6.草原の種族、大海原を征く(中)
「自由! 其は我らが寝床。誰もが生まれながらにして持つもの。失って初めて分かる貴重なるもの」
潮風に草原の種族の声が乗って、後方へと流れていく。
冬が近いとはいえ、日中であれば陽光も燦々と降り注いでいる。実に、快い陽気だった。
「自由! 汝の名は母なり」
それは形式もなにもない、草原の種族に伝わる詩のようなもの。
種族のアイデンティティが表現されたプリミティブな作品……と、無理やりに評価することもできるだろうが、あまり意味はなさそうだ。
今の場合、真に評価すべきは、それを吟じるラーシア自体。
上手い下手という評価軸では語れない感情の爆発が、そこにはあった。それはそれで、やはり評価に困るのだが。
「ボクは! 自由だ!」
美しいフォルムをした純白の船、ツバサ号。
その舳先で、彼は解放感に飛び跳ねていた。
自由が母であれば、それはタイロン神の分神体リトナとイコールではないのか。結局、逃れられていないのではないのか。
幸いにも、そう指摘する者は誰もいない。
ツバサ号は波を切り裂き、軽快に北へと進んでいる。
女帝ヴェルガとの決戦に資する装備として下賜された、常識はずれの性能を誇る船。
船員代わりのドラヴァエル製ミニゴーレムは、ほんの数名での外洋航海を可能にし、陸上、海中。さらに空をも進む能力を持つ。
船の概念を崩壊させかねない聖遺物。
それに比べたら、凪の状態でも進めるとか、魔法銀で船体が塗装されているとか、特殊な砲弾を撃ち出す投石機があるなど、些細なことだ。
「いつまでも飽きもせずやるものでありますな」
操舵室でその光景を眺めるアレーナ・ノースティンは、出航から一週間以上経っても変わらぬラーシアの様子に、苦笑を浮かべていた。
なぜ、彼女が一緒なのか。
草原の種族と聖堂騎士。
水と油よりも相性の悪い両者だが、特に劇的な理由はない。ハーデントゥルムで衛兵隊との折衝を行なっていたアレーナが、偶然遭遇した草原の種族と合流しただけ。そして、今は操船を担当している。最初は真っ直ぐ進ませることもできなかったが、最近は安心して任せられる程度には成長していた。
なにしろ、ヘレノニア神からの賜り物だ。
それに乗船できる機会があれば逃すはずがないし、意欲も違う。
それよりもなによりも。まさに秘宝と呼ぶべき存在を草原の種族にのみ委ねるなど、できるはずがなかった。絶対に。
付け加えるなら、南方遠征へ向かうかも知れないヘレノニア神殿の幹部――これで、アレーナはファルヴ神殿の副神殿長だ――として、船団の責任者であるイブン船長との面通しも必要だ。
――という、表向きの理由もある。
その彼女は、全身鎧と長剣に身を固めていた。
いかに高性能な船とはいえ、板一枚隔てたそこは深く冷たい海。いずれも魔法具とはいえ船上でそんな装備は自殺行為にも等しかったが、これには理由がある。
今は立てかけている鋼鉄製の大盾も含め、元々はアレーナの持ち物ではない。ヴァルトルーデが死蔵していた私物で、不殺剣魔ジニィ・オ・イグルとの一件の謝礼としてヘレノニア神殿へ寄贈した物だ。
それを、代表してアレーナが装備している。くじ引きで勝利した結果だった。しばらくしたら、第二回の抽選会が開かれる手筈になっている。
魔化された装備が珍重され高値で取り引きされるのは、その力もさることながら、メンテナンス性も含めたスペックにあった。
さすがに一切刃こぼれしないとまではいかないが、普通の武具に比べてかなり丈夫だ。さらに、長期間放置しても錆びも朽ちもしない。
また、鎧の場合、着用者に合わせて自動的にサイズも調整される。草原の種族サイズの鎧を岩巨人が身につける――あるいはその逆――というのは不可能だが、例えば、ヴァルトルーデに合わせた鎧をアルシアが装備することは可能だ。
そういった機能的な部分を差し引いても、ヘレノニアの聖女の愛用品を身につけているというだけで誇らしい気分になる。それを勝ち取ったのは、不殺剣魔の眷属と戦い抜いたからだと思えば、なおさら。
「そろそろ、例のイブン船長とやらとの合流地点でありますよ!」
「まだ、船影は見えないね!」
操舵室と舳先にいるため、怒鳴るような大声で会話する二人。
合流地点といっても、向こうとすり合わせて……というわけではない。フォリオ=ファリナに寄港した際、世襲議員のパベル・チェルノフ――要するに、ペトラの父――から航海計画を拝借し、相手の予定到達地点へ進路を取っているだけだった。
フォリオ=ファリナとヴェルガ帝国の領海は明確に線引きされているわけではないが、その合流地点は明確にこちら側。比較的、危険は少ない海域だ。
行き当たりばったりだが、ラーシアとしては海に出た時点で目的が半ば達せられているため、出会えなければそれでも構わないぐらいに思っている。
アレーナが聞けば、不真面目な、もっと頑張るでありますと発破をかけそうなところだが、草原の種族に言っても仕方がない。
だが、幸いなことに、そうはならなかった。
一時間ほどで、ラーシアがイブン船長のものと思われる船を発見したのだ。
けれど、それは最悪から二番目の出会いだった。
なぜなら、彼らは海賊と思われる一隻の船と交戦中だったのだから。
一目で海賊だと看破できた理由。
それは、彼らが掲げる旗にあった。
青金石色の布地に意匠化した鱗と銛が描かれた海賊旗。ヴェルガ帝国に属する諸種族の王が一人、サハギンの首領“蒼き”アズール=スールのものだ。
ユウトから、動向を確認してほしいと言われていた相手でもあった。
「このまま突っ込むでありますよ!」
「りょうーかい、りょーかい」
それとは関係なく、義を見てせざるは、勇なきなり。
人数的には不利だろうと、見過ごすわけにはいかない。
さらに大きく帆が風をはらみ、ぐんと加速して体が後ろへ持っていかれそうになる。
そんななかでもバランスを崩さないラーシアは、しかしアレーナほど義侠心に溢れているわけではなかった。
負ける要素がないからやる。
それだけだ。
仮に敵の戦力が圧倒的だったら、このままやり過ごして敵の本拠地を探ってから、仲間たちを呼び殲滅したことだろう。それが、冒険者という生き様。
だが、今言うべきことでもない。
それに、今やるべきことは、他にある。
「《狙撃手の宴》」
第一階梯の理術呪文。
さして難しくもないそれは、普通の魔術師には無用の長物。
十秒にも満たない間、遠くのものが近くに見えるただそれだけなのだから。
ラーシアがそれを発動させた瞬間、視界が変化した。
数百メートル先。銛で人間の船員を襲おうとするサハギンの姿が、すぐ目の前に。急所の位置が、手に取るようにわかる。
既に合成短弓に矢をつがえていた草原の種族は、連続して2本の矢を放った。
風向き、実際の距離、射角、有効射程、タイミング。
理術呪文により精密な射撃を可能としても、処理すべき情報は多い。その難事を、ラーシアは鼻歌交じりにやり遂げた。
その結果は、側面からこめかみと喉に突き刺さった矢を見れば一目瞭然。糸の切れた人形のように、サハギンの海賊は甲板に倒れ伏した。
「急所をさらすから、そうなるのさ」
続けて二回、同じように矢を放つ。
それと同じだけ、鱗に包まれた半魚人が死んでいった。今にも船に乗り移ろうとしていた海賊たちが、海面へと落下していく。
正確に急所を射ち貫く技も見事だが、そこまで届かせる単純な力も瞠目に値する。実際、彼が使う短弓は、草原の種族の基準で見ればとんでもない強弓だ。人間でも、扱えるものはそう多くない。
力と技。
それらが合わさり、ラーシアを卓越した弓兵としている。
それでも、総体的に見れば、まだ数人やられただけ。大勢に影響はない。無視して、目的を果たすべきだ。
それは確かに正しい。だが、士気を無視した話でもある。数百メートル先――今は、もっと縮まっているが――から放たれた死神の矢に、サハギンたちの動きは止まる。誰だって死にたくはない。
「もう、一押しかな?」
舳先から降りて、備え付けの投石機へと移動する。
そして、砲弾を据え付けると、慎重に狙いを付けて解き放った。
放物線を描いて、花火玉のような弾丸が接舷中の海賊船に着弾する。
轟音。
同時に、甲板が炎に包まれた。
火炎弾の効果は、絶大だった。
サハギンたちにとっては運良く、マストを外れた。しかし、半魚人は皆同じことを考えてしまう。
次にあれが命中して帆柱が折れたらどうなる? いや、そうでなくとも、あんなものを何発も撃ち込まれて船体は耐えられるのか?
もちろん、サハギンの海中運動能力は群を抜いているが、それとこれとは話が別。彼らにとっても船は大事な帰るべき場所なのだ。
「野郎ども! 押し返せ!」
そこに、イブン船長の号令が響いた。
鬱憤を晴らすかのように、船員たちが船上刀を振り上げてサハギンどもへ反撃を開始する。
同時に、南風が吹き始めた。
風向きが変わったようだ。
どうやら敵の指揮官は、戦のそれも巧みに読む男だったらしい。
法螺貝の音が、風に乗って聞こえてきた。他になにか理由があるのかも知れないが、サハギンたちは撤退を決意したようだった。
「やれやれだね」
狙い通り、わざとマストを外した甲斐があったというものだ。
そう。海賊船の一隻程度、航行不能にするのは容易いこと。このツバサ号の力があれば、やれて当然。自慢にもならない。
だが、そんなことをして窮鼠になられても困る。倒せるに越したことはないが、救援を優先した。
「逃げ出していきますな。私は、なにもやってないでありますが……」
だから、アレーナが貧乏くじを引いたことなど、些細なことなのだ。
ちょっと締め切りの日数計算を間違えていたため、今週の更新は月・水・金とさせてただきます。
(もしかしたら、来週も)
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。




