5.草原の種族、大海原を征く(前)
「待ちなさい!」
「待たないよ!」
ここは、ファルヴの街の中心。
最近行われた領主夫妻の結婚式にあやかり花嫁広場と呼ばれるようになったそこで、草原の種族が草原の種族を追い回している。
逃げているのは男、追いかけているのは女。
面白がって子供たちが一緒に駆け回る。
広場にいた大人たちも何事かと注目するが、「なんだ草原の種族か」と視線を外し、巻き込まれないように距離を取る。
やがて、二人は時計塔の周囲をぐるぐると回り始めた。
元よりすばしっこい草原の種族だが、ストライドが違うため、どうしても人間よりも走力としては劣る。
しかし、この二人はそんな常識には囚われない。
人並み外れた体力と俊敏性。そして、巧妙なボディコントロールで、周回を積み重ねていく。これについていけるのは、ユウトから「フィジカルお化け」と評されるヴァルトルーデぐらいのものだ。
「大人しくアタシに捕まりなさい!」
「なんで!? ボクは無罪だし」
「犯人はみんなそう言うのよ」
原因は、些細な感情の行き違い。
その発端は、東方屋へ遡る。
「ううん……」
一時間ほど前のことだ。
その個室で、ラーシアは首をひねりながら書類と格闘していた。
といっても、テーブルに置かれた羊皮紙はミミズがのたくったような線しか書かれていない。その格闘が試合だとしたら、不戦敗の様相を呈している。
なにか仕事をしようとしているのか、新たな芸術を生み出そうとしているのか。客観的に見れば、確率は五分五分といったところだろうか。
「あー。どうしよっかなぁ……」
ユウトの執務室に並んで、彼らの溜まり場となっている東方屋。その傾向は、専用ともいえる個室ができたことで加速した。カグラがメイドへ転職しても、それは変わらない。
ただ、ラーシアがここに来ているのは執務室を追い出されたからではなく、ユウトに秘密で動こうとしているからだった。
「ラーシアくん。なにやってるのって、聞いてもいい?」
そんな彼へ、癖毛をいじりながら問いを投げかけるリトナ。思い悩む草原の種族という世にも珍しい存在も、一時間ほど見つめていれば飽きてくる。
「んー。いや、まあ、いいか」
羽根ペンを鼻の下に挟んでうなっていたラーシアが、今、存在に気づいたとばかりにリトナを正面から見つめた。相手が本当は何者か知っていても、差し向かいだとどきりとする。
初対面時に感じた「すげー好みなんだけど」という感情は、今も残っているらしい。
「ユウトに、企画書を出そうと思ってさ」
「企画書?」
いつの間にか利き手へ持ち替えたペンで羊皮紙に落書きを始めた彼へ、そのまま問い返す。
企画書。
なんの企画だろうか?
「もしかして……」
リトナ――草原の種族の種族神であるタイロン。その分神体の脳裏に、閃光が走る。
心当たりがあった。
もしかして、もう一度結婚式でもやらせようというのだろうか? あれは、楽しかった。飲み放題食べ放題。騒いでも怒られない。それどころか、推奨されている。
夢のような時間。
ただ、あれほど大規模なイベントをまたやるのは現実的に難しい。
ならば……。
「そっか。真のサプライズ結婚式としてアタシたちのをやるのね」
「しないよ!? なんの話!?」
寝耳に水と、ラーシアは思わず立ち上がった。
どこにそんな伏線があったのさと、全力で否定する。
「しないの?」
軽い気持ちで言ったのは確かだ。
自分が主役では、飲んだり騒いだりできないことに気づいたのもある。
それでも、一言の下に却下され動揺を隠せない。そこには、エリザーベトとはしたのにという嫉妬心もあった。
「う。あ、まあ……」
言い過ぎたと思ったのか、ラーシアの視線が泳ぐ。
「ふ~ん……」
その視線をリトナが追う。
両者の動きは、完全に同調していた。
だから、どちらが先に動いたのかは分からない。
結果として、ラーシアが脱兎の如く個室から飛び出し、リトナがそれを追いかけたという事実が残る。
そうして一時間後。
なんとかリトナを引き離したラーシアは、最も信頼する友人の下へと駆け込んだ。
「もう限界だよ!」
「……なんだよ、藪から棒に」
そろそろ、今日の仕事も終わりにしようか。
ラーシアが執務室へ飛び込んできたのは、そんなタイミングだった。
「リトナに追い回されてた」
「ふ~ん。家宰としては、倫理的には逆より、いいんじゃないかとしか言えないが」
「良くはないよ!」
撒くまでに、どれだけ苦労したと思ってるのさとぶちぶち言いながら、ユウトへと詰め寄っていく。
「今時、藪から棒とか言わねえよな」
そんなラーシアを片手で押し返しながら、益体もない感慨にふける。しばらく両親と一緒で、言い回しが古くなってしまったのかも知れない。
「朱音に笑われるな」
「そのナチュラルなスルーっぷり。ほれぼれするね!」
「それはどうも。しかし、ラーシアとの会話は、反射でできるから楽だな」
ユウトは冷めたコーヒーを飲み干して、書類を整理する。もう、今日は仕事にならない。
「カグラさんも、今日はもういいですよ」
「そうそう。ここからは、男だけの時間だから」
「その表現は微妙にイヤだな……」
そう言いつつも、集中して話を聞くためソファに移動するユウト。そんな二人を一瞥してから、カグラは執務室を辞去した。
念のため、リトナに詳しい事情を聞こうと心に誓いつつ。
「んで、なにがあったんだよ」
備え付けの水差しからコップに注いだ水を手渡しながら事情を聞く。
「簡単に言うと、リトナと結婚式なんかしないよって言ったら追いかけられた」
「それはラーシアが悪い」
「だって……」
相手が種族神の分神体というのは、尻込みするのに充分な理由だろう。
だから、ユウトも誰も、無理強いはしない。
しかし。
「というか、諦めたら?」
「そこで人生終了だよ!」
既に内堀まで埋まっているのにとも、思っている。
「いやぁ、案外悪くないもんだぞ。寝不足だけは困るけど」
「そんな生々しい話は聞きたくなかった!」
さめざめと泣くラーシア。
演技だが。
「このままじゃ、なぁなぁに既成事実が積み重なってく。あれだよ? ハーデントゥルムじゃ既にボクの配偶者扱いだよ? 若い連中から、姐さん、姐さんって……」
「アルシア姐さんに強力なライバルが現れたのか」
「というわけで、冷却期間をおきたい」
「俺にどうにかできる問題か?」
「超他人事! 死ねばいいのに」
「俺が死んだら、ヴァルとアカネとアルシア姐さんのことは頼むぜ……」
「うわっ、人数多い! めんどくさっ! ああ、もう! 100年ぐらいしてから玄孫に囲まれて、老衰で痛みもなく死ねばいいのに!」
そうまで言われては、見捨てることもできなかった。
「しかし、冷却期間ねぇ……」
どう考えても好転するとは思えないのだが、逃げることが悪いとも思わない。火砕竜に敗北したときは、一目散に逃げ出した。
とはいえ、大して広くもないファルヴの街では、そうもいくまい。
「ああ、そうだ。ひとつ、良い仕事がある」
「ほうほう」
「南方大陸へ遠征するって話に、うちというか、ドゥエイラ商会で出資することになっていたんだが、今その準備をしているんだ」
イブン船長を中心に、ユウトが伝えた壊血病の予防法の実証実験を行なっている。
外洋航海では嵐よりも脅威となる壊血病が、ビタミンCを摂取する――簡単に言ってしまえば加熱していない野菜を食べるという単純な方法で駆逐できるなど、口で言っただけでは信じられない。
そのため、フォリオ=ファリナの近海で、船員を野菜を食べるグループと、食べないグループに分けて無寄港の練習航海を行なっている。
最低でも3ヶ月は経過しなくては症状は出ないため、そんな回りくどいことをやっていた。
「壊血病予防って、チキューじゃ、実証されてんだよね?」
「ああ。でも、ビタミンCとか言ってもなにがなにやらだろ?」
「それって、お金になるの?」
「商品にはなってたりするよ」
とにかく、南方遠征のために、省略はできない手順だ。
そして、この実験は秘密裏に行わねばならない。事前に、柑橘類やキャベツなど買い占められても困る。
「やっぱり、金になるんだ」
「人間は経済的な動物だからな」
ラーシアの混ぜっ返しへ適当に返して、ユウトは本題に戻る。
「別に地上にいたって症状は出るんだけど、食事の管理も難しいしな。なんで、状況確認がてらイブン船長に会ってきてくれると助かる。ヴェルガ帝国――サハギンの首領“蒼き”アズール=スールの動きも気になるしな」
「働かせる気、満々だー」
「当たり前だ。というわけで、その船団への視察名義だったら、堂々と外へ出られるぞ。なにか理由があるのか、彼女はイスタス侯爵領から外へ出ようとしないしな」
「うーん。でも、海かぁ……」
草原の種族としては、あまり嬉しくないらしい。
そんなラーシアへ、大魔術師がぽつりと言った。
「あとは、エリザーベトさんが早めに来てくれるのを祈るか」
「おお! 心の友よ!」
他に選択肢がないと悟ったラーシアがクルクルと手のひらを返す。
苦笑も見せず、ユウトはさらさらと手紙を認めた。
「ツバサ号の出港許可と、ペトラの親父さんと、イブン船長への手紙な。ヨナに《テレポーテーション》を頼んでも良いけど、船で行ったほうが行動の自由はあると思う」
「サンキュー、ユウト。サンキューね」
ひったくるようにその手紙を受け取って、草原の種族が執務室を出ていった。出発は明日にしようなどとは、考えもしないらしい。
そんな親友の後ろ姿を見送りってから、ユウトは天井に視線を移す。
「しかし……」
ラーシアがいない間に、せっせと堀を埋めていくリトナ。
そんな光景が思い浮かんで仕方ない。
もし、それが現実になったら……。
先ほどは手のひらを返したラーシアだったが、実際は手のひらの上で踊っているだけだったようだ。




