アンジェロ、道に迷う
「アンジェロ君?奇遇というか何でこんなところに」
決して上品とは言えない区画で士官学校の一年後輩の姿を見かけた青年は、本当は関わりたくなかったのだが「下町に似つかわしくない後輩が何故ここにいるのか」を確認せずにはいられなかった。青年は地元を愛しているので後輩が厄介事を持ち込むのではと危惧したのだ。
「『こんなとこ』にくる目的なんて一つだろ」
横にいた友人の言葉に内心で同意する。歓楽街に女を求めて来たのだろうと。
「先輩こそどうして『こんなところ』に?」
自分への問いは無視してアンジェロが尋ねる。士官学校の上級生にこんな態度をとるなんて、普通なら鉄拳制裁だと知らないのだろうか。
「私の実家が近くなんだ」
そう答えるとアンジェロは蔑むような表情を浮かべた。
「そうですか」
国一番の歓楽街に生まれ育った身として同じような返しをされた事は何度もある。だから怒りは感じないが呆れが心に満ちてゆく。
アンジェロは英雄ヘルトのひ孫という事で、彼の活躍を聞いて育った教官世代から特別扱いされている。当時の政策で、ヘルトの活躍は国中に広められていた。
アンジェロは見た目と血統以外凡庸な男だ。訓練についてこられる力は何とか持っているが、成績は贔屓と忖度されてやっと中の下から下の上。本来なら同期からは蔑みを、上級生からは指導を与えられる立場。軍への影響力がいまだ強い曽祖父と政財界に大きなネットワークを持っている祖母のゾフィー。その為に良家の子息は家業への、そうでない者は家族への報復を恐れて彼への不満を口に出せないのだ。
実際にはヘルトはひ孫のアンジェロを可愛がっているものの軍内の上下関係の方が大切だと判ずる常識人だし、ゾフィーは「その甘ったれに体で分からせてやりなさい」と切り捨てられるくらいアンジェロの事をどうでもいいと思っているのだが、教官達はその事を知らない。
「アンジェロ君、この辺りは迷いやすい。よければ君の目的地まで同行しよう」
後輩がここにいる理由を話す気が無いと分かった青年がそう提案すると、アンジェロが食いついてきた。
「ありがとうございます、先輩。実は道が入り組んでいて困惑しておりました」
あくまでも迷子だとは言わないのが子供のようで微笑ましい、と考えをそらす事で青年は嫌悪感を表情に出さないようコントロールする。
アンジェロは共を連れず一人でいる。明らかに仕立ての良い服を着ており、知識と経験が足りないぼんぼんだと言っているも同然だ。
士官学校生として訓練を受けているので「決して弱くは無い」が「特別強くも無い」レベルだ。この街のチンピラに絡まれた場合、一対一なら勝てるだろうが複数相手なら身ぐるみ剥がされ終わりだろう。そうなった場合、アンジェロはどうでもいいが関わった町人がしょっ引かれる事になる。それが青年の恐れるところだ。
青年は実家近辺の平和の為に嫌々持ちかけたのだが、アンジェロは自分が奉仕されるのは当然という態度だった。
「えーと、アンジェロ?さん。目的地がどこか聞いてもいいっすか?」
友人がそう尋ねるもアンジェロは聞こえていないかのように無視している。
「アンジェロ君。目的地はどこなのかな」
不快感をにじませないよう気をつけながら青年が問うと「ここです」と住所を記したメモを見せてきた。
「ああ、ここなら知ってる。治安の良くない地区を通るが大丈夫かい?」
言外に『覚悟できないなら帰れ』と語る青年の思いは後輩に全く通じなかったようだ。
「はぁ。こんなとこ何度も来たくないんでさっさと済ませたいです」
青年は生まれ育った街を馬鹿にされて怒りを覚えたが、表面上は友好的に接する。
「ではついてきてくれたまえ」
こいつ、今日でこの世とオサラバさせた方がいいんじゃね?と思いながら。
街の様子に不快感を隠そうとしない後輩を送り届けると、青年は朗らかに笑んで言った。
「メモにあったのはその青い看板の店だ。じゃあ、また学校で」
置いていかれると思わなかったのだろう。アンジェロが「先輩、帰り道は?」と慌てた様子を見せる。
「君のような人がわざわざ『こんなところ』まで来たんだ、私が知っていい用事とは思えない。ここで別れるのがお互いの為じゃないかな。右手の通りを行けば国立劇場前に出る。確かにこの辺りの治安はイマイチだが士官学校生なら腕っぷしで解決できるレベルだ。ああ、もしかして優しい君は返り討ちにした相手が罪に問われるのが嫌なのかな?だったら賊に囲まれたら大声を出すといい。警邏の詰め所が近いから逃げ出すだろう」
そう言って離れゆく青年に、アンジェロは手を伸ばすも言葉で引き止める事は無かった。
アンジェロの目的の店は、劇場通りから一本裏に入っただけの位置にある。だが、彼の持っていたメモでは安全な表通りではなく駅から最短距離の裏通りを通るよう指示されていた。
「案内書いた奴、あのボンボンの事そうとう嫌いなんだな」
友人が楽しそうに言う。
「ああ、嫌いなんて言葉じゃ足りなさそうだな」
友人が呆れた表情で言うのに青年が補足する。
「あいつ『顔と家柄だけ男』って有名なんだよ。見た目がいいから上級生に『女をひっかけにいく時のお供に最適』って便利遣いされてるし家柄がいいから教官も強く出てくれない」
「ふぅん、色々勘違いしちゃってるタイプか。お前が道案内するって言った時は親しい間柄かと思ったが、道中のルートがなぁ?」
初めは青年がアンジェロの心配をしていると思った友人も、選んだ道順に思うところがあったようだ。アンジェロの目的地に行くなら「遠回りだが安全なルート」もあるのに青年はそれを選択せず地元民が同行していなければ危険な地域を選んで通っていた。
「これに懲りて二度と来なければいいと思ってさ」
「どうでもいい相手なら、その辺の奴にボコらせてもよかったんじゃね?」
裏町のチンピラを通じて身の程を思い知らせるという選択肢を、青年も考えなかった訳ではない。
「あいつはどうでもいいけど、あいつに手を出した奴がしょっ引かれたら嫌だからな」
「そこはどうにでもなるだろ?この町に来る時点で自己責任だ」
その辺りは警察ともズブズブな関係だ。
普通はそうなんだけどな、と前置いて青年は友人に告げる。
「何とあいつ、英雄ヘルトのひ孫なんだよ」
「ヘルト?って事はキャサリンの身内なのか??」
「アンジェロはキャサリン嬢のはとこだ。女傑のゾフィーって知ってるか?政財界に強い影響力を持つ人なんだが、その孫でもある」
友人は歓楽街の顔役の元で働いている為キャサリンとも面識があった。キャサリンが裏社会の有力者と親しいのは公然の事実だ。特にこの地域のボスのノアールと腕を組んで練り歩く様は頻繁に目撃されている。
キャサリンは士官学校生の間でも有名だ。軍閥の名家のご令嬢。両親譲りの変わり者で様々な悪い噂があるにもかかわらずヘルトとゾフィー、そして出世頭のアイゼンと縁付けるならと狙う男は少なくない。青年と同期にキャサリンの従兄がいるが、口聞きを頼む者の多さによく愚痴をこぼしている。
青年は歓楽街と士官学校の両方面からキャサリンの噂を聞いているが本人とは面識が無い。遠目に見て「将来美人になりそうだな」と思った程度だ。
「マジか。キャサリンから従兄弟の話はよく聞くけど、はとこは覚えがねえな」
キャサリンの父方の従兄弟は男ばかり6人もいて、キャサリンはその姫というよりは共に苦難を乗り越えた戦友ポジションであるらしかった。
うーんと唸る友人に、青年が言葉を足す。
「キャサリン嬢の従兄弟の一人が俺の同期なんだが、アンジェロとものすごく仲が悪い」
その従兄、プラティンはアンジェロの地味なやらかしを地味に記録していて自分も署名を求められた事があると説明すると友人は腹を抱えて笑いだした。
「何それ面白すぎ。それにしてもよ、お前は知らなかったみたいだけどあの店マジでヤバいから。同行しそうなら殴ってでも止めてた」
本当は案内もさせたくなかったんだと友人が肩をすくめたのに青年は驚きを隠せない。
「そうなのか?珍しい品を置いてるからカタギの客も来る店って認識だったんだが」
アンジェロの目的の店は一般には出回っていない珍しい銘柄を取りそろえている酒屋だった。本人が嗜むのではなく、おつかいか賄賂用なのだろうと青年は思っていた。
「一般にはそれで正解。でも上流階級の坊ちゃんが遣いや代理人に任せず自ら来るのはおかしい。人に知られたら困る目的があるはずさ。お前が口実に使ったアレが真実だって事よ。あの店はアルコールを含むなら何でも酒だってスタンスでヤバい混ぜもんした品を色々売ってんだ」
裏町の住人でも一部しか知らない情報に青年は頭を抱えた。
「おい、そういうの巻き込まないでくれ。うちはしがない食堂なんだから」
青年の実家は歓楽街にあり、そこに住む人々を相手にしている。だが裏社会と商売の繋がりは無い。多少の『護衛代』を地域のまとめ役に払っているがそれはどの店もしている事だし、裏稼業の者らしき常連がいても見て見ぬふりするのが礼儀なのだ。
一発入れようと隙を狙う青年から逃げ出した友人が急に真面目な顔になる。
「今回の件ボスに伝えておきたいんだけど」
「そうだな、その方がいいかもしれん」
「あとお前の同期でキャサリンの従兄って奴にも知らせるべきだ」
アンジェロの事が嫌いな同期は青年たちとは違う面からこの情報を活かす事だろう。青年も伝えておくと約束するが「なあ、そいつ俺に紹介してくんね?」と友人が切り出したのは意外だった。
「キャサリン嬢に頼んだ方が早くないか?」
青年は件の同期とそこまで親しい訳ではない。いきなり友人を紹介したい、それも裏町の不良少年をだなんて怪しいにもほどがある。
「それじゃ面白くないっつーかさ。キャサリンの知らないところで動いて、すげー頑張ってたって後から知られたいというか」
友人もキャサリンを狙う者の一人だったとは。青年は驚きながらも自らの損得を考える。青年の同期であるプラティンはアイゼンの一番下の弟の長男で、歳下のキャサリンを何故か姉と慕っている。
「この件を掘り下げたいなら裏街に顔がきく仲介役が必要だ。あっちは俺という駒が出来て俺はキャサリンに印象づけられる。ウィンウィンってやつじゃね?」
同期はこの友人と性格が合いそうだな、と思った青年は苦笑しながら応える。
「あいつが了承するかはわからんが、一杯奢ってくれるなら話は通しとく」
「向こうが断るならそれで終わりでいいけどさ。キャサリンから聞いてる通りの性格なら断らないと思うぞ」
そしてまずは一杯と訪れた酒場で青年は声をひそめて友人に告げる。
「あー、なんだ。この際これも伝えとくべきだろう。俺は信じてないが、ここんとこアンジェロがドヤ顔でわめいてる話があってな」
友人が視線で促すので青年が続ける。
「あいつ、キャサリン嬢をものにしたって公言してるんだよ」
ジョンのエピソードの前にもう一話挟みました。
今度こそリンデン館に戻ります。
ジョンを通じて親方に聞きたいことある方いらっしゃいますか?
何をどこまで聞くか迷い中。




