第53話 秋葉原管弦楽団編 無事の閉演
どのくらいの時間が経ったのだろう。
反応がない。
合図もない。
五回鳴らした……はず。
さとりが恐る恐る顔を上げると、
パチパチパチパチ……
最初の拍手が、すぐ隣から聞こえてきた。
次の瞬間、会場内に拍手の嵐が巻き起こる。
何と言っているのかわからない声や、指笛の音も聞こえてくるし、とにかくすごい音だ。
そしてようやく、無事に終わったのだと知ることができた。
最後に奏者が全員立ち、指揮者が礼をする。
いっそう拍手が盛り上がり、やがて収まっていった。
『以上をもちまして、秋葉原管弦楽団第二十回定期演奏会のプログラムは、すべて終了いたしました。お忘れ物のないよう……』
頃合いを見計らったように場内アナウンスが流れ、演奏会が本当に終わったのだと理解する。
席を立つ人々の姿を見て、無事に役目を果たせたのだと胸をなで下ろした。
「お疲れ様。素晴らしい鈴の音だったよ」
「あ、ありがとうございます」
指揮者からの労いに恐縮する。
何だか一生懸命に数を数えていたような、そうでもないような。
どこか夢心地だったようにも思える。
もう舞台袖に引っ込んでもいいのだろうか。
よくわからなくて辺りを見回すが、何人かの奏者は戻っているようだ。
入場は整然としていたが、退場は案外ゆるい。
「わ。ちょ、あんた泣いてるの!?」
「だってえ……」
聞き覚えのある声。楽屋で少し話したヴァイオリンの女性とホルンの女性だったのだが、
「ぐずっ、四季子ちゃんすごすぎ……私今回乗ってて良かった……」
鼻をすする音がする。
どうやらホルンの人が泣いているらしい。
「いや、そりゃわかるけどさあ。泣くほど?」
「何かわかんないんだけどお……あの鈴の音を聞いたら、何か涙が出て……」
急に自分の話が出るが、戸惑いのほうが大きかった。
声をかけた方がいいのかどうか迷っていると、ステマネの呼びかける声がした。
「客席捌けてきたから、お見送り出る人はロビーね! 行かない人は打楽器片付けてー!」
その声に、奏者がそれぞれ動き出す。
ホルンの人もヴァイオリンの人に付き添われて舞台袖に向かっていった。
ひと安心もつかの間、
「あっ」
神棚管理という自分の役割を、すっかり忘れていた。
急いで向かったロビーは人でごった返していた。演奏者が知り合いと談笑していたり、机でアンケートを書く人もいる。
「お帰りの際は段差に気をつけてください!」
大塚のよく通る声がここまで聞こえてくる。退場の誘導にあたっているのだろう。
「あの、お疲れ様でした。演奏良かったです」
「えっ、わ、私ですか?」
急に知らない男から声をかけられた。演奏の感想を伝えられたが、想定外のことにどう答えていいかわからない。
「はい! さすが『あきかん』だなって思いました。ラストのためだけのコスプレだったんですか?」
「いえ、えっと、そういうわけでも……」
どうして話しかけられているのかもわからない。
演奏終わりの演者に感想を伝えるのはままあることだが、さとり自身が自分を演奏者だと思っていないこともあって、ただ困惑していた。
「あっ、ここにいた! もー、探したよ。あ、ごめんなさいね、まだ仕事あるから」
「いえいえ、お邪魔してしまってすみません。ありがとうございました」
「お気をつけてー」
「お、お気をつけて」
ミーシャに倣って声をかけると、男は満足そうに会釈をして去っていった。
「神棚のとこに避難しよっか」
ミーシャに導かれ、神棚のところまで戻ってくる。
人の流れはあるが、机の横の流れから外れた場所でようやくひと息つくことができた。
「深川さん、ああいう人は適当に流さないと。まあ慣れてないと難しいかー」
「あっ、すみません……」
反射的に謝ってしまうが、すぐ違うと気づいて言い直した。
「あの、ありがとうございました」
「いやいや。深川さんもお疲れ様。演奏聴いてたよ。すごかったじゃん、言ってよー」
「いえ、さっき急に決まって……」
「はっ? ぶっつけ本番!?」
「はい……」
信じられないという表情をするミーシャだが、さとり自身も信じられない。
終わった今でさえ、あの時間に現実感が伴っていなかった。
神楽鈴を持った手の感触も、残っているような、残っていないような。
じっと自分の手を見つめるさとりに、声がかかる。
「じゃあ、ご神体の撤収に入ろっか」
言われて周りを見回すと、演奏者の関係者とスタッフを除いたお客さんの姿はなかった。
無事一階に降りていったようだ。
「えっと、持ち込みリストあるから、持ち主ごとに分けて……」
「名前の書かれた袋があるものは、入れてしまっていいですよね」
「そだね。一応中身が見えるように封をしない感じで」
ゴシックドレスのミーシャと、巫女装束のさとりが片付けの作業に入る。
確か着替えは演奏者の着替えがひと段落してから、最後の最後のはずだ。
ゲームのパッケージやぬいぐるみを丁寧に仕分けていく。
自分の好きな作品の音楽を奏でるのは、どんな気持ちなのだろう。
想像しかできないが、演奏が終わった後の表情を見るだけで何となく伝わってくる。
「深川さん、ちょっといいかな」
「あ、クラマさん。どうかしたんですか」
蔵前の声に手を止めて振り向くと、その隣にどこか見覚えのある男性の姿があった。
すぐに、さとりに神楽鈴を手渡した打楽器奏者だと思い出した。
「深川さん。大変、失礼をいたしました。雰囲気が出るからと軽い気持ちで神楽鈴を買ってしまったのですが、これは我々が遊びに使っていいものではありませんでした」
「えっと……?」
失礼? 遊び?
何のことを言っているのか、いまいちわからない。頭に『?』を浮かべたまま、蔵前の方を見るが、特に何も言ってこない。
「曲のラスト、本当に音が違っていて『本物はこうなんだ』と殴られたような気持ちです。そもそも宗教という繊細な部分に踏み込むことには、もっと慎重になるべきでした。お許しください」
頭を下げられてしまった。
宗教と言われてようやくうっすらと理解できた。自分に言われても困ってしまうのだが……
ここでようやく蔵前が口を開いた。
「まあエロゲーの曲の演奏会で何言ってんだって話なんだけど、どうしてもって言うからさ」
蔵前が明るく言うが、打楽器の男性は頭を下げたままである。これは何か言わないと収まりそうにない。
「ええと、あの、これは私の考えなんですが……日本の神様は大らかなので、そんなに重く考えなくていいと思います」
さとりのその言葉に、ようやく顔を上げる。
相変わらず神妙な顔をしているが、もう少しフォローするべきだろうか。
「私は、神楽鈴をこんなふうに使ってもらえて、面白いなって思いました。それに、たくさんの人が楽しんでいたので、神様も……きっと嬉しいと思います」
「ありがとう……ございます! しかしこれは、自分が使うに相応しくないと強く思いました、差し上げますので、どうか、本来の場所で使っていただけませんでしょうか」
そう言って、神楽鈴を押し付けられた。
神楽鈴は「シャン」と涼し気な音を立て、さとりの手に吸い込まれる。
「えっ、そんな」
「お願いします!」
また勢い良く頭を下げられた。
こうなると、もうどうにもならない。
助けを求めるように蔵前を見るが、困ったように笑うだけだ。
「うう……こんなことになるなんて」
畳まれた巫女装束と千早に、神楽鈴が乗せられている。
「でも……」
舞台の上のことを思い出す。
どうにも不思議な感覚だった。
いや、舞台の上だけではない。今日一日、すっと背筋が伸び、いつもより強い力が自分に宿ったような、そんな感覚だった。
(不思議。あれって……)
「深川さーん、そろそろ閉めるよー」
「あっ、はい!」
思案するさとりだったが、楽屋の入口からミーシャの声がかかった。
返事をした瞬間に、それまで考えていたことがするりと抜け落ちる。
(えっと……何だっけ)
「早めにねー」
「はーい!」
(まあ、いいか)
持ってきた衣装と貰った真新しい神楽鈴をリュックに仕舞うと、さとりは楽屋のドアに手をかける。
「ありがとうございました」
誰に言うともなく頭を下げ、さとりは楽屋を後にした。




