゃべりの巨乳ちゃん?」

「どうやってお相手してくれんの? スイカ割り? どんな味がすんのかな? そのスイカ二つ! ギャハハハハ!」

「……『鋼鉄』」

「……はぁ?」


「オレの拳は『鋼鉄』で出来てんだよッ! コレでも喰らいやがれッ!!」




――数分後。


「……どうだ? どんな味がすんだ? オマエらの口ん中」

「ひゃ、ひゃい。血の……『鉄』の味がしみゃふ」

「正解だ、よく出来たな! 補習は終わりだ、もう帰っていいぞ? ……まあ、自力でソコから出られたらの話だケドな」

「しょ……しょんな……」


 身体は砂に埋められ、その無惨にボコられた顔だけ上に出た状態のナンパ師二人。

 一人は、瑠琉奈様のビーチサンダルにぐりぐりと顔面を踏みつけられている。

 もう一人は、喜んで埋めるのを手伝っていたイオに、星柄のスコップでつんつんと頬を突かれている。残りの一人は逃走した模様。

 これが逆だったら警察に通報沙汰だが、女の子ひとりにナンパ野郎どもが一方的にやられていたので、周りのギャラリーは遠巻きに見ていただけ。


「強いなルルナ! カッコイーヨ!」

「ありがとうございます、瑠琉奈さん! 助かりました!」

「おう! まあ、コッチに被害が無くて良かったな。さて…………あ」


 ぱんぱんと手を払った瑠琉奈は、ひとりぽかんと口を開けている紫音に気付いた。

(……ま、またやっちまった……ッ!? ついカッとなって、やり過ぎちまった! これじゃあいくらカワイイ水着を着ていても、“女の子らしい”とは思ってもらえねえ……ッ!)


「あ、あははははは! ココはなんだか景色が悪くなっちまったな! もっとあっちの方へ行こうぜ、あっち――」




「カンナたちの出る幕は、またありませんでしたねっ? 長月(ながつき)お姉さまっ」


 海開き以来初めての晴天に恵まれ、そこそこに賑わっているビーチの一角。

 紫音たち一行から百メートル程離れて立つ、黒い水着とサングラスに身を包んだ、双眼鏡を持ったふたり組。

 小学校高学年くらいに見える、片側でツインテールというちょっと不思議な髪型の小さな女の子が、もうひとりの長身の、後ろで縛った黒髪にハチマキの様な白いバンダナをした大人の女性に向かって話しかけている。


「……そうね、神無月(かんなづき)。出番が無くて何より。私たち『星崋団』の使命は、人知れず星崋お嬢さまを見守るコト。お嬢さま自身も、今日も出て来ない様にとおっしゃられていたし、せっかくのご学友たちとの楽しいひと時を、邪魔するのは無粋」


「えーっ!? 一応カンナだって“ご学友”なのにっ。お嬢さま専用SPであるカンナたち『星崋団』を、お嬢さまは内緒にしたがってますけどっ……。でもあの男性嫌いな星崋お嬢さまが、人の多い日本のビーチで水着姿をお晒しになるなんて、カンナ信じられないですっ! やっぱりもしかして、紫音っちのことが好きだったりするのかなっキャーッ! あの時はひっぱたいて断ってましたけどっ」

「……どうでしょうね。私たちには、真意をお話しにはなりませんが……」

「学校では『あの事件』以来、ちょっと紫音っちと話しづらそうにしてたけどっ。でもホントにそうだったら、今日はカンナ、お嬢さまを応援したいですっ!」


「……神無月。お嬢さまが何もするなとおっしゃられているのだから、今回も私たちは何もしないのですよ? いつもの通り」


「は~いっ、ちゅまんないのっ。……ところでコレ――このクズ野郎、どうしますっ?」


 その幼い体型をした右側ツインテール娘の足下には。瑠琉奈の攻撃から逃げて来たもう一人のナンパ師が、無惨に痛めつけられて転がっていた。

「ひ、ヒデえ……。な、なんで……?」


 ゴッ! 無情な足裏の一撃。


「黙りやがれ、ですよっ? この燃えないゴミ野郎」

「……顔だけ出して埋葬」

「了解ですっ♪ お姉さまっ!」




(ハアハア。お、落ち着けオレッ! 今はただ、女の子同士で日焼け止めを塗っているだけだッ!)


 波打ち際から少し離れて、ビーチパラソルを立てて陣取った紫音たち。

 ビーチ中の男たちの視線は、三人の少女に集中している。

 しかし先ほどの騒動を見ていたのか、もう彼女たちに声をかける(やから)はいない。


 瑠琉奈はしゃがんだ星崋の首筋から肩、背中にかけて、たっぷり塗ったウォータープルーフの日焼け止めローションを手の平で滑らせていた。

 その隣では、同様に紫音がイオの背中に日焼け止めを塗っている。


「早くしてヨ紫音! 早く海に入りギャハハハハハハーッ!? くッ、くすぐっタッ!」

「ちょっとイオ、動かないでよ! 上手く塗れないから」

「ソ、ソンなコト言ったってギャハッ!? ソ、ソノ絶妙な指の動き止めギャハハーッ!」


(……なんだか、とっても楽しそうだな)

 瑠琉奈は隣のイオたちから、眼の前にある星崋の後ろ姿に視線を移す。

 細い首筋から華奢な肩にかけてのラインが、とても繊細で綺麗だ。

 瑠琉奈は、その長い指を星崋の肩甲骨の辺りから、細くくびれた腰の方へと滑らす。

 その白すぎる肌は、絹のように滑らかで……。


「………………んっ」


 星崋が、くすぐったそうに小さく吐息を漏らした。

(――ヤ、ヤベえええぇぇ……ッ!? も、もう限界だオレッ! ハアハアハアッ)

「星崋、ヘ、ヘンな声出すなよな! も、もう塗り終わったから、次はオレに……」

「ありがとうございます! ……うふっ。瑠琉奈さんは、さっきわたくしが言いましたとおり、紫音くんに塗ってもらって下さいね?」

「マッ、マジか……ッ?」


 隣でも丁度ローションを塗り終えた様で、さっそくイオが大はしゃぎしながら海へ向かって特攻。そしてすぐに波に飲まれて自分で大笑いしている。

「アハハ! オーイ誰カー! 胸ペ……セイカ! コッチ来いヨー!」

「じゃあ瑠琉奈さん。頑張って、下さいね?」

「え? な、何を……ッ? ちょっと待……ッ」

 その問いに答える間もなく、星崋はビーチボールを抱えて行ってしまった。


「「…………」」


 隣同士に座った紫音と瑠琉奈の間に訪れる、短い沈黙。

 そして中身が男の女の子は、勇気を振り絞る。


「お、おいシオン……ッ! す、すまねえが、オレの背中……、塗ってくれるか?」

「う、うん。もちろん、いいよ」

(えーっと? 女が男にローションを塗ってもらう時って……、たたたたしか、こうするんだっけ?)


 激しくテンパった瑠琉奈は、いつかテレビで観た洋画のヒロインの様にビーチマット上にうつ伏せになると……、なんと自分で赤いビキニの背中のヒモを、しゅるりとほどいた。

 はらりと落ちたビキニのトップがマットに広がり――その横からは、体重に押しつぶされた、とてつもないボリュームを持ったモノの側面が見える。


 普通の正常な男子なら、一発KO間違い無しのとんでもない絶景。

 紫音はおずおずと、『鋼鉄の瑠琉奈』と謳われた難攻不落な筈の美少女の柔肌に、たっぷりとローションを塗った手を伸ばす。


「………………んッ」


 とても瑠琉奈が発したとは思えない可愛らしい声と共に、その背中がぴくっと震える。


 そして、刻任紫音は思考する。


(………………? な、何だろう? この、未知の感覚は、いったい…………?)


「な、なあシオン。 ナンか喋ってくれよ。き、気まずいじゃねえかッ」

 うつ伏せのままの瑠琉奈が、そんな事を囁く。

「あっ! さ、さっきはありがとう、ルルナさん。……ゴメン、ホントは僕が追い払わなくちゃいけなかったのに」

「そんなコトねえよ。オマエはそういうの苦手だろ? ああいうコトはオレに任せとけよ。まあ、ちょっとやり過ぎちまったケドな、あはははは! …………え、と。それでな、その、他に、何か、言うコトは、ねーのか? ホラ、その、例えばだな……」


 萌木瑠琉奈は思考する。


 ――矛盾している。


 今まで、男どもに自分の体型を見られるのが、イヤでしょうがなかった。

 神さまが間違えて女の身体に男の心を入れてしまったと思っている瑠琉奈にとって、その視線は同性からのモノみたいで、気持ち悪くってしょうがない。

(じゃあ何でオレは、こんなにキワドめの水着を買って、着ちまってるんだ? それとも――誰か特定の、見て欲しいヤツでもいるのか? 見て、何かを言って欲しいのか? コレがもしかして“女ゴコロ”ってヤツなのか!?)


 そう、ソイツは。

 さっきから自分の身体を見ても、いや、こうして直に触れていても、何の反応も無い。

 ソイツは――


「そう、ルルナさん。こ、この赤い水着……、とっても似合ってるよね」


 ――キ!? 

「ルルナさんって、本当に――」


(キタ――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!?)




「ナア、セイカ!」

「何ですか? イオさん」

「海が青いナ!」

「そうですね。日本の海も、とても綺麗ですね」


 紫音から星崋への告白を、突然イオが登場してブチ壊して以来。

 ずっと冷戦状態が続いていたこのふたりが会話をするのは、極めて珍しかった。

 しかし今日は。一緒に海へ遊びに来て、一緒に腰まで水に浸かってビーチボールで遊んでいると、ふたりはとても仲のいい友達、もしくは家族の様に見えた。


 それもその筈。

 現時点での星崋とイオの関係は、紫音とイオの関係同様――先祖と、その子孫。

 満面の笑みでボールを打つ子孫のイオと、微笑みながらそれを返す先祖の星崋。


「ナア、セイカ!」

「何ですか? イオさん」

「空も蒼いナ!」

「うふっ、そうですね。いいお天気になって、本当に良かったですね」

「ナア、セイカ!」

「何ですか? イオさん」

「楽しいナ!」

「うふふっ、そうですね。わたくしも、とっても楽しいです」

「ナア、セイカ!」

「何ですか? イオさん」



「――モウ紫音のコトハ、スッパリ諦めたのカヨ?」



「……………………!」

 いきなり真顔になって本題に入ったイオ。

 動揺を隠せず、後ろへ逸らしたビーチボールを取りに行きながら、双芭星崋は思考する。

(……大丈夫。だってわたくしは、瑠琉奈さんを応援すると決めたのだから。ただそれを、伝えるだけ)


「オマエ、さっきルルナをそそのかす様なコト言ってたケド、ソレでイイのカヨ?」

「いいんです! だって、だって紫音くんは……」

「……紫音ハ?」

「わたくしの、ただの……“お友達”だし、それに」

「……ソレニ?」

「瑠琉奈さんは、強くて、優しくって、きっと紫音くんに……相応しくって、それに」

「……ソレニ?」



「瑠琉奈さんは多分、紫音くんのこと――――――好きだから」



 少しの間。イオはじっと星崋を見つめていたが……、やがてにっと笑うと、

「ソウカ! オマエもソウ思うよナ! だったら話が早いヨ! 紫音もルルナのコト気に入ってるみたいだシ、あたしたちでアノふたりをサッサとくっつけちゃおーヨ! ……ッテ、オオォッ!? アイツラ、あっという間にあんなに仲良ク!?」

「…………!?」




「――カッコイイよね」


「………………」

 紫音の台詞は、瑠琉奈の台本とは少し、違っていた。

(……微妙だなオイ。普通女の子の容姿を褒める時って、『可愛いね』とか『綺麗だね』じゃねえのか? まあ褒められねえよりマシだケド、やっぱりオレはただ胸がデケーだけで、女らしさとか色気みてーなモンが足りねえのか? まだまだ修行が足りねえな……)


 萌木瑠琉奈は、自分が醸し出しているとんでもないフェロモンの分泌量に、まだ気付いてはいない。ただ胸がバカデカいだけだ、と本気で思い込んでいる。

「まあ、アリガトな。それよりシオン、その、なんだ……」

(そう。今まで必死にガマンしてきたケド、ちょっともう限界だ。今日はもう既にイロイロ限界だなオイ)


「そ、その指の動き止め……ひゃッ!? ひゃははははッ! く、くすぐった……あああぁぁッ!? そ、そそそソコはダメだッ! ソコは自分で塗るからひううぅッ!」


 無自覚なままに、太ももの内側にまで手を伸ばしていた紫音。

「あ。ゴメン。じゃあもう、塗り終わったよ」

「ワザとか!? ワザとやってんのかオマエ!?」

「ち、違うよっ!? だって何処までが“OKゾーン”なのか、分かんなくって」

「そ、それはだな。ココからココまでが……って、違う! あのな、オレたちは逢って間もないし、何よりまだ高校生だ! こんな会話自体アウトだろッ!?」


 危うくそのまま起き上がろうとする瑠琉奈。

「ちょっと待ってルルナさんっ! 上の水着のヒモ、してないよ!」

「うあ!? あッ、アッブねー……。悪いシオン、む、結んでくれ……」

「う、うん……」

 いそいそと紫音がヒモを結んであげると、瑠琉奈は起き上がってうっすらと微笑む。


「さて、シオン。次はオマエの番だからな。うつ伏せになりやがれ」

「え? 僕にも塗るの? 上、着てるけど……」

 そう言いながらも渋々と横になる従順な紫音に、がばっと馬乗りになる瑠琉奈。


「よーし、イイ子だ……。さあ! このオレの受けた快、いや苦しみをとくと味わいやがれッ! オラオラオラオラァ――――ッ! こちょこちょこちょこちょ――――ッ!」

「ギャハハハハハハハ――――――っ!? ちょ、ちょっとストップ! や、止めて、し、死ぬ―――っ!」

「アハハハ!! ココか? ココがオマエの“KOゾーン”か? アハハハハハハーッ!」

「な、なに? “KOゾーン”って!? やっ、止め……ウギャ―――――――――っ!!」


 あえなく瑠琉奈にKOされるまで、くすぐりまくられた紫音が正気を取り戻した後。四人は揃って海へ入り、一緒に遊んだ。




 そして昼食タイム。星崋が用意してくれたお弁当をいただく紫音たち。


「ム……。コノサンドイッチ、形はヘンだケド美味しいナ」

「ほんとだ! すごく美味しいよ」

「……やるな星崋。流石だぜ、オマエ何でも出来るんだな!」

「うふっ、ありがとうございます。まだまだありますよ?」


 しかし紫音がふと気付くと。星崋の左手の指には、肌色のバンソーコーが三カ所。

「あれ? 双芭さん、その指の怪我って……?」

「こ、これは違いますっ! ちょっと紙の端で切っただけで……」

(……ムムム!? セイカのヤツ、ルルナを応援スルと言っときなガラ! ムダにポイント稼いじゃってるゾ!?)

 微妙に焦ったイオは、強引に話題を変える。


「なア、ミンナ! お弁当食べ終わったラ、アソコの島まで行ってみよーヨ!」

「あそこは……レンタルボートじゃないと行けねえんじゃねーか?」

「レンタルボート? ソレ、動力付いてんのカ?」




「あ、暑いですねっ、長月お姉さまっ……」


 黒い水着姿の星崋団のふたりは、紫音たちからかなり離れて手漕ぎレンタルボートを漕いでいた。

「……そうね、神無月。でも目立ってはいけないから、自家用ボートやジェットスキーは使えないのですよ?」

「むぐぐ、仕方がありませんねっ。……でも、星崋お嬢さまの手作りお弁当は好評だったみたいで、良かったですねっ? さすがはカンナたちのお嬢さまっ♪」

「……料理などされた事のないお嬢さまが突然お弁当を作りたいと言われ、いきなり包丁で指を怪我された時はどうなる事かと心配しましたが。……それにしても」

「どうかされましたっ? お姉さまっ」


「……何か周囲に不穏な気配を感じるのですが、気のせいでしょうか?」


「カンナには感じられませんがっ? シュノーケリング中の他の海水浴客ではっ? それともサメっ!? カンナが捕獲して今夜のフカヒレスープに……」

「……いえ、魚類の気配では……。それはそうと神無月、もっと気合いを入れて漕ぎなさい。お嬢さまたちと離れすぎてしまいますよ?」

「お、鬼ですかお姉さまっ!? ていうか、代わって下さいよっ!」

「……却下」

「痩せますよっ?」


「……一時交代」




「あ、暑いね、ルルナさん……」


「そーだな、シオン。ちょっと休憩すっか? 星崋たちのボートとも離れちまうし」

「うん。そうしようか……」

 汗だくの紫音と、少し暑そうにしてはいるものの、わりと平然としている瑠琉奈。しかも今ボートを漕いでいるのは、瑠琉奈の方。

 イオたちの計らいで瑠琉奈とペアになった紫音は、一応男だからと最初にボートを漕ぎ始めたが、残念ながらヘタレにつき、ものの三、四分であえなくダウンしていた。


「あの島、意外と遠いね。でもあと三分の一くらいかな?」

「そんなモンか。……おう、こうすっと涼しくて、気持ちイーぜ?」

 FRP製ボートの縁に両脚を掛けて、子供の様に水面をバチャバチャとやる瑠琉奈。その隣に座った紫音もそれに倣う。

「ホントだ! 生き返るね」

 年寄りみたいな台詞を吐いた少年の顔がすぐ近くにある事実に気付き、瑠琉奈は、

「な、なあシオン。さっきオレのこと……、『カッコイイ』っつたよな?」 

「う、うん。言ったけど?」


「やっぱオレって……、その……、“女の子”らしくねーのかな?」


「…………?」

 紫音には、何故瑠琉奈がそんな事を訊くのか、すぐには理解出来なかった。

 目の前で。明るく柔らかい髪を持つ、完璧なプロポーションをした、どこからどう見てもド派手な容姿をした美少女が、不安そうに上目遣いでこちらを見ている。


 背は自分より少し高いのに、何故か座高は自分と同じ位で、その上半身をこちらに捻りながら少し屈め……そんな体勢で生ずる胸の谷間は、まるでマリアナ海溝の様に深かった。

 紫音が否定の言葉を発するより先に――瑠琉奈が、今度は眼前に広がる大海原を見つめながら、滔々と語り出した。


「オレってほら――乱暴だし、ガサツだし、デリカシーねえし、態度デケーし、気が利かねーし、ファッションとか疎いし、言葉遣い変だし、声も低いし、頭も悪い……あ、コレはあまりカンケーねえか」

 ここで紫音は、この娘がどちらかというと彼女の内面の話をしていると理解し、黙って話を聞き続けた。


「オレさ……なんか、神さまが間違えて女のカラダに男のココロを入れちまったみてーなんだ。ホント、オレの中身は男みてーだ。ガキの頃は、男友達と男の子のする様な遊びばっかりしてた。でも胸がこんなになっちまってからは、周りの男どもはオレを“女”だと認識して、一緒に遊べなくなった。それどころか親友だと思ってたヤツに、こ、告白されちまったりもした。でも、オレのココロは“男”だから。ソイツらと付き合うワケにはいかねーし、正直、気持ちが悪かったんだ」

 瑠琉奈の少し垂れた瞳が、寂しそうに細められる。


「それにさ……ソイツらはオレの胸――カラダを見て“女”だと認識しているだけで、誰もオレの内面――ココロなんて、見てくれやしなかった」




「あ、暑いナ、セイカ……」


「うふ。そうですね、イオさん。日陰に入りますか?」

 ぎこぎことボートを漕ぐイオ。折り畳み式の白い日傘をイオに近づけ、微笑む星崋。


「……ソンナにくっついタラ、漕げないダロ?」

「そうですね。それでは、そろそろわたくしと代わりましょうか?」

 そう言って星崋は、おそらく生まれてこのかたボートなんて漕いだ事が無いであろう、白魚の様に華奢なその手を差し出した。


「漕ぎたいのナラ、代わってやるヨ?」

「はい、やってみたいです! 楽しそうですね? ……んしょ、こんな感じですか?」

 イオに日傘を手渡し、場所を代わって、星崋は不器用な感じでオールを操作し始めた。

「違うヨ! オールの回転方向が逆ダロ? ソレだと反対に進んじゃうゾ?」

「うふふ。本当ですね。……んしょ、んしょ、ああ、こっちですね?」

 指の怪我を気にもせず、にこにこしながらボートを漕ぐ星崋を眺め、イオは回想する。


 これまで一度だけ、イオはこんな感じで手漕ぎのボートに乗った事があった。


 何の動力も無しにただ人力で動くプリミティヴなボートが、逆にとても新鮮だったのを覚えている。

 それは、隣のコロニーにあったアミューズメントパーク内の、大きな池で。

 まだその頃には居た家族と、一緒に。

 目の前にいる星崋の姿と、その頃の幼かった自分の姿が、重なる。


(現時点ではマダコノ胸ペタ女ハ、血の繋がった自分ノ、先――)


 そこまで思考して、イオはぶんぶんと首を振る。

(マズイッ!? コノままだと情が移っちゃうゾ。目的達成の為ニ、非情に徹しなけれバ!)


「どうしたんですか? イオさん?」

「ナ、ナンでもナイヨ! 漕ぐノ、段々マシになってきたナ!」

「うふっ。ありがとうございます。ちょっと力がいるけど、とっても楽しいですね」

「ソウカ。ソレは良かったナ」

「……ねえ、イオさん」

「ナンダ? セイカ」


「わたくしと、その、お友達になって頂けませんか?」




(……ノンビリボート遊ビトハ、イイ気ナモンダニャ? 『星乃(スター)継承者(サクセサー)』)


 その陽炎の様な黒い影は、水中でそう呟いた。


(デモ、《天候(ウェザー)操作(コントローラ)》デ台風マデ打チ消スナンテ、サスガッテトコカニャー? “アノ方”ノ指令ハ、『ホシノ集結ヲ待テ』ダケド、タダ監視シテルノモツマンナイニャー……。ニャハッ! 退屈シノギニ、チョットチョッカイ出シチャオッカニャ~?)




「――そうして、全ての男どもをはね除け続けて来たオレは……、『鋼鉄の瑠琉奈』とか呼ばれる様になっちまった」


 瑠琉奈の激白に対し、紫音は何と答えて良いのか、最初は言葉が見つからなかった。

 しかし、自分の中身は実は女なんじゃないかと考えた事もある紫音にとって、それは単なる人ごととは思えなかった。

「でもな。そんな風に呼ばれたまま、大人しくしているオレじゃあねえ。そんなのは性に合わねえ! だからオレは、決めたんだ。そんな呪縛から、自分自身を解き放つ為に――」

 何故か瑠琉奈は、そこで少し顔を赤らめ、



「中身も“女の子”になってやろうって――決めたんだ」



 赤い顔で俯いている瑠琉奈の仕草は、最高に女の子っぽかった。紫音は何か感じるところがあったらしく、じっと瑠琉奈を見つめている。

「こ、これでもオレ、色々努力してんだぜ? 近所のお姉さんに色々教わったり、服を貰ったり、女の子らしい言葉遣いと仕草になる為に、薦められたバイトを始めたり……」

「へえ、どんなバイトを始めたの?」

 訊きやすい話題になり、紫音は口を開いた。


「え、とだな……、ウェイトレスだよ、ウェイトレス! ただのカフェの! 隣町の駅前の『メイド・イン・ジャパン』っていう…………。あ! こ、来なくていいからなッ! ていうか、来ちゃダメだッ、絶対にダメだッ!」


 どうやら瑠琉奈は隠し事が苦手らしい。『メイド・イン・ジャパン』なんて店の名前、家電ショップでも無ければ、とある趣向のカフェに決まっている。

「あ、あはははは。ちょっと見てみたい気もするけど、多分高校生には行きにくそうなトコっぽいし。大丈夫、行かないよ。……圭にでも誘われない限り」

「――! そ、それはヤメろッ! アイツにだけはゼッタイに教えんなよ!? いいか!? ゼッタイにだッ!」


 逆上した瑠琉奈に首を絞められかけ、

「わ、分かったよ! 冗談だよ、げほっ! そう、それで時々女の子らしい口調になったりするんだね? この間、お辞儀した時みたいに」

「おう、そうだ……いや、はい、そうです。わ、わたし、少しは女の子らしく……、なれたのかしら?」

 腰を捻った状態で、再び紫音を上目遣いで見つめる瑠琉奈。並の男なら撃沈必至。

 はたして、紫音は――




「――わたくし、同い歳の方々とこんなに楽しく過ごすのは、生まれて、初めてです」


 ゆっくりとオールを回転させながら――星崋は滔々と語り始めた。

「幼い頃から、わたくしは男の人が怖くて仕方ありませんでした。後をつけられたり、連れ去られそうになったり。そして、その眼が恐ろしくて……。ですからわたくしは、男の方とお出掛けしたり、ましてや公衆の面前で水着になるというコトが出来ずに、今日まで内に籠って生きて参りました。そうして、全ての男のヒトを受け付けないわたくしは――いつしか、『氷の星崋』と呼ばれる様になりました」

「…………」


 黙って話を聞いているイオに、星崋はその黒眼の大きい、神秘的な瞳を向ける。

「でも今日、こうして思い切ってこの姿でみなさんと過ごして……、正直まだちょっと、知らない男の人からの視線は怖いですけど……、それ以上に、とっても楽しくって――何か少し呪縛から解放された様な、そんな気がします」


 星崋は、微笑む。


「それも、今日一緒にここへ来るコトを許してくれた、イオさんのおかげです。本当にありがとうございます、イオさん。ですから、ですからわたくしと――」



「お断りダ」



「え……っ?」

 あまりにキッパリとした否定の返事に、きょとんとする星崋。


「ダレガ、オマエみたいな胸ペタひんぬー女とトモダチなんかニ!」 

「ご、ごめんなさい……っ! だ、駄目……、です、か?」

「ソウだヨ! ソモソモあたし達の共通目的ハ、アノふたりをくっつけちゃうコトダロ?」

「え? ええ、そうです、ね」

「だったラ、ナンでオマエが手作りお弁当とかで紫音のポイント稼いじゃってるんだヨ!?」

「あ、あれはそんなつもりじゃ……! ただ皆さんに、楽しんで頂きたくって」

「ソノ上マサカ、『紫音くんっ♡ 泳げないので教えて下さいっ♪』ナーンテ言い出すんじゃナイのカーッ!?」

「や、やっぱり……、それは駄目、ですよね?」


 我ながら小さなコトを言っていると、イオは思う。しかし、

「トニカク! トモダチになる云々は目的達成のアトダ!」

「は、はい!」

 何故なら。


 目的達成までは、まだ血が繋がっている先祖なのだから。そして、その後は――


「見ろよヨ、セイカ! アノふたりはもう一歩だゾ! ヨーシ、アノボートをひっくり返しテ、『窮地に陥ったふたりはお互いを助け合ってゴールイン☆大作戦』開始――ッ!」

 突如、ざっぶーんと海へダイブしたイオ。


「――っ! イオさん!?」




「る、ルルナさん。心配しなくてもルルナさんは最初っから、とても女の子らしいよ。……そう、と、とても――綺麗だ、よ」


「――え?」

 瑠琉奈の頭の中が、真っ白になった。


「き、『綺麗』っつったか今!? そ、そんなコト……オ、オレはただ、胸が人よりデケーだけ、じゃあねえのか? そんなコト……ッ」

「胸だけじゃないよ。顔も、身体も、髪の毛も。全てが女の子らしくって、き、綺麗だよ」

「あ………………………………」


 感無量。


(うああああ。遂に、『カッコイイ』じゃなくって、『綺麗』って言われちまった! ちゃんと、シオンに。バイトの給料日前で僅かだった残金をはたいて、新しい水着を買った甲斐があったってもんだ。おかげで明日から数日昼メシもバナナ一本と水だけだ! でも――)

「うあ、あ、アリガトな。でも、それは外見のハナシだろ? 中身のオレは、オレはッ」


「えっと、中身も、初めからとても魅力的だよ」


「うあ?」

 瑠琉奈の心臓が、早鐘の様に鳴る。

「女の子っぽくなろうと頑張ってるルルナさんもいいけど、素のルルナさんも、とても綺麗だよ。純粋で、一生懸命で、まっすぐで、強くて、優しくて、一緒にいると楽しくて……。たしかに、世間一般の価値観では『男っぽい』トコロもあるかもしれないけど、それもひっくるめてルルナさんの魅力的な個性だと、僕は思う。それに……」

「そ、それに?」


「僕は、神さまがルルナさんの中身を間違えただなんて、決して思わないよ。だって、その外見と中身がひとつになって――魅力的な『モエギルルナ』という、ひとりの女の子なんだから」


 第三者が聞いたら、歯の浮く様な恥ずかしい台詞の連続。

 しかし刻任紫音は、顔を真っ赤にしながらそれを言い切った。

 お世辞では無い。彼だからこそ、逆に瑠琉奈の表面上の色気だけに惑わされず、彼女の本質を見抜く事が出来たのであった。そして瑠琉奈は――


 ああ。やっと。やっとオレのコトを……オレの全てを見てくれるヒトが、現れた。


 まだ逢って間もないのに……ここまでオレのコトを分かってくれるなんて。

 そう、自分でも気が付かなかったコトでさえ。

 も、もしかして。ももももしかしてコイツがオレの、『運命のヒト』――!?

 でも。

 その前にひとつ、確かめなくちゃならないコトがある。いや、ふたつ――か?


「ご、ゴメンねルルナさん。まだ逢って間もないのに、偉そうなコト言っちゃって……」

「い、いやいやいやいや! そんなコトねえッ! そんなコトねーよ。……スッゴく、ウレシーよ。ホントに、あ、アリガトな」

「そう? 良かった……」

 そう言って紫音は、屈託なく笑った。


 まさかのダークホース――これまで無数の男どもが挑み、そしてことごとく失敗してきた『鋼鉄の瑠琉奈』というエベレスト級最高峰の登頂に。刻任紫音という、ヘタレで女顔の『植物系男子』が、シレッと成功しようとしている――が、

「なあ、シオン。ちょっとオマエにまだ、訊きたいコトがあるんだケドよ」

「なに? ルルナさん」


「オマエ……学校で、妹のイオの、む、胸を触ってたって……ホントか?」


 がたたっ! 

 バランスを崩して危うく海へ落ちそうになり、かろうじてボートの縁を掴む紫音。

「え? えええぇぇっ!? だ、誰に聞いたの!? そんなコト……っ」

「いやまあ、オレのとある親友がだな……」

(……双芭さんだ! まさか、こんなコトを他人に話すなんて! やっぱり女の子って、こういう話題が好物なのかな……?)

 戦慄の冷や汗を流す紫音。


「あ、あれは事故なんだよホントに!! 僕がつまずいて手を伸ばした先にたまたまイオがいただけで!」

「ホントか? ま、まままさか家ではいつもソンなコトしてんじゃねえだろうな?」

「し、してないよ!! そもそも子そ……いや、双子の妹相手に、そんなのムリだって! 絶対ムリっ!」

「……そうか? バイト先のお客さんには、そういう属性のヤツがいっぱい……いやなんでもねえ! まあ、信じてやるとするか! ……でも、あともうひとつ、あるんだケドよ?」

「な、なに?」



「お、オマエ……星崋に告白して、こ、断られちまったんだろ?」



「――!?」

 ものすごくダイレクトな質問に、紫音は完全に固まった。

「未練みたいなモンは、ねーのか? その……もしかしてまだ、す、好き、だとか……ッ?」

「…………………………………………う」

「う?」


「うえっぷ! よ……酔った……」


 誤摩化しではなく、本当に彼は酔っていた。この男、ヘタレにつき。

「お、おいシオン! ダイジョーブか!? 何なら吐いちまえよ、吐けば楽になるっつーぜ? いや、さっきの質問の答えじゃなくってな……。ホラ、背中さすってやっから」

「ありがとう……ルルナさん…………………………………………………うえ」

 瑠琉奈に促された紫音が、ボートの縁から顔を乗り出して魚に撒き餌を与えようとしたその時――




 海中へとダイブしたイオは、二連続で《マキナ》を行使した。


(《水中(アクア)呼吸(ブリース)》! 続けテ、《水中(アクア)透過(パース)》!)


 ひとつ目の《マキナ》では、通常通り指でコードサインを形成しただけ。

 そしてふたつ目では、水着のお尻の辺りから何やら星形マークが付いたゴーグルのフレームの様なモノを取り出し、眼の前に当ててからコードサインを切る。

 すると、ヴンッという水中音と共に薄いブルーのスクリーンが眼前に展開。半径百メートル程の水中映像と情報が、イオの視覚へ精密に伝えられる。


(うワァ…………!)


 これまでは、造りモノの半バーチャルでしかお眼にかかった事のない幻想的な地球の海中世界が、視界いっぱいに広がる。

 下は砂地でサンゴなどは無く、海藻や魚の姿もまばらだったが……水面の銀幕からきらきらと洩れる光の大群とどこまでも広がる碧い世界は、宇宙コロニー育ちのイオを感嘆させるには充分だった。


(モウいっちょ、《水中(アクア)☆》……イヤ、みっつ同時はキビシーシ、キモチイーから自分で泳いで行くカ! アマリ泳ぎは得意じゃナイケドナ)


 見た事も無いカラフルな小魚の群れが、イオに寄り添って泳ぐ。

(コイツらカワイーナ♪ オット! 前方ニ触手系危険無脊椎動物発見、回避! 平均水深三・七六メートル、標的を六十七・四二メートル先に発見! ……五十メートル、……三十メートル、……十五メートル、……五メートル! 標的を捕捉(ロックオン)! 発射(ファイア)ーッ! ……の代わりニ、《(アンテ)重力場(グラビティカ)》!)




 その黒い影は、水中でほくそ笑んでいた。


(ニャハッ♪ 『飛んで水に入る夏のホシ』トハ、コノ事ダニャッ。ヨ――シッ! チョットチョッカイ出シチャウニャーッ! 地球ノ自然現象ニ見セカケテット。バレナキャOKダニャ、バレナキャ)


 その影が、地球の自然現象を正確に理解しているかは定かではない。

 しかしその影は、両手の指で《マキナ》のコードサインを紡ぐ。


(『星乃(スター)継承者(サクセサー)』――刻任イオ! ソノ実力、見セテモラウニャ―――――――――ッ! 《水中(アクア)竜巻(トルナーダ)》!)



「うえ……う、うわっ!?」

「な!? なんだッ!?」

 波はそれほど無いにも拘らず。紫音と瑠琉奈の乗ったボートが、突如大きく傾く。

 身を乗り出していた紫音とそれに寄り添っていた瑠琉奈は、まとめてばっしゃーんと顔面から海へと落下した。


「ぶわっ!? わ! 足! 足つかないよココっ! ひえっ!」

「うぷッ! お、落ち着けシオン! ただ泳げばいいだけのハナシだろッ?」

「あ。そうだね」

「そーだぜ? そもそもオレたちは泳ぎに来たんだし。ホラ、ボートも沈んでねーし、ソレに掴まれよ」

「うん、そうする。でも、吐く前で良かったよ。吐いちゃってたら、今頃大変なコトに!」

「あはははは! 笑えねーぞソレ」


 落ち着いて、元の姿勢に戻ったボートに泳いで取り付こうとするふたりの水面下。怪しい影がニヤリと笑う。

(ムフフのフ! ソウは子孫が(おろ)さないヨ! ココであたしがルルナの足を引っ張っテ、溺れるルルナを紫音が颯爽とカッコよく助ケそして優しく人工呼吸イコール婚約の証! そしてソシテ、遂にあたしの胸が火星最大オリンポス火山ニ! オリンポス♪ オリンポ……ンッ!?)


 突如。どこからともなく発生した急激な水流の渦が、イオを襲う。


(うワッ!? ナ、ナンダッ!?)

 そしてそれは、すぐ近くの水面に浮いている紫音と瑠琉奈をも、巻き込もうとしていた。

「こ、今度は何!?」

「渦巻き!? こんなトコロでか!? ヤベーなシオン! 掴まれッ!」

 咄嗟に紫音の手を掴む瑠琉奈。しかし水面下では、イオがその不自然な現象に対抗する《マキナ》のコードサインを既に紡いでいた。


(《水中(アクア)竜巻(トルナーダ)――反転(リバース)》!)


 一瞬にして。何事も無かったかの様に静寂を取り戻す海面下。

(フウ、危なかったゾ! 地球の海はキレイだケド、噂どおり危険がイッパイだナ! アレで紫音まで溺れちゃってタラ、意味無かったヨ。サテ、改めテ……アレ? ナンだか急にまわりが暗、ク……? ヤ、ヤバイッ! 昨日カラ《マキナ》を使イ……ス、ギ……)


 ――――ブラックアウト――――


(……………………………助ケ、テ……………………………………紫音………)




「お、自然に治まりやがった!? びっくりさせやがって!」


「…………」

「どうしたシオン? まだキブン悪いのか!? なんならやっぱ吐くか? ココで」

「いや、なんだかイオの声が聞こえた様な気がして……」

「ん? まさか、さっきボートをひっくり返したのはイオの仕業か? たっく、お茶目なヤツめ! ドコ行きやがった?」

「あ! やっぱりそうかも! 双芭さんだけボートに残ってるみたい……」


「瑠琉奈さーんっ! 紫音くーんっ! 大丈夫ですかーっ!?」


 七、八十メートル離れた星崋が、手を振りながら普段出さない様な大声で叫んでいる。

「おう! 別に何ともねーよ! むしろ海が冷たくって気持ちイーぜ!」


「潜ったイオさんがーっ! 浮かんで来ませーんっ!!」


 ――ぷかり


 突然、水面で泳ぐ瑠琉奈と紫音の間に……、星のマークの付いた何かゴーグルの様なモノが浮かび上がった。

「ま、まさか!? さっきの渦巻きで? イオっ!!」


 その時。

 ヘタレの『植物系男子』――刻任紫音は、一瞬だけ逡巡した。

 自分は泳ぎが得意ではない。現状、浮いているだけで精一杯だ。

(誰か、助けを…………?)


「チッ! 丁度イイ! コイツ借りるぜ!!」

 一方、萌木瑠琉奈は。咄嗟にそのゴーグルらしきモノを装着すると、迷わず水中へダイブを敢行した。




 その頃水中では、もうひとつの黒い影が狼狽していた。


(マ、マズイニャッ!? ミーノ《マキナ》ヲアッサリ打チ消シタトキハ、サスガダト感心シタノニッ! ドウスルニャ? 今捕獲スル訳ニハイカナイシ、ダカラッテ放ッテハ……。ニャ―――ッ! コノママダト“アノ方”ニ、オ尻ペンペンサレテシマウニャーッ!)


 するとその眼前を、ゴーグルを装着した瑠琉奈が一直線に潜航して来た。

(チョ、丁度イイニャ、ココハ任セルニャッ! 撤収――――――ッ!!)




「おやっ? お嬢さまのボートでなく、紫音っちの方で何か緊急事態が起こった様ですよっ! 長月お姉さまっ」

「……その様ですね、神無月。直ちに現場へ急行しましょう」

「? お姉さまっ? 急いで漕いでくださいよっ」

「……交代時間」

 神無月へ向け、オールを差し出す長月。


「ア、アンタ鬼だっ! やっぱり鬼だっ!! その無駄に鍛えた身体は何のタメだーっ!?」


「……現場へ急行」




 ――暗イ。周りにハ、ダレもイナイ。


 パパモ、ママモ…………おじいちゃんモ……。

 トモダチだっタ、アイツモ。

 コノ暗闇の中デ、あたしはひとりぼっちダ。


 ――紫音?


 あア。あたしにはコイツガ……。ずっと一緒に居るコトハ、出来ないケレド。

 ン? どうしてソンなに顔を近づけて来るんだヨ?


 チョ??? チョット待っタアァ――――ッッッ!? ア、あたしはオマエの子孫だゾ!?


 コ、ここここ今度ソンなコトしちゃっタラッ! モウ、じじじ事故じゃ済まなク―――




「――んグッ!?」


 何かが唇に触れた感触で、イオは眼を覚ます。

 その眼前にいたのは……


「――ナッ!? セ、セイカ!?」


 星崋は最初びっくりした様な顔で、次にその表情を崩し、

「イオさん…………! 良かった…………」

「イオ! 気が付いた!?」

「イオ! 大丈夫かよッ!?」

「???」


 イオは、周囲を見渡す。

 まず、仰向けになった自分に覆い被さる様にしている星崋。

 左右には、心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでいる紫音と瑠琉奈。

 ここは……目指していた小島の浜辺の様だ。



(そしてまさかコノ星崋の体勢ハ……ジ、じじじ人口呼吸ッ!?)



「ウ、うワアアアアァァアアア―――――――ッッッ!? ナ、ナニすんだヨセイカ!?」


 慌てて星崋を押しのけ、飛び起きるイオ。

「あたしは溺れてナンかナイゾ!? 水も飲んでナイシ、心肺も停止してナイッ! コノとおり元気だゾ!?」

「で、でもイオ、君は意識を失って海底に沈んでいて、それを瑠琉奈さんが引き上げてくれたんだよ? ホントに、死んじゃうかもって……」

「おう、ホントびっくりしたぜ? でもナンだか分かんねーケド、どうやら大丈夫みてーだな!」

「それから通りすがりのこの人たちのボートに乗せて、一番近い陸地だったここまで運んでもらって……」

 

「はいっ! 通りすがりの『美少女A』ですっ!」 

「……同じく、『美少女B』」


「? ちょっとお姉さまっ! その歳で『美少女』はアウトでしょっ?」 

「……後でじっくりと話があります」

「どこからどう見てもカンペキに『美少女』ですねっ? お姉さまっ♪」

「あ、あれ……? 君、もしかして同じクラスの神無月さんじゃあ……?」 

「そういや、そっちのアンタも星崋んトコの運転手さんか……?」

 紫音と瑠琉奈の質問に対し、ふたりは少しだけ星崋の方を見、そして、


「その神無月カンナさんとやらは、赤の他人の空似ですっ! このサングラスの辺りとか、服装とか、全然違いますよっ?」   

「……右に同じ。以下同文」  

 堂々と見え透いたウソをつくふたりに、呆気にとられる紫音と瑠琉奈。


「……それより本当にご無事な様でしたら、呼んである救急ヘリをキャンセル致しますが、いかがでしょうか?」

 そして本当に遠くの方から、ヘリコプターが近づいてくる爆音が聞こえてくる。

「あたしはダイジョーブだヨ! この通りピンピンしてるゾ!」

「……了解しました」

 長月が防水カバーに入った携帯電話でなにやら指示を出すと、遠方でヘリコプターが旋回して戻って行く姿が紫音たちからも視認出来た。


「……それでは皆さま」

「ごきげんようですっ♪」


 何故か二本指で敬礼のポーズをして、立ち去ろうとする長月&神無月。

「あっ、待って下さい! イオ、ちゃんとみんなにお礼を言わないと!」

「……ウン。助けて頂いテ、アリガトウゴザイマシタ。ソッチのふたりト、ルルナ」

「ちょっとイオ! もうひとりは?」


「……エ~ト……ア、アリガトナ………………、セイカ……」


「うふっ。どういたしまして」




 ――シャワータイム。


(……ぶっちゃけオレは、シャワーなんか浴びずにそのまま着替えて帰ってもいーんだケドな。……で、でもアイツに――シオンに、オレは不潔な女の子だと思われたくはねえ)


 そもそも星崋やイオも浴びるのに、自分だけ浴びない訳にはいかない。

 瑠琉奈は海の家に付随した男女共用コイン式シャワールームの個室に入ると、さっさと水着を脱いでシャワーの機械にコインを投入しようとし、

(うあ!? た、高えッ! さ、三百円もすんのかこのシャワー!? ただの温水のクセに! 三百円もあったらいったいナニが喰えるか……? えーっと、バナナに換算すると……?)


 しかも、もう財布の残金が五百円しか無い。幸い帰りの電車の切符は先に買ってあるが。

(……ちッ! 背に腹は代えられねえ。ていうか背も腹もしっかり洗って、せめて夜のフロ代くらいは浮かせてやろうじゃねえかッ!) 


 瑠琉奈がコインを投入すると、勢い良く吹き出す温水と共に、個室は湯気に包まれた。そして瑠琉奈は、石鹸のみで豪快に身体と髪を洗い始める。


 ――しっかし、イオが無事でホントに良かったぜ。オレが海中でアイツを見つけて引き上げた時は意識がなくって、コレはヤベーかも!? って本気で焦ったケドな。

 それにしても最近の水中ゴーグルはスゲエな。遥か彼方まで全周囲ハッキリ見えるし、水深や水温、視界に捕らえたモノまでの距離なんかも表示されちまうんだからな。


 そして、解ったコトがひとつ。

 オ、オレはやっぱり、シオンの方が……?

 オレは生まれて初めて、“オトコ”を好きに……なれたのか?

 それでも、星崋がイオに人工呼吸をすると言って、く、唇を重ねた時は…………ッ!


 はッ!? い、いけねえッ!! なんて気が多いというか不謹慎というか、変態かオレはッ!? 

 “女の子”は、ソンなコト考えちゃいけねえ。

 アイツは……オレのココロもカラダも、『綺麗だ』ってホメてくれた。

 そう、このカラダも……。この…………、


 ――がちゃっ。


(うあッ? うえッ? うえええぇぇッ!? ヤベえ、ヤバすぎる!! まだ泡々状態なのに、もうシャワー終わっちまった!? オレの所持金アト二百円。ひゃ、百円足りねえ……)


「お、おい星崋! 星崋ッ! ……イオ! イオでもいいッ!」

 返事は無い。瑠琉奈の左右のブースからは、シャワーを浴びる水の音だけが聞こえる。

 おそらく声も聞こえておらず、そもそも隣から何かを貰うのは無理な様だ。


「ルルナさん? どうかしたの?」


(うあ? そうか、まだシオンがいたか………………………………………でも!! オレのカラダは泡々で、タオルで隠すコトも出来ねえッ!)


「あ、あのよ、シオン……」

「なあに? ルルナさん」

「ひゃ……百円貸してくれッ! シャワー止まっちまった!」

「あはは。もちろん、いいよ」

「ちょ!? ちょっと待った! み、見ないでくれよ、ゼッタイに……。ここここれは“フリ”なんかじゃないからなッ! ホントに見るなよッ!? お願いだ……」

「う、うん。分かったよ。じゃあ、手だけドアから入れるよ?」


 ――がちゃり。


「……シオン、と、届かねえッ! オレがソコまで行ったら外から見られちまう。な、中に入って来てくれ。眼を閉じて!」

「えぇっ!? じゃ、じゃあ失礼して……」

 律儀にもしっかりと眼を閉じ、百円玉を握りしめ、なるべくドアを開けない様に身体を横にして、シャワールームに滑り込む紫音。


「何処? ルルナさん」

「ココだ……。あ、ありがとな」

 百円玉を受け取る瑠琉奈の手は、小刻みに震えている。

「じゃあ後で、ルルナさん」

「シ、シオン!」

「な、何?」


「あの、よ……。今は、今は見せるコトが出来ねーケド。その、いつか、いつかココロの準備が、いいいいつかその時が…………ッ、て!? また何言ってんだろーなオレは!? オレたちまだ高校生だし、わ、忘れてくれシオン! なななナシだ今の! ナシッ!」


「……う、うん。そうするよ」




 ――がちゃっ。


(……あ。もうシャワーが止まってしまいました。でも、大丈夫です。あと三百円、硬貨があるのを前もって確認しましたから)

 星崋が追加の三百円を機械に入れようとした、その時、


 ――ちゃりーん。ころころころ。


 シャンプーの付いた星崋の手から滑り落ちた百円玉は、床の木製スノコの中へ落ち、もう絶対に取れない奥の方へと転がって行ってしまった。

(………なんてこと。今のわたくしは泡だらけです。でも、硬貨が足りなくなってしまいました。クレジットカードや電子マネーは……使えない様ですね。どうしましょう? まさかわたくしがお金で困ることになるなんて。………仕方がありません、どなたかにお借りしましょう)


「瑠琉奈さん! 瑠琉奈さんっ!」

 返事は無い。星崋の隣のブースからは、瑠琉奈がシャワーを浴びる水の音だけが聞こえる。イオはさらにその向こう側のブースだ。

(仕方がありません。この場で携帯電話を操作するのは少々リスキーですが、長月たちを呼んで、たまたま通りがかったふりをしてもらって)


「双芭さん? どうかしたの?」


(えっ? ああそういえば、まだ紫音くんがいました………………………でも!! わたくしの身体は泡だらけで、タオルで隠すコトも出来ませんっ!)


「あ、あの、紫音くんっ……」

「なあに? 双芭さん」

「ひゃ……百円貸して下さいっ! シャワーが止まってしまいました!」

「……あはは。うん、いいよ」

「……し、紫音くんっ。届かないので、中に入って来て下さい。眼を閉じて……」

「う、うん。じゃあ失礼して……」


 ――がちゃり。


 またしても律儀に眼を閉じ、百円玉を握りしめ、少々慣れた感じで身体を横にしてシャワールームに滑り込む紫音。

「何処? 双芭さん」

「そのまま、真っ直ぐです」



「あ、あはは。ついさっき、ルルナさんとも全く同じコトがあったよ」



「――!!」

「で、でででも安心して! ちゃんと眼をつむっていたから、何も見てないよ」

「あ、そう……です……………………………………………………………か?」


 ――その時。星崋の中で、何かが、弾けた。


(いったいどうしてわたくしは、こんなコトを? 瑠琉奈さんを、瑠琉奈さんを応援すると決めた筈なのに。でも――)

「紫音くんっ。眼を、開けて下さい」

「うん……えええぇぇっ!?」

「大丈夫です。わたくし、バスタオルを身体に巻いていますから」

「あ、そう? じゃあ………………………………………………………………あ」



 ――嘘だった。



 紫音の眼前に立っていたのは――一糸纏わぬ、美の化身。


「紫音くんっ……。眼を閉じずに…………わたくしを、見て下さい」


 幸か不幸かお約束か。

 大切な所はその長い濡れた黒髪とボディシャンプーの泡で隠れてはいるが――それでも。

 その繊細で透き通った肌は、まるで氷で出来た女神の彫像の様。

 無数の玉の雫がその表面を次々と転がり落ちる。それは彼がこれまでの十五年あまりの人生で観た、どんな芸術作品や自然物よりも美しかった。


「紫音くんっ……。わたくしの身体…………や、やっぱり魅力……ないです、か?」


 星崋は自らの肢体を隠そうともせず、後ろで手を組んだポーズで上目遣いに紫音を見つめながら、そんな事を言う。

 確かに、胸の膨らみは僅かかもしれない。それでも紫音は――嘘は、つけなかった。

「そんなコト、ないよ」

「え……?」


「――とても、とても綺麗だ、よ――」


「あ…………ありがとう、紫音くんっ……」

 紫音の返事を聞いた星崋は、急に我に返ったかの様に恥じらい始め、顔を真っ赤にしながら自分の身体を両腕で隠した。紫音も慌てて両眼を閉じる。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい紫音くんっ!」

「あ、謝る事はないよ、双芭さん」

「あの時も……叩いて、酷いことを言ってしまって……っ」

「大丈夫だよ、星崋さん。もう、気にしてないから」

「本当にごめんなさい……。あと、このコトは、誰にも言わないで下さい……」

「……う、うん。そうするよ」




 ――帰り道。


 駅で瑠琉奈や星崋と別れた後、紫音が漕ぐ自転車の後ろにイオは女の子らしく横乗り……ではなく豪快に荷台を跨いで前向きに座り、紫音にしがみついていた。

 燃える様な夕暮れの中。同じ様な長さのふたりの髪が同じ様に風になびく。


(アレハ、本当にタダの自然現象だったのカナ? 《マキナ》でアッサリ打ち消せたというコトハ、マサカ……? だっタラソノ後気を失っていたのに何もされず無事なハズハ? ……泳がされテル? 何のタメニ? ソレなら最初カラ手を出して来ないハズ……)


 解らない。そして――怖い。

(トニカク、計画を急がなくっちゃナ)


「ねえイオ、静かだけど、疲れちゃった?」

 思考中に突然話しかけられ、紫音の背中でびくっとするイオ。

「ソ、ソンなコト無いヨ紫音! 今日はムチャクチャ楽しかったナ!」

「うん、楽しかったねイオ。ちょっと色々あったけど……」

「ハプニング満載デ、楽しめたダロ?」

「『ハプニング満載』って……。イオ、君が溺れた時は、本当にみんな心配したんだよ!? もしかしてまた《マキナ》を使い過ぎて、水中で眠っちゃったの!?」

「ナハハのハ。ソウとも言うナ。でもナ、ちゃんと保険とシテ延長コードを行使してたカラ、眠ってても呼吸ガ……」


「イオ!」


 珍しく本気で怒っているかの様な紫音の語気に、イオは再びびくっと身体を震わせる。

「イオ……約束してよ。もう、二度とあんな無茶なマネはしないって! 眠っちゃう程に《マキナ》を使うコトはしないって! もう心配かけないって!」

「ナ、ナンだヨ!? 紫音があたしに説教なんテ、百十一年早いんだヨ!! 紫音のクセニ、紫音のクセニ、紫音のクセニ――ッ! ……ぐスッ。だったラ――」

 イオの台詞が涙声に変わり、紫音を掴む両手が小刻みに震え出す。そして、



「ミンナがあたしを助けてくれた時ニ! 紫音ハ!? 紫音はいったいナニをしてたんだヨ―――――――――――――――――――――ッッッ!?」



「う!? ……それは…………その……」

 言葉に詰まる紫音。真っ先に海中へ潜ってイオを発見し、水面に引き上げたのは瑠琉奈。陸地まで迅速に運んだのは通りがかりのふたり。すぐに人工呼吸を始めたのは星崋。

(――自分は? いや、僕はヘタレだから…………)

 そこで紫音は、気が付いた。いや、前々から既に気付いていた筈だ。

(僕は自分がヘタレであるコトを、いつも言い訳にしてないか? ずっとこれまで、そうやって言い訳しながら生きてきたんじゃないのか? こんな、こんな大事な時でさえ。そしてそれは、とても、とてもとても“卑怯”だ――)


「あたしハ! ぐスッ。あたしは紫音ニ、真っ先に助けて欲しかったのニィ―――――ッ!! ご子孫さまを護るのは先祖の役目ダロ――――――ッ!? ウ、エ、うええええええぇぇぇエエエエ―――――――――――――――――――――――ンッ!」


 紫音のTシャツをぎゅっと握りしめ、イオは激しく泣き出した。紫音の背中が涙で濡れる程に。

 夕陽は沈み、路肩の街灯が自転車に乗ったふたりの姿をぼんやりと照らす。

 そしてその女顔をした少年は――



「ごめん…………イオ。これからは……いや、次は必ず、僕が君を助けるから」



 しばしの沈黙。そして、

「ホントニ……?」

「うん、本当に。僕が君を、護るよ。……君の、先祖として」

「エ、エヘッ。じゃア、コレあげル!」

 ちょうど赤信号に差しかかり、紫音は自転車を漕ぐ脚を止める。そしてイオが後ろから差し出した小さな星形のモノを、落とさない様に慎重にその手に取った。


「これは? ……指、輪?」


「ウン。リング型 《マキナイト・ビット》―――『シリウスβ(ベータ)』。あたしのブレスレッド型 《マキナイト・コア》――『シリウスⅡ』とお揃いだヨ!」


「マ、《マキナイト》……何?」

「《マキナイト・コア》の方は、《マキナ》を発動するのに核となるハードウェアみたいなモノだヨ。このベルト型『シリウスⅢ』もソウだシ、今日のゴーグル型 『シリウスⅣ』もソウ。それ単体で複数の《マキナ》を行使出来るカラ、イチイチ《マキナ》ごとに媒体を用意しなくて済むんだヨ! “エコ”でショ?」

「……そ、そうだね」


「まア、宇宙に出ると物理的資源が限られるカラ、必然的にソウなったんだケドネ。それでソノ子――リング型 《マキナイト・ビット》は、エート……コノ時代で例えるト、親機のPCと同じOSとアカウントを持った多機能型携帯電話みたいなモノ。親機であるあたしの《マキナイト・コア》と通信しながラ、共通の《マキナ》を行使出来るンだヨ!」

「えぇっ!? じゃあ、僕もイオみたいに……?」


「ノンノンノン! 早まるナ紫音! 慌てる先祖は貰いが少ないゾ? 《マキナ》自体はあたしと共通だケド、ソレを発動スルのに必要なコードサインを習得しないとイケナイシ。消費スル『ヴァイタル・エナジー』――つまり“生命力”ハ、紫音が自前で供給しなきゃイケないんだヨ?」


「せ、“生命力”って……!? じゃあもし使いすぎたら……ししし死んじゃうの!?」

「ソンなコトにはならないヨ! ソウならない様ニ、全ての《マキナ》にはセーフティリミッターがデフォルトで設定されてるカラ……」

「あ! だからいつも使い過ぎると、イオは眠っちゃうんだ?」

「ウン。眠ったリ、休息したリ、食事をすれば回復スルカラ……。ネエ紫音、漕いでヨ自転車。信号青だヨ? 止まってると暑いヨ!」

「うん……」


 紫音はその指輪を大事そうにショートパンツのポケットに入れた。そして再び自転車をこぎ出すと、ふたりの頬を夏の夜風が撫でる。止まっているよりは幾分涼しい。



「そしてあたしの《マキナ》を行使出来るのハ、あたしと近似周波数の『ヴァイタル・エナジー』の持ち主――――――紫音、キミだヨ?」



「……そういうコト?」

「ソウ! デモ紫音は“初めてさん”だシ、ソノ子はあたしの試作機で耐久性は未知数。多分、連続だと使えて二、三回カナ?」

「そんだけっ!? ていうかイオが創ったの? コレ」

「だカラ! あたしにかかればソレぐらいカンタンなんだヨッ! ……ソウいえば紫音、ルルナのシャワーを隣カラ遠隔操作して途中で止めてやったケド……。ムフフのフ! 見ちゃったノ? 少年。ナマ『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)』、拝んじゃったノ? ドコがドウでドウだったのか、お姉さんに詳しく話してミ? ムッフフフフフフフフフフフフフフフのフ!!」

 紫音からは後ろに座るイオの表情は見えないが、ものすごく邪悪な顔をしている事は明らかだ。


「みみみ、見てないよっ!! 眼をつむって、百円玉を渡しただけだよ!」

「ハ? ……………………マジ、デ?」 

「うん、マジで」

「チェッ! ナーンダ、ガッカリだヨ紫音! もし見ちゃってタラ、ソレを理由に婚約が出来たノニッ! ……ハア。でもマア、ナンだか紫音らしいといえば紫音らしいカ」

 本当にガッカリといった感じで、大げさに溜め息を吐くイオ。


「それより、あれもイオの仕業だったの!? こ……コラ!!」

「アハハ、赤くなったゾ! デモ途中は結構イイ雰囲気だったよナ! とにカク、ガンバったネ紫音! 『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)☆捕獲作戦』のコンプリートマデ、アト一歩だナ!」


 紫音は……その後に起こった、どうやらそっちは偶然だったらしい星崋との、同じ様で同じにならなかった出来事については、何も話さなかった。星崋との、約束どうり。


「うん。頑張るよ、イオ……」

「ヨーシ! モウすぐ夏休みだカラ、チャンスは無限大……アレ? ナンだか、あたしのカオも、火照っテ……」

 と、イオはくたっと完全に紫音に身体を預けてしまった。そして紫音は、イオから発せられる尋常ではない体温にようやく気が付いた。



「イオ? あれ!? もしかして、凄い熱があるんじゃないの!? ……イオ――――っ!!」



(――今日も、大変過ぎる一日だった)




「……本当によろしいのですか? お嬢さま」


 この街随一の豪邸である双芭邸の一室で、ヴェルサイユ調の豪奢なドレッサーに向かって座る星崋に、背後で屹立した執事姿の長月は語りかける。


「構いません。わたくしの想い……いえ、気持ちを整理するにはこれが一番でしょうから。……なんの、未練もありません」

 ならば何故、お嬢さまは泣いておられるのですか? そう長月は訊きたかったが――

「……分かりました。お力になれず申し訳ありません、お嬢さま」


 二十代半ばを過ぎて独身。容姿は人並み以上で頭脳も明晰なのに、男性相手となると極度の引っ込み思案である長月永津(ながつきながつ)は、その恋愛経験の乏しさから、主人である星崋に何の助言も出来ない自分が腹立たしかった。


「あなたが謝る必要はありませんよ? 長月。これはわたくし自身の問題ですから」

「……ですが、お嬢さま」

「そうですね……。長月にもうひとつ、お願いがあります」

「……何なりと」



「神無月と一緒に、刻任くんの妹であるイオさんの――身元を洗って下さい」



「……かしこまりました」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ