9.フォリオ=ファリナでヴェルガとの(中)
彼女のそんな笑顔にユウトはなにも言えず、そのまま二人は第一城壁を抜けて、旧市街へと移動する。
旧市街と呼ばれてはいるが、第一と第二城壁の間に広がるこここそ、フォリオ=ファリナの中心。それほど広くはないが、多くの商店が軒を連ね、複数の市場が常設されている。
今のブルーワーズでは、常識外れともいえた。
「この辺も、久しぶりだな」
「それも、なにやら、おかしな話よの」
古いがしっかりと整備された石畳の道を歩きながら、ユウトは周囲を見回す。感想が普通でないのは指摘されるまでもなく自覚していたが、事実は動かせない。
ドゥエイラ商会の本店も、この旧市街の一角にあるのだが、周辺を見て回る余裕はなかった。その前はとなると、ペトラの件を片づけた時か、冒険者時代に買い物をしに来た時か。
いずれにしろ、久々なのは間違いではなかった。
「まあ、よい。それでこそ、やりがいがあるというものよ」
数歩先へ進んでからくるりと振り返り、悪の半神は淫蕩に笑う。その動きにあわせて、赤毛のポニーテールが揺れた。
「いや、実際に見て回るのが久しぶりってだけで、どんな店があるかってのはちゃんと知ってるぞ」
「ほう。例えば?」
「魔法具を売ってる店とか」
「そのように高価な品をプレゼントされるとは、妾は愛されているの」
「何段飛ばしだよ」
屋根のみ木造で塔を備えた古い様式の重厚な建物と、それよりも高く軽やかな印象を受ける新しい建築物。それらが同居する町並み。
その中を、さすがに腕を組んではいないが、つかず離れず進んでいく二人。
「よいよい、気にするでない。妾は、愛の重さをきちんと受け止められる女子よ」
「なぜ俺が悪者になっているのか」
「それはあとの楽しみに――ん?」
唐突に、ヴェルガが足を止めた。
慣れない草履でなにかあったのかと、ユウトも心配して立ち止まる。
「いや。大事ない――が、婿殿」
「ん?」
赤毛の女帝がある通りをじっと見つめ、指さしている。もうすぐ昼だが、閑散とした場所。とりあえず、足下に問題が起こったわけではないようだ。
「どうしたんだ?」
しかし、そこになにがあるのか分からない。アカネのまとめ資料にも記載はなかった。
「窓越しに『商品』を物色できる店が、この先にあるぞ?」
「おまえっ」
さっきも冗談で口にしていた場所。それが分からないほど「うぶ」ではなかったが、もちろん、利用したことなどない。あるはずがない。
「なぁに、まだこの時間よ。まともに営業はしておらぬであろう」
「そ、そうだな」
「だが、見学ぐらいはできようぞ」
そう言って、ユウトの手を取ろうとするヴェルガ。カップルで娼館をのぞきに行ってなにをしたいのか分からないが、従うわけにはいかない。絶対に。
手を取られまいと抵抗すると同時に、警笛が鳴り響いた。
「はい、すとーーぷっ」
背景からにじみ出るようにして現れた、一人の草原の種族。いつ手に入れたのか、サッカーの審判が使用するホイッスルを首から下げている。
「ラーシア、なんでおまえが……」
その先は、言葉にならなかった。
なんらかの透明化の呪文を使用していたのだろうが、それだけで悪の半神から隠れられるはずもない。隠密技能を駆使していたはずだ。
しかも、いつもの革鎧を身にまとい、弓矢を背負った完全武装。
「なんでって、気になることがあるから、そっちは任すって大賢者様から言われてさー。ボクは抵抗したんだけどさー。大賢者様からのお申し付けじゃ仕方ないよね、大賢者様だもん」
「そうか……」
ヴァイナマリネンは、監視の任務をアウトソーシングしたらしい。勝手なことをとは思うが、強制もできない。ヴェルガも、大賢者の掣肘を受けるよりはましだと考えているのか、黙って話を聞いていた。
「もしかして、ヨナもどこかで……」
「さてね」
「いや、そこ隠すところじゃないだろ」
「隠すところだよ。面白いもん!」
「だよなー」
あのアルビノの少女の機嫌を取るため、なにをさせられるのか。
(最悪、アルシア姐さんに任そう)
そんな現実逃避をしてから、もうひとつの現実に――嫌々――向き合う。
「んで、ラーシアが出てきたってことは?」
「はい。というわけで、こっちのルートはだめだめだめだめ。健全ルートを進んでね」
「まあ、そういうことなら仕方あるまい」
嬉しそうにピーピー笛を鳴らすラーシアのジャッジに、ヴェルガはあっさりと従った。そこまでのこだわりはないのか、あとでどうとでもなると思っているのか。
どちらにしろ、意外な展開にユウトは内心驚きを隠せない。
「はいはいはい。じゃあ、こっちへね」
大魔術師の背中を押し、元の目的地である商店地区へと向かわせる。
だが、それだけでは終わらなかった。
「ユウト、ユウト」
「ん?」
「南へ逃げるときは、一緒だよ?」
「逃げねえよ!」
そう声を上げた瞬間には、ラーシアの姿は消え失せていた。
完全にいなくなったわけではなく、どこからか透明化して監視しているのだろうが、見えなくなったので良しとする。
「気になることがある、のう……」
「心当たりがあるのか?」
「あると言えばあるが、秘密じゃ。いい女は、持っているべきであるからの」
「まあ、無理には聞かないけどな」
実際は確認しておきたいところだが、聞き出すのは困難だ。それなら、ヴァイナマリネンに丸投げしたほうが良いだろう。
さり気なく責任転嫁しつつ、二人は再び歩き出す。
「実のところ、妾は買い物に行くという経験がほとんどなくての」
「そうだろうなぁ」
欲しい物があれば献上させるか、奪うか。地球でも、狭義の買い物には行っていないのだろう。むしろ、来られても困る。
「つまり、妾の初めては婿殿ということになるの」
「それは光栄だ」
「反応が薄くてつまらぬ。さては、あの聖堂騎士どもと一線を――」
そう言うと、ヴェルガはユウトの胸元に顔を埋め、鼻を鳴らし始めた。
「匂いで分かるのかよっ」
「分からぬ。が、その反応で分かった」
してやったりと微笑むヴェルガ。
ユウトでなければ、その場で押し倒していただろう。それほどまでに淫靡であまりにも魅力的だった。
「さて、まずはあの店へ行くぞ」
「服屋か」
他にもっと適した呼び名があるかもしれないが、服を売っているのだから服屋だろう。
有名な店らしく、アカネの資料にも記載があった。そんなことを、アルシアの舌の感触とともに思い出す。
「いかがした?」
「いいや。別に」
ごまかすように、ユウトは先に店の扉を開いた。
厚い石の壁と、それにふさわしい重たい木の扉を開くと、すぐ側で待機していたらしい中年の男性店員が頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいませ」
「うむ。婿殿に、服を見繕うように」
「俺かよ」
「安心するが良い。金なら、あるぞ」
「聞くと不安になる言葉だったんだな、それ」
人の振り見て我が振り直せ。
今後は、気をつけることにしよう。
「かしこまりました。少々お待ちください」
それほど広くない店内に、他の客はいない。
また、日本――あるいはアカネやレジーナのヴェルミリオ――のように、商品が吊されていることもない。オーダーにあわせ、店の奥から運んでくるスタイルだ。
「手持ちぶさたではあるの」
「そういうもんだ」
すぐに買いたいのであれば、市場へ行くべきだろう。ここは、時間と金に余裕がある人間向けの店だ。アカネの資料によれば、だが。
「お待たせいたしました」
五分程度で戻ってきた中年の男が、慣れた手つきでアルサス王子が着ていたようなダブレットや、この周辺では見かけない麻の衣服が商品台に並べていく。
「アラブの石油王みたいな服だな」
「南の砂漠地帯で好まれている衣装でございます」
「なるほど」
気候条件が近いと、服も似てくる物らしい。当然といえば当然だが、ヴェルガの捉え方は、また違っていた。
「のう、婿殿?」
「なんだよ」
「この世界と、婿殿の故郷はまったく異なっておる」
「まあ、そうだな」
魔法、神々。そして、モンスター。
それゆえか、科学技術の発展度合いも違っている。
「それでいて、妾がこの浴衣を着こなせるように、婿殿もこれらの服を身につけることができよう」
「ああ……」
ヴェルガの言わんとするところが、朧気ながら分かってくる。それゆえ、相づちを打つことしかできない。
そんな彼を淫蕩な笑みで眺めやった悪の半神は、いきなり片足を上げて前方へジャンプした。そのままリズム良く、店内をスキップして一周する。
「重力の話か?」
「まあ、それだけではないがの」
意図がすぐに伝わったのは良いが、浴衣では困難な運動を成し遂げた点に関して触れられなかったのは不満だ。けれど、女帝はそこに拘泥せず、話を進めることを選んだ。
「ブルーワーズの人間は、大地から離れられぬ法則から脱するため、神秘の力を使った」
「地球では、空を飛ぶための機械を作った」
「なぜ、価値観の近しいふたつの世界で、このような差異が生まれたのであろうか?」
「それは、持っていた材料が違うからだ」
「ではなぜ、違う素材を与えられたのであろうか?」
ユウトは答えられない。
答えたくない。
「偶然じゃないって、言いたいんだな?」
だから、質問に質問で返してしまう。
「妾はの、婿殿が一緒であれば今の我が帝国を捨て、東でも南でも、どこへ行ってもいいと思っておる」
そんな彼の怯懦をなじるかのように、赤毛の女帝はまったく違う話を始めた。
辛うじて、その変化に追随することができた。
「それでロートシルト王国への義理は果たせるだろうって?」
「どこであろうと、妾が君臨すれば我が領土よ」
端的な事実で、ヴェルガはユウトの確認を肯定する。
「それは、謙虚に見えて傲慢だ」
「さすが婿殿よの」
私はあなたのために尽くしました。だから、あなたも私を受け入れてください。
そんな理屈は通じないと、ユウトは拒絶する。
「だがの、もう少しそれを拡大してみようではないか」
「拡大?」
「いかにも。それは別に、この世界でなくとも構わぬであろう?」
「その話を蒸し返すのかよ。俺は、ブルーワーズで生きると決めたんだ」
「それは、かの聖堂騎士らと生きるということであろ?」
そう。その通りだ。
だが、それがなんだというのか。
「すべては思い過ごしと笑っても構わぬが……。妾は、ふたつの世界。否、他にもあるかも知れぬが、世界の絵図を引いた何者かがおるのではないかと思っておる」
「笑いはしないさ」
実際、アカネと似たような話をしたことはある。
「より上位の何者かが最低でもふたつの世界を作った。しかも、実験として、異なる環境を与えて。そう言いたいんだろう?」
ヴェルガは無言でうなずき、それにあわせて情熱的な赤毛が揺れる。
そのポニーテールと彼女の浴衣姿を見て、今がデート中だったことを思い出す。
(いや、それがそもそも間違いか)
デート。
そう、デートには違いない。
けれど、本質は勧誘だ。
「いかにも。やはり、婿殿が欲しいわ」
「それで、どうだって言うんだよ」
「真偽を確かめねばなるまい? 理由があって創造したのであれば、消去するのも、また可能かもしれぬのだ」
「そんなことを心配してちゃ、生きていけないだろ」
「妾は、妾の物と妾の物になるかも知れぬ物が、妾以外の何者かによって損なわれるのを許すつもりはないぞ」
強欲、そして傲慢。
世に言う七つの大罪にもっとも合致するのは、今の女帝かもしれなかった。
「それを確認するために、地球が欲しいって?」
ブルーワーズとは異なる視点、進んだ科学技術。
本気でそれを確かめるのであれば、放っておく選択肢はないだろう。
「杞憂なれば、それも良い。その過程も、楽しき行いとなろう」
根拠はない。
ただの仮説だ。それも、信憑性が薄い。
「そうよ。無論、妾の下で世界がひとつの目的に邁進する必要はあろうからの」
「それで、独裁者か」
「妾と婿殿でひとつの過たぬ一者よ」
だが、浴衣を着こなした女帝はこう言っているのだ。
「ヴェルガとともにあるのも、ひとつの正義かもしれないってことか」
「いかにも」
その真っ直ぐな肯定は、無味無臭の毒薬だ。
最初は、服装で。
次に、大胆な仮説で。絶え間なくユウトを翻弄する女帝ヴェルガ。
「ま、今は楔を打ち込んだことで良しとするかの」
「自分勝手な」
「それが、妾であるがゆえな」
まったく、悪びれない。むしろ、それでこそと誇らしげ。
混沌を愛し、悪を体現する赤毛の女帝。
その面目躍如と言えた。
「さて、少々喋り疲れた。そろそろ一休みしようかの」
男をとろけさせずにはいられない表情と仕草と声音で、女帝はそう提案した。
やはり、デートイベントは長引きます。
ですが、次回にはデートとともにエピソード7も終了予定です。




