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第7話 覇王、未知の『ふわふわ』に遭遇する

 午後三時。

 それは、人が最も集中力を欠き、糖分を欲する魔の時間帯である。


 私がカイル陛下の執務室を訪ねると、そこにはどんよりとした空気が漂っていた。

 机の上に積み上げられた書類の山。

 カイル陛下は眉間に深い皺を刻んでペンを走らせているし、護衛の将軍たちも立ったまま白目を剥きかけている。


「……空気が重いですわね」


 私が声をかけると、カイル陛下が顔を上げ、重々しく息を吐いた。


「リリアーヌか。……すまない、今は少し取り込み中だ。近隣諸国との条約見直しに、軍備の再編……頭がパンクしそうだ」


 彼はこめかみを揉んでいる。

 疲労の色が濃い。朝食で元気になったとはいえ、激務であることに変わりはないようだ。

 この国の人々は、真面目すぎる。休憩も取らず、ただひたすら働き続けることが美徳だと思っている節がある。


「陛下。少し休憩になさいませんか?」


「休憩だと? そんな暇はない。この書類を今日中に片付けねば……」


「いいえ、効率が悪いです。疲れた脳には、適切な休息と糖分が必要ですわ」


 私はビシッと言い放ち、後ろに控えていた料理長のガントに合図を送った。

 ガントは我が意を得たりとばかりに、ワゴンを押して入室してくる。


「というわけで、皆様に『おやつ』の時間を提供いたします」


「オヤツ? なんだそれは。また新しい兵器か?」


「ふふ、ある意味では兵器かもしれませんね。……人の心を骨抜きにする、甘い誘惑の兵器です」


 私はワゴンから調理器具を取り出した。

 今回は、ただのお菓子ではない。

 この武骨な帝国の男たちに、最大の衝撃ギャップを与える『究極のふわふわ』を作るのだ。


 私は厨房で、ガントたち筋肉自慢の料理人に命じておいたのだ。

『卵白を、腕が千切れるほど高速で泡立てなさい!』と。

 彼らの人間離れした腕力で作られたメレンゲは、キメが細かく、鋼のようにしっかりとした角が立っていた。

 そこに、私のスキル『お取り寄せ』で購入した最高級薄力粉、新鮮な卵黄、そしてバニラエッセンスを混ぜ合わせる。


 生地の完成だ。

 私は再びホットプレート(魔道具)のスイッチを入れた。


「……リリアーヌ。今度は何を焼くつもりだ?」


 カイル陛下が怪訝そうに覗き込む。

 私は答えず、お玉一杯分の生地を、温まったプレートの上にこんもりと落とした。

 さらにその上から、もう一杯。高く、高く積み上げる。


 ジューッ……。


 優しく、繊細な焼ける音が静かな部屋に響く。

 そして立ち上るのは、朝の肉とは対照的な、甘く幸せな香り。

 バターの芳醇な香りと、焼けた小麦の香ばしさ、そしてバニラの甘い誘惑。


「なんだ、この匂いは……。嗅いでいるだけで、脳が蕩けそうだ」

「おい、ガルド。よだれが出ているぞ」

「うるさい、貴様だって鼻の下が伸びているではないか!」


 将軍たちがソワソワし始めた。

 私は蓋をして蒸し焼きにし、数分後――勢いよく蓋を開けた。


 ふわぁっ、と大量の湯気と共に現れたのは。

 厚さ五センチはあろうかという、極厚のパンケーキが三枚。


「できた……!」


 私がフライ返しでひっくり返すと、狐色の美しい焼き目が現れる。

 そして、皿に移す瞬間。

 その黄色い塊は、プルンッ、フルルンッ! と、まるで生き物のように揺れたのだ。


「うおっ!? 揺れたぞ!?」

「なんだその弾力は! スライムか!?」


 男たちの驚愕をよそに、私は仕上げにかかる。

 純白のホイップクリームを山のように盛り付け、その上から琥珀色のメープルシロップをたっぷりと回しかける。

 さらに、粉砂糖を雪のように降らせて――完成。


 名付けて、『奇跡のふわとろスフレパンケーキ~悪魔のホイップ添え~』。


「さあ、どうぞ。カイル陛下」


 私が皿を差し出すと、カイル陛下は警戒心と好奇心が入り混じった複雑な表情でそれを受け取った。


「……俺は、甘いものは好まんのだがな」


「まあ、そうおっしゃらずに。一口食べれば世界が変わりますわ」


 彼は疑わしげにナイフを入れた。

 その瞬間、彼の手が止まる。

 抵抗がない。ナイフの重みだけで、生地がスッと切れてしまったのだ。


「……柔らかすぎる。これは本当に固形物か?」


 彼は切り分けた一口をフォークに刺し、クリームとシロップをたっぷりと絡めて、口へと運んだ。


 ハムッ。


 咀嚼しようとした、その時だった。

 カイル陛下の動きが完全に停止した。

 彼の紅い瞳が、カッ! と見開かれる。


「…………消えた」


「え?」


「今、口に入れたはずだ。確かに舌の上に存在した。だが、一瞬で溶けて消え失せたぞ!?」


 彼は慌てて二口目を放り込む。

 今度は目を閉じて、味わうように。


「……っ、なんだこれは……! 雲か? 俺は今、甘い雲を食べているのか!?」


 普段の冷徹な覇王とは思えない、少年のように輝いた表情。

 

「卵の優しい風味が広がったかと思えば、メープルの濃厚な甘みが追いかけてくる。そして、この白いホイップ! 牛乳のコクがあるのに、雪のように軽い! くそっ、止まらん!」


 彼は猛烈な勢いでパンケーキを食べ進めた。

 甘いものは好まない、と言っていた口が、フォークを離そうとしない。

 それを見た将軍たちも、もう我慢の限界だった。


「へ、陛下! 毒見です! 我々にも毒見をさせてください!」

「リリアーヌ嬢! 俺にもそのフルフルしたやつをくれ!」


 私は苦笑して、全員分のパンケーキを焼き始めた。

 厳ついおじさまたちが、パンケーキの揺れに合わせて「おおっ!」と歓声を上げ、クリームを口の周りにつけて頬張る姿は、なんとも微笑ましい(そしてシュールな)光景だった。


 全員が食べ終わり、満足げなため息が部屋に充満した頃。

 カイル陛下が、空になった皿を名残惜しそうに見つめながら呟いた。


「……恐ろしい兵器だ。こんなものを食わされたら、もう戦う気力など起きん」


「あら。では、平和に貢献できましたか?」


「ああ。……だが、同時に活力が湧いてきた。リリアーヌ、貴様の料理は、枯れた大地に水を撒くようだ」


 彼は立ち上がり、私の元へと歩み寄ってきた。

 そして、自然な動作で私の頬に指を伸ばす。


「……クリームがついているぞ」


 彼の親指が私の口元を拭う。

 ドキリと心臓が跳ねた。

 至近距離で見つめる彼の瞳は、砂糖菓子よりも甘く、熱を帯びている。


「貴様は、料理だけでなく、俺自身をも甘やかすつもりか?」


「……それが、私の役目ですので」


 私が顔を赤くして答えると、彼は満足そうに笑い、私の指先を拭ったその指を、自身の唇で舐め取った。


「――甘いな」


 それがクリームの感想なのか、それとも別の意味なのか。

 赤面して固まる私を見て、料理長のガントや将軍たちが「ヒューヒュー!」と野次を飛ばし、私はさらに顔を熱くするのだった。


 帝国の『おやつタイム』は、こうして甘く騒がしく過ぎていった。

 一方その頃、祖国では――王太子のセドリックが、カビの生えたパンを前に「甘いものが食べたい……」と亡霊のように呟いていることなど、知る由もなかった。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

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