番外編その9 女帝の“遺産” 第六話
デストラップと、それを無効化したときに現れたエグザイルよりも巨大なイモムシのモンスター、グリーンクロウラー。
それらを一蹴したユウトたちは、一本道を進み、次の部屋に到達した。
「これは……」
「いい趣味してるね!」
真名が目を背け、ラーシアが歓声をあげたそこは、悪趣味の極みだった。
苦悶する人の顔。
幅10メートル、奥行きはその5倍ほどの細長い空間には、それを象ったレリーフが所狭しと並べられていた。
しかも、ご丁寧にこの空間だけ、きちんとライトアップされている。
「明らかに、口とか目とかから、なんか飛び出てくる系だよね」
「出てこなかったら、むしろ驚くよな」
性質の悪いことに、部屋の奥にレバーが設置されていた。どんな機能かまでは分からないが、重要そうに見える。
「相変わらず、性格悪いな……」
感心したように。そして、そのこと自体を嫌そうにしながら、口元を手で覆う。
ユウトが考え事をするときの癖。
それを目ざとく見つけたラーシアは、面白いことになりそうだと笑い、実際に、その期待は叶えられることになる。
「よし」
そんな視線を向けられるとは気付かず、ユウトは後ろを振り返った。
視線の先には、レプレの手を引く真名。
「せっかくだから、ここは真名に指揮を執ってもらおうか」
「はい、分かりました……えええええっっ!?」
反射的にうなずこうとしてから、真名は大声を上げた。静かなダンジョンに叫び声が反響していく。
「ご主人様も、だいぶノリツッコミが板についてきましたね」
「ノリ・ツッコミ……」
未知の単語を、レプレが無表情で繰り返した。
「そのまま解釈すると、一度肯定してから否定する行為。急な展開と落差で面白味を出す、高度な話術……?」
「なんて、教育に悪い……」
「ノリツッコミはともかく、指揮を執るというか、真名が攻略法を示してくれたら俺たちがそれに従うよって感じで」
ユウトなりのOJTといったところか。
本当に危険があれば、こんなことはしないだろう。
そう信じられるだけの信頼関係はある。
「分かりました。せっかくですので、やらせていただきます」
「ファイトですよ、ご主人様」
「一緒に攻略しろとは言いませんが、もう少し緊張感を持ちなさい」
タブレットのマキナへ鋭い視線を向けてから、この程度の小言では効果がないかと、真名はため息をついた。
本当に、レプレの教育に悪い。
「人間関係は一筋縄ではいかないというのは、本当の話だったのですね」
「その通りです。これもまた、実地研修ですよ」
「黙っていてください」
マキナへの処遇は後で考えるとして、今は、ダンジョンの攻略。
ともかく、あのレバーをどうにかするしか道はなさそうだ。しかし、先ほどのデストラップを引き合いに出すまでもなく、簡単にたどり着けるはずもない。
「まずは、あのレリーフの危険度を調べる必要がありますね」
「りょーかい、りょーかい。ちょっとひとっ走り攻撃食らってこようか?」
「やめてください」
そんなことをされたら、初手から落第してしまう。
「安全に、脅威を確認する手段があれば……」
「そうか。真名は知らない呪文なんだっけ?」
こういうときの基本なんだけどなとつぶやきながら、ユウトは呪文書を取り出した。
「《不可知の従僕》」
そこから3ページ分切り裂き宙に放ると、呪文書のページが無数に分裂する。それが光を放つと、半透明な人型のシルエットが現れた。
純粋魔力で構築された、意思のない人形。それが20体ほど出現し、ユウトの命令を待って静止する。
「簡単な単純作業なんかをやらせるための呪文なんだけど、囮にもなる」
ユウトとが軽く手を振り下ろすと、《不可知の従僕》がゆっくりと例の部屋へと進んでいった。
苦悶する顔のレリーフを通り過ぎたところ、その口から光線が放たれた。
光線が《不可知の従僕》を捉え、跡形も泣く消滅させる。
「さすがに、警戒させるだけさせといてただの飾りでした! ってことは、なかったねぇ」
「五分五分かなって思ってたけどな」
それに呼応するかのように、すべての口から吐き出された光線が乱舞。狭い空間で花火が炸裂したかのように、光が踊る。
結局、10メートルも進めず、20の《不可知の従僕》は全滅した。
「……ひどい」
レプレですら、他に言葉が出ない惨状。
「ま、まあ、攻撃があることは想定内です。《瞬間移動》で向こうへ飛ぶのも危険そうですし……。こうなったら、呪文か弓矢でレバーを上げてしまいましょう」
顔の部屋の入り口から充分に距離を取ったうえで、真名が早口に方針を定める。ユウトとエグザイル。それにラーシアは、部屋の入り口近くのままだ。
「じゃ、やっちゃうよ」
「は、はい。お願いします」
真名の返事を聞いているのか、いないのか。
ラーシアは無言で矢をつがえ、無造作に放った。
小さな体からは想像もできない弓勢で、レバー目指して矢が飛んでいく。いや、音がするからそう判別できるだけ。真名の目には、矢そのものは見えない。
《不可知の従僕》を破壊し尽くした光線も、遅れて発射され、矢にかすりもしない。
「すごい……」
「人間業とは思えません」
見事一発でレバーに命中させても、誇らしい顔を浮かべることはないラーシア。
真名はそれを訝しがりつつも、レバーを上げた結果を注視する。
油断はなかった。
しかし、そもそもが想定外だった。
「舌を噛むなよ」
「……はい?」
エグザイルがスパイク・フレイルを振るい、その鎖が真名とレプレをまとめて縛り上げた。
直後、がたんっと、足下から音がする。
同時に浮遊感。
落とし穴だ。
そう状況を理解できたのは、ぶらんぶらんと揺れる視線の先に、轟々と音を立てる川の流れが存在していたから。
だが、それだけでは終わらない。
上空から突然の下降気流が発生し、鎖を大きく揺らした。
「――――ッッ」
声にならない悲鳴は、どちらが上げたものか。いや、エグザイルがその剛力で保持していてくれていなければ、悲鳴程度では済まなかった。
《飛行》の呪文がかかっているからと油断していたら、上からの突風で叩き落とされていたところ。
真っ暗な川に転落し、どこへ運ばれていくのか……。
自らの想像に、真名はぶるっと震えた。
「ここでマキナを落としたら……」
「今、聞こえてはならない冗談が聞こえた気がするのですが……?」
「冗談? 私が?」
「早く引き上げてください! ハリー! ハリー! ハリー!」
落とし穴に落ちたのは、部屋の入り口から距離を取った真名とレプレだけ。ユウトたちは無事だった……というよりも、こうなることが分かっていたとしか思えない位置取りだった。
「ヨナが喜びそうなアトラクションだったねぇ……」
「しみじみ、言わないでください」
息も絶え絶えな真名と、まったく完全にリアクションが『無』なレプレ。
ちょっとやり過ぎたかと、ユウトは反省する。
「今回は極端な例だけど、認識の死角を突いてくるトラップってのは、こんなもんだから。慣れないうちは、仕方ないさ」
「……あの川に落ちたら、どうなっていたのでしょう?」
「あれはレテ川だから、記憶か知識を全部失ってたんじゃないかな」
「…………」
もはや言葉もない。
ゆっくりと閉じていく落とし穴を呆然と眺めながら、真名は静かに瞑目した。
「……リタイアです。私の発想と経験では、手に負えません」
「悪神ダスクトゥムは、攻略させる気がない……悪の三権を手放す気がないのではないでしょうか」
ダスクトゥム神へのヘイトが高まっていく二人の肩を、ラーシアが軽く叩いた。
「二人とも、まだまだだね。中学までに無我れないと、その先テニスを続けても辛いよ」
「確かに。できれば、卒業までに百錬しておきたいところですね」
「なんの話ですか……」
意気投合するラーシアとマキナという状況に、真名は宇宙的な根源的恐怖を憶える。だが、一人と一機が、そんなことを気にするはずもない。
「ユウト」
「任せた」
単語で意思疎通し、ラーシアは通路の壁を探り出す。
数分後。
真名がようやく自分を取り戻したあたりで、ラーシアがぐっと親指を立てた。
「お、やっぱあったあった」
「……なにがです?」
「シークレットドアだよ」
「なるほど。隠し扉……はい?」
最近はダンジョン経験も増えた真名だ。隠し扉に行き当たったことぐらい、何度もある。しかし、こんな通路のなんでもないところに存在する隠し扉など見たことも聞いたこともない。
けれど、ラーシアは自信満々……というよりは、当然という顔をしていた。
「鍵は……これで良し。罠は、なし。物音も……しないね」
そこまで報告したところで、エグザイルが前に出る。
なにも言わずにラーシアは後ろに下がり、さらに後ろでユウトが呪文書を手にする。
「いつもなら、扉を開けるのはヴァルの役目だったんだけどな」
反射的に、それはどうなのかと思ってしまったが、よくよく考えれば――考えなくとも――この上なく適任だった。
真名ですら、分かってしまうほどに。
そんな真名の感想を置き去りに、傍らに自律型の魔法の盾を漂わせたエグザイルが、ラーシアに指定された壁を押した。
元々、軽いのか、それともエグザイルだからなのか。
壁が落とし穴と同じ音を立てて、あっさりと開いていった。
本当に、隠し扉が存在した。
「非常識……」
「これが、神のやり口ですか……」
レプレが、自らのアイデンティティに疑問を抱きかけたところで、次の部屋の全貌が明らかになる。
ぼっと、無数の炎が一斉に灯った。
怨嗟の炎。それは、虚ろな眼窩に灯った瞳だ。
それを合図に、部屋の中央にいた無数のスケルトンが立ち上がった。四本の腕に湾曲した剣を手にし、カタカタとしゃれこうべを鳴らしながら。
「ひっ」
その光景を目にした真名が、短い悲鳴を上げ、全力で走り出した。
離れなくては離れなくては離れなくては。
右に逃げれば、苦悶の顔のレリーフの部屋。
左に逃げれば、デストラップの部屋。
どちらでもいい。死んだって構わない。
逃げなくては逃げなくては逃げなくては。
「大丈夫。怖くないよ」
いつの間に、どうやって先回りしたのか。恐慌状態に陥った真名を、ユウトが優しく抱き留めた。
「センパイ……」
そのぬくもりに、真名の意識は徐々にはっきりしていき……。
「離してくださいッ」
先ほどとはまた別の意味で慌てて、真名はユウトを引きはがした。
恐怖に駆られて逃げ出そうとしたことよりも、ユウトに抱き留められて正気に戻ったことが恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
顔向けできないできないできない。
「大丈夫、大丈夫。あれは、そういう精神攻撃を仕掛けてくるモンスターだから」
「……そう……ですか……」
今の醜態をすべて、スケルトンのせいにできそうだ。
そう安心した真名に、追い打ちが掛けられる。
「気落ちする必要はありません。若いと、いろいろありますから。いろいろ」
「ある。若いと、いろいろ……」
真名は、そのまま崩れ落ちた。
「いやー。なにげに特等席だなぁ」
戦闘と愁嘆場を観覧するしかないラーシアが、本当に心の底から気楽な声をあげる。
しかし、エグザイルが一人で対峙する多腕のスケルトンは、ただのスケルトンではなかった。
その眼窩の炎による恐怖効果だけではない。
普通に近づけば、その移動を狙われ足払いを食らっていたところだろう多腕のスケルトン。
だが、そうはならなかった。
眼窩の炎が一瞬消え、スケルトン自身の姿もかき消える。
次の瞬間、短距離の《瞬間移動》で肉薄した――骨だが――多腕のスケルトンが、二対の武器で斬りつける。
だが、エグザイルは不動。
防御は自律型の盾に任せ。そもそも、多少の傷など気にせず。スパイク・フレイルを無造作に振り抜いた。
「ウオオオォォォッッ!」
さすがに、今度は一撃でとはいかないが、隠し扉の前に立つエグイザイルという壁は不壊。
打ち寄せる波のような多腕のスケルトンを相手にしても、一歩も引かない。むしろ、感情を持たないはずのスケルトンたちが気圧されているようにすら見えた。
「役割分担で強みを増幅させ、弱みを補っているわけですね」
善と悪の無限迷宮に入ってからのユウトたちを、レプレは総括する。
やはり、ちょっとおかしい。
「とはいえ、モンスターが意味を成さないのは驚きです」
「まあ、あの二人と互角に戦える相手なんて、千年以上生きたドラゴンか、悪魔諸侯か……」
それとも、神か。
自らのことを棚に上げたユウトの言葉は、最後まで発せられることはなかった。
一瞬の立ちくらみ。
突然、景色が変わった。
見回すまでもなく、正面の高いところに黒幕が存在していた。
「待っていたぞ、人間ども」
携帯ゲーム機をもてあそぶ、金髪の少年が玉座に腰を下ろしている。
その表情は、少年と呼ぶには猛々しい。傍らに寄り添う、悪の愛妻ベアトリーチェの楚々とした表情と比較すると、なおさら。
「分かってるよ」
ユウトも不敵にうなずき、無限貯蔵のバッグへと手を伸ばした。
そこから取り出されたのは、携帯ゲーム機……ではなく、大型の液晶テレビ。そうするのが分かっていたかのように、平然と、それを受け取るエグザイル。先ほどまでの激闘など、露ほども感じさせない。
「ユウト、どこに置く?」
神を前にして、まるで、引っ越しを手伝いに来た友人のような気安さ。
「そっちの壁側にしよう。発電機も出すから、よろしく」
液晶テレビ、テレビ台、座椅子、発電機、そして各種新旧据え置きハードとソフト。
神の間が、即席のゲーム部屋へと生まれ変わる。
「さあ、レース、格ゲー、パズル、ボードゲーム……。他にもあるけど、どれがいい?」
「れーす? かくげー? ぱずる……?」
聞いたこともないジャンルをオウム返しにする悪神ダスクトゥム。
神の顔から、猛々しき仮面が剥がれ落ちた。
某悪神「ゲームとは、サッカーのことだけではなかったのか!?」
何事も無ければ、このシリーズは次回で終わります。