8.フォリオ=ファリナでヴェルガとの(前)
「ふふふ。驚いたようであるな」
悪戯を成功させた子供と――表現するには妖艶すぎる微笑をたたえ、赤毛の女帝はユウトへと近づいていく。
慣れないだろう草履を履いてもなお、いや、だからこそか。しゃなりしゃなりと歩くその様だけで欲望をかき立てられる。
「どうして……」
「どうしてとは?」
「いや、地球に来た時に買ったのか」
あの時は幼い姿でいた印象が強く、結びつかなかった。それに、淫靡な彼女が身につけるにしては、大人しい衣装だ。
藍色の浴衣の裾は当然足下まであり、足袋も履いている。顔を除くと、素肌が出ているのは両手とうなじぐらいのもの。
花があしらわれた生地も、華やかではあるがヴェルガに抱いていたイメージに比べると、清廉過ぎる。
だからこそ、ユウトの心を射貫いた。
ヴァルトルーデたちとあんな行為をしておきながら、不覚にもどきりとさせられてしまったのだ。
「まずは、妾の勝ちじゃの」
「勝負だったのか?」
「もちろん。男女とはそういうものよ。我が母からの受け売りであるがな」
負け惜しみさえもあっさりと返されてしまい、負けを認めるしかなかった。
「では、行くとするかの」
ヴェルガは、本当にさりげない動作でユウトの腕を取り、自らのそれと絡める。
彼女の行為に気づいたのは、浴衣越しの感触ではなく唐突に花の香りを感じたから。次に、ヴェルガの吐息と鼓動。
端からは、花火デートのためにお洒落をした彼女と、冴えない彼氏にしか見えない。それでも、彼女のほうは幸せそうで淫靡な微笑みを浮かべている。
「ああ……」
従来なら、思わず振り払っていただろう。けれど、悪の半神からは――そう表現するのがはばかられるほど――邪気が感じられない。
それに、これはデートだ。
監視しているだろうヴァイナマリネンも、なにも言ってこない。
(ということは、違法行為じゃないんだろ。いや、法律はないだろうけど。つまり、受け入れるしかない)
そう、ある意味冷静に受け入れるユウトだったが、少し前までの彼だったら、相手がヴェルガかどうかという問題とは別に、驚き距離を取っていただろう。
発案者であるアカネの意図とは別の部分で、変な耐性が付いてしまったユウトだった。
フォリオ=ファリナは、古い歴史を持つ街である。
善と悪の神々の協定――青き盟約が結ばれた伝説の地。
だが同時に、難治の地でもあった。
原因は、言うまでもなく百層迷宮。
その最奥に封じられし悪魔諸侯の一柱、無貌太母コーエリレナトが次々と生み出すモンスターが溢れ出し、テーブルクロスを汚すワインのようにフォリオ島全体に広がり始めた。
コーエリレナトの存在自体は、ヴァイナマリネンらが百層迷宮を踏破するまで知られてはいなかったが、周辺の各国も座視はできない。数多くの騎士、兵士、冒険者を送り込み、長い戦いの末、なんとか封じ込めに成功した。
百層迷宮の入り口を覆うかのように一層目の城壁が築かれる。その戦いで活躍した九人の英雄たちはその内部に居を構え、迷宮の監視を自らに任じた。
これが、今に続くフォリオ=ファリナの世襲議員の元になっている。
その後、百層迷宮内で一定数のモンスターを駆除することで“氾濫”は発生しないことが分かると、報奨金を出して迷宮攻略を奨励した。
また、迷宮内のモンスターは、どこから持ち込んでいるのか謎だが、金貨や銀貨などの貨幣や宝石、絵画や彫刻などの芸術品、武器や防具を含む魔法具を所持していることがあり、大きな収入となった。
それとは別に、フォリオ島は海上交通の要衝でもあった。東西南北の結節点であるこの地は、情勢さえ安定すれば発展するのは当然といえた。
その繁栄にあわせるかのように、フォリオ=ファリナの城壁は三層となり、世界最大の都市となるに至った。
「でも、ヴェルガ帝国に攻められたりしたこともある」
「『でも』というよりは、『だから』であろうなぁ」
まったく悪びれることなく、赤毛を後頭部に束ねて垂らした女帝は、傍らで補足する大魔術師に答える。
今、二人は待ち合わせ場所だった百層迷宮の入り口から移動し、近くにあるフォリオ=ファリナ歴史資料館をゆったりと見て回っていた。
周囲に人影はない。
完全に、二人だけの空間。
入り口で入館料は支払っているのでまったく認識されてないわけでないはずだが、余計な人間は近寄らないような仕掛けを施しているようだ。
ちなみに、当然と言えばそうなのだろうが、ここへ行くと聞いてアカネにされた行為を思い出していた。
無意識に、喉が鳴る。
いきなり顔を赤くするユウトに訝しげな視線を向けながらも、悪の半神は上機嫌。
こうして、幼なじみの思惑通りヴェルガだけを意識するということはなくなったのだが、同時に、なにをされたか知られてはならないという新たなクエストも発生した。
知られたら最後。上書きをするかのように、もっと過激なことをされるのは火を見るより明らかだった。
「まあでも、案外面白いな」
「地味ではあるがの」
「連れてきといて、それを言うのかよ」
「婿殿は好むのではないかと思うてな」
確かに、デートスポットとしては地味だが、ユウトの趣味には合致する。彼は、腕を組んだままのヴェルガへ言い返すことができなかった。
思わず視線を外すと、今度は露わになったうなじが目に入る。
(冷静に、冷静に)
そう自分に言い聞かせ、ユウトは赤毛の女帝自身から館内へと視線を移動させる。
館内は、《燈火》が付与された魔法具で光量を確保し、歴史的な物品を展示していた。
印象としては、市の資料館のようなもの。
今はフォリオ=ファリナの成立に関してのコーナーが終わり、次からは議会の設立やパス・ファインダーズについての展示が続く。
プロパガンダと言ってしまえばそれまでだが、内容はなかなか興味深い。
そんな展示物と、浴衣姿のヴェルガは相反するもののように思えたが、なぜか大した疑問もなく受け入れられた。
「そこに豊かな土地があるのだ、奪ってなにが悪いというのかえ?」
「悪いに決まってるだろ」
「そうであるな。奪われたほうが悪い」
「まあ、みんなが豊かで幸せにってのは無理だと思うけどさ」
それでも、奪って当然という理屈には賛同できない。
「何度も言うているであろうに、我が帝国の有り様を悪と断じるのであれば、婿殿の善で変えてみせよと」
「それは俺の手に余るし、なにが起こるか分からない」
「なるほど。妾の毒牙にかかって堕落するかもしれぬというわけであるな」
「……当事者が言うなよ」
元々、フォリオ=ファリナ九家による合議制で街を運営していたが、急速に力を持ち始めた商人たちがそれに反発を強める。
その過程で産まれたのが、フォリオ=ファリナの議会。
そんな説明文を読みながら、ユウトはヴェルガの誘いを袖にする。
「しかし、婿殿の故郷もそうであるが、民主主義やら選挙というのは、随分と遠回りな制度よな」
「衆愚政治とか言いたいのか?」
「否。そうじゃの……非効率と言うべきかの」
会話をする以上、彼女を見ないわけにはいかない。
適切な言葉を探して唇に指を当てるヴェルガの横顔から目を離すこともできず。それ以上に、その唇になにかをすることもできず。
ユウトは視覚ではなく聴覚に意識を集中した。
「決断をするのは、一人で良い」
「それは独裁であろう」
「そも、婿殿も行なっていることではないか」
「俺が?」
確かに、選挙で選ばれたわけではない。
だが、独裁者と呼ばれるのは不本意だ。
「そのような顔をするでないわ。妾はほめておるのだぞ」
「そんな気はしないけどな」
不満が顔に出ていたらしい。
空いた手を使って頬をさすり、気を静める。
「すべてにおいて有能な一者に委ねる。将と官はその意思を体現する手足となり、民は身命を支配者に捧げる。それが最も強き国家であろう」
「その独裁者の正気は、誰が保証するんだ?」
「だから、妾が配偶者を欲したと言うたら、婿殿はどうするのかえ?」
「くっ」
やられた。
完全に、手のひらでもてあそばれている。
いや、口説かれているのか。
どちらにしろ、今のは危なかった。
(朱音の変な発想に感謝だな)
あれがなかったら、ふらりとしていたかもしれない。
そして、隙を見せればこの赤毛の女帝は猛然と攻め込んでくるだろう。
「さて、さすがにここは地味すぎるわ。次はウィンドウショッピングというものに繰り出すかの」
「ああ。ジイさんたちの展示を見ても仕方ない。でも、ウィンドウショッピングといったって窓はないだろうけどな」
「どうかの? 案外、娼婦でも物色するのかもしれぬ」
「どんなデートだ」
「まあ、見てのお楽しみ……としようかの」
ヴェルガは、屈託のない。けれど、欲望をかき立てる表情で楽しそうに嬉しそうに笑った。




