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私は個室の中に入り、若葉の向かい側に腰掛けた。いつもは病室の明るい照明に照らされていた若葉の顔は、薄橙色色の明かりにあたり、少しだけ大人びて見えたような気がした。
「なんと言ったらわかんないけど、今までごめんね。お姉ちゃん、あんまり若葉のことを真剣に考えてあげられなかったかもしれない」
「なんでお姉ちゃんが謝るの?」
若葉が優しく微笑み、机の上に置かれたオレンジジュースに口をつける。
「お姉ちゃんが若葉を一人でずっと育ててきてくれたことを若葉は知ってるし、他の人よりもずっとずっと苦労していることをちゃんと若葉はわかってたよ」
「若葉は優しいね。でもね、お姉ちゃんは若葉が思ってるよりもずっとずるい一面もあるし、自分が大事になるときだってたくさんあるの。だから、駄目だとわかっていても、若葉ならきっとわかってくれるって勝手に甘えていたのかもしれない」
汽笛が鳴る。そして、シベリア鉄道は小さく縦に揺れながら、ゆっくりと動き出した。窓の外の景色が後ろへ流れていく。駅で何人かのロシア軍人が敬礼している姿が一瞬だけ見え、そしてすぐに見えなくなっていった。
私と若葉は二人で窓の外の景色を眺めた。乗車駅周辺の整備された区画を抜け、山道へと電車が入っていく。列車は鬱蒼と茂った林の中を蛇行しなから進んでいき、そのたびに車内がゆりかごのように揺れる。線路のつなぎ目を通る時のガタンという音が一定のテンポで鳴り響き、心地よい音楽のように私達を楽しませた。
「若葉がお姉ちゃんにたくさんお話したいことがあるように、お姉ちゃんも若葉にたくさんお話ししたいことがあるんだよ」
私がぽつりとつぶやくと、若葉は窓から目を離し、じっと私の顔を覗き込んだ。
「全部を話すことはできないし、たとえ全部話したとしても、きっとそれでも伝えきれないことはたくさんあって、でも、それでもきっと、伝えることを止めちゃうのは駄目なんだろうね。わかってくれてるって甘えちゃうことも、わかってくれないって拗ねちゃうことも」
「例えば、お姉ちゃんは若葉に何を話してくれるの?」
「例えば……なんだろうね。お姉ちゃんが高校生の時に文化祭の実行委員になった話とか、この前知り合ったドイツ人のお友達のこととか、あとは……お化粧のこととか」
私は若葉の顔にそっと手を伸ばす。化粧水も乳液も要らない若葉のしっとりした肌を私はそっと指先でなぞった。
「お姉ちゃんは化粧品を売っているお店で働いているから、毎日色んなことをお勉強しているんだ。モスクワに着いたら、若葉にも色々教えてあげるね」
「モスクワに着いたらと言わずにさ、今すぐにでも教えてよ。お化粧品とか使わなくてもさ、明日からでもすぐに綺麗になれるような豆知識みたいなやつ」
「うーん、すぐに使えるというわけじゃないけど、最近お姉ちゃんが知ったことが一つあるんだ」
若葉が頬をなでる私の手にそっと自分の手を重ねる。前よりも心なしか大きくなったその手はひんやりと冷たかった。モスクワで上手くやっていけるかだろうかとか、結局今までは若葉と向き合えていなかったんだとか、考えることはたくさんあったけれど、不思議と心は穏やかだった。それは多分、ほんの一欠片でも、明日はきっと今日よりも若葉とわかりあえるだろうという確信があったから。私は二つの小さな茶色の瞳を覗き込む。それから、若葉とそこに映る自分に優しく諭すように、明日から始める綺麗の実践方程式を教えてあげた。
「これからは水だけで洗顔しちゃ駄目だよ。実は水道水にはね……美容効果がないらしいから」