4.黒い魔女
「私のせいよね」
フォリオ=ファリナのヴァイナマリネン魔法学院。
その入り口へ《瞬間移動》した直後、ぽつりとアカネがつぶやいた。
その真剣な声音に、思わず振り返るユウト。だが、なにかされた心当たりはない。
「……いきなり、なんだよ」
「勇人が、追い出されるような形になったのって、私を危険から遠ざけるためよね?」
そう幼なじみにして婚約者の顔を見上げて言うアカネは、黒のピーコートにチェックのスカートを合わせた出で立ち。貴族に会うというわけではないので、ある意味気楽な服装だ。
「あー」
そのことかと、大魔術師の瞳に理解の色が宿る。それはつまり、言われなければ気づかなかったということでもあった。
「その辺は適材適所だからな。別に、気にすることじゃないだろ」
「でも、ヴァルとの離ればなれになっちゃったし」
「いや、そんな四六時中一緒ってわけでもないから。そんなに長いこと離れるわけでもないし」
精々、数日の予定だ。
まったく気にする必要はないと慰めるが、彼女はうつむいたまま。
「そもそも、悪いのは獣人たちであって俺たちじゃない。こっちが罪悪感を憶えるのは、見当違いだろ?」
そう言い切るユウトだったが、アカネはそこまで割り切れない。いつもの快活な彼女は消え失せ、物憂げに押し黙る。
「あー、もう」
仕方がない。人目を気にしていないわけではない。非常識なのは分かっているが、そう緊急時なのだから許してもらうしかない。
学院の門を守る警備員を横目で見る。言い訳がましいが、これからする行為には、必要なことだった。
うつむくアカネを、そっと抱きしめる。
さすがに予想外だったのだろう。彼女は顔を上げ、婚約者たちの視線が正面からぶつかり合う。
「戦えないからって、朱音を邪魔に思うとか、そんなのあるわけないだろ」
髪を撫でながら、優しく諭した。
同じグループだと思っていたペトラが訓練に来るようになって、劣等感が刺激されたのかも知れない。そんな必要は、どこにもないのに。
「だけど、抱え込みたがりの勇人だから、自分で現場にいたかったでしょう?」
「俺、そんな風に思われてたのか……」
「自覚なかったの?」
腕のなかの幼なじみが、驚いたように言う。
(……正面から言われると否定しづらい)
言われてみれば確かにと、心当たりはいくつかある。
かといって、肯定もできなかった。
「朱音のボディーガードだって、立派な役割分担さ」
「逃げたわね」
「だいたい、これで朱音が戦闘もできるようになったら、ヴァルが拗ねるぞ」
「……ふふ。それもそうね」
ようやく、アカネが笑顔を取り戻す。
押し殺していた不安が、二人きりになって顕在化してしまったのだろう。
気づかなかったのはミスだが、大きく膨らむ前に言ってくれて助かったとも言える。
めんどくさいと思われるかも知れないが……。
(別に、嫌じゃないな)
困ったことに、むしろ嬉しいぐらいだった。
「なにやら、学院の前でお楽しみだったようだね」
メルエル学長から、かけられた第一声に、ユウトは思わず膝から崩れ落ちそうになった。
「新婚だから大目に見ようと思っていたがね……」
一緒に学長室に現れたのは、彼も参列した壮大な式で永遠の愛を誓ったヴァルトルーデではなく別の女性。
短い白髪の老大魔術師が、いたずらっぽい笑みを浮かべる。普段の好々爺然とした笑顔とは異なる、稚気に溢れた笑みを。
「私も、我が師も、女性関係は至って淡泊だったからね。我が一門に色男が加わることになるとは、これは慶事といえるかな?」
「両方否定していいですかね、それ」
ヴァイナマリネンの一門になった憶えも、ましてや色男になったつもりもない。
「後者は、否定しきれないような気がするんだけど」
「まさか、身内に裏切られるとは」
ユウトの一歩後ろにいたアカネが、メルエルと同じ種類の笑顔を浮かべて言う。
先ほどの不安そうな様子はどこへ行ったのか。女性は強いと思わせるに充分だった。
「というか、メルエル学長がそんな人だったとは……」
「私が、誰の弟子だと思っているんだい?」
「納得しました」
全部、ヴァイナマリネンが悪い。
そう結論づけて、本題に入った。
「農業に詳しい人間を紹介してほしいということだったね」
学長室の執務机から応接スペースへと移動したメルエルが、対面に座る二人の目を見ながら確認する。
「ええ。前にお話しした神聖土の扱いも含むと、魔術師のほうが適任ですから」
「話を聞いたときには驚いたよ。イスタス侯爵領は、まるでおもちゃ箱のようだ」
ユウトは曖昧に微笑み、返答は避けた。
神々のおもちゃになっているという思いが、頭をよぎったからではない。決して。
「物が物だけに、公募をかけるわけにもいきませんから」
「事情は分かっているのだが、実のところ魔術師の研究テーマとして、農業……もっと広く範囲を取って植物としても良いだろうが、かなりマイナーでね」
「……それは、分かります」
このブルーワーズでは、植物の専門家として自然崇拝者やエルフたちがいる。知識階級でもある魔術師が、その分野をないがしろにしているわけではないが、メルエルの言う通り人気はない。
「ゆえに、この学院には紹介できる人間はいないのが現状だ」
「そうですか……」
大魔術師ともてはやされているユウトだったが、魔術師世界へのコネクションはないに等しい。
師匠であるテルティオーネはこの魔術学院を追放された身であり、彼に関係する魔術師を、ユウトはヴァイナマリネンとレンしか知らない。
大賢者にしても現状は世捨て人同然で、その直弟子であるメルエルに頼るしかないのだった。
そのため、彼から無理だと言われてしまうと打つ手がなくなる。
「勘違いをしてはいけないな」
「え?」
「ここにはいないけど、紹介できる人間はいる……ということ?」
ユウトよりも先に正解へたどり着いたのは、意外にもアカネだった。
得意そうな顔をして、隣に座る幼なじみへ言う。
「簡単な叙述トリックじゃない」
「日常会話でトリックを見破る必要があるとか、難易度高くないか?」
「それは、準備と覚悟が足りていないな。ついでに言うと、私が推薦する人物は、君たちにも旧知の人物だよ」
「え……?」
ユウトたちと、メルエル学長が共通して知っている人物。
しかも、魔術師で。
「まさか、ヴァイナマリネンのジイさんとか……?」
危険だ。
それは、危険すぎる。
あの大賢者に神聖土を渡したら、吸魂樹や絶叫茸といった危険な植物モンスターの品種改良をやりかねない。
こちらの依頼を完璧に果たしたうえで。
「ははははは。まあ、我が師なら大抵の依頼において適任だろうがね」
さすがにそれはないと、その懸念を笑い飛ばす。
「だが、一理あるね」
「ないです。ないです」
「勇人、さすがに失礼なんじゃない?」
「俺も好きで言ってるわけじゃない。魑魅魍魎が徘徊する土地にしたくないだけなんだ」
真剣にそう言われては、アカネもうなずくしかない。
明らかに心配しすぎだが、絶対にないとも言えないのだから。
「まあ、冗談はそれくらいにしようか」
白髪の老大魔術師は、孫をからかう祖父のような表情を引き締め、一枚の書状を手渡した。
言うまでもなく、紹介状だ。
「それを、アンソン男爵に渡してほしい」
「アンソン男爵……?」
「美食男爵と言ったほうが、通りが良いかな?」
「ああ、あの人!」
反応したのは、アカネのほうが早かった。
アルサスとユーディットの披露宴で、あの美食男爵と主に対応したのは彼女だ。
数々の料理や醤油へ食いついてきた彼を忘れるのは、逆に困難だろう。
「なるほど。確かに、食べ物への情熱はありそうですけど……」
その後、いろいろあって思いついただけではあったが、防腐瓶の研究を依頼しようと思った相手なのだ。
当然、ユウトも憶えてはいる。
ただ、メルエルからその名が出てくるとは思いもしなかった。
「彼は、一時期、このヴァイナマリネン魔術学院の聴講生だったことがあってね。正式な学生でも魔術師でもないが、植物関連の講義や文献を制覇した伝説の男なのだよ」
「それは……。意外というか、当然というか……」
どちらにしろ、反応に困る。
「ただ、適任ではあるが一家の当主だからね。本人ではなく、その側近の誰かということになると思うが」
「いえ。まったくの盲点でしたからありがたいです」
確かに、考えもしなかった人選だった。
隣でアカネが微妙な表情をしていたが、この際、それは見なかったことにする。
ユウトは、これからのことを考え始めた。
まず、アーケロンの件で、イブン船長やペトラの父でフォリオ=ファリナの世襲議員パベル・チェルノフと話し合い。
それから、ロートシルト王国の王都セジュールへ移動し、アルサス王か宰相に一言断ってから、アンソン男爵の領地へ赴く。
そこでヘッドハンティングの交渉をしてから、ファルヴへ戻る。
もちろん、《伝言》の呪文で呼び出しがあれば、すぐに領地へ戻らなければならない。
なかなかのハードスケジュールだ。
「悪いのだがね。逆にひとつ、こちらからもお願いあるのだ」
「……なんですか?」
そんな青写真を描いていたところ、メルエル学長の遠慮がちな声で現実に引き戻される。まったく予想が付かない話に、駆け引きは止めて率直に聞いた。
「それとは別に、紹介させてほしい魔術師がいるんだ。いや、本人のたっての希望でね」
「どういうことでしょう?」
「そろそろ本人が来る予定なのだが……」
ちょうどそのとき。まるでタイミングを計っていたかのように、学長室の扉が叩かれた。
(ペトラと初めて会ったときも、こんな感じだったな)
まだそれほど経っていないのに懐かしく感じられるのは、初対面と今の彼女で印象がまったく異なるからだろう。
「…………こ」
学長秘書の女性に連れられて入ってきたのは、全身黒ずくめの魔女だった。大事そうに呪文書を抱える手は黒い革の手袋で覆われ、フードをかぶっているため顔も見えない。
黒い塊が蠢いているかのようだ。
直感的に魔女と思ってしまったのは身長の低さと、その怪しさから。
体の線はおろか、肌も見えない。か細い声からは、年齢も性別も判別は困難だった。
「うむ。こんにちは。よく来てくれたね、ニースくん。こちらが例の、イスタス侯爵家の家宰ユウト・アマクサと、その婚約者アカネ・ミキ嬢だ」
「さっきの『こ』って、そういう意味だったの……?」
アカネは戦慄を憶える。
果たしてそれは、想像を超える挨拶に対してか、それとも平然と会話をするメルエルに対してのなのか。
それは、彼女自身にも分からなかった。
「彼女には特技があってね。図書館の2階の奥から5番目にある書架。その3段目の一番右にある本の題名は?」
「……パウロ・アザールの東方漂流記写本版」
ひび割れたような声だが、先ほどよりははっきりとした受け答え。
本に関してならきちんと喋れるのかと、ユウトは推測する。同時に、単に普段喋らなすぎて声が出ないだけではないかという疑惑も抱いたが。
「その153ページを冒頭から読み上げてくれたまえ」
「『既に述べたように、リ・クトゥアは天枢、天キ、天セン、天権、玉衝、開陽、揺光の七つの島からなる。我々が漂着した天枢島には、竜帝と呼ばれる古代の偉大なる指導者の墳墓があった。そこを守護する一族は――』」
「結構」
一音たりとも引っかかることなく朗読を行なったニースと呼ばれた黒ずくめの魔女――どうやら、本当に女性だったようだ――は、ソファで小さくなる。
その本の内容も気になったが、今は、それどころではない。
「このように、彼女は本に関連することなら完璧に記憶することができる。そこで、司書を任せているのだよ」
「写真記憶ってやつか……?」
「聞いたことはあるけど……」
物事を、映像を保存するように記憶する能力をそう言ったはずだ。
もちろん、今のやりとりでは、その能力が完全に証明されたとはいえないが……。
「彼女を君たちに紹介した理由だがね、知識神の図書館で仕事をしたいと言って聞かないのだよ」
黒い塊が、わずかに上下した。
どうやら、うなずいているようだった。
「ああ……」
器は立派だが、蔵書はまだまだ。
喫緊の案件でもないので、テルティオーネたちに任せきりにしていた。
「理由を聞いても?」
「読みたい」
「……なにを?」
「新しい本を」
ユウトとアカネは顔を見合わせ、次いで、メルエル学長へと視線を移す。
笑っていた。
処置なしだという、諦めにも似た笑顔で。
実際、コミュニケーション能力に難はあるが、能力は破格。司書としてうってつけの人物であることは間違いない。
それを失うのは、彼としても痛手なのだろう。
だが、少し話しただけで分かる。
このニースという黒ずくめの魔女は、ユウトがうなずくまで梃子でも動かないだろうことは。
「今すぐというわけにはいきませんが、そちらの引き継ぎが終わり次第。早い時期に、こちらへ来てもらうということで。その間に、家とか給料とか必要なことを決めましょう」
黒い塊が再び上下に動き、人材獲得の交渉は終了した。
最近は更新回数が減ってしまい、申し訳ありませんでした。
今週から通常の月~金更新に戻る予定です。
これからも、よろしくお願いします。




