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レベル99冒険者による、はじめての領地経営  作者: 藤崎
Episode 12 英雄の証明 第一章 冒険と事件の間で

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5.アルシアの手習い

(ユウト……くん、らしい心配でしたね)


 会議が終わり、そろって朝食を摂ったあと、それぞれ仕事をこなすため別々の場所へと移動する。

 その途中、アルシアは先ほどのユウトを思い出しながらトラス=シンク神殿へと歩みを進めていた。心の中では「くん」が外れそうになり、油断をすると実際に口をついて出そうだと注意も忘れずに。


 それはさておき。


 ユウトには、必要な力は欲しても、それ以上は忌避する傾向がある。それに、彼が言うとおり考えて力を振るっているのも事実だろう。

 だが、そこには、『ユウトの基準では』という注釈がつく。さらに、一度使うとなったら遠慮もなくなる。


 それが分かっているから過度な力を持たないのだろうが、説得力に欠けるのは――アルシアでも――否定できない。


 アルシア自身は、神力刻印に肯定的だ。


 夢の世界でトラス=シンク神から告げられたときには驚いたが、崇拝する女神により近づいたという証であり、ないに越したことはないが、さらなる困難にも打ち勝つ力だ。

 ユウトと同じく喧伝するつもりはないが、今まで通り地上に住まうことも保証されている以上、デメリットなどほとんど感じていなかった。


(ユウトくんの一番の心配も、地上にいられなくなるかも知れないということだったようね)


 正直なところ、それが一番嬉しい。

 ともに生きようと、一緒にいたいと思ってくれているのだから。


 もちろん、ユウトもそれに類することは明言している。

 だが、別の形で知らされると、より嬉しさが増すというものだ。


 そして、こうやって彼のことを考えているときに、表情を思い浮かべられるようになったのも嬉しい。


 形のいい唇を笑顔の形にしながら、そんな風に思いを巡らせていると、いつの間にかトラス=シンク神殿に到着していた。


 神官たちの出迎えを受け、真っ先に向かうのは神殿長の執務室。神殿長の椅子に座って不在の間に積み上げられた業務の処理に取りかかる。

 もちろん、真紅の眼帯は身につけたままで。


 城塞にある私室と同じく飾り気のないその部屋には、アルシア自身のほかに女性の司祭が一人だけ。副神殿長の肩書きを持つ彼女は、アルシアの帰還を手ぐすね引いて待っていた――というわけでもない。

 少なくとも、仕事が滞っているわけではなかった。


 そもそも、ユウトが抱える残量を岩巨人(ジャールート)とするならば、こちらは草原の種族(マグナー)程度のボリュームでしかない。


 文字を扱うことができなかった彼女の下には元々経験豊富な神官や司祭(プリースト)がつけられ、分業が確立されていること。

 それに、ユウトが本神殿の枢機卿(カーディナル)を倒してから、無理な要求が減った……というよりはなくなったこと。

 そして、ユウトのように思いつきで仕事を増やさないこと。


 これらの理由により、アルシアの業務量は比較的余裕のある状態だった。そもそも、終わりのないマラソンをしているのはユウトだけではあるのだが。


「――ご不在の間の報告は、以上となります」

「ありがとう」


 副神殿長の肩書きを持つ女性の司祭――死と魔術の女神だけあって、女性の神官も多い――から、一時間ほどかけて引き継ぎを受けたアルシアは、微笑みを浮かべながらゆっくりとうなずきを返した。


 アルシアが必要になるような重篤者は出ず、神殿長でなければ判断できないような案件もない。ムルグーシュ聖堂から救出した孤児たちにも、施療院にも問題は発生しなかった。

 神々の台座にある死と魔術の女神の墓所の管理・運営も順調だ。


「あなたたちのお陰で、安心して神殿を空けられるわ」

「もったいないお言葉です」


 労いの言葉に対して、頭を下げながら謙遜する女性司祭。その態度と声音には、喜びと憧憬が含まれていた。


 ファルヴのトラス=シンク神殿に所属する司祭や神官たちは、主に王都セジュールの本神殿から移籍してきた者たちで構成されている。

 神殿長となるアルシアともファルヴに来て初めて会ったような状態で、当初は信頼関係などほとんどなかった。


 そんな彼女たちへ、トラス=シンクの愛娘は特別に言葉はかけず、ただ態度で語った。


 死に瀕した者すら容易く癒し、驕り高ぶらず真摯な祈りを神に捧げ、誰にでも分け隔てなく接する。それは、神に仕えるものの理想といえる姿。

 また、眼帯で顔の半分を覆っている異相であったが、その美しさは隠しようもない。


 そんなアルシアへ、尊敬の念を抱くようになるまで、そう時間はかからなかった。


 だから、女性司祭が喜びを感じているのは、自分たちがほめられたからだけではない。トラス=シンク神からの神託により、この度の偉業は伝わっていた。

 邪悪なる神を退け、ムルグーシュ神のくびきから逃れて光を取り戻したことを。


 神殿の皆で相談し、アルシアから告げてくれるまで神託のことは秘密にしておくことにしたのだが、無意識に喜びを表してしまうことまでは止めようがない。


 そうとは知らないアルシアは、今まで通りに神殿業務を終えると、執務室で一人になった。


「ふう……」


 軽く息を吐くと、珍しく頬杖をつく。


 感情感知の指輪を持つ彼女が、副神殿長の思いに気づかなかった理由。それは、他に気がかりがあったから。


 神力刻印を得たことと、それを黙っていることにしたからというのもある。だが、一番大きいのは、やはり、光を取り戻した瞳のこと。


 奇しくも同じことを考えていたわけだが、まさかとっくに知られているとは予想もしていない。


 一人になったことを改めて確認し、真紅の眼帯を外す。


 同時に周囲の状況がまったく分からなくなるのだが、その瞬間は、どうしてもまぶたを閉じてしまう。緊張に心臓が高鳴り、軽い不安に襲われる。

 いずれ意識も変わるのだろうが、まだ、慣れ親しんだ感覚からの切り替えには勇気が必要だった。


 もちろん、それ以上に、目を中心とした顔の上半分を衆目に晒すことへの羞恥心が大きいのだが。


 意を決し、アルシアはまぶたを開いた。


 ぼやけた視界に、見たことのない景色が少しずつ像を結んでいく。


「こんな部屋だったのね」


 感慨がこもった声だが、特に珍しい物があるわけでもない。自分の部屋とそれほど違わない風景に、少しだけ落胆も感じる。特に、なにかを期待していたというわけでもないはずなのに。


 アルシアは視線を机上へ向け、書類を視界に収める。


 それが話に聞く文字なのだろうことは分かるが、当然読めない。


「思えば、オズリック村生まれの私とヴァルは、文盲だったわけね」


 今は、ヴァルトルーデも多少の読み書きは可能となり、アルシアもこれから学べばこなせるようになるだろう。だが、今になって気づいたその事実に苦笑が漏れる。


 アルシアは、その苦いが上品な笑いの形を作る唇ではなく、ダークブラウンの瞳へと指を持っていった。


 彼女の神力刻印は、右目に刻まれていた。解放すれば文字も読めるようになるのだろうが、それは読むというよりは一足飛びに意味を理解するだけであり、なによりそんな些事に使うわけにはいかない。


 そう。強大な力があっても、それに頼りきりでは溺れるのと同じ。逆に言えば、使いこなせず、力に溺れるようでは神ではないということなのだろう。


 神に近しい力を持つも、未だ、その精神は神に非ず。


「簡単になれるものではないわよね」


 そうつぶやいたところで、神殿長室の扉がノックされる。


「どなたかしら?」

「アルシア、届け物に来た」


 真紅の眼帯へ手を伸ばしながらの誰何に答えて発せられたのは、聞き憶えのある声。


「ヨナ? 少し待って」


 わずかな逡巡。

 だが、結局、アルシアは手早く眼帯を身につけた。


 やはり、恥ずかしいものは恥ずかしい。こればかりは、理屈ではない。いきなり、《テレポーテーション》で部屋に入ってこられなくて助かった。フェルミナ大神殿でのお説教が効いたようだ。


「いいわよ」


 入室を許可し、そこではたと気づく。


「届け物に来た」

「まだ、学校でしょう?」

「こっちのほうが大事。それに、勉強はする」


 感情感知の指輪を通して伝わる感情は、フラット。嘘ではないようだ。

 そうなると、追い返すのも気が引ける。


 話を聞いてから判断しようと、アルシアはヨナを応接スペースのソファへと誘導する。


「それで、届け物って?」

「学校で読み書きの教科書をもらってきた」

「…………」


 アルシアは、思わず息を飲んだ。

 まったく予想もしていないプレゼント。この時点で、善悪はともかく、学校を途中で抜け出したことでヨナを叱ることはできなくなった。


「ありがとう」


 アルシアはヨナの頭を撫で、次いでその手を眼帯を外すことに使用した。


 再び露わになるダークブラウンの瞳。

 それが、アルビノの少女の姿を映すが、どういうわけか、ヨナは目を合わせようとしなかった。


「どうかしたの?」

「……変じゃない?」


 アルビノの少女は、自らを指さしながら主語のない質問をする。


 ヨナも学校へも通うことになって、自らの容姿が普通とは異なることを知った。もちろん、そんなことを気にするヨナではない。誰にどう思われようと気にしないが、例外はある。


 その例外であるアルシアは、微笑みながら即答した。


「かわいいわよ」

「美人って言われたほうが嬉しい」

「……それは、十年後まで取っておかせてちょうだい」

「じゃあ、代わりに今言う。アルシアは美人」

「……十年後は、どうなっているのかしらね」


 あっさりといつも通りに戻ったヨナに、微笑みを苦笑へ変えながらアルシアはテキストをめくる。


「まず、この途切れ途切れの線に沿って、文字を書く練習をすればいいのかしら?」

「そう。質問は、随時受け付ける」

「頼りにしているわよ」

ライバル(ヴァル)にこの冬で差を付ける」

「……その変な言い回しは、ユウトくんね?」

「残念、アカネ。アルシアは、ユウトが好きすぎ」


 被保護者の少女に打ちのめされたアルシアは、勉強を開始するため執務机から羽根ペンを取ってこようと立ち上がる。


 ――だが、その足は一歩目で止まった。


「ヨナ、その帳面はなに?」

「言いつけを守ったら、ユウトにお願いを叶えてもらうリスト」

「内容は分からないけど、かなりいっぱい書いてあるわね」

「文字が読めるようになったら、見せる」

「ヴァルやアカネさんに見せるつもりは?」


 アルビノの少女は、無言で首を振る。


 だからといって、無理やり取り上げるような真似をしてはならない。ラーシアなら上手く内容を確認できるだろうが、ヨナの共犯者になる可能性が高い。


(どうにかできるのは、私だけということね)


 危機感と使命感を大いに刺激されたアルシアは、結局、夕方近くまで集中して勉強に励むことになった。

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