8.ユウトのお仕事(後)
国王が君臨する王都セジュールは、同時にロートシルト王国最大の都市だ。その経済活動を牛耳る商業ギルドとなれば、その規模も権力も並みの貴族を上回る。
ただ、商業ギルドというのは正式な名称ではなかった。否、より正確に言えば、セジュールに商業ギルドなる組織は存在しない。
王都が建設されたとき――つまり、ロートシルト王国が建国されたとき――に、大きな貢献をした九つの商家があった。
建国王ウェイン一世は、その貢献に応えるため直々に免状を与えて王都での商業活動を許した。
以後、セジュールでは九つの大商会が代々国王直々の認可を受け、莫大な上納金を納める代わりに商取引を文字通り牛耳っている。やりすぎれば行政からの介入を受けるが、彼らはそのギリギリのラインで利益を最大化していた。
つまり、商業ギルドという巨大な組織があるのではない。大商会が利害を調整するため定期的に開く会議――当人たちは、単純に寄り合いと呼んでいる――を独占的商業組合と揶揄するうち、いつの間にか定着してしまったのだ。
名は体を表すとも言うが、正式名称でないにもかかわらず商業ギルドと呼ばれ続けているのは、実態が同業者組合に等しいからだろう。
実際、王都の商業や流通を押さえることで、国内の諸都市にも大きな影響を与えている。
このファルヴとその周辺を除いては。
「その商業ギルドの代表者か……」
「恐らく、いえ、確実にファルヴとイスタス侯爵領の発展に目を付けて来たものでしょう」
レジーナが憂色を露わにし、同時に憤りを見せた。
彼女にとっても、この目覚ましい発展に寄与しているという自負がある。その上前を跳ねようという態度へ、好意的になれるはずがない。
その気持ちはユウトにも伝わり、胸の辺りが暖かくなる。
必要だからと作った街。好きな人のために発展させようとした領地。
きっかけは単純だが不純。だが、もう、それだけではない。一生を費やすことになっても、後悔はないだろう。
だから、我が事のように怒ってくれるレジーナが嬉しかった。
となれば、相応しい対応をしなければならない。
「昔は、ちょっとぐらい分け前を上げても良いと思ってたけど……」
ファルヴの勃興期――何年も前ではないが――は、ちょうど黒妖の城郭により王都に被害が出ていた時期と重なる。ゆえに、九大商家も王都へ係り切り。
ファルヴへ介入する余裕もなかった。黙っていても援助を求めてくるとでも思っていたのかも知れない。
だが、現実は異なる。
九大商家の出番などなく、独自に発展を遂げてしまったのだ。彼らからすると、計算違いも良いところだろう。
そうこうしているうちに、当時のイスタス伯爵領から玻璃鉄という特産品が生まれ、イスタス侯爵家自体もアルサス王が最も信頼すると言ってはばからない大貴族の一員となった。
直接乗り込んできたくなるのも、当然だろう。
「とりあえず、会おうかな」
「無視するわけにもいかないのは確かですしね。承知いたしました。では、後日に……」
「いえ、申し訳ないけど、『今からなら会う』と伝えてください」
「準備する時間を与えずに、一気にということですか?」
「そんなつもりはないですよ。人聞きが悪い」
「思えば、私のときも突然でしたね」
「それは……申し訳ない」
初めて会ったときのことを思いだし、二人は笑顔をかわす。
今となっては、懐かしく楽しい記憶だ。
「ああ、そうだ。レジーナさんにも同席してもらっていいですか? こちら側で」
「それは構いませんが……」
「俺の認識違いがあったら指摘してください」
ユウトの言葉に、レジーナが控えめに。だが、しっかりとうなずく。
「カグラさん、レジーナさんの部下の人に連絡をして、商業ギルドの代表者へ伝言を。『今なら会う』と」
「承知いたしました」
一礼して執務室を出る竜人を見送ったユウトは、再びレジーナへと視線を戻す。
「じゃあ、悪いけど隣へお願いします」
「はふっ!?」
「はふ?」
「いえ、なんでもありません」
臨時だが、家宰のアシスタントを任じられたのだ。隣に座るのは、考えるまでもなく当然の話。
他意はない。
あってほしくもあるが……という雑念は振り払い、レジーナはユウトの隣に座った。
微妙な間を空けて。
それが良かったのかは分からないが、平常心を取り戻した――許容量を超えてリセットしただけかも知れない――レジーナが、アシスタントとして情報を伝えていく。
「商業ギルドの代表者を名乗って面会を求めているのは、リューディガー・ハウザ。九大商会のひとつハウザ商会の後継者です」
「結構な大物だ」
それは事実だが、幾たびも世界を救ってきたユウトが言うと嫌みにしか聞こえない。
だが、そんなことを言うはずがないのはレジーナも理解しているので、同意のうなずきを返す。
「ハウザ商会は、商業ギルドでも『堅い』商売で有名です。投機的な事業は行わず、建築と武具の売買を柱にしています。もちろん、それだけではありませんが」
「そんなハウザ商会の後継者を代表にしたってことは、あんまり無茶は言ってこないかな?」
「いえ、それが、リューディガー氏は……」
レジーナが言うには、まだ父親の陰に隠れて実績はない。二十代半ばの線は細いがふてぶてしい美男子だったという。
「ですが、私はあまり好感を抱けませんでした。いささか、軽薄に見えます。いえ、本心を見せかけの軽薄さで隠していると言ったほうが適切かも知れません」
「そうですか……」
レジーナがそう言う以上は事実なのだろうが、相手も海千山千の商業ギルドだ。無能者をわざわざ使いに出すとも思えない。
まさか、今でもこちらを軽く見ているということはないだろう。
「まあ、まずは相手の出方を見るしかないかな……。もっとも、相手の要求次第ですけど」
「ええ。こちらは、無理に話をまとめる必要はありません」
強権的になるつもりはないが、物別れに終わっても困らない。
そう思うと、気が楽になる。
ユウトが目をつぶって大きく息を吐き、レジーナがその横顔を眺めていた瞬間、執務室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
一瞬で緊張を余裕に転化したユウトの応えを受けて、カグラが一人の男を連れて執務室へと入ってくる。
「イスタス侯爵家の家宰、ユウト・アマクサです」
「ハウザ商会のリューディガー・ハウザです。本日は、王都の九大商会の代表者としてお目にかかります」
「どうぞ」
握手を交わしながらの初邂逅は、ユウトへ特に感銘を与えなかった。
ひらひらとした服は洒落ていて、商人だと聞いていなければ吟遊詩人だと誤解していたかも知れない。立ち居振る舞いにも知性と余裕が感じられ、整った容姿とも相まって第一印象は良好だ。
けれど、今のところはそれだけ。
レジーナの人物評を超えるところはない。
「早速、用件を伺いましょうか」
ソファに座ったレジーナとリューディガーが会釈を交わし、カグラが人数分のハーブティを用意して退出するのにあわせてユウトは切り出した。
「ははは。率直なお人柄のようだ」
前置きも社交もなしに切り込んできたユウトに対し、リューディガー・ハウザは余計な一言を挟んでペースを取り戻した。
そして、真剣な顔を作って要求を伝える。
「今、イスタス侯爵家で作っているクロニカ神王国内の租借地――ロートニアの街へ進出させていただきたい」
「それは、ハウザ商会が?」
「既にお伝えしたとおりです。九大商会の代表として参りました」
ファルヴなどには進出しない。
そちらの既得権益には手を出さないと言っているのだが……。
「いいですよ」
「…………」
「ただ、領外に本拠がある商会の場合、王都など他の土地へ持ち出す場合、かなりの関税をかける予定ですが」
「……はぁ。当然ですよね」
ひらひらと手を振り、天を仰ぐ。
予想通りというよりは、最初から無理筋だと分かっていたようだ。
「九大商会が、ユウト……。イスタス侯爵家が整えた基盤へのただ乗りを企図していたのですか?」
レジーナの視線も言葉も険しい。彼女のような美人が本気で怒ると、かなり迫力があった。
リューディガーの要求は、無関税でクロニカ神王国から品物を仕入れ、イスタス侯爵領内は馬車鉄道を使って運び、その外で売りさばくというもの。もちろん、その逆も考えているはずだ。
ただ乗りという表現は、率直だが的確。
ただ、それを整えたのは、あくまでもイスタス侯爵家。レジーナが怒る筋合いではないというのも、一理ある。
「ニエベス商会や、ハーデントゥルムへ迷惑をかける話ではないと思いますが?」
「本気で、仰っているのですか?」
「そもそも、貴女がこの会談に同席しているのも、ちょっとどうなのかと思わなくもないんですがね」
「彼女には、私が残ってもらうようお願いしました。公的な立場が必要なら、今ここで任命しましょうか?」
ユウトの言葉に、リューディガーは諸手を上げて降参した。
そして、おどけた様子で言い訳をする。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。私の発案じゃないんですから」
「そういう台詞は、あなたの後ろにいる人物が責任をとる場合に言うべきでしょう」
「やあ、これは手厳しい」
ハーブティをすすってから、しかつめらしく言うリューディガー。
レジーナの鋭い非難を受けても、まったく応えていないようだ。
(交渉する気がないのか?)
あり得ない疑念。
しかし、そうとしか思えない。
真意を探るため、今度はユウトから手札を切る。
「それでは、話は終わりですね?」
「それじゃ、困るんですよねぇ」
「なら、代わりに、ファルヴやハーデントゥルムに支所でも出しますか?」
「お許しいただけるんですか?」
「嫌だと言ったら、諦めます?」
「はっはっはっ。もちろん、ねばり強く交渉を……と言いたいところですが、実はどうしようもありません」
リューディガーは、交渉もせずに白旗を揚げた。
そして、事前に考えたという商業ギルドの取り得る対抗措置が、いかに無意味であるかを語り出す。
急な展開に、レジーナも驚きを隠せない。
「仮に、うちがそちらへ物資を卸さないとしても、フォリオ=ファリナにクロニカ神王国と他の経路があるんですよ。逆に、うちらは玻璃鉄製品なんかが手に入らなくなるだけで、意味がないですし。どうしろって言うんですかね」
「じゃあ、賄賂でも送りますか?」
「受け取ってくれます?」
「思わず、受け取ってしまいそうになるものなら」
「やあ、そいつは難題だ」
肩をすくめて、ハーブティをすべて飲み干した。
「じゃあ、どうします?」
「こうしてお願いするしかありません」
急にまじめな表情になったかと思うと、リューディガーはソファから立ち上がり、次の瞬間、床に頭をこすりつける。
「どうか、寛大なお心を持って配慮をいただけないでしょうか」
大の大人がする土下座。
だが、ユウトはそんな行為に価値を見いださない。
他に切れる札がなかったことは理解できる。
けれど、これは脅迫だ。
ここまでやったんだから、こっちの要求を認めないと、そっちが悪者になりますよという脅しだ。しかも、無料で済む。
(なぜ、そんな単純な手段を選ぶ?)
交渉をまとめようとしているとは思えない。
すべてを語っているとも思えない。
まるで……。
(まるで、責任を取りたがっているように見える)
先ほどまでの軽佻浮薄な態度も、とても商人が貴族へ取るものではない。
「レジーナさん」
「ええ……。そうだと思います」
隣に座るレジーナ――商会の女主人――と、答え合わせをするかのように視線を交差させる。
(最初から、無理な要求だと彼は分かっていた。だが、その認識は九大商会と共有していない。だからこそ自らが使者となり、派手に交渉決裂へと動いた)
責任を自分一人へ収束させるために。
そう考えれば、供の一人も連れずにこの場を訪れた理由も説明できる。
同時に、最悪の場合は死を覚悟していることすら見せつけ、決断を迫っていた。開き直った人間は強い。
「アマクサ様、ひとつ提案があります」
どう落とし所を設定するか。
思案を始めたユウトへ、居住まいを正したレジーナが静かに発言の許可を求める。
「聞かせてください」
「この方に、王都でのヴェルミリオの活動をお任せするのはいかがでしょうか」
ヴェルミリオ。
アカネとレジーナが立ち上げたファッションブランド。王都への進出は時間の問題ではあったのだが、現実にはなかなか難しい面もあった。
それが解決できるのであれば歓迎すべきだが……。
「……理由を聞いても?」
「リューディガーさんは、実家のハウザ商会ほか、九大商会の方針とは異なる考えをしている。いえ、反対だったようです」
「なら、引き抜けると?」
「はい」
「でも、ヴェルミリオの企業秘密を漏らす危険性があるのでは?」
「ありません」
土下座をしたまま己の処遇が決まっていく。
それを、リューディガーはどんな思いで聞いているのか。今の状態では分からない。というより、ユウトもレジーナも、気にしていないように見える。
「理由は?」
「ユウトさんを向こうに回して、裏切ろうなんて考える人はいません」
「反論したいけど、反論できない……」
ロートシルト王国を、世界を救った英雄。
フェルミナ神の探索行を達成したことも、遠からず喧伝されることだろう。
それでいて、逆鱗に触れればバルドゥル辺境伯家のような憂き目にあいかねない苛烈さもある。
なにより、アルサス王とユーディット王妃の憶えもめでたい。
リューディガー・ハウザも、そのすべてを把握しているわけではないだろうが、知ればレジーナが言うとおりになるだろう。
「あのー。頭を上げても?」
「ああ、忘れてた」
「ひどい……」
それが演技かどうかは分からないが、傷ついた素振りを見せながらソファへと戻る。
「ありがたいお話ですがね、王都での商売は九大商会の独占状態なのに、どうやって店を――」
「おめでとう。ヴェルミリオが十個目の認可商会となり、その代表者はあなただ」
実のところ、商業活動を九大商会の独占状態にしておくのは、王国側にもメリットがあった。
それは、黙っていても入ってくる莫大な上納金。商業活動に適切な課税ができない――というよりは、商いを理解できない――行政にとっては任せてしまうのが一番効率が良かったのだ。
だが、変わるときが来たのかも知れない。
「え? いや、無茶苦茶だ、あんた!」
「競争のない商売なんて、腐るだけでしょう」
「それはそうですけど……。本気、なんですよね?」
「本気なんですよね、レジーナさん」
「はい」
「だそうです」
「ちょっと待ってくださいって!」
もう、取り繕うことも貴族への敬意もなにもなく、両手を突き出して流れを止めようとする。
無茶な要求への報復で九大商会が、なによりも実家が害を被らないよう命がけで交渉をしに来たはずなのに、どうして、その九大商会と対立することになっているのか。
わけが分からない。本当に、わけが分からない。
「受けてくれるなら、もちろん九大商会へはなにもしませんよ」
「既に、私がされてますよね。親父を裏切るとか……」
それでも計算を始めるリューディガーを眺めつつ、さらに、一押し。
「まあ、失敗した顛末を報告して、商会へ戻って同じ商売を千年一日の如く続けるというのであれば、それでも良いですけど」
それは、悪魔の誘い。
「あと、自慢じゃないですけど、私の婚約者がやってるヴェルミリオは王妃殿下にも」
「……分かりました」
イスタス侯爵家だけでなく、王家も後ろ盾になりうる。
リューディガー・ハウザ。彼も、まだ若い。野心もある。父親への反発も。自分なりの商売へのビジョンも。
そこまで言われては、断れるはずもなかった。
「まあ、有能だからレジーナさんがスカウトしたんだし、自信を持って良いと思う。というわけで、詳しいことは任せても?」
「お任せください」
レジーナがにっこりと微笑み請け負った。
一方、その正面に座るリューディガーは苦悶の表情を浮かべている。
「ちなみに、私が無能な人材だと判断された場合は、どうなっていたんですかね?」
「なにもしない、一度は」
ユウトも暇ではないし、敵を作りたいわけでもない。
それは本心だったが、解釈は人それぞれだ。
「二度目に関しては、聞かないほうが良さそうですね。ははは……」
拡大と永続は商家の宿願。
だが、それも時と場所と目的による。
なにより、相手にも。
リューディガー・ハウザは、分かっていたはずだが、改めてそれを思い知った。




