旅立ちの日 2
「これからどうするんだ」
「仕事をする」
「仕事?」
「副団長が紹介してくれたんだ。西の辺境伯のもとへ向かうことになっている」
「西……ってぇーと、まさか」
「お前の生まれ故郷だよ」
にやりと笑うアデルの悪戯っぽい表情に、ナジュは目を見開いた。
「ノルデンヴィントかよ!」
ノルデンヴィントとは、王都ハレに次ぐスノー王国の大都市だ。
ノルデンヴィント辺境伯の家を中心に、貴族街、平民街、そして農家や漁師の家や仕事場が広がっている。王都ハレと似た街の構造だ。
大戦後、街並みは戦いの巻き添えとなりほとんどが消滅したため、新しく作り直すことになった。
変わってしまった地形を元にした街の設計図は、王都と構造が似ていたため波紋を呼んだが、盆地の中央が突出している独特なドーナツ型の地形と見晴らしの良さから当時のノルデンヴィント伯が王に直談判し、『守備をする上でこの上なく合理的だ』と連日遅くまで熱い説得を続けた末、最終的に許可を得た、という逸話も残っている。
魔王との大戦中で得た功績から代々ノルデンヴィント家が統治しており、海に面した盆地にある。冬は長く、夏は短い土地だが、盆地である為夏場は熱が籠りやすい。海風はあるものの他の土地よりも暖かいため、農作物がよく育つ土地でもあった。ナジュはこの農地を広げるための木こり一家出身である。
かつては人同士の戦争で海から来る外敵を迎え撃つ拠点として、現在は空と海から襲来する魔物に対する重要な防衛拠点として、今も昔の設備がそのまま活用されている。
アドネル同様豪雪地帯であること、山や森に囲まれていることから、移動手段は犬ぞりがメインだ。
犬種は多種多様だが、長い年月をかけて改良されたノルデン種とヴィント種が多く飼われている。
ノルデン種の特徴は、雪に強く持久力があり、魔物に襲われても統率を取り立ち向かう勇敢さを持つ。ピンと立つ耳と睨んでいるかのような顔は、一見怒っているようにも見えるが性格は穏やかで社交性があり従順だ。
大型で成人男性の腰ほどまで成長し、立ち上がると同じ位かそれ以上の大きさとなる。
琥珀色の瞳、筋肉質、毛色は明るい茶色、黒、灰色が主で、ごわごわとしたオーバーコートに、真っ白でふわふわのアンダーコートという2重構造のやや短めの毛並みが密集している。
ヴィント種も同じく体高が高めだが、肉付きが良くやや長毛、平たい三角形のようなたれ耳、たれ目がちな茶色の瞳、大きなマズルが特徴で、いつも笑っているような福顔だ。ソリも引くがスピードは左程出ず、持久力と体力が非常に高い。
この犬種の仕事は、周辺の雪山で度々雪崩に巻き込まれたり遭難する人間を見つけ出し、冷えた体をダブルコートのふわふわな毛並みで温めつつ街へ連れ戻すこと。帰巣本能も強く嗅覚も鋭いため、見つけたり人を連れ立ったりするのが得意だ。毛並みは白と明るい茶色と黒が混ざった三毛が多いが、単色も極稀に生まれてくる。遊び好きでのんびり屋、甘え上手で人懐っこい。
犬はこの街全体で育てているため特定の飼い主の下で過ごす、という犬は少ないが、中央の突出したノルデンヴィント家には大きな犬舎があり、犬たちの大体はここで寝泊まりしている。犬好きにはたまらない土地でもあった。
騎士の駐屯地は他と比べて非常に行き届いており、この国の騎士をどれほど大切にしているかが伺えると言う。騎士達にとっては、〝当たり〟の駐屯地だ。
驚く大きな男に笑いかける姿からは、騎士への未練は見て取れない。
それがなんども清々しく、ポッコルは少し裏切られた気持ちにさせられた。
「よく話をしてくれたよな、いいところだって。今から楽しみだ」
前向きなアデルの姿に、引き留めるのも野暮だと集まっていた面々も思い始める。
ここまで気持ちの整理がついてしまっているのなら、もはや何も言うことはない。
普段から意志のかたい男が、ここを退所すると決断したのだ。
今更何を言ってももう遅いと分かっていたぶん、彼らも気持ちの切り替えをすることができた。
少しの寂しさをにじませて、ジーコがアデルの肩を叩く。
「手紙、書けよ。近況報告でもなんでも、待ってるから」
「わかった、可能な限り送る。それからポッコル」
突然名を呼ばれ弾かれたように顔を上げた。
「これからはおれ以外の上級生を頼ってくれ。幸い、ここにいるこいつらはみんな面倒見がいい。おれじゃ対処できない事も、彼等なら何とかしてくれるだろう」
ジーコやフレデリック等、同級生たちへ一人一人視線を合わせ、最後にポッコルへ安心するよう促し、ウェイトにもしっかりと目を合わせて告げる。
「ウェイトも。困ったことや分からない事や悩みがあれば、こいつらを頼ってくれ。頼りになる」
「アデル先輩のお心づかい感謝します」
かしこまってウェイトが礼を言う間も、ポッコルはただ頭を下げることしかできなかった。
誰もあなたの代わりにはなれないということは、誰もが知っていること。しかしそれを言ってしまったら、アデルの気遣いすら無下に扱うことになる。尊敬しているからこそ、それだけはしたくなかった。
荷物を手にフードを被り直す様子から、そろそろ出立の時のようだ。
沈痛な面持ちでその動きを見守る彼らに、アデルは普段の冷静さや落ち着きはなりを潜め、困ったような、戸惑っているような様子だ。
「……なぁ、これが今生の別れってわけじゃない。そんな顔するなよ」
フレデリックとナジュが睨む。
「無茶言うな」
「今生の別れみたいなものだろう、騎士になれないのなら、会う機会も減るんだ」
暫しの逡巡の後、アデルが少し声を潜める。
「言っておくが、おれは諦めたわけじゃないぞ」
驚く彼らが何かを言う前に歩き始めた。
「修行に出るようなものだと思ってくれ」
アデルの意図が分からない面々は困惑気味ではあるものの、どうやら自分たちの知っている前向きさはそのままだと気付き、少しだけ心のモヤも晴れたようだ。
「じゃあな!」
振り返り大きく手を振るアデルに対し、フレデリック達も門から出ずに声を張り上げる。
「また、また会うんだからな!」
「お前なら出来るさ!」
「修行頑張れよ!」
「帰ってこれるよう、ここで待ってるから!!」
「先輩!!」
ウェイトが声を張り上げる。
「ありがとうございました!!」
勢いよく下げられる頭に、アデルは少し驚いたのか動きを止めたが、豪快な笑い声が聞こえてきた。
そうして粉雪の舞う中、アドネル騎士団領を後にする訓練生筆頭優等生を見送った。
いつのまにか作業を止めた騎士達も、彼を見送っている。
彼が毎日行っていた日課や訓練のおかげで、アデルの顔は騎士達に知れ渡っている。
悪い噂を流す人物はいるものの、彼の行動や努力をその目で見ている騎士も、そこには確かにいたのだ。
敬意は態度に現れる。
姿勢を正し、アデルを見送る騎士達の数は確かに多くは無かったが、それでも、その姿勢からアデルに対する思いを知ることが出来た。
だからこそ。
ポッコルは、感謝を述べることが出来なかった。
ただただ、この胸の内に巣食う猜疑心とやりきれない思いに苛まれていて、息が出来ないでいる。
訓練生筆頭優等生は、自分が魔道具師の悪事の証拠を提示したせいで、騎士団を、いや、国を守るための犠牲になった。という考えが拭えない。
間違っている。
こんなことは間違っている。
自分の望む正しさは、こんなことではない。
家族を、友人たちを、あの大好きな酒場を守るために騎士になった。
守るためなんだ。陥れる為じゃない。
この騎士団の決定は、絶対におかしい。
これが許される国で、本当にいいの?
脳内を巡る考えは、ポッコルの心の奥底に小さな棘を植え付ける。
旅立った先輩の姿が見えなくなるまで見送り、ようやく息が据えたような心地となるのだった。




