表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ほしのごしそんさま。  作者: ひろつー。
空のご子孫さま
3/15

空のご子孫さま

   第三章  空のご子孫さま


 ――オレは女だ。


 精神的にはともかく、身体(からだ)的には、そういうコトになっている。

 中身は――どうやら神さまが間違えちまったみてえだ。


 でもガキの頃は、そんなのはどっちでもよかった。

 オレは近所の男の子たちと日が暮れるまで、泥だらけになって外で遊んだ。

 他の女の子たちがしている様な、オママゴトとかは全くもって興味が無かった。

 そんなコトより、外でサッカーやったり虫採りしたり秘密基地ゴッコをしてる方が百倍楽しかった。ドブ川でのザリガニ釣りとか、サイコーだったな。


 テレビも男の子向けのモノばっかり観てた。戦隊モノとかホントーに燃えたな。

 ゲーム機は……ぶっちゃけウチはビンボーなんで買ってもらえなかったが、当時ガキ大将的ポジションだったオレは男の子たちの家に押し掛けて、流行りのゲームは一通りやらせてもらった。昆虫同士とか恐竜同士で戦うヤツとかは、まあまあ楽しかったな。


 でも。小学校の高学年になった頃から。

 まわりの男友達の眼が、オレを見る眼が……、変わり始めやがったんだ。

 ある時オレは、一番の親友だったヤツに訊いた。訊いてしまった。

「なあ……、最近オマエら、なんでそんな眼でオレを見るんだよ? っていうか、ドコ見てんだよ?」

 ソイツは答えた。


「だってよー……。瑠琉奈の、その……『胸』。スゴいぜ?」


「……………………え?」

 ショックだった。

 オレの身体は、女に成り始めていた。自分でもうすうす気付いてはいたが、ソレは他の女の子たちよりも、特に目立っていたらしい。

 そして同時にソレは――もう男の子たちとは、今までどおりには遊べないというコトを意味していた。それを思い知らされた事件が、その約一ヶ月後に起こった。


 ――告白された。男の子に。


 しかもよりによってその相手は、一番の親友だった、ソイツだった。

 ソイツは男の子として、女の子の自分に、告白してきやがったんだ。

 オレは断った。

 本当に、素直な気持ちで、『今までどおりトモダチでいようぜ』って答えたのに……ッ。ソイツは泣きながら走り去って、小学校卒業まで、もう口をきいてくれなかった。


 それからも何人からか小学生のうちに告白されたが、全員断った。

 無理だ。

 男を好きになるなんて、ゼッタイに無理だ。オレにとってソレは同性愛みたいなモンで、正直、気持ち悪い。友達でいられるのなら……、何も問題無いのに。

 そしてもうひとつ、オレにとって決定的な事件が起こった。


 ――女の子を、好きになっちまった。


 同じクラスのその娘は、オレとは正反対の物静かな女の子らしい女の子で……。腰まで伸びた長い黒髪が印象的だったのを、今でもよく覚えている。

 オレはそのコトを、決して誰にも話さなかった。


 だって、おかしいだろ?

 (はた)から見たら完全に女の子のオレが、女の子を好きになるなんて。

 “百合”なんて言葉はその頃は知らなかったが、普通じゃないコトは分かっていた。

 そしてその娘は、オレの想いなんかは知らないまま……、別の中学に進学して行った。


 ――オレの初恋は終わり、中学生になった。


 今まで女の子らしい格好をしたコトがなかったオレは、近所のお姉さんからお下がりとして貰った中学校の制服の、ピラピラした短いスカートがやたらと恥ずかしかった。

 さらに困ったコトに。オレの胸はオレの意思とは無関係に、勝手にどんどん成長していった。


 なんでこんなモノが、オレに付いているんだろう?

 邪魔。重い。肩が凝る。夏場はムレる。下着に金がかかる。男モノの服が着られない。そして、クラスメイトも含めた男どもの視線が――気持ち悪い。

 そんな眼でオレを、正確にはオレの胸を見るんじゃあねえッ!

 毎月の様にオレに告白して来る野郎どもの眼は、オレの内面なんか見ちゃあいねえ。

 当然、全員断った。


 オマケに……、時々女の子からも告白される様になった。

 どうやらオレは、女の子にもモテちまう体質らしい。

 そして中学生になっても、オレが恋愛対象として気にしていたのは、女の子の方だった。

 でも、我慢した。決して、誰も、好きにならない様に。

 だってソレは――決して、報われない。

 幸か不幸か。自分が気になる様な娘からの告白は無く、全部断った。


 でも。オレはこのまま、もう一生誰とも恋愛をするコト無く、終わるのか?

 周りからは、『瑠琉奈ちゃんって、ほんっとモテモテで羨ましいよねー。毎日選び放題だよね!』とか言われてるのによ。

 たしかにソレは、一度も男の子から好きと言われたコトがない娘からしたら、スゲエ贅沢な悩みかもしれない。でもオレにしてみれば、世界にたったひとりだけの、自分が好きな異性を見つけて交際している連中の方が、よっぽど羨ましい。


 もういっそのコト、百合として生きちまおうか?

 もし、次に自分好みの娘から告白されたら……。


 ――そんな時、その娘と出逢った。


 中学二年生のある日。オレは、靴箱に入っていた知らない女の子からの手紙に書いてあったとおり、放課後の校舎裏へと向かった。

 オレは断るにしても、面と向かって伝えるのが礼儀だと思い、相手からの告白の待ち合わせをスッポかしたコトは無い。


 そしてそこに待っていたのは――初恋のあの娘によく似た、長く綺麗な黒髪の美少女。


 オレはその当時、同じクラスになったコトの無い彼女についてはよく知らなかったが、もうひとり、野郎どもからの告白をすべて断り続けている娘がいるコトは聞いていた。

 一瞬、こ、こんな超絶可愛い娘がオレをッ!? ――と激しくカン違いしたが、その娘も同場所、同時刻で、ただ断る為だけに他の告白相手を待っているトコロだった。


 ――その娘は言った。


「わたくしは、星崋。『双芭星崋』。今日は、ある男の子からの告白をお断りする為に、此処にいます。……実はわたくしは、今まで男のヒトを好きになったコトがありません。怖いんです、男のヒトが。眼を合わせるコトも出来ません。でもわたくしは、待ち続けています。いつか、こんな運命を変えてくれる男のヒトが、きっと現れるって」


 ――オレは答えた。


「オレは、瑠琉奈。『萌木(もえぎ)瑠琉奈』。オレも、これまで男を好きになったコトがねえ。オレの親父は、『瑠琉奈』なんて女の子らしく可愛らしい名前をオレに付けてくれたが、世の中そう上手くはいかないモンで、オレの中身は完全に男みたいだ。でも、だからといって、女の子と付き合う訳にもいかないだろ? ……そうか、運命を変えてくれる男――『運命のヒト』か。そんなヤツが、いつかオレの前にも現れると、いいな」


 ――この娘を好きになっちゃ、いけないと思った。


 一緒に、お互いの『運命のヒト』が現れるのを待ち続けよう、と誓った。

 オレと星崋が待ち続けているのは……、きっと表層の自分じゃあなく、その中の自分を見てくれる、おそらく世界でたったひとりの、ヒト。

 そして、オレと星崋は親友になった。

 でも、その時はまさか……、まさかお互いの『運命のヒト』が――――――




 萌木瑠琉奈は、まだ暗いうちに眼を覚ました。


 よく、眠れなかった。

 昨日の――あの双子との出来事がぐるぐると頭をまわり……とうとう、ちゃんと寝付くコトが出来なかった。


 瑠琉奈は眠い眼をこすりながら、リサイクルショップにて格安でゲットした真っ赤なサッカーブランドのTシャツと短パンに着替え、近所のお姉さん家から貰ったお古のママチャリを、自宅である平屋のボロアパートの玄関から出してギコギコと漕ぎ……、新聞配達のアルバイトへと出掛けた。


 陽がすっかり昇る頃には全ての新聞を配り終え、ボロアパートに帰り着くと、古くなって変な作動音のする冷蔵庫を開けて、紙パックの豆乳をイッキ飲み。

 継ぎはぎだらけの布団に横になって、やっと二時間爆睡した後再び眼を覚ますと、顔を洗って一応女の子らしく髪を軽く梳かす。次に高校の制服に着替えながらバナナを一本かじり、スーパーのタイムセールで買った昨日の夕食の残りを弁当として包むと、深夜の仕事の為夕方まで起きない唯一の肉親へ向かって、小さな声で挨拶をした。

「行って来るぜ、親父」

 傾いて閉まりの悪いその玄関ドアを、瑠琉奈がぎぎぎっと開けると、


「おはようございます、瑠琉奈さん」


 腰まで伸びた艶やかな黒髪を持つ親友が、にこにことしながら立っていた。

「おう! オハヨ、星崋」

 既に、星崋の家のリムジンは去った後。

「な、なあ星崋」

 ふたり並んで住宅街の通りを登校中。いつも滑舌の良い瑠琉奈が珍しく、口ごもりながら話を切り出した。

「何でしょう? 瑠琉奈さん」


「あのよ。き、昨日の、あの双子のコトなんだケドよ……。兄貴の方の、えっと、シ、『シオン』って、ど、どんなヤツなんだ?」


「!?」

 星崋は、その耳と眼を疑った。

(――あの瑠琉奈さんが。『鋼鉄の瑠琉奈』と呼ばれるほど気高く、これまで男の子に対して軟弱な姿勢など一切見せたコトのないあの瑠琉奈さんが。紫音くんのコトを気にかけるばかりか、何か恥ずかしそうにそわそわとして頬を染めています。……何故でしょう? 昨日、事故とはいえ、その胸を触られてしまったからでしょうか?)

 ……いや。その前に紫音に名前を訊かれた時の瑠琉奈は――珍しく女言葉を使おうとしていた。


(――まさか!?)


「星崋?」

「え、ええ! あ、あの、紫音くんは、わたくしの隣の席で、とっても優しくって、怖く無くって、しつこくなくって、話し易くって、わたくしの話をよく聞いてくれて……」

 星崋は、自分でも驚いた。急に紫音について訊かれたのに、その長所ばかりがすらすらと口から出て来てしまったからだ。

「話した!? 星崋、男が怖いお前がか!?」

「え? は、はい…………!」

 しまった、と後悔する星崋。当然、不思議そうに小首を傾げた瑠琉奈の次の質問は――


「じゃあ、なんで……? オマエは告白されて、スグに断っちまったんだよ!?」


(――ど、どうしましょう? 本当のコトを伝えるべきでしょうか?)

 告白を受け入れるつもりだった、のに。

 突然現れた双子の妹に、『近寄るナ!』と詰め寄られ。

 自分を助けようとした紫音が躓いて。

 妹のイオを押し倒してキスをしてしまい。

 それに嫉妬(?)した自分は、紫音を張り飛ばした……なんて。

(やっぱり、やっぱりそんなコト、言えませんっ!)


「そ、それは、ちょっと違うと感じたからですっ! わたくしの『運命のヒト』とは!」

「へえ……。どう、違ったんだ?」

 いつもならば。こんなに込み入った所まで突っ込んでは来ない瑠琉奈が、今朝はいつになく真剣だ。これは誤摩化せそうにない、と判断した星崋は――



「だって、だって紫音くんって……、え、“えっち”だからですっ!」



「……………………はぁ?」

「だってわたくし、見てしまったんですっ! 紫音くんが、こ、校舎の裏で、妹のイオさんの、む、胸を触っているところを!」

「――――――ッ!」

(あああ。やってしまいました。わたくしったら、わたくしったら何ていうコトを……)


「そ、そそそうか。アイツはやっぱり“えっち”なのか。双子の妹の、む、胸を……ッ!?」

 驚きのあまり、その少し垂れた眼を白黒させた瑠琉奈の頭の中では。半信半疑ながら色々な想像がぐるぐると回っている様だった。




 そしてふたりが学校に到着し、瑠琉奈が自分の靴箱を開けると、

「……なんだ。またかよ」


 ブルーの封筒がひとつ、入っているのを見つけた。


 本人は胸だけだと思っているが、全体の容姿が飛び抜けて良い瑠琉奈にとって、靴箱にラブレターが入っているなんていうのは日常茶飯事。しかもその内半数近くは女の子から。

 しかし……。

 そのブルーの封筒に入った小さな白い星柄と、貼られた大きな白い星形のシールに気付き、瑠琉奈の顔色が変る。名前は書かれていなかったが、差出人は容易に想像がついた。


「瑠琉奈さん、それって……!」

「ああ、たぶん間違いねえ。昨日のあの妹の方からだ。今からちょっとトイレ行って中身を確認して来る。内容は、アトで教えてやんよ」



 トイレのドアを閉め、他の誰にも見られない状態で、瑠琉奈はその封を開けた。

(――な、なんだ? こっ、この胸の鼓動はッ!? どうしてオレは女の子からの手紙に、こんなにもドキドキしちまってるんだ? やっぱり、オレって……ッ!)


 すると……。中身が、入っていない。

「ナンだコリャ!? 入れ忘れたのか?」

 しかし、その空の封筒を瑠琉奈が覗き込むと――

 ポウ、という微かな音と共に。空中に文字が浮かびあがる。



『ホウカゴ、オクジョウヘコイ。☆イオ&シオン』



 それらの文字は七色に色を変え、星のマークだけがくるくると回転している。

「は、果たし状――ッ!? いや、違うのか?」

 昨日、兄の方をブン殴ってしまった事に対する報復なのだろうか? 

(でもあんなコトされたら、ダレだってそうするよな? ……いや、アイツは、オレを助けようとしてくれたのに……)

 その件について瑠琉奈は、直接会って謝りたいとは思っていた。


(それで、オレが好――もとい、気になっているのは妹の方なのか、兄の方なのか!?)

 ハッキリ、させたかった。いずれにせよ、これは好都合だ。

「しっかし。最近はテレビやパソコンだけじゃなくって、手紙も3Dのヤツがあるんだな……」




「フフフのフ! 風ガ! 嵐ガ! あたしを呼んでいるゼヨ!」

「…………誰?」


 厚い雲が低く垂れ込めた、梅雨時の暗い空の下。

 放課後の屋上で両腕を組んで片足をフェンスの金網に掛け、下界を見下ろしながら知らない時代のキャラになってしまっているイオに対し、短くツッコむ紫音。


「大丈夫? イオ。いろんな意味で」

「ダイジョーブ! 万事、あたしにまかせておくゼヨ!」

(――心配だ。心配過ぎるよ!)

 これまでのイオの行動パターンからして、まず普通にコトが済みそうにない。

 いったいどうなるコトやら、と紫音があからさまに不安げな表情をしたその時。


 がちゃり。


 下階から繋がる昇降口の鉄扉が、すうっと開く。

 暗雲垂れ込める空の下。ウェーブした明るい色の髪を風になびかせて。その女性的な顔立ちの中に男性的な凛々しい表情を浮かべた萌木瑠琉奈が、毅然と歩を進めて現れた。

 振り向いたイオが、瑠琉奈を指差して叫ぶ。


「やっと現れたネ! 『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)』!」


「…………は?」

 突如投げつけられた意味不明のワードに困惑する瑠琉奈。

(――な、何だ!? 『あるてぃめっと☆ぶりーすと』って? ソレ、喰えんのか? んん? 何だその指のサインは? 指の体操でもしてんのか?)


「ココで逢ったが百十一年目! イザ尋常に勝負! じゃなかっタ、コレでも喰らエッ!」


「イオ!? 止めてっ!」

 突然瑠琉奈に飛びかかった様に見えたイオに対し、瑠琉奈と紫音は咄嗟に声を上げる。

(ッ!? やっぱりコレは、果たし合いなのか!?) 

 瑠琉奈は反射的に拳を握り迎撃姿勢をとった。しかし、


「《(アンテ)重力場(グラビティカ)――反転(リバース)》!」


「? わわわっ!?」

 突如。体重が増加したかの様な感覚に、ヘタレの紫音はたまらず膝をつく。

 反対の反対。つまりイオが行使した《マキナ》は――紫音の体重の倍化。

 そしてイオは着地と同時に紫音の頭をがしっと左手で掴み、その勢いでごんっとコンクリートの床へくっつけ、自分もその隣で膝をついて頭を下げた。

「ぅあいだあああぁぁっ!?」


「ごめんナサイッ! すみませんデシタ――――ッ!」


 つまりイオの攻撃は――――ふたり揃った、見事なツイン土下座。


「「……………………え?」」

 呆ける瑠琉奈。と、昇降口の中の誰か。

「昨日ハ! ウチのおバカでダメな兄の紫音ガ! アナタ様にタイヘンなコトをしでかしてしまいまシタッ! ソウ、ソノご立派な胸ヲ、コウ……」

 イオは土下座体勢のまま、両手の指でモミモミするポーズをとる。

 一方隣の紫音は両膝をついたまま、「星が、星が見えるよ」と呟きながら朦朧としている。


「つきましてハ! コノ不肖なバカ兄にハ! キッチリキッカリ責任を取らせる所存デスのデ! ナニとぞご容赦ヲ!」

(な、何? “責任を取る”って? ――ま、まさか?)

 紫音の勘は、当たっていた。


「トいうワケデ! さっそくめでたク! 両者ご結婚の誓約ヲ……」


「ちょ、ちょっと待った!」


 同じ事を叫ぼうとした紫音より先に、瑠琉奈が絶賛暴走中のイオを制止する。

「ったく、大げさだな! 双子にステレオで土下座されても困っちまうぜ? えーっと、コッチはイオ、だっけ? 昨日のコトならオレも悪かったよ。だからもう、頭を上げろよ」

「フフフのフ。ソウカ?」

 あっさりと立ち上がり、ぱんぱんと膝を手で払うイオ。

 そしてその星の様に輝く瞳で、上眼遣いに瑠琉奈を見つめる。


(ゔ。や、やっぱ可愛い……ッ! はッ!? いけねえ、今は見とれてる場合じゃねえッ!)

「えーと、ソッチはシオン、だっけ? 俺の胸を触っちまったコトは、もう気にすんなよ。事故だしなアレは。それより、殴っちまって悪かったな。ちょっと驚いちまってよ。だ、だってオレはまだそういう経験は無……って!? 何をカミングアウトしてんだオレは!?」


(――だ、だだだダメだ。何故だかコイツが相手だと、上手く喋れねえッ! しかもまた、オレの瞳を真っ直ぐに見つめてやがる。あああ、どうしよう? ……そ、そうだ! オレはこういう時の為に、あのバイトを始めたんじゃなかったっけ?)


 瑠琉奈はすっと姿勢を正すと、長い両脚を少し前後にズラしてぴったりとくっつけ、背筋をぴんと伸ばしたまま、重ねた両手の平が膝の位置にくるまで、四十五度の角度でお辞儀をした。

 それはまるで見事な――


「シ、シオンくん。昨日は殴ってしまって、ご、ゴメンなさい。そして階段から落ちたオレ、いや、わたしを助けてくれて、あ、ありがとう」


 瑠琉奈は顔を上げると、それまでの男性的な表情とはうって変わり、その女性的な容姿に相応しい、精一杯の優しい笑顔を見せた。それはまだ少し、ひきつってはいたが。


 紫音は少しの間、その奇跡の様な笑顔をじっと眺めていたが……やがてふっと我に返って立ち上がり、自分にも伝えるべきコトがあると思い出す。

「る、ルルナさん。僕も昨日は失礼なコトをしちゃって、ご、ゴメンね。許してくれてありがとう。そして最初に落ちたイオを助けてくれたコトも、改めて、ありがとう」


 見つめ合うふたりの横で。ムフフのフ……、とイオが不敵な笑みを漏らす。

(コレデ、『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)☆捕獲作戦』の第二(セカンド)段階(ステージ)はクリアしたカナ? ムフフ、続いて第三(サード)段階(ステージ)に突入ッ!)


「ヨーシ! コレにて一件落着だネ? じゃア仲良くなった記念ニ、一緒にドコか遊びに行こうヨ! 例えばウーン、ソウだネー……、海とカ! ビーチとカ! 海水浴とカ!」


「「「!?」」」

 イオのまたイキナリの提案に、びくっとする瑠琉奈と紫音。そして昇降口の中の誰か。


 無理だ、と紫音は思う。

 いったいドコの世界に、知りあったばかりの相手と海水浴に行く娘がいるのか。

 海水浴というコトは、当然――水着。

 しかも相手は、『鋼鉄の瑠琉奈』の異名をとる難攻不落の超ハイレベル美少女。

 そんな娘とイキナリ海だなんて、ハードルが高いなんてもんじゃない。棒高跳び世界記録レベルくらいだ。難易度、トリプルSクラス。


「イオ、イキナリそれはちょっと……。この間言った様に、まだ少し時期も早いし。ていうかイオ、それって単に自分が行きたいだけじゃないの?」

「別にイーダロ文句アンのかヨ!? ねールルナー。行こうヨ海ー。ゼッタイ、楽しいヨ?」

 瑠琉奈は、迷った。

(正直、海はメチャクチャ好きだ! こ、この双子と、海。た、楽しそう、なのか……? でもさすがに水着はちょっと恥ずかしい。あ、そうだ、アイツも一緒なら……)



「……いいよ。行こうぜ、海」



「ええぇっ!?」

 瑠琉奈の意外な返答に、驚愕する紫音。トリプルSクラス、楽々クリア。

「でも、そうだな……、二週間後の週末でいいか? その頃ならとっくに梅雨も明けてるだろうし、学期末テストも終わった後だからな」

 そう、学期末テスト。紫音は忘れていた嫌な事実を思い出した。

(イオも受けるのかな? 大丈夫かな……?)


「あと、星崋も一緒に行こうぜ! オイ、出て来いよ」

「は、はいっ! い……行きます! わたくしも、ご一緒させて下さいっ!」

 昇降口の中から、勇気を振り絞った様な声がして。腰まで伸びた艶やかな黒髪をなびかせて、儚げな少女が姿を現した。


「双芭さん……?」

「アッ!? 胸ペタ女!」

「ちょっとイオ! その呼び方は失礼でしょ? ちゃんと名前で!」

「……ハ~イ。えート、セイカ……」


 イオは勿論、星崋を連れて行く気などさらさら無かったが……。突如、頭の中でぐるぐると思考が廻り出し、ちーン! と、ひとつの結論を導き出す。

(コノ胸ペタ女、『究極(アルティメット)豊乳遺伝子(ブリースト)』の“比較対象”として使えル! ルルナとセイカが水着で横に並べバ、ソノ違いは一目瞭然! いくら『僕は女の子の胸なんて興味ないよ~』とか宣っている紫音でも眼からウロコ! 未練が残っているっぽいセイカにはキッパリと愛想を尽かシ、ルルナのコトがダイスキになってしまうに違いナイッ!)

 イオは、自分も充分な“比較対象”になりうる事などはすっかり忘れていた。


「ヨーシ! ミンナで行こうヨ、海へ! 二週間後に決定だネ? ……アレ? 雨カ?」

 水無月の空に垂れ込めていた暗雲から大量の雫がこぼれ出し、その場はこれでお開きとなった。




「ねえ、瑠琉奈さん」

「何だ? 星崋」


 数日後の学校からの帰り道。朝から降り続く小雨の中、ふたりは住宅街の中を傘を並べて瑠琉奈の自宅であるボロアパートへ向かって歩いていた。


「テスト前なのでわたくしは生徒会がありませんが……、瑠琉奈さんは今日もアルバイトへ行かれるのですか?」

「おう! 朝の新聞配達だけじゃ、大分足りなくってな。まあ、来週遊びに行くカネも稼がねーといけねーし」

「そうですか。あまり無理をなさらないで下さいね?」

「ダイジョーブだよ星崋。オレの身体は頑丈に出来てんだよ」


「……お勉強の方は、大丈夫ですか?」


「ゔ……。確かにヤベーな。また追試とかになったら、遊べなくなっちまう。……スマン星崋、また、教えてくんねーか?」

「うふ。いいですよ?」

 星崋はその大きな漆黒の瞳を細めて、にっこりと微笑んだ。そして――

「それでは……わたくしからもひとつ、お願いがあります」

「ああ、何だ?」



「水着を――買いに行くのに、付き合ってもらえませんか?」



 星崋は昨晩、二十畳はある専用クローゼットから引き出した自分の水着を、三十畳はある自室のひとつに並べて、どれを海に着ていくべきか悩んでいた。

 これは、モルディブで着た。これは、ドバイで着た。これは、フロリダの某ウォーターパークで着た。これは、マウイ島の別荘のプライベートビーチで……。


 ……どれも、納得がいかない。


 星崋は極度の男性恐怖症であったが、人の少ない海外のビーチやプールで、何度か水着姿になる事に挑戦してはいた。結局、プライベートエリア以外は全て短時間で失敗に終わったが。


(紫音くんの告白は、断ってしまったけれど。でも、紫音くんの前へ出る、水着……)


「い……いいぜ? 丁度オレも、買いに行かなきゃと思ってたんだよ!」


 実は瑠琉奈も、イオたちと約束した当日の夜に、既に同じ様な事をしていた。

 彼女に自室など無い。その築四十数年のボロアパートには、簡素なキッチンの付いた六畳の居間と、四畳半の畳の寝室があるだけ。

 その狭い寝室で、近所のお姉さんから去年お下がりとして貰った黄色いビキニを着て、この家で唯一の鏡のある洗面所へと向かう。


 ……キツい。胸がキツい。


(いったいなんでこの胸は、オレの意思とは無関係に年々デカくなっちまうんだろう? これは何かの呪いなのか!? もしかして前世のオレが何かしでかしたのか? しかも、つ、遂にあのお姉さんさえも超えてしまったというのかッ!? うう、もったいねえ。結構気に入ってたのに。買うしかねえか。まさかガッコーの水着で行くワケにはいかねーよな……)


「じゃあ今週末に、勉強する前に買いに行くか? ……ん? そういえば星崋、オマエ海は大丈夫なのか? イキオイで誘っちまったケド、学校のプールでも、野郎どもの視線が怖くて見学ばっかなんだろ? それに、オマエがフっちまったシオンも一緒だぜ?」

 一瞬の間があったが、それでも星崋はしっかりと答えた。

「はい、大丈夫ですっ! いつかは克服しなくてはいけませんし。それに、紫音くんとは」

「シ、シオンとは?」


 百円の透明ビニール傘をくるくると廻す瑠琉奈。

 彼女も、それが気になっていた様だ。その後の……、星崋と紫音の関係は?



「お付き合いは出来ませんでしたけど……。“いいお友達”ですから」



  “いいお友達”。

 自ら、断言してしまった。

 そう、いいお友達。告白を断ってしまった以上、もうそうなるしか、ない。


「そ、そうか。だったら“大丈夫”だな!」

 明らかに。色々な意味でほっとした表情の親友を見て、星崋は思う。

(わたくしは、恋愛のことはよく解りません。でもやっぱり、やっぱり瑠琉奈さんも、紫音くんのコトを……。だったら親友として、わたくしの取るべき道は――)


「瑠琉奈さん、楽しみですね、海。いいお天気になるといいですね」

「お、おう。そうだな!」

 仕立ての良いブランド傘をくるくると回し、精一杯の笑顔を星崋がつくった時。ふたりは双芭家の最新リムジンが待つ、萌木家の築半世紀近いボロアパートの前にたどり着いた。


 いつしか文月の長雨は、ぱったりと止んでいた。


 


「紫音! モウ、ひとりでイっちゃうゾ!」


 ――その日の夕方。紫音の部屋から、イオの声がする。


「ダメだよイオ。もう暗くなるし、ひとりで海に行くなんてアブないよ! 来週まで待てないの?」

「待てないヨー! 今から一緒に下見に行こうヨー! ネー紫音ー! ネーったラー!」


 机に向かってテスト勉強する紫音をよそに、ベッドの上でじたばたと暴れるイオ。

「イオは勉強しなくていいの? テストの点が悪いと、追試とか補習とかあるよ?」

「ヨユーだヨ! 教科書のココからココまでが試験範囲だっテ、センセー言ってたダロ?」

「それはそうだけど……。まさかまた、未来の怪しい技でズルするつもりじゃあ?」

「怪しい技ってナンだヨッ!? あたしは《マキナ》をソンなコトには使わないヨ!」

 拳を握って憤慨するイオ。


「ふーん……。それと、何で部屋の中で水着でいるの?」 

「だって待てないんだモン! ソレにコレ、涼しいシ。別に紫音はコウいうのゼンゼン興味ナイんだカラ、問題ナイでショ?」

 問題はあった。イオが着ているのは、学校の水着。しかも胸には、ご丁寧に平仮名で『いお』と書かれた白い名札が貼ってある。


「そういえば、それってこっちで買った訳じゃないよね? いったいドコで……?」

「ウン! コレもおじいちゃんが持ってたんだヨ!」

 ……学校制服の件といい、我が孫はどんだけマニアなんだろうと、戦慄する紫音。

 これは将来、孫に対しては決して甘い顔をせず、人として厳しく躾けなくては。


「でもイオ、そういった持ち物って、いったいどうやってコッチに持って来てるの?」

 紫音の至極まっとうで素朴な質問に対し……何故かイオは少し顔を赤らめた。

「ソ、ソレは……秘密だヨ! 極秘事項(トップシークレット)!」

 イオはそのまま立ち上がり、小さなバルコニーに面しているガラス扉の前まで来ると、


「じゃあネ! 紫音。モウ、ひとりでイっちゃうカラ!」


 扉を開け放ち、雨上がりの夕陽に染まるバルコニーに歩み出たイオは。両手の指で、今度は間違えない様にゆっくりとコードサインを形成し――一言、呟いた。


「《空乃(エアリアル)(ウインガ)》」


 それを眺めていた紫音は、我が眼を疑った。

 イオの腰に、していなかった筈の星形バックルのベルトが瞬時に現れた、次の瞬間――


 ばさっ。


 天使が、降臨した。

 正確には。イオの背中からやや浮いた空中に、片側二枚ずつ計四枚の、白に近い薄いブルーに輝く翼が出現した。


 そしてその天使――イオは、そのややクセのある髪の毛を風になびかせながらゆっくりと振り返り、夕陽に照らされた整った顔を紫音の方へ向けた。

 薄いブルーに光る四枚の翼は。まるで孵化したばかりの蝶が空へ羽ばたく瞬間を待っているかの様に、ゆっくりと閉じたり開いたりを繰り返している。

 その神々しいまでの光景に気圧(けお)されていた紫音は……ごくりと唾を呑み込みながら、なんとか言葉を絞り出した。


「イオ……、まさかイオ……、と……飛べるの!?」

「……飛べるヨ?」


 背中に翼を生やしたイオは。僅かに首を傾けながら、これ以上ない完璧な笑顔を見せた。


 紫音は、また自分の気が狂ってしまったかと思った。

 その少女は。存在感の薄い自分と同じ顔をしているのに、どうしてこんなに輝いているのか?

(ああ、そうか)

 刻任紫音は、理解した。イオと、自分との違い。


 それは、そこから発散される生体エネルギー量の違い。

 思い立てばすぐに行動するイオ。『植物系』と呼ばれるほど何事も受け身で消極的な自分。

(僕はそんな自分を、変えたいんじゃなかったのか?)

 飛べる者と――飛ばない者。

 輝ける者と――輝かない者。

 たとえ同じ顔だとしても。イオは――自分よりも圧倒的に、魅力的だ。

(そう、僕も、願わくば、イオの様に――)


「――一緒にイこうヨ? 紫音――――――」


 イオは眼を細めて微笑んだまま、紫音に向かって、いつの間にか星形の腕輪がはまった左手を差し伸べる。

「……うん! 行こう!」

 紫音は、その手をしっかりと掴む。


「ヨーシ! じゃあ背中につかまってヨ!」

「あ! でもその前に……イオ、これを着てよ」

 ハンガーにかかっていた自分の制服の白いYシャツを、イオに手渡す紫音。

「エ? ナンデ?」

「だって空は……、ちょっと寒いでしょ?」

「あ、ウン……。アリガト……」

 大人しくその白Yシャツを水着の上から羽織るイオ。

 不思議な事に四枚の光の翼はそのシャツを透過し、何の物理的干渉も無い様だ。


「《不可視(インヴィジブル)障壁(スクリーン)》!」


 紫音が背中につかまると同時。イオがコードサインを形成してそう呟くと、ふたりは淡い光に包まれた。飛んでいるところは誰にも見られない方が良いのだろう。

「さア! イっくヨー!」

 そうしてふたりは――夕陽に灼けた文月の空へ飛び出した。




 ――それはまるで、幼い子供の頃に見た夢のようだった。


 ふたりは臙脂(えんじ)に染まる空の中、夕陽を横目に、海を目指して飛ぶ。

 地平に沈みかけた夕陽の反対側では、既に大小の星々が煌めき始めている。

 上方には、満ちた月。僅かに残った雲。そして遥かな、宇宙。

 下方には、小さくなった故郷の街。海へと続く川と線路。

 後方には、浅黒いシルエットで連なる山々。

 そして前方には、丸い、丸い水平線。

 三百六十度、いや三次元的全方位に広がる、絶景。


「ウッワァーッ! 紫音! 現実(リアル)の地球の空はやっぱり絶景だネー! 仮想(ヴァーチャル)とは大チガイだヨ! コロニーの中とモ、他の星とも違ウ……、アハ! キッモチイィ――ッ!」


 その少女は、いつもよりまして興奮気味だ。

 イオの背中からやや浮遊して生えた四枚の光る翼は、どうやらビジュアルエフェクトの様なモノで、羽ばたいてはいるが、それ自体で空気を掴んで飛んでいるのでは無いらしい。

 そして背中の紫音がその翼に触れても、透過してしまう。

 羽で飛んでいるというよりも、何か反重力的な力で浮かび、推進しているのだろう。

 幼い頃に幾度か夢に見た、幻想的な光景。

 この未来から来た少女は、やすやすとそれを実現している。


(いつから僕は――、自分は飛べない人間だと、諦めてしまっていたのだろう?)


「イオ、凄いね君は。だっていくら未来でも、誰でも空を飛べる訳じゃあないんだよね?」

「アハッ! ソウだヨ紫音! 飛べるヒトハ、ごく僅かだヨ」

 そしてあっという間にふたりは、夕凪の浜辺へと降り立った。




 夕闇迫る海岸は、人影もまばら。わずかに訪れた恋人たちが、水平の彼方に堕ちた夕陽の残滓を眺めている。


 いつの間にか翼を消して不可視状態を解いたイオは、あっという間に羽織っていた白シャツを脱ぎ捨てて元の水着状態になり、波打ち際向けて一目散に駆け出した。

 そしてざぶざぶと、躊躇無く海の中へと突進する。


「ワァアアーッ! ナマ海だヨ紫音! ナマ海! アハ、冷たーイ! うオォオー! ナマ波だナマ……うギャアアア―――ッ!?」


 ざぶーんと派手に波を被ったイオは、腰まで海に浸かった状態で、まるで無垢な子供の様にけらけらと笑う。

 そして濡れた髪を右手で掻き揚げながら振り向くと……、再びその左手を砂浜に立つ紫音の方へ向けて差し出した。その髪と手から溢れた海の雫が、わずかに残った夕陽の残滓を反射して、きらきらと七色に輝く。


「……ネェ。キテヨ……、紫音――――――」


 紫音はもう、迷わなかった。

「よーし! 行っくぞー、イオ!」

 紫音は部屋着の短パンとTシャツのまま、ジャブジャブと勢い良く海に入って行く。

 自室から直行したので、靴も最初から履いていない。

 そして差し出されたその左手を、紫音が掴んだ瞬間、

「う! うわぁーっ!? ……もごっ」

 イオに思い切り引っ張られ、頭から海に突っ込む紫音。


「アハハハのハ! 引っ掛かったネ紫音! ドウ? 海の味はしょっパ……」

「げ、げほっ! や、やったなイオ! このー!」

「ウ、うギャーッ!? ……ブクブク」

 今度は紫音に水中の脚をひっぱられたイオが、両手を広げて後ろ向きに転ぶ。

「どうだイオ! 僕はやられるだけじゃな……ぎゃーっ!?」

 ざっぶ~ん! と、ふたりはひと際大きい波を一緒に被った。


「……あ、あははははははははは!」

「……アハハハハハハハハハのハ!」


 その同じ顔をしたふたりは、他の恋人達の視線を気に留める事もなく、お互いのずぶ濡れになった姿を指差して、大声で笑い合った。

同じ様で違う互いの瞳が、同じ様に笑う互いの顔を映す。


 ――どうしてだろう? と、紫音は思う。


(この未来から来た少女と、こうやって海で(たわむ)れるのは初めてなのに。何故だかとても、とても懐かしい感じがする。そしてこの娘の願いを、僕がかなえてあげられるのなら……)

 その後ふたりは、辺りが完全に闇に包まれるまで。まるで本当の双子の様に、無邪気に浜辺で(じゃ)れ合い続けた。




 問題は、帰り道。 


 夜の帳が下りた空を、今度は自宅へ向けて、紫音を背負ったイオは飛び続ける。

 その頭上の天空では、都市部の地上からでは確認しづらい天の川が滔々と流れ、お馴染み夏の大三角形――ベガ、デネブ、アルタイルと、それらを含む琴座、白鳥座、鷲座の星々が煌々と輝く。

 その眼下の地上では、昼間はただ雑然としているだけの街が、幻想的な光の粒の集合体へと姿を変えていた。

 刻任紫音は、もうずっとこのままふたりで飛び続けていたいと思う。

 そして、刻任イオに語りかける。


「ねえ、イオ。イオの居た火星のコロニーからも、星空は観えるの? やっぱり地球から観るのとは、星座とか、全然違うのかな?」

「………………」

 イオは、答えない。そしてその飛行も、フラフラと次第に不安定になってきた。


「ねえイオ!? 大丈夫?」

「ハッ! ……ア、アブナイ。ちょっと寝てたヨ……」

「ね! 寝てたって!? どうしたの? 疲れてるの?」

「ウン……。《A (クラス)マキナ》を二つ、長時間平行起動してるシ、紫音も重たいカラ……」

「じゃあ、《不可視(インヴィジブル)☆ナントカ》の方を解除したら? 夜だし、多分誰にも見られないよ?」

「ダメ。“ヤツら”ニ、見つかっちゃうカモ…………」

 


 ――“ヤツら”?



 紫音はその一言に対し、咄嗟に不安と違和感を覚えた。


(いったい誰の事だろう? まさかイオは……、誰かから逃げたり、追われたりしているのかな?)

「イオ? 誰なの“ヤツら”って? まだ僕に、何か話していないコトが――」

「……………………ゴメン、紫音」

「えっ?」

「…………オヤ…………スミ…………ナサイ……………………」


 イオがそう呟くと。ふたりの身体は推進力を失った紙飛行機の様に、緩やかに落下を始めた。 

 地表までの距離は、軽く数百メートル。


「う、うっっっわああああああああああぁぁぁぁああああああ――――――――――――っっっ!? 起きてっ! 起きてよイオ―――――――――――っ!!」




(どうしよう?)


 自宅からおよそ二キロ離れた公園のベンチに座って、刻任紫音は途方に暮れていた。


 その隣では同じ顔をした少女が横たわり、紫音の膝枕ですやすやと平和そうな顔をして寝息を立てている。ただその両側の頬は、少しだけ赤く腫れ上がっていた。

 いくら叫んでも起きなかったので、最後の手段として紫音が激しくひっぱたいたのだ。


「…………イタイ。……アトで……、ブッコロすカラ…………」

 地面に激突する前に、少女はかろうじて意識を取り戻した。

 そしてやむなく《不可視(インヴィジブル)障壁(スクリーン)》を解除して飛行に集中し、不気味なセリフを残しつつも、なんとか無事に公園の芝生に不時着したのだった。


 ――しかし。

(ここからどうやって家に帰ろう?)

 まず、お金を持っていない。

 イオと共に慌てて家を飛び出したので、当たり前といえば当たり前だ。従って、タクシーもバスも電車も使えない。

 それに、携帯電話さえ持ってこなかった。だからタクシーを呼んで自宅に着いてから支払うとか、そろそろ家に帰って来たかもしれない親に迎えに来てもらう事も出来ない。


 ――そもそも。

 その年頃の少女は……、まだ濡れている学校の水着の上に白いYシャツを羽織っただけ。

 そのまま人前に出るコトは、とても問題がある気がする。タクシーをつかまえようと大通りにでても、間違って警察を呼ばれてしまうかもしれない。

 かといって、Tシャツに短パン姿の紫音には、これ以上服を貸す事も出来ない。

 イオが目覚めれば全ては解決するだろうが、どう見ても当分起きそうに無い。このまま公園で夜を明かしたら、きっとイオは風邪を引いてしまうだろうし、第一、危険だ。


「はあ」

 紫音は大きく溜め息をつくと、よっこらしょと、その眠り姫を背負った。

 僅かな膨らみが背中に当たる。

「……。歩くか……」

 紫音は意を決して、イオを背負って歩き始めた。


 自分と同じでスリムな体型のイオは、それほど重くはない。

 しかし不幸な事に。彼はヘタレで、しかも極め付きは裸足だった。

 なんかこの間も似た様な事があったなあと回想しつつ、紫音は人通りの多い道を避けてひたすらに歩く。

 その間に紫音は、イオが呟いた“ヤツら”というフレーズを、すっかり忘れてしまっていた。


 通常なら三十分もかからない距離を、二時間以上かけて、フラフラになってようやく自宅へ辿り着く。その頃には、両足の裏の皮がめくれて大変な事になっていた。


 もう、一歩も、動けない。


(もちろん今日も…………すごく大変な一日だった)




 そして。

 そんなふたりの姿を、上空から眺めていたひとつの影。


 しかし誰にも、その姿を確認するコトは出来ない。でも確実に、その者はそこに在った。

 何故なら。

 その影は、こう呟いた。


「……ニャハッ! 『星乃(スター)継承者(サクセサー)』、見ィ――ツケッタニャ――――――ッ♪」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ