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レベル99冒険者による、はじめての領地経営  作者: 藤崎
Episode 16 叙事詩の終焉(エピローグ) 第二章 一年が過ぎて
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4.王宮への報告書

 祭りが終われば、仕事が始まる。


 いや、この表現には語弊があるだろう。まるで、イスタスの大祭中は完全に休みだったかのようだ。


 祭りが終われば、仕事だけになる。


 こう表現したほうが適切だ。


 一週間にも及ぶイスタスの大祭が終わった翌日、ユウトは自らの執務室に入り、新たな仕事に手を付けようとしていた。


 子供が生まれるなど様々な変化はあったが、どっしりとした執務机に向かうユウトの様子は変わらない。


 執務室自体の雰囲気も同じだ。

 ユウトも、そしてヴァルトルーデも豪華な調度に満足感を憶えるタイプではない。

 質実剛健な傾向は変わらず、来客との面会が行われる場所も兼ねているにもかかわらず飾り気はほとんどなかった。


 そして、子供部屋――というよりは、子育て部屋か――は別にあるため、双子のための用品が増えてもいない。

 むしろ、ヴァルトルーデの仕事は今でも決裁がメインのため、子育て部屋に書類を持ち込んで双子の面倒を見つつ処理していた。


 では、なにも変わらないかと言えば、それも違う。

 この執務室で最も変化を迎えたのは、カグラだろう。


「旦那様、ダァル=ルカッシュさんがお越しです」

「……結局、それで通すんですね」

「今さらなお話ですね」


 にっこりと。まったく邪気を感じさせない笑みを浮かべるカグラ。

 いかなる心境の変化があったのか、それともなにか深い考えがあるのか。最近の彼女は、また、巫女装束に似た衣装を身に纏っている。

 メイドらしい格好とは言いがたいが、エキゾチックで魅力的。なにより、よく似合っていた。


 そんなカグラが冷めた飲みかけのコーヒーを下げ、代わりに湯気の立つカップを慣れた手つきで置く。ユウトが手を伸ばしやすく、それでいて作業の邪魔にならない絶妙な位置。

 どことなく、二人の距離が近いようにも思える。


 芳醇な香りがユウトの鼻孔をくすぐり、細かいことはさておき口に運んでしまう。


 そんなユウトの様子を見て、カグラはさらに笑みを深くする。


 最近はファルヴの城塞でも一部で地球の家電製品が稼働しており、コーヒーにもいろいろ工夫ができるようになった。

 今日は、冷蔵庫で一日ほどかけて抽出した水出しコーヒーを、沸騰しないように注意して温めたものを出している。

 まろやかでこくのある味わいだが、その分、水や豆の質に左右されてしまう。


 結果がどうかは、ユウトの満足そうな表情を見れば分かるだろう。


 ユウトへのアプローチがある意味で公認されたカグラだったが、端から見ると積極的とは言えない態度に終始していた。

 強引に迫ってもユウトに拒絶されるだけと考えたのか、それとも勇気が足りないのか。

 これまたどちらとも判断がつかないが、それでいて呼び方を変えたり、少しずつ分からないように距離を詰めたりと、攻略は進めているようだ。


 ラーシアが正常だったなら――


「メイドさんとフリン!? しかも、公認!?」


 ――と、色めき立っていたことだろう。


「……ダァル=ルカッシュは、例の件かな。とりあえず、入ってもらって」

「はい」


 カグラが身を翻して扉へ移動すると、彼女の長い黒髪が揺れる。そこから、柑橘にも似たさわやかな香りがした。

 その残り香と引き替えに竜人(ドラコニュート)の巫女は執務室から退出し、代わりに次元竜(クロノス・ドラゴン)の端末が姿を現す。


「ダァル=ルカッシュの主よ、資料をまとめてきた」

「ありがとう」


 イスタスの大祭の期間中も、ダァル=ルカッシュはいつも通り。

 いつも通り仕事をし、いつも通り空から街の様子を眺めていた。目撃報告もいくつかあり、最近は、街中でダァル=ルカッシュを見かけると、その日は予期せぬ幸運が訪れるという噂まで流れ始めているという。


 そんな彼女がどこからともなく紙の束を取り出し、無感動に積み上げていく。


 天竜の里での製紙業は順調で、イスタス公爵家で使用する分は賄えるようになっていた。そこから、徐々にハーデントゥルムの評議会などに広げているところだ。

 その意味では、まだ希少性の高い植物紙を惜しげもなく使用した書類。いったい、なにが書かれているのかといえば……。


「これが、王宮への報告書の叩き台となる」

「なかなかの厚みだな……」

「問題ない。表に出せない部分は削る」

「問題ないって。これを読んだり、削ったり、整合性を取るのは俺の仕事なんだけど?」

「仕方がない。それがダァル=ルカッシュの主の仕事」

「トートロジーだなぁ」


 まったく慰めにもならないが、ダァル=ルカッシュに気を使われたら、それはそれで動揺しそうでもある。


 そんなことを考えながら、ユウトは分冊されている報告書をぱらぱらとめくっていった。


 ユウトとヴァルトルーデの長女ユーリと、アルサスの長男イズクローンの婚約――二人とも生まれたばかりだが――が発表された際のこと。

 イスタス家が公爵の地位を拝領するのに合わせて、ユウトにロートシルト王国の副宰相就任の打診があったのだ。


 それを断り、かつ今後数年は働きかけを行わないとする交換条件が、今回の報告書。領内の統治状況を詳らかにすることだった。


 宰相のディーター・シェーケルは、自らの後任にユウトを当てたいという思惑がある。

 その他の地方貴族、それもファルヴ周辺の繁栄を指をくわえて眺めているような貴族たちからすると、ユウトを王国の要職に就けることで、おこぼれを狙えるという期待があった。


 そういった、しがらみの結果だ。


 もちろん、報告書を出すといっても、すべてを記さねばならないわけではない。伝えられることとそうでないことはあり、取捨選択するつもりだ。

 また、教えたところで真似できるとは限らないが……こちらに関しては、どうしようもない。


「確認、推奨」

「……はいよ」


 ユウトが適当にピックアップしたのは、領地経営の基本、農業に関するものだった。

 記名を見ると、美食男爵とユウトの父である頼蔵の連名になっている。主に、頼蔵がまとめたものだろう。


「いきなり駄目なやつだ、これ」


 基本からして普通ではないのが、イスタス公爵家である。


 美食男爵の指導による、神聖土を用いた土壌の改良。さらに、神聖土のとてつもない生育速度の上昇により可能とした品種改良により、収量は大幅に上昇した。

 従来、一家族で管理できる畑では、小麦を140キログラムほど収穫できた。

 一方、美食男爵による――ユウトは自分の手柄ではないと考えている――農業革命以降は、その3倍強になったと報告書には記載されている。


 頼蔵のコメントによると、機械化もせずにこの数値は、本来あり得ないらしい。


「3倍というのが妙にリアルというか、なんというか」


 収量が多く、品種改良のお陰で味も良い。

 市場を崩壊させるには充分な劇薬だ。


 そのため、この新小麦は領外への持ち出しは禁止。生産量も制限し、その分、南方大陸から取り寄せた新しい作物の栽培に農地を回している。

 ほぼ毎日小麦のパンが食べられるようになった農村では、特に不満も出ていない。


 そして、ヴェルガ帝国と南方大陸から来た元奴隷たちの開拓村も、新作物栽培の前線に立っていた。


 ジャガイモに、サツマイモ。カボチャにトマト。そして、トウガラシにサトウキビ。


 サトウキビに関しては、気候的に栽培可能なほぼ北限であり一筋縄ではいっていないが、他の作物に関しては経験者もいるため順調だ。

 南方遠征にはフォリオ=ファリナも一枚噛んでいるため、将来は優先的にそちらへの輸出が見込まれている。


 また、これらの新作物はアカネを中心にレシピがまとめられ、少しずつ浸透しつつある。ユウトの子供たちが初等教育院に入る頃には、街中で当たり前のように食されているはずだ。


「改めてまとめると、ヤバイなこれ……」


 これだけで世界征服……できるかどうかは分からないが、取り扱いを誤れば確実に既存の社会を破壊できるだけのポテンシャルを秘めている。

 完全に秘匿はできないし、するつもりもない。神聖土はともかく新しい品種に関しては、美食男爵の農業指導込みで輸出することになるだろう。

 本当に、取り扱いには細心の注意が必要だ。アルサス王や宰相ディーター・シェーケルと慎重に議論を重ねなければならない。


 そして、これはそのままでは提出できない。


「とりあえず、さっさと王都に馬車鉄道を敷いてご機嫌を取ろう」


 報告書に直接、赤のボールペンで取り消し線を入れながら、ユウトはそう決心する。

 同時に、仕事が終わったら子供たちの寝顔で癒されようとも。


「ダァル=ルカッシュの主よ、ひとつずつ終わらせていくようでは効率が良くないとダァル=ルカッシュは考える。他の報告書にも目を通してからにすべき」

「ああ……。そうかもな」


 修正というよりは、表沙汰にできる部分のほうが少ない。

 この報告書の作成に関わったのが、クレスではなく頼蔵だったのは、そういう意味もあったのだ。


 ユウトは、ひとまず農業関連の書類を脇にどかし、残ったコーヒーを飲み干してから次の報告書に手を伸ばした。


「これは、社会保障関連か……」


 それには、医療保険の徴集と運用。そして、その適用率や、村々への魔法薬(ポーション)配備による死亡率の変化などのデータがまとめられていた。

 現地で聞き取り調査をしているらしく、10年ほどのデータが集まっている。

 作成者はクレスで、彼らしい几帳面な内容だった。


 これは、そのまま提出しても問題なさそうでユウトはほっとする。


「まあ、予算がかかりすぎて余所じゃできないだろうけどな」


 残酷なようだが、はっきり言って効率が悪すぎる。

 人口は力ではあるのだが、自己救済が基本のこの世界で、民一人の命を救うために最低でも金貨数十枚――数十万円――もする魔法薬を配布したいと考える領主などいないだろう。


「……ふむ」

「ダァル=ルカッシュの主が、良いことを考えている」

「……そう見えるか? だいたい、悪そうなことを考えているって言われるんだけど――」

「――ダァル=ルカッシュの善悪の基準は、一般よりも高いところにある」


 つまり、一般的には、悪そうな顔をしていたようだ。


「いや。さっきの新小麦の提供と、この辺の公的救済をセットにできないかなって思っただけなんだけどさ」

「つまり、民を大切にしない相手には、利益を与えない?」

「そういうこと」

「理に適っていると、ダァル=ルカッシュは判断する」

「問題は、相手もそう思ってくれるかだけど……」


 まあ、国内の貴族たちとの交流はほとんどなく、畏怖されているような存在だ。

 そう考えれば、こちらに失うものなどなにもない。


「……そうか。資金的に難しければ、基金でも作って融資すれば良いのか」


 用途を限定した資金を低利で貸し出し、他の貴族に農村の改革をセットで行わせる。

 思いつきにしては、なかなか良いアイディアのように思えた。

 幸い、金貨なら腐るほどある。


「大丈夫。金は腐らない」

「金貨は純金じゃないからな?」


 王宮の求めに応じてまとめられた、イスタス公爵白書。

 これをきっかけに公爵家の影響が領外にまで広がっていくことになるのだが、ユウトは、まだそこまでとは思っていない。


 変化を与えることになるのであれば、できるだけ好ましい変化を与えられたら良い。

 ユウトは、そんな風に考えていた。

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