6.男たちの話
「ボクらも、年を取ったもんだよね……」
ラーシアが、手酌で玻璃鉄のワイングラスへ赤い液体を注ぐ。
先ほどのしみじみとした言葉はその中に溶けてしまったようで、対面に座るユウトは、しばらく無言だった。
アルコールを嚥下し、呼吸をする音だけが室内に木霊する。
「……というか、この集まりはなんだ? ここは、どこだ? 俺は、妻と子供たちに囲まれていたはずだったのに」
「ユウト、それは本当に現実?」
「まさか……」
「そう、夢。すべては、夢だったのさ……」
「そうか。そういうことだったのか! オベリスクとは……絶望の螺旋とは……ッ!」
「随分と、ノリが良いな」
いきなり夢オチを主張し始めたラーシア。
今までの冒険を、虚無に送り込もうとするユウト。
そんな親友二人を肴に、エグザイルはジョッキでブランデーを飲み干した。その豪快な飲みっぷりにふさわしく、ラーシアとユウトのおかしな言動も気にしていないようだ。
理性的な人間がいたら、少しは気にしたほうが良いとアドバイスを送っていたかもしれない。
しかし、ここには気心の知れたこのメンバーしかいなかった。
三人がいるのは、いつもの食堂兼会議室。
長いテーブルの隅に集まり、なぜか酒盛りが始まっている。
酒は良いものだが、つまみは干し肉やチーズ。それに、ドライフルーツ程度しかない。とても、国家の重要人物の酒宴とは思えない状況だ。
だが、それを気にするものはおらず、状況ということでいえばこんな状況になっていること自体が不可思議だ。
なにしろ、それを説明できる人間は、誰もいないのだから。
もちろん、ユウトもここに来るまでの記憶を失っているわけではない。記憶喪失など、一度で充分だ。
王宮向けの報告書の精査及び修正。
その難事業に着手したのは、一週間ほど前。
今日になって、ようやく満足できるものができあがり……さあ、子供たちと戯れよう。いや、コロを散歩に連れていこう。いやいや、いっそその両方だ。
そう思っていたのに、酒瓶を持ったラーシアに拉致されたのだった。
張本人であるラーシアも、突発的に飲み会を始めた理由を語ろうとはしなかった。
「え? ボクらのノリが良い? 普通じゃない?」
「特に、面白いことを言ったつもりはないんだけど?」
「そうか。まあ、それならそれで良い」
真顔で言うラーシアとユウト。
それに対し、エグザイルもまた、真顔で応対する。特に、追及したい話題でもなかった。
「で、俺はなんで呼ばれたのかだよ」
ユウトとしても、もっと気になることが別にある。
ワイングラスを口に運び、「酸っぱくて、やっぱり好きになれないな」と顔をしかめてラーシアに水を向けた。
「子供はかわいい。奥さんも、かわいい」
しかし、その草原の種族は、真剣な表情で語り始めた。
脈絡のなさというよりは、その雰囲気にユウトはエグザイルと顔を見合わせる。ラーシアが真剣な表情をしている時点で、天変地異に匹敵する問題だ。
「家庭があると、男はその分、頑張れる。張り合いも出る。家族のためなら、苦労も苦労とは思わない」
「……それで?」
「でも、たまには羽を伸ばしたくなるじゃないか!」
音がするほど強くワイングラスをテーブルに置き、ラーシアは叫んだ。
「そうか。まあ、そうだな」
その内容に、ユウトは安心していた。
突然子供ができ、それを受け入れてからは積極的に関わってきたラーシア。実は、本業もそれほどおろそかにはしておらず、結果、大祭初日に遭遇した今にも消えそうなラーシアが生まれたのだ。
それもラーシアの一面だろうが、どうやらストレス解消したいと思えるようになったらしい。
良い傾向だと、ユウトは素直に喜ぶ。
しかし、口をついて出たのは意図していたのは別の言葉。
「意外と、普通の理由だった」
「普通のどこが悪いのさ!」
なにかスイッチが入ってしまったようで、ラーシアが立ち上がり――身長の関係で、椅子に座っていたときより目線が低くなるのだが――熱弁を振るう。
「普通はさ、普通ってことはさ……普通なんだよ?」
「あ、喋り始めたは良いけど、面白いこと思いつかなかったって顔だ」
「そうみたいだな」
「そそそ、そんなことないし。人を滑ったみたいに言うの、止めてもらえますぅ?」
ラーシアが椅子に戻り、ポーカーフェイスでどもるという難しい芸を見せる。
これが、特に面白いことを言っているつもりはないと主張した人間の会話だ。
「まあ、それならそれで良かったよ」
硬い干し肉を懐かしみながら食い千切り、ユウトは続けた。
「てっきり、『これからは、ラーメン屋一本でやっていくことにしたから』とか、そんな話を聞かされるのかと」
「そんな話、しないよ!」
「今は?」
「今は」
本気かどうかは分からないが、ラーシアが、またも真顔でこっくりとうなずいた。
この話題を続けると、変に発展しそうで怖い。
そう判断したユウトは、話のベクトルを変えることにした。
「まあ、ヴェルガ帝国をどうにかするまでは引退されちゃ困るけどな」
「え? それだけで良いの?」
「それだけって……。今は千々に乱れてるけど、大国だぞ」
「なに言ってんのさ」
今度は自信満々に、ラーシアはユウトを笑い飛ばす。エグザイルは、それを黙って見ているだけ。いや、酒も飲んでいるが。
「大丈夫。ヴェルガのいないヴェルガ帝国なんて、タレのないラーメンみたいなものさ。美味しくいただいて……あれ? 美味しくないね?」
「せめて、欠けてるのがチャーシューとか卵ならなぁ」
味のないラーメンは、厳しそうだ。
「まあ、あれだ。ユウトとアルシアのためなら、ボクも頑張っちゃうよ。終わったら、あの温泉にでも行くと良いさ。アルシアと二人で。一週間ぐらい、二人きりで。あ、別にヴァルが一緒でも良いか。ヴァルは」
「なんか、俺のためとか言いつつ軽くセクハラしてきたんだけど、おっさんはどう思う?」
「子は宝だと思うが、ラーシアは最低だな」
「やっぱり……」
「やっぱりってなにさ!」
とは言いつつも、ラーシアは嬉しそうだった。
「それにしてもさ、ユウトがまさかこんなことになるだなんて思わなかったよね……」
「露骨な話題転換だけど、聞くだけ聞こうか」
ユウトとしても、続けてほしい話ではない。
先ほどかじった干し肉のしょっぱさに閉口しつつワインを流し込み、ラーシアにうなずきかける。
「ほんと、最初に会った時は弱っちくて、長生きできないなって感じだったのにさぁ」
「前にも聞いたような話だな」
「それだけ、印象深いということなんだろう」
正直、ブルーワーズへ転移した直後の話は恥ずかしい。運動会のビデオを、無断で上映されているような気分になる
だから、素っ気なく対応したのに、エグザイルが食いついてきた。
この岩巨人も、ラーシアの認識に近いようだった。
「オレも、あんな筋肉量で将来どうなるか。心配をしていたからな」
「オッサンとかヴァルみたいな超人の基準で語られても……。あと、筋肉以外にも生きる手段はあるから……」
「それがだよ、呪文を憶えてから、あれよあれよと上達して、作戦なんかも考えて仕切るようになったじゃん」
「それはね、突撃しか考えてない脳筋しかいなかったからだよ?」
ユウトが、いつもと違う優しい口調で言った。
しかし、その諭すような言葉もラーシアには届かない。
「だって、ヴァルとエグが殴れば大体の敵は死んでたからね」
「それは、今でも変わらないがな」
「……実際、そうなんだよなぁ」
ユウトやアルシアの大事な仕事のひとつは、戦闘開始前と戦闘中に支援呪文をかけること。これにより、ヴァルトルーデ、エグザイル、ラーシアの戦闘能力が飛躍的に強化される。
当初はユウトも攻撃呪文で敵を倒すことに比重を置いていたものの、次第にそれはヨナに譲り、支援や敵の妨害に特化するようになっていった。
「しかも、殴るだけならただだもんな。こっちは、使用回数制限があるのによ」
話しているうちに、かつての不満を思い出したのか。ユウトがチーズを鷲づかみにし、そのまま口へと運んだ。
「まあまあ。ボクたちの目的は敵を倒すことであって、誰かが活躍することじゃないんだからさ」
そこですかさず、ラーシアが否定しにくい正論とともにワインを追加していく。
ユウトは、これ以上飲んだら危険ではないかと感じつつも、ずっとしょっぱい口内には勝てず、ぐいっと杯を干した。
「ユウトがこんなに飲むなんて、珍しいねー」
「飲ませてるんだろ。まあ、喉が渇いてるからな」
水でも構わないが、他にないから酒を飲んでいる。
ただそれだけだと言って、ユウトは、今度は自分でワインを注いだ。
「ふふんっ。なら、ボクの秘蔵のスパークリングワインも開けちゃおっかな」
「ほう。それは、楽しみだ」
「エグはダメっ!」
「ユウト。ラーシアが、オレをいじめるのだが」
「それは、ゆゆしき問題だな」
「貴重なワインをジョッキで飲むエグに言われたくないよ!」
珍しく、ラーシアの主張は正しかった。
しかし、この場では多数決の理論が優先されてしまう。
「まあ、少しぐらいならいいじゃないか」
「そうだぞ」
「ほんとに少しだからね?」
そう前置きと言うよりは前振りをして無限貯蔵のバッグから取り出したエルフの手による最高級のスパークリングワインは――
「うむ。面白い飲み口だな」
「ああ。案外飲みやすい……」
――大半をユウトとエグザイルに空けられてしまった。
けれど、完全な計算違いというわけではない。
ついに、ユウトを酔いつぶすことに成功したのだから。
「ああ……。あたまが、ふらふらすんな」
「ククク。酔ってるねえ、ユウト。ククククク」
「の……み……すぎ……た……」
「後のことは心配するな。オレが責任を持って、ヴァルに引き渡してやる」
それに安心したのか。それとも限界だったのか。
ユウトがテーブルに突っ伏した。
「犠牲は出したけど、釣れた魚は大きかった! さて、ユウトは、酔ったらどんな感じになるのかな?」
こちらに来たときは未成年だったし、当然飲酒の習慣もなかったユウト。
ブルーワーズの常識にあわせて多少は楽しんでも、酔うほど飲むことはなかった。
そのユウトを、酔いつぶした。
妙な達成感と、高揚感がラーシアを支配する。
「らーしあ……」
「ん~? なにかな?」
「おれ、おれはさ……」
「なーに?」
「う゛ぁるや、あるしあねえさんにあえたのも、しあわせだけ……ど」
少し苦しそうに息を吐いてから、ユウトは続ける。
「こっちでなかまになれたのが、らーしあや、おっさんで、よかったって……おもってる……ぞ」
そして、それで力尽きたかのようにまぶたを閉じた。
しばし、時が凍り付いたような沈黙が場を支配する。
それを破ったのは、ユウトの微かな寝息だった。
「……こういうのずるいよね」
「ずるいかどうかは分からんが、言いたいことは分かる」
それからさらにしばらくして、ようやくラーシアとエグザイルが言葉を絞り出す。
ただし、ユウトを起こさないように小声で。
「ねえ、エグ」
「なんだ?」
「なにかあったらさ、ユウトは最優先で守ろうね」
「そうだな」
それ以上、言葉は交わさず。
ラーシアとエグザイルは、ユウトの寝顔を肴にして杯を重ねた。
書籍化作業のため今週は月・水・金の三回更新とさせていただきます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。