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店内にある控室に戻ると、職場の先輩であるかなみさんが頬杖を付き、深刻そうな表情を浮かべたままため息をついていた。私はお疲れ様でしたと声をかけながら、向かい側のパイプ椅子を引き、腰掛ける。
「ひとみちゃん、このお店のことどう思う?」
かなみさんはそう切り出した。私はポケットから取り出そうとしていた携帯を一度元に戻し、顔をあげた。そんな唐突なことを言われても。私は素直にそう返事をする。
「そう、確かに急だよね。こんな質問。でもさ、店長がやってることとか上から指示される経営方針とかさ、ひとみちゃんなりに少しは思うこともあるでしょ?」
かなみさんは何かを訴えかけるような眼差しで私の目をじっと見つめてくる。一人の従業員として、自分にできることを精一杯やっているつもりではいる。もちろん労働環境やなにやらで不満の一つもないといえば嘘になるが、それでもすべてを投げ出してしまいたくなるほどでもないことは事実だった。
「かなみさん、もしかして辞めちゃうんですか?」
私が恐る恐る尋ねると、かなみさんは返事をするわけでもなく、目の前に置いてあった飲みかけの缶コーヒーに口をつけた。明確にNoと言ってくれないところを察するに、どうやら真剣に辞めることを考えているらしい。
控室の中に重たい雰囲気が漂う。私はかなみさんにばれないようにゆっくりとポケットから携帯を取り出し、LINEの通知だけを確認する。通知は一件だけで、内容はエリカさんからの美容室に行ってきたという中身のない報告だけだった。
「それにさ、噂に聞いた話なんだけどさ、この店もそろそろやばいらしいよ」
「え、でも、常連のお客さんはこまめに来てくれてますし、新しいお客さんも少しづつ増えてきているような気もしてるんですが……」
「違うわよ、ひとみちゃん。私が言ってるのはそういうやばいって意味じゃないの」
かなみさんは呆れた表情を浮かべる。私は何がなんだか理解できていなかったが、とりあえず愛想笑いを浮かべてごまかしてみた。
「でも、この仕事辞めたどうするつもりなんですか?」
「そうねぇ、とりあえず実家の群馬に戻ろうかな。やっぱり地元は落ち着くし、東京ほどじゃないけど、群馬にも仕事はあるだろうし。イメージ無いとは思うけど、群馬には色んな物があるのよ」
かなみさんはおもむろに左の方向を振り向いた。多分、かなみさんが向いている方向に群馬があるのだろう。
「スロバキア料理のお店はありますか?」
「え?、何?」
「スロバキア料理のお店です。群馬にもあるのかなって思って」
かなみさんは少しだけ考え込んだ後、首を振った。さすがに色んなものがある群馬県にも、さすがにスロバキア料理店はないらしい。
「群馬にあるもので一番すごいのって何ですか?」
「そうねぇ、まあさっき言ったとおり色々とあるけどさ……」
そのタイミングでかなみさんを呼びに店長が控室に入ってくる。かなみさんは愛想よく返事をしながら立ち上がり、飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱の中に入れる。カコンと小気味よい音がする。
「あ、そうそう。思い出した」
かなみさんは空き缶を放り込んだゴミ箱を見ながら、ポツリとつぶやいた。
「群馬にはさ、シベリア鉄道の乗車駅があるよ」