5.天上の冒険
「分かりました。仕方がないでしょう」
「……本当に、よろしいのでしょうか」
「フェルミナが駄目だと言えば、諦めるのですか?」
太陽神からの反問に、アルシアは静かに頭を振った。
同時に、益体もないことを聞いてしまったと反省する。
フェルミナ宮殿の前庭。
黒白一対の天馬が降り立った遙か地上まで延びる階段の頂で、ユウトたちは太陽神フェルミナの見送りを受けているところだった。
そこでアルシアが切り出した要望――ともに、ムルグーシュ神の下へ赴きたい――を、フェルミナ神はあっさりと受け入れた。
探索行そのものもそうだが、元々、この神に強制するつもりはないのだ。探索行に関しては、やるやらない以前にやらざるを得ないところではあるものの、その子細に関しては任せてくれるようだった。
信頼と、受け取って良いだろう。
「ヴァルトルーデ様、ユウト様」
そこで、アルシアの代役として同行するはずだった神王セネカ二世が一歩進み出る。
「セネカも、この探索行に同道させていただきたく存じます」
「それは……」
思わぬ言葉に、ユウトは言い淀む。
足手まといというわけでは、絶対にない。
大きな戦力になるし、戦術の幅が広がるのは確実だ。
しかし、彼女が担う社会的な役割を考えれば、危険な旅への同行など簡単に首を縦に振れるものではなかった。
「危険は承知していると申し上げたいところですが、おそらくセネカの予想を超える事態は起こるでしょう。神王という立場を忘れてほしいと言ったところで、それは叶わないでしょう」
それでもと、女神の祝福を受けた美貌に決意をみなぎらせ、袖をぎゅっと握りながら言う。
「世界の危機を、我が女神の懇願を。人任せにすることは、どうしてもできません」
一息に言い切ると、荒い息を吐き全身を震わせる。
魂からの言葉をぶつけられ、ユウトとヴァルトルーデは顔を見合わせた。
「今までは、まあ、大した相手でもないから良かったけどさー」
そこへ割入って来たのは、草原の種族。
したり顔でうなずきつつ、神王の決意を確かめる。
「この先のことを考えると、お客さん扱いはできないよ?」
「……してた?」
「超してたじゃん!」
鍵の件で困らせていたことは棚に上げ、茶々を入れてきたヨナへ大声で主張した。
あるいは、あれが草原の種族流の歓迎である可能性もある……が、ユウトは深く追及はしないことにした。
「あと、ムルグーシュだかなんだかのところに到着するまで、連携の訓練とかも必要になるけど? ボクらの戦術についてこれる?」
「覚悟は、できています」
「ふむ……。ユウト、どうだ。連れていってやったら」
意外にも、最初に賛成したのは岩巨人だった。
無関心とまではいかないが、こちらの決断に従う程度の関心だと思っていた大魔術師は、視線で真意を問う。
「未熟だと籠に閉じこめれば、成長も可能性も摘む。オレたちに伝わる教えだ」
「あえて、この状況で籠から出す必要もないと思うけどね……」
そう言いつつも、ユウトは結論を出していた。
ヴァルトルーデもアルシアも、それに賛同するかのように静かにうなずく。
「フォローをしないとも、自己責任とも言いません。できる限り、助け合います。ですが、命の保証もできません。それでも――」
「もちろんです!」
言葉の途中で勢い込んで返事をするセネカ二世。
初めて、神王が年相応の少女に見えた。
(いや、正確な年齢は知らないけど……)
明らかに年下に見えても、遙か年上という場合もあるのがブルーワーズ。とはいえ、当然ながら、年齢を聞くような愚は犯さない。
「では、まずは言葉遣いから改めましょう」
「いや……。確かに、そうか」
ピッチの上では、先輩も後輩もない。
サッカー部時代の経験からそれを知るユウトは、あっさりと受け入れる。当然、他に意図があるなど思いもしない。
「じゃあ、セネカ……で、いいかな? これからよろしく」
「はい。ユウト様、よろしくお願いいたします」
「あまり変わってないような……」
「これがセネカの自然体ですので」
そう日だまりのような笑顔を浮かべると、身を翻してヴァルトルーデたちへも同様の挨拶を重ねていく。
そんなセネカを横目で見つつ、ユウトは太陽神へと向き直った。
「――ということになったのですが」
「地上の信徒には、フェルミナが巫女セネカは英雄とともに、フェルミナの探索行に従事している旨伝えましょう」
「……お手数をおかけします」
どの範囲に信託を下すのかまでは分からないが、大騒ぎになりそうだ。
それを他人事のように流すユウトへ、太陽神が声をかける。
「この探索行における加護を授けます。希望があれば、述べなさい」
「……それでは、こういうのは可能でしょうか」
腹案はあるが推測混じりなので、みんなには聞かせたくなかった。けれど、さすがに神へ耳打ちはなどできない。
無限貯蔵のバッグから昨晩書き殴ったメモを取りだし、その一枚にボールペンで大きく丸をつけて、太陽神へと提示する。
そうしてから、日本語のメモだったことに気づいたが、問題はないようだった。
しかし、それを読んだフェルミナ神の反応はユウトの予測を超えていた。
「……気づいていましたか」
目を見開き、呼気とともにつぶやく太陽神。
ユウトから告げられた内容は、秘事とも言えるムルグーシュ神の本質に迫るものだった。
青き盟約に抵触しかねないため、知っていても伝えられなかった情報。
かの大魔術師は、今までに得た情報から自力で気づいた。驚くのも、当然だろう。
「合っているようですね」
「ですが、知るものは少ないほうが良いでしょう」
相手が神ともなれば、思考を読むことも困難とは言えない。切り札となりうる情報だからとユウトへ口外を禁じつつ、フェルミナ神が袖口の広い羽織を大きく開く。
それだけで紅炎にも似た光が放たれ、柔らかく暖かな加護が全員を包んだ。
「これは……」
「来るべき時に、皆の力となります。それでは、我が巫女セネカを、世界を頼みます英雄たちよ」
最後に天上の地図を受け取り、ユウトたちは旅立った。
太陽神の馬車でも自前のそれでもなく、《飛行》の呪文による空の旅。《法則保全》により、世界法則の変動へも万全の備え。
「ええと、これで……」
神王セネカ二世も、泳ぎで言えば犬かきのようであったが、空を飛びなんとかついていく。
彼女は、この探索行へ同行するという決断を後悔することはなかった。
だが、早まったかもしれないと思う事態は、何度か発生することになる。
天空樹と知識の泉を越え、聖獣の野と魔獣の荒野を通り抜けた先に、悪の神の領域があった。逆に言えば、天空樹と知識の泉は善の神の領域にあり、聖獣の野と魔獣の荒野は善と悪の領域の境界に存在しているということになる。
ヴァイナマリネンが神にも匹敵する叡智を得たという天空樹と知識の泉に興味はあったが、ムルグーシュ神との戦いには関わりがない。
そのため、遙か遠くに、しかし巨大で見上げんばかりの天空樹を眺めるだけに終わった。
それに、セネカ二世と「分かり合う」必要もある。
「ま、まだ避けてはいけないのですか!?」
「まだまだ」
意外というべきか、神王の教育係に就任したのはアルビノの少女だった。
遠慮はしないと決めても、本当にそうするのは難しい。人間の意識とは、すぐには変わらないものだ。
その点、ヨナは常に自然体。むしろ、配慮するほうが困難という逸材だった。
「グァアァァァァッッッ」
尾を引くような叫びが、天上の空に響き渡る。
竜語を解するユウトには、それが「我が姿を前にしても逃げ出さぬとは。その蛮勇のつけを払わせてやろう」という意味を持っていることが分かる。
やる気に満ちた口上だが、ただ、ヨナにとって相手の意向はさほど重要ではないようだ。
まずは、セネカ二世が戦闘に慣れること。
その目標を達成するため、偶然遭遇した黒竜の矢面に立たされる神王セネカ二世。早速、早まったかも知れないという瞬間が訪れていた。
壮年と老年の間に位置する強大な黒竜が、エグザイルでも丸飲みにできそうなほど口を開いて間近に迫る。
その一本だけで、セネカ自身と同じ長さはありそうな牙。
凶暴というのもおこがましい瞳は暴力の輝きに溢れ、こちらをにらんでいる。
体が竦んで動けなくなってもおかしくない状況だが、さすがは神王と言うべきか。背後のヨナが掴んで逃がさないようにはしているが、攻撃を避けようともがく余裕があった。
「た、食べられてしまいますよ!?」
「だいじょうぶ」
「死んでも、アルシア様が復活させてくれるという意味ではないですよね!?」
だが、その余裕も、黒竜の顎があと1メートルと迫れば消え失せる。
思わず、黒竜という死の運命から顔を背け、瞳を閉じた。
「グァアァァァァッッッ」
「ぬあぁっ」
竜語で発せられた殺意が大音声となって響き渡る。同時に、セネカ二世の背後から、黒竜の咆哮を圧する気合いの声が放たれた。
神王の5メートルほど後ろで待機していたエグザイルがスパイク・フレイルを振り下ろし、黒竜の鼻面を強かに打ち付ける。
通常はあり得ない距離からの直接攻撃。
数百年を閲する黒竜が、未だかつて受けたことのない強力な一撃。
「ギャアアァッッッンンッッ」
竜語を解するユウトでも翻訳不能な言葉にならない絶叫を上げ、黒竜は身を翻して逃げ出そうとした。狡猾なこのドラゴンは、瞬時に悟ったのだ。
この人間たちには勝てぬと。
即座に離脱をはかった決断は称賛に値するが、しかし、それが許されるかは別の話。
「はいはーい。もうちょっと、頑張ってね」
ラーシアが先手を取って矢を放ち、つかず離さず、黒竜をその場に拘束する。
ドラゴンと神王のどちらにとって、より無慈悲な行いだったかは議論の余地があるところだろう。
もちろん、草原の種族にも言い分はある。
この黒竜は、壮年と老年の間に位置する年齢段階。
訓練の相手としては、ほど良いレベルだ。ここで逃がしたら、新しい“教材”を見つけられるか分からないではないか。
「それに、俺たちが見守ってるから、無茶はさせないしな」
「うむ。そうだな」
暢気にそう言う夫婦に若干の疑いを抱きつつも、アルシアはなにも言わなかった。
正確には、言えなかった。
昨夜から引きずる恥ずかしさと後ろめたさで、声をかけるだけで意識してしまうから。
いつも通りにすべきなのは分かる。よく分かっている。
けれど、そうやって流してしまうのは、惜しいとも思ってしまうのだ。
「グッ、ガアァァァッッ」
そうこうしているうちに、黒竜が再度大きく口を開いた。
「これは、吐息攻撃なのでは?」
「その通り」
よく分かったと称賛するが、やはり避けようとしない。
そんなセネカ二世とヨナに、強酸の嵐が直撃する。
集団。否、軍団をも壊滅させる吐息攻撃。ドラゴンをモンスターの王者たらしめる致命の力。
「だいじょうぶ。このくらいなら、問題ない」
だが、その嵐が晴れた後、二人とも無傷でその場に立っていた。
「ユウトの呪文で守られてる。だから、必要以上にあわてる必要はない」
特別に黒竜との遭遇を予期していたわけではないが、いつも使用している呪文やドラゴンのブレス攻撃、猛毒など、様々な障害への抵抗性を高める《抵抗力増幅》。それに、火炎・冷気・雷撃・音波・強酸への強力な防護を与える《精霊円護》で充分に対処可能。
それを体験させるため、あえてその身を晒したのだ。
憶えるには、これが一番。
そして、そろそろ次の段階に進む頃合いだろう。
「じゃあ、次は攻撃の授業。なにをすれば良いか、考える」
「《光輝襲撃》の呪文で攻撃を……」
「一人で戦うのなら、それも悪くない。でも、仲間がいる」
「では、皆様へ援護をするのが定石でしょうか?」
「そう。それに、この程度の相手に《光輝襲撃》はもったいない。温存も憶えるべき」
こうして、実戦を活用したレクチャーをしつつ、天上の冒険は続く。
その間の食事は、すべてアルシアやセネカ二世の神術呪文でまかなった。
また、かなり久しぶりの野営となったが、《不可視の邸宅》の呪文を使用したため、見張りを用意する必要すらない。
フェルミナ神から借り受けた地図は、現在位置を表示させる機能を持つ魔法具で、進路を迷う心配もない。
その分というわけではないが、移動中にはいくつかの事件が発生した。
聖獣の野では、天上種の生物による縄張り争いに巻き込まれ、解決に奔走した。
その過程で一角獣の出産に立ち会うこととなり、アルシアとヨナ。それに、セネカ二世も手伝った。
それを抜けた先の魔獣の荒野では、堕神種のグリフォンの群れとめくるめく空中戦を行い、同じく堕神種の錆を喰らう怪物からは全力で逃走し、ケルベロスやカトブレパスとも死闘を演じた。
すべて、セネカ二世の特訓に費やされたのは言うまでもない。
お陰で――と表現して良いのか分からないが――神王も戦闘行為にも慣れ、戦力として加わる目処がついた。
そして、10日後。
ついに、魔獣の荒野を踏破し、悪の神の支配領域へと到達した。




