第1章 4話「死のうと思うと死ねないが、それで死ぬ気が無くなったわけでもない」
これまで、どんな苦難も乗り越えてきた。
山中の村であらぬ疑いをかけられ、裸一貫で雪山を踏破したこともある。
仲間たちと一緒にバトルクラブの群れと戦っていたら、自動的かつ無許可で殿を務める羽目になったこともある。
アンデットの群れと一晩やり合った末に、黒幕と勘違いされ殺されかけたこともある。
思い出せば思い出すほど、ロクでもない人生だったと言うしかない。
それでも今の状況は、そんなロクでもなさが霞むほどにロクでもなさの極みであった。
「だああああああああ!」
ロンは背後から追ってくる炎から逃げ切って岩陰に飛び込む。
岩越しにじゅうじゅうと焼ける熱が伝わってくる。もし直に岩に触れれば、そのまま熱で貼り付いてしまう。試してはいないが、そうなる確信があった。
だが、この確信は人間目線の確信である。レッドドラゴンの攻撃が熱で焼けた岩を粉砕する。粉砕直前、ロンは岩陰から飛び出ていた。
もうずいぶんと囮として時間を稼いでいるが、レッドドラゴンの弱点を見抜き強烈なダメージを与える担当、謎の怪力女オーク仮面の合図はない。むしろ、気配を感じないのが心底不安である。あの仰々しい性格の女がこっそり逃げることはないだろう。この予想が、今のロンにとって唯一の命綱であった。
ロンは足元に何が落ちているか確認する。このレッドドラゴンの巣には、犠牲者の骨や武器や防具が転がっている。足元に落ちている物を拾って投げる。単純過ぎる戦法だが、ロンの並外れたコントロールを持つ投擲術により、レッドドラゴン相手に相当の時間を稼いでいた。
ロンの足元には斧や鎧の破片や骸骨が転がっている。どれを投げても時間が稼げそうだ。骨も肋骨や上腕骨と言った鋭く長い部位を投げれば、十分に武器となる。
だがロンは、やられたと唇を噛んだ。斧は赤熱化し、鎧の破片は溶け、骸骨は灰となっている。ロンの武器となるであろう物は、地面ごと焼けてしまっていた。レッドドラゴンの力推しが、ロンの単純な戦法を台無しにした。
ロンは自分がいた岩陰の方を見る。あの辺りは、まだ焼けていない。むしろ、焼けていたら今頃ロンは丸焦げである。たいした物は残っていなかったが、それでもロンの目は、武器の候補を捉えていた。
ロンは岩陰に戻り、それを拾うと、迷いなくレッドドラゴンめがけ投げつける。
円形の大きな盾がドラゴンの顎に当たる。ロンは跳ね返ってきた盾をキャッチすると、今度は壁に投げつける。反射した盾が、今度はドラゴンの横っ面を斬りつける。速度と上手い角度があれば、ただの盾のフチも刃のごとき鋭さとなる。
壁を二度ほど経由して跳ね返ってきた盾を、ロンは見ること無く片手で捕まえる。盾を投げ、縦横無尽に戦う姿は、まるで何処かの誇り高き英雄である。
「ダメだ! こういう立派なカッコよさは性に合わねえ!」
ロンはそう言うと、乱暴に盾を投げ捨てる。盾はレッドドラゴンの足の指に真っ直ぐぶち当たり、そのまま刺さった。ちょうどそこは、オーク仮面との戦いで砕かれた部分である。傷口にごってりと塩を塗られたかのような痛みにより、レッドドラゴンは巨大なうめき声を上げた。
痛みで身を捩るレッドドラゴン。これまで隠れていた胸の部分に一際赤く輝く鱗があるのを、ロンは見逃さなかった。四つん這いのレッドドラゴンは、地面で弱点を守っていたのだ。
「今だー!」
あの鱗こそが、ドラゴン共通の弱点となる宝鱗だ。ロンは何処にいるかわからないオーク仮面に向けて叫ぶ。準備はこれで整った。
「はーっはっは! 心得たぞ!」
オーク仮面の返事は上から聞こえてきた。
穴に隠れていたオーク仮面は、地面どころか随分と上。ロンが仰ぎ見て、レッドドラゴンを見下ろす位置。吹き抜けとなっているレッドドラゴンの巣のてっぺん。その穴の淵に立っていた。どうやらロンが稼いだ時間を、すべて壁面の攻略に当てていたらしい。
「バカー!」
ロンは叫ぶ。
お前、絶対レッドドラゴンの弱点がどこか観察してなかっただろ。
そもそもその位置じゃ、レッドドラゴンの宝鱗も見えてないだろ。
つーか、上にいたら、地面ギリギリの弱点に攻撃するの絶対無理だ。
だいたい、上から何をする気だ。
これらのツッコミが全部入った叫びであった。
その叫びは、痛みにあえぐレッドドラゴンの気を引くのに十分だった。
レッドドラゴンの怒りが、ロンを射すくめる。当然、頭上のことなど気に留めていなかった。
「とぉー!」
オーク仮面は掛け声とともに、鉄製の棍棒を振りかざして跳躍した。
ロンを睨むレッドドラゴンの口から漏れる炎。
上から落ちてくるオーク仮面。
時間にしたら数秒だろう。だが、ロンにとってその数秒は、数時間にも感じられる重さであった。自分の命がかかっていれば、こうもなろう。
レッドドラゴンの眉間に、棍棒の一撃が突き刺さった。高速落下の勢いにオーク仮面のわけのわからぬほどの腕力を足した一撃により、レッドドラゴンの凶暴な顔立ちが一気に間抜けなものとなった。強靭な鱗に丈夫な皮膚に鉄の硬度を持つ頭蓋骨、レッドドラゴンを護る部位のすべてが一撃で粉砕されてしまった。
くしゃりと潰れた顔面のあちこちから血と炎を撒き散らしつつ、レッドドラゴンが斃れた。レッドドラゴンの死骸を背に、やりとげた風のオーク仮面があらわれる。あれだけの高さから落ちて、レッドドラゴンを一撃で倒す威力の攻撃をしていて五体満足なのはおかしいが、もう流石にロンも慣れてきた。この女、規格外である。
「見事だ、ロン! レッドドラゴンの注意を引きつけてくれたおかげで、容易くドラゴンの弱点を突くことができたぞ!」
「……お前が思う、ドラゴンの弱点ってなんだ?」
「ドラゴンが生物である以上、頭以外に弱点は無かろう! 頭を潰せば、どのような生物でも死ぬ。すなわち、ドラゴンの弱点は頭だ!」
正論である。ただそれは、息を止めれば生物は死ぬとか、食事を取らなければ餓死すると言ったレベルの話。いわば子供でもわかる弱点である。むしと、当たり前過ぎて弱点のカテゴリーに普通入れない。
事前にロンは、オーク仮面に対してドラゴンの弱点はわかっているとの確認を取ってはいたが、中身はまったくすり合わせていなかった。
「まあ、お前はそれでいいよ」
ロンはいろいろ諦めた。お互いの認識と常識がまったく噛み合わず、正直上手く行ったのは奇跡だったとしても。結果的にどうにかなった以上、これでいいのだ。冒険者は成果主義である。
ロンはレッドドラゴンの死骸を確認する。どんな生物でも頭を潰せば死ぬとはいえ、頭がぺしゃんこに潰れたドラゴンを見るのは始めてである。確かに死んでいる。まずはここから確認せねばなるまい。
じっくりと慎重に観察を進めるロン。ふと、レッドドラゴンの口から小さな赤い宝石が転がってきた。ロンは思わず足元まで転がってきた宝石を拾う。手のひらにちょうど乗るくらいのサイズで、ルビーよりも深く赤い煌めきを持つ宝石である。
まさか、この宝石は。
話に聞いたことはあるが、実物を見たことはない。ロンの口が自然と重くなった。
「おお! 心臓石……ハートストーンではないか! ネックレスやブレスレットに加工されたものは何度か見ているが、採れたての原石を見るのは始めてだ!」
オーク仮面は軽やかにその宝石の名を呼んだ。
レッドドラゴンの部位は何処も高く売れるが、その中で最も高いのが心臓石ことハートストーンである。レッドドラゴンの活力が秘められていると言われているこの石は、すべてのレッドドラゴンが持っているわけでもなく、心臓石と言いつつ心臓近くにあるわけでもない。死骸を細切れにしても見つからないというのもざらである。
売れば孫の代まで食べられるとまで言われる石が、ポロリと転がってきた。こんな幸運、冒険者をやってて始めてだ。問題があるとすれば、貴重で高価な心臓石は一つしかなく、この場にいる冒険者は二人ということだ。この宝石には奪い合うだけの価値がある――
「ふうむ。そうか、ハートストーンか……」
オーク仮面の声が暗いものとなる。それは誰にでも察することができるくらいの落胆だった。
オーク仮面はロンに聞く。
「このハートストーンは”宝物”だと思うか?」
「いや、そりゃ宝物だろ。子々孫々や集落ごと数十年単位で食わすことができるだけの価値はある。適当な冒険者パーティーでも投げ入れてみろ。これまであったはずの友情や愛情が粉微塵になる瞬間が見れるぜ?」
「それは我にとっての”宝物”ではないな。まいった、どうやらいろいろ間違えてしまったようだ」
「間違えた?」
「占いが間違っていたのか、潜るダンジョンが間違っていたのか、何か見落としがあったのか。とにかく、いろいろ間違えたのだろう」
なにを間違えたのかはわからないが、恐ろしく贅沢なことを言っている。
いや、このオーク仮面はおそらくロンとは価値観が違うのだ。
ロンのような冒険者にとって心臓石の価値は恐ろしく大きい。手にした時点で人生が変わるほどの金銭が得られるアイテムを、宝ではないとは絶対に言えない。
オーク仮面にとっての心臓石の価値はさほど大きくない。おそらく、彼女にとって心臓石を売って得られる金銭は、人生を変えられるほどのものではないのだ。それか金銭に以上に無頓着か。とにかくオーク仮面は、心臓石を宝でないと言える価値観で生きている。
「もしよければ、いるか?」
だから、こんなことを言える。冒険者が殺し合って奪うような成果を、あっさり譲って見せる。
きっとロンが「はい」と答えれば、言葉通り石を譲ってくれるだろう。
「くくく……ははは……!」
ロンは返事をせず、ただ笑った。無法のオーク仮面も、怪訝な様子を見せている。
ロンがなぜレッドドラゴンの巣に来たのか。それは、人生が嫌になったからだ。
ダンジョンにてパーティーから追放されて死にかけて、自らの生まれや運命を見限り、せめて竜にでも焼かれて華々しく死のう。そう思ったから、ここに来たのだ。
しかしこうして巣に来てみれば、変な女が一人でレッドドラゴンと戦っており、そんな彼女に否応なしに付き合った結果、なんとレッドドラゴンの討伐に成功してしまった。しかもその女は、貴重で高価な心臓石をたいしたことが無い物として譲ってくれた。
死にたいと思って来た結果が、大成功である。こんな皮肉な運命、笑うしかないだろう。
しばらく笑った後、ロンは被っていたフードを外し、ゴブリンを思わせる素顔をオーク仮面に見せつけた。
「今日俺は、ここで死のうと思ってたんだよ。それなのに、こうして生き延びちまった。何もかも上手くいかない以上、笑うしかないだろ!」
「その顔と肌、もしかしてロン、お前は混血児なのか?」
「ああそうだよ! ゴブリンの父と人間の母の間に生まれた、どっちつかずのバケモンだ! 思ったことが何も叶わない、中途半端な馬鹿野郎だよ!」
オーク仮面は半ばヤケに己を呪うロンに何も言わなかった。
ただ、ゆっくりとロンに近づくと、ロンの手を心臓石ごと握った。
その手には温かさしかない。
「やはりその石は、そなたの物だ。先ほど、そなたはハートストーンのことを友情や愛情を壊す石と呼んでいたが、今日この日はそなたとの友情の証にしたい」
仮面の下から覗く目に、嘘偽りはなかった。まるで何か大事なものを見つけた充実感さえある。
オーク仮面はロンから手を放すと、一足先にこの場を立ち去る。
「その石を、しばらく手放さないで欲しい。その石は、そなたの未来へと通ずる。死などという結末を、自ら選ぶな」
「いったいなんで」
お前に俺の何がわかるのか。そんなことを言おうとしたロンを、オーク仮面の力強い台詞が押し留めた。
「自分で自分を諦めるな! お前のすべては我が認めよう!」
ビリビリとロンの背が震えるほどに、オーク仮面の言葉には力が込められていた。先ほどのロンの嘆きと絶望が陰なら、オーク仮面の言葉は陽。込められた力と重さが、人生に直結しているとしか思えなかった。
ロンは動けぬまま、威風堂々と去るオーク仮面の背を見送る。
オーク仮面が消えてからようやく、ロンはただ一言呟いた。
「このレッドドラゴンの死骸、どうすんだよ……」
レッドドラゴンの死骸は素材の山であり、それ自体が一つの財宝である。
また火吹き竜の谷の主であるレッドドラゴンを倒した以上、関係各所への報告が必要だ。
そう言えば、ロンを見捨てたパーティーメンバーはちゃんと逃げ帰れたのだろうか。
ロンの頭の中に、様々な今後が浮かんでくる。
先のことを考えようとする。それは生の証とも言える。死は終わりであり、先はいらない。
ロンの内にいた死神は、一先ずロンの人生より退いていた。
◇
それなりに生きる気になったロンが火吹き竜の谷より脱出してから数日後。
「やっぱあの時、死んどきゃよかったな」
ロンは街の地下牢に、死刑囚として放り込まれていた。




