9.ヴァルトルーデもお仕事
天上世界から戻ってきた翌日にもかかわらず、イスタス侯爵家の幹部たちは冒険者らしいヴァイタリティで精力的に動き始めていた。
アルシアは、トラス=シンク神殿へ移動してそちらの業務に従事。
ヨナは、久々に学校へ。
エグザイルとラーシアは、領境の異変を確認するため現地に。
ユウトの動向は、言うまでもないだろう。
そんな状態で、領主であるヴァルトルーデが遊んでいる……などということはありえない。
ヘレノニア神殿の運営はアレーナ・ノースティンに任せ――ヘレノニア神殿の業務は、神殿長抜きで回るようになっている――ヴァルトルーデは神の台座を訪れていた。
今回のムルグーシュ事変への協力の礼として派遣されたクロニカ神王国からの使者――ギルロント司教――との外交をこなすために。
ファルヴ近郊に、文字通り置かれた島には神々由来の施設が存在し、会談場所として選ばれた死と魔術の女神の墓所。
かつて、ユウトやアルシアがセネカ二世と会見したのと同じ四阿で、両者は顔を合わせる。
クロニカ神王国側はエルフの司教が一人に対し、イスタス侯爵家はアカネも同席。書記官――事務方のトップ――であるクロード老人も背後に控えていた。
「この度は、多大な協力を賜り、改めてお礼を申し上げます」
「こちらにも、こちらの事情があったのだ。礼など不要に願う」
神の存在を書き換えたのは、仲間の、アルシアのためだと言外に言って、ギルロント司教の頭を上げさせる。
「そのように、陛下にも伝えてもらいたい」
ヴァルトルーデの堂々とした対応に、同席するアカネは目を見開いた。当時のアルサス王子をファルヴへ迎えた際など、はっきり言ってぎくしゃくしていた。
結果として、その不自然さを外見の美しさで無理やり押し通した――大軍が敵を踏みつぶすように――のだが、今は実に自然。
変に丁寧な対応をしようとするよりも、多少無礼な言葉遣いでも、それが当然という態度で接したほうが印象は良くなる。
ただ、アカネに言わせると――
(美人は得よね)
――ということになるのだが、それも美貌が規格外であるから。他の誰にも真似のできない芸当だ。
「お言葉はごもっともですが、それでは民が納得しないのです」
渉外役として豊富な経験を誇るエルフの司教も、ヴァルトルーデの光り輝くような美しさに気圧されつつ、それでも言うべきことは言った。
「是非、改めて神都ルテティアへお越しいただき、民の歓呼の声に応えていただけないでしょうか」
「ふむ……」
大それたことをした自覚はある。
だが、それは一見無関係な人々から喜ばれるようなことなのか。そこが理解できない。
考え込むヴァルトルーデが、無意識に傍らの熾天騎剣に触れた。
会談の場に武器を持ち込むなど本来はありえないはずだが、誰もなにも言わない。この聖堂騎士が愛剣を傍らに置くのは、自然であり当然というのはもちろんある。
けれど、もしかしたら、ヴァルトルーデの神力刻印がこの熾天騎剣にうがたれたことと関係があるのかも知れない。
格の上では、世界にあるどの武器をも凌駕した熾天騎剣。それは、もはやただの剣ではなく、善の勢力における傑出した宝物だとすら言える。
もちろん、それを知るものはほとんどいないが、無意識に感じているということは充分あり得る話だ。
ユウトが懸念を抱いていた神力刻印だが、ヴァルトルーデにとっては誇らしさの象徴。
神になりたいわけではないが、修練と冒険の末に、その領域へと近づいたのは、自らの行いが正しいと認められたようなもの。
疎ましく思うはずもない。
だから、ユウトにも余計な心配はせず、誇ってほしいところなのだが……。
「失礼ですが、こちらにはフェルミナ様の信徒はおりません。であるならば、セネカ様のお顔を見せられたほうが、喜ばれるのではないでしょうか?」
長考に入ってしまったヴァルトルーデに代わり、アカネが意見を述べる。
ユーディットとのお茶会での経験を総動員した言葉遣いに、淑女と呼ぶにふさわしい微笑み。余計な口出しと捉えられかねない行動だが、不自然さは欠片もない。
美人は得という言葉は、アカネにも適用されるのだ。
「とんでもない。フェルミナ神が名指しをされ、探索行の達成をほめたたえられたのですよ。どの神を信奉するかなど、関係のないことです」
それは、本音にして建前でもあった。
なにしろ、使者であるギルロント司教自体、太陽神フェルミナの信徒ではない。それと対を為す月の女神ネルラの司教であり、安息の都ネルクートの渉外役。
はっきり言ってしまえば、管轄外である。
それでも彼が派遣されたのは、ロートニアに詰めていて地理的に最も近かったというのもあるが、セネカ二世自身を除けば、クロニカ神王国でイスタス侯爵家と最も縁の深い人物だから。
誤解を恐れず率直に言えば、他に頼るべき人物がいないのだ。
「領国を空けられ心配だったのは理解できますが、すぐにお帰りになられるのは残念なことでした――と、神王陛下も仰せになっていました」
「なにぶん、代わりになる人材がいないのでな」
「それでは、改めて正式に招待をさせていただきたいと思います」
帰還直後に逃げ出すように領地へ戻った件は、もう、なにも言わない。
だから、代わりに次にやる式典には必ず参加してもらいます。
そう遠回りに言うギルロント司教。
「都合がつくかどうかは、分からないから、返事は難しいな」
しかし、当然ながら、そんな言い回しはヴァルトルーデに通用しない。裏表なく、暇かどうか分からないと返答してしまう。
身も蓋もやる気もない返事に、ギルロント司教のこめかみが動く。
下手をするとユウトよりもやりにくいと、その表情が語っていた。
「僭越ながら、確認させていただきたく存じます」
そこに割って入ったのが、イスタス侯爵家において『常識』を司る唯一無二の人材、クロード・レイカー。
峻厳な老人が、一歩前へ出て主人の意向を確認する。
「王都へ書状を出し、アルサス陛下の許可を得る必要はございませんでしょうか。もし、そうであれば相応の準備をせねばなりませんので」
国法に、領主の外国訪問に関する規定など存在しない。これは、ユウトたちのように簡単に移動できる存在を想定していないからだ。
しかし、今回は神王とともに太陽神の探索行を達成した英雄としての招待である。ただの外国訪問とも訳が違った。
「そうか。そうしたほうが良いだろうな」
クロードが言うのであればと、ヴァルトルーデはあっさりとうなずいた。
「では、王都への連絡は任せる」
「承知いたしました」
「――ということになりましたので、返答があり次第、お返事いたします」
「……そうですな。こちらも、神王陛下の親書を用意させていただきます」
アカネの露骨な引き延ばしの言葉を受けて、無意識に胸の聖印をまさぐるギルロント司教。こちらも相応の準備を整えると、妥協を成立させた。
ここまでは、ユウトが予想していたとおりの展開。
「それからもうひとつ、要望を預かってきています」
しかし、そのもうひとつは想像もしていなかった。
「レグラクスのレグナム総大司教からの要望なのですが、力の神の修練場を借りて大武道会を行わせてほしいと」
「大武道会か!」
その魅惑のフレーズ――一般的な女性であれば、甘いものやなにか素敵なものに相当する――を聞いて、ヴァルトルーデは子供のように目を輝かす。
「神力解放までは使わぬとして、熾天騎剣を使用するのは問題ないのか……。ふむ。まずは、ルール作りか……?」
完全に、出場するつもりになっていた。
「それはこちらとの対抗戦のようなものではなく、場所だけ借りてレグラクスの人たちが戦うということですか?」
使い物にならなくなったのを見て取ったアカネが、即座に交渉の矢面に立つ。越権行為かも知れないが、こればかりは仕方ない。
「恐らく、そういうことでしょう」
あまりの食いつきに驚いたエルフの司教も、交渉相手をアカネへと設定した。
「レグラクスでは、かつて武道会が盛んに行われていたのです」
「そうなのでしょうね……」
ユウトから聞いた話しか知らないが、あの都市の特徴からすると、やっていないほうがおかしい。
そう、おかしい。
「かつて盛んに、ですか?」
「ええ」
アカネの疑問に、ギルロント司教は遠い目をしながら答える。
「しかし、段々と内容がエスカレートしていき、死者が続出しまして」
「はぁ……。でも、治癒呪文があるとはいえ、ある程度は事故が起きてしまうのでは?」
アカネも、ボクシングの試合で稀にだが死者が出てしまうことは知っている。それを考えれば、ブルーワーズでは仕方がない面もあるのではないか。
もちろん安全に配慮するのは重要だが……。
しかし、ギルロントは目をつぶって静かに首を振る。
「猛獣を解き放った檻のなかでの決闘、塔の間を繋いだロープの上での対戦、落とし穴などのトラップが仕掛けられたリングでのバトルロイヤル。死者が出ないわけがありません」
「マンガでしか見たことないわ……」
「そんな有様でしたので、レグラ神の怒りを買ってしまいまして。結果、今のように健全なスポーツが隆盛したのです」
今度は、アカネが目をつぶって静かに首を振る番だった。
「健全?」
「健全です」
「スポーツ?」
「スポーツです」
そういうことにしないと、話が進みそうにない。
「その点、力の神の修練場なら、よっぽど無茶をしない限り大丈夫と考えたわけね……」
「もちろん、非常識な試合はしないと総大司教は確約しています」
「場所を貸すぐらいなら、構わないんだろうけど……」
こちらが暴走する危険を考えると、即答は難しい。
「そうだな。エグザイルやヨナがどう動くか分からないしな。違った意味で、ラーシアもだ」
「え? ヴァル?」
いつの間にか復活したヴァルトルーデの自らを棚に上げたコメントに、アカネは二の句が継げない。
「ギルロント司教、この件に関しては期限があるわけではないのだろう?」
「ええ。あくまでも要望――お願いです」
「ならば、家宰とも相談させてもらう。私個人としては、是非行いたいところだが即答はできない」
「そう伝えましょう」
現段階では妥当な結論。
それは喜ばしいことだが、違和感がある。
アカネは、隣に座るヴァルトルーデの顔を無遠慮にのぞき込んだ。
「な、なんだ?」
「いや、対応がまともだから。どういうつもりなのかなって」
「どうもこうもない」
まともだからと不審がられる筋合いもないぞと顔を背けるが、アカネの追及は緩まない。無遠慮に肩を掴んで、こちらへ引き戻す。
「その心は?」
「最悪、優勝者と私の試合を組むことぐらいはできるだろうなどとは思っていないぞ」
嘘をつけない聖堂騎士が、あっさりと白状する。
逆に、アカネは安心した。
そんなエキシビジョンマッチ程度であれば、問題はないだろう。
「ああ、その程度なのね。安心したわ」
「私は、どういう人間だと思われているのだ……?」
そのつぶやきへの答えは――賢明なことに――存在しなかった。
参考文献:『異世界決闘大全』(民明書房)




