7.開幕
力の神の修練場に併設されている闘技場。大武闘会の開催を30分後に控え、その観客席はほぼ埋まっていた。
観客たちは期待に胸を膨らませ、試合開始をじりじりと待ちわびる。連れ立ってやってきた友人や隣に座る初対面の相手と口々に予想を語り、それが合わさってドラゴンのうなり声のようなざわめきとなっていた。
まだ初春と言うには早い季節にもかかわらず、そこから伝わり熱気でじんわりと汗が吹き出る。
だが、貴賓室は例外。
メインスタンドの上部に設えられたそこまでは熱も届かないようで、部屋の中央にある円卓に集った貴婦人たちが朗らかに談笑していた。
「あちらは、よほど暑いのね。上半身裸になっている人もいるわ」
この日のためにユウトが用意したオペラグラスもどき――玻璃鉄のレンズに《鷹の眼》を付与しただけだが――を手にした、一番年かさの婦人が感心したように言う。
傾斜も充分にあり最上段の貴賓室からでもフィールドは一望できるが、今は誰もいない。そのため、観客席の様子を盗み見るための器具になっていた。
また、観客席とはいえ服を脱ぐ行為を咎めようとも、羞恥に頬を染めもしない辺り、見た目通りのたおやかな貴婦人というわけではないようだ。
「あ、向こうには絵筆を持った女性もいらっしゃいますね」
彼女の隣に座る栗色の髪の乙女も、同じように周囲を観察し、声を上げる。
興奮しているのか、声のトーンは高く、その秀麗な相貌に浮かぶ笑顔は弾けんばかり。この場に男がいたならば、それだけで腰砕けになってしまいそう。
「本当に、ずいぶんと人が集まっていること」
「みんな楽しそうです」
同じ神に仕える者として意気投合したのか、オペラグラスもどきをテーブルに置き、二人は笑顔を浮かべた。
一番年かさの婦人の名はローラ。栗色の髪の乙女はセネカと言う。前者は、パス・ファインダーズのローラ。後者は、神王と言ったほうが通りは良いかも知れない。
「アカネさん。そろそろ、始まるのかしら?」
そんな大物を前にひきつった笑顔を浮かべるアカネへ助け船を出したのは、ロートシルト王国の王妃ユーディット。
太陽神の巫女たちにも負けず劣らず。気高いが柔らかな雰囲気で声をかけるその様は、まさに国母と呼ぶにふさわしい。
ただ、ユーディット自身もアカネの緊張の種になっているとは、想像もしていなかった。気心が知れている分、ましではあるのだが、それでも王妃である。
完全にいつも通りに振る舞うことは、日本で生まれ育ったアカネにとってハードルが高かった。
とはいえ、ユーディットがいなければ、今以上にアカネのストレスでユウトが大変なことになっていただろう。
「あ、はい。短いですが開会式を行い、その後、試合です。エルドリック陛下とクレス殿下は第二試合に出場する予定となっています」
手元のマッチデープログラム――原本をスキャナで取り込んだ後、モバイルプリンタをフル稼働して刷り上げた――を確認しながら、一番関心が高いだろう試合の説明をする。
しかし、説明を受けたローラは眉間にしわを寄せていた。
「アカネさんと言ったわね」
「は、はい。なにか……」
「堅い。堅いわ」
「は、はあ……」
「もっとフレンドリーにね」
にっこりと微笑むローラ王妃はチャーミングで、若い頃の美貌がありありと想像できる。いや、今でも、充分若々しい。エルドリック王もそうだが、クレスは孫ではなく息子として通用するほど。
だからといって、はいそうですかとはいかない。
(なんで、この世界の王族はみんな軽いのよ!)
気持ちはうれしいが、線引きが難しい。それに、今日は女主人役を任されているのだ。
失敗したら、どうなるか。想像もしたくない。
「ですが、アカネさんの気持ちも分かります」
ローラ王妃をたしなめるように言うセネカ二世だったが、続く言葉は予想外では片づけられないものだった。
「いっそ、このファルヴでは、身分が上の者へ必要以上にへりくだるのを禁止する法を作っては?」
「良い考えですわ。アルサス様にお話ししてみましょう」
神王セネカ二世の提案に、ユーディットが乗った。
けれど、もちろん、冗談のはずだ。そんなことをしたら、領主の権威もなくなってしまう。今後の統治に支障を来すのは自明の理だ。
なのに、完全に否定できないのはなぜだろう。
「……まあ、そうなっても苦労するのはユウトよね」
そもそも、目的を達するためにルールを変えるようなやり口は、ユウトの悪影響を受けているとしか思えない。自業自得だ。
「アカネ様、お茶の準備ができました」
そこに、割烹着のような東方風の侍女服を身につけたカグラがワゴンを押して貴賓室へと入ってきた。ティーポットに涼しげなグラス。それに、何種類かの菓子。
貴婦人たちの視線が、途端にそちらへ集まる。一様に、瞳を期待に輝かせて。
「ありがとう、カグラさん」
こちらでは珍しい竜人だが、誰からも指摘はない。
アカネは、用意していた自作のクッキーやドーナッツを王妃たちに勧めていく。地球から持ち込んだ紅茶はアイスティーにしたが、春を飛び越えて夏のような今日の陽気にぴったりだ。
「あら、美味しいわ」
「ええ。本当に」
クッキーを上品に口にしたローラ王妃が目を丸くし、アイスティーを飲んだセネカ二世は満足げにうなずく。アカネの歓待に慣れているユーディットは余裕を見せているが、もちろん、食べないわけではない。
これから、地上で血生臭い戦闘が行われるとは想像もできない光景だ。仲の良い貴族の令嬢たちが、お茶会を開いているようにしか見えない。
もっとも、実年齢で平均すると30歳を超えるのだが、それを指摘するような命知らず――ヨナやラーシア――は、この場にいなかった。
「御用がありましたらお呼びください」
賓客たちが満足しているのを確認したカグラは、部屋の外へと出ていってしまう。
アカネはそれを見て、ペトラやレジーナもここに呼ぶべきだったかと後悔する。レジーナは難しいかも知れないが、フォリオ=ファリナの世襲議員の長女であるペトラなら、ここにいる資格は充分にあったはず。
「仮面の剣士様と謎の魔術師さんが陛下とクレス殿下と対戦することになりますのね」
そんなアカネの内心は知らず、ユーディットが対戦表を愛おしそうに指でなぞった。
結局、話題は、この後行われる試合へと戻っていく。それぞれ縁のある出場者がおり、その応援のためこの場にいるのだから当然の話ではある。
「ええ。仮面の剣士に謎の魔術師です」
可愛らしく小首を傾げて確認するユーディットへ、アカネは意味ありげに微笑みながら答えた。
そう。仮面の剣士に謎の魔術師だ。断じて、アルサス王とユウトではない。
素性を明らかにできないため賭けの倍率が高くなっているコンビだが、絶対にアルサス王とユウトではないのだ。
「ユーディット様は、どちらが勝つとお考えかしら?」
「エルドリック陛下と言えば、天下に名を轟かす英雄王であらせられます。クレス殿下も高名な冒険者と聞き及んでおりますわ」
ローラの問い――あるいは挑発――に、相手を持ち上げるユーディット。だが、もちろんそれで終わりではない。
「ですが、この武闘会への出場が許されているのです。仮面の剣士様も謎の魔術師さんも一角の人物ではないでしょうか」
「それもそうですわね」
あっさりと認めるローラ。アカネは、それを意外そうに見つめた。
エルドリックなら対戦相手など関係ないと全幅の信頼を寄せているのか。それとも、ユウトから聞いているように勝敗は度外視なのか。
「パーティに魔術師がいるのは、ひとつ大きな優位とも言えるのではないかと。それが、謎の魔術師さんであれば特に」
「冒険者のようなことを仰るのね」
「ローラ様の前で申し上げるのは口幅ったいことですが、私も最近、冒険者になりましたので」
少し興奮気味に、セネカ二世は語る。
天上での冒険は、彼女にとって衝撃的な経験だったようだ。
(王様と勇人、くしゃみとかしてるんじゃないかしら……)
そんな王妃と王妃と神王の会話を、現実逃避気味に聞くアカネ。
場慣れしたローラが会話を主導してくれているため、そこまで苦労せずに済んでいる。
それにしても、この三人で盛り上がるのはやはり第二試合なのだろうが、アカネとしては、エグザイルとラーシアが出場する第一試合とヴァルトルーデとヨナがリングに上がる第三試合も気にかかる。
第一試合の対戦相手は予選を勝ち抜いた岩巨人だが、その予選で見せた凄惨な戦い振りにオッズも上がっていた。
また、ヴァルトルーデたちが対するのはあの全身で筋肉を主張するレグナム総大司教なのだが、コンビを組むもう一人は、まだ姿を現していない。そこはかとなく、不気味な感じがする。
「アカネさんは、どなたが優勝すると予想されていますか」
「優勝ですか……」
ユーディットがウェーブのかかったハニーブロンドに手をやりながら、アカネとともにマッチデープログラムのトーナメント表を見つめる。
それは、なかなかの難問だった。
一回戦第一試合は、エグザイル・ラーシア対予選を勝ち抜いた岩巨人代表者組。
同じく第二試合は、エルドリック・クレス対仮面の剣士・謎の魔術師。
それぞれの試合の勝者が、次の準決勝で対戦する。
第三試合は、ヴァルトルーデ・ヨナ対レグナム総大司教とレグラ神殿の代表者。
準決勝でその勝者と戦うのは、一回戦をシードされた大賢者ヴァイナマリネンと白銀の剣士。レイ・クルスは素性を隠すため、イメージとは正反対のきらびやかな装備を身につけさせられることになった。
それを見たエルドリックが大笑いしていたが、どの吟遊詩人も語ることはないだろう。
「シードもあって有利だし、大賢者様だと思います」
「アカネさん?」
そういうことではありませんよと、王妃は大輪の花にも似た笑顔を浮かべ友人の名を呼んだ。
「どなたに優勝してもらいたいですか?」
「それは、勇人に決まって――」
そこまで言い掛けて気づく。
「まあ、出場してたらですけどね! してないから、仕方ないですね!」
建前を忘れて取り繕っているのが面白いのか。
それとも、無意識に愛する婚約者の名前を出したのが微笑ましいのか。
アカネは、上流階級特有の上品だが意味ありげな笑顔に囲まれる。
「いや、これはですね!」
言い訳を重ねようとしたそのとき、ファルヴから鐘の音が鳴り響いた。
一時間ごとに時を告げる鐘。
それは同時に、ファルヴ大武闘会の開催を告げる合図でもあった。




