凄惨な進化
二人が地上に出る頃にはホーリアの家は半壊していた。
おそらくシリアルキラーが破壊したのだろう瓦礫が転がり、少し土が舞っている。
そして、その元家を出て見た光景は地獄と言うに相応しいものだった。
人々が悲鳴と怒号を上げながら逃げ惑い、それを苦もなく捕まえるシリアルキラー。
左右の手でそれぞれ掴んだ人たち、女性と男性だ。
捕まっている二人はすでに抵抗もせずに顔を涙と鼻水で汚し震えている。
シリアルキラーはその二人を目もないはずなのに見ているのか交互に首を振る。
そして、突如何を思いついたのかその頭を勢いよくぶつけた。
グチャやグシャといった水っぽい肉を潰す音。
ボギッやバギッといった硬い何かを砕く音と滴る血。
それらを気にせずにシリアルキラーはそれを一つの口に放り込む。
咀嚼音と骨を砕き折る音が辺りに響かせるとゴクンッと飲み込んだ。
その光景を見て腰を抜かした親子がそこにいた。
シリアルキラーは血肉で汚れた手で子供を摘み上げた。
息を飲む子どもを見てようやく母親であろう女性が手を伸ばしながら叫ぶ。
「や、やめて!! その子を!」
しかし、それはその声を無視して本来なら目がある場所の口を開き、そこに放り込んだ。
同じように響く咀嚼音と骨を砕く音。そして、飲み込む音。
まるで母親にその光景を、子どもの死を見せつけるかのように子どもを食った口で笑みを描いた。
「いや……いやあああぁぁぁあおッ!!!」
女性が悲鳴に近い声を音を上げた瞬間、それを合図に足を止めていた人々が一斉に走り出した。
どこへ?
彼らはそんなことなど考えていない。
ただ逃げる。白い化け物から距離を取るように逃げる。
ただ、死なないために––––
考えていることなどそれだけだ。
「これが……こんなものが、進化だって、新しい人類だって言うのか……?」
「ええ、そうですよ」
ウィンリィが絞り出したその声に答える者がいた。
彼女の言葉を肯定したのはホーリアだ。
その隣にはビルツァがナイフを持ち、シリアルキラーが行なっている捕食行為を見ている。
「これが、進化です。全てを統一した。
常に進化を続ける究極の生命体……」
「ホーリア、始まりました」
「おっと、そんなことを言っている間にも……ほら」
ビルツァの合図でホーリアは言葉を切るとシリアルキラーを指差した。
示された場所にいるシリアルキラーは大きな音を上げる。
それを合図に、ライトに切られた場所が膨れ上がったかと思うと破裂。その中から現れたのは手だ。
さらに左側から体を突き破るように一本の腕が伸びる。
その変化につられるように体と足の表面が膨れ上がり、盛り上がり肥大していった。
それらが終わる頃には地下室にいた頃よりもさらに大きく、七メートルに成長していた。
並ぶ家々よりも頭一つ大きくなったそれは再び声のような音を上げると逃げ惑う人々を食らい始めた。
「あれが進化なのか!? あんな物が!!」
「あなたは進化することを知らないようだ。
進化とは今あるものを捨て、新たなる存在へと昇華することですよ」
最初から“人”という存在、生物はいなかった。
元々は別の存在から進化を続け、その結果なったのが今の人間。
さらに言えば、人間はまだ究極の生命体ではない。
未だ進化の途上にある未完成な存在なのだ。
「だから、私がその進化を進めました。
その方が滅びと進化の時を待つよりもずっとマシです」
「そんなもの、誰も頼んでなど!」
「意識していないだけです。
人間も生物。であるならば無意識で進化を望んでいる。
私はその無意識を汲み取っただけです」
「勝手なことを……!」
睨みつけながら言うデフェット。
しかし、対するホーリアは飄々とした態度で彼女らに背中を向けた。
「待て!」
「お断りしますよ。
私は新たなる人類の誕生をこの目で見て、祝わなければならないので……
ビルツァ、あとは頼みますよ」
「了解」
ビルツァはナイフを構え、二人の前に立ちはだかる。
どちらか一人が彼を追うということもできる。
だが、そうなった場合ライトが無防備になってしまう。
「ライト!! いい加減起きろ!」
デフェットが抱えるライトへと言葉を飛ばすが、彼は身じろぎひとつせず答えることもしない。
それを見て奥歯を噛みしめるウィンリィへとビルツァが迫る。
「よそ見をするとは、いい度胸ですね」
その言葉共に鋭く突き放たれたそれは正確にウィンリィの頭へと向かう。
回収していた白銀と黒鉄でその攻撃を受け止め、腹に蹴りを入れようと突き出したがバックステップでかわされた。
「デフェ! そいつを頼む!」
ウィンリィは二本の剣を雑に置くと自分の剣を抜き取り、距離を取ったビルツァへと向かう。
その二人は戦闘を繰り広げながらデフェットたちから離れていく。
デフェットは抱えていたライトをゆっくりと地面に降ろした。
「主人殿……私を、頼ってくれないのか?」
彼がなぜこうなったのかはデフェットにははっきりとはわからない。
しかし、今は声をかけるしかない。それしか彼を現実に引っ張り出す方法がない。
「起きてくれ……起きて。
主人殿はこんなところで止まる者ではないはずだ!」
デフェットは叫びながらライトの手を掴んだ。掴んで握りしめる。
優しく、しかし力強く。ここに居る、と伝える。
ここには自分がいて、それ以外にも近くにいる者がいることを伝える。
「あ、あれ?……俺」
「主人殿!?」
その想いが届いたのかライトはようやく我を取り戻した。
だが、いまいち状況が飲み込めていないらしく辺りを見回す。
「……なんだよ、これ」
当然、地獄のような景色も目に写る。
逃げ惑う人々、それを捉えては喰らう白い化け物、シリアルキラー。
鎧を着た者たちが大声を上げながら現れた。
特徴から見てこの副都の騎士団のようだ。
距離を取り、弓を構えて放つがその全てがまともにダメージを与えられてはいない。
魔術師が光弾を放つがそれもまた同じ。
「ホーリアが言うにはシリアルキラーが進化を始めた、そうだ」
「進化、だと?あれがか……?」
デフェットはゆっくりと頷こうとしたがそれを首を横に振ることで打ち消し、詰め寄る。
「主人殿。あなたならばあれを止められるはずだ。
いや、主人殿だけが無理でも私が支える!ウィン殿もだ!だから……!」
「……無理だ」
「なっ!?なぜ!」
ライトも地下室で言っていた。
あれは進化ではない。
想いは否定せずともそのやり方は否定すると、断言していた。
自分は今まで切り捨てたものを背負って生きると言い切った。
だから、デフェットはそのような言葉が耳に届き、その情報を処理した自分の脳を疑う。
しかし、ライトの続く言葉その情報が間違いではなかったと告げるものであった。
「俺には、できない。シリアルキラーを切ることが……」
「なぜだ!あれは、あんな物は人でもなんでもない!生物ですらない!」
さらに詰め寄るデフェットにライトは言葉を大にして返す。
「でも!あの中には助けてって手を伸ばす人がいるんだぞ!!
苦しいって訴える人がいるんだぞ!!」
そう叫ぶ彼の目には涙が浮かんでいた。
全ての人は無理かもしれない。
でも、もしかしたら自分のこの能力ならば一人ぐらいは救えるのかもしれない。
その、かもしれない。がライトを強く踏みとどまらせている。
最初の、ゴブリンとオーク、オーガの時に洞窟にいた人たちとは違う。
たまたま見たスラム街の人とも違う。
その者たちは生きることを諦めた。
もう充分だと諦めていた。それを訴えていた。
だから、ライトも心苦しく思いながらも諦めることができた。
しかし、シリアルキラーの中にいる者たちは違う。まだ生きたいと思っている。
そう思いながら手を伸ばしている。
「そんな人たちを俺は見捨てられ––––」
パンッと頬を叩く乾いた音が響いた。
キョトンとする中でデフェットはライトの服の襟を掴み、叫ぶ。
「生きることを諦めた者だと!?
ふざけるな!そんな者がこの世にいるわけがない!!」
デフェットは見たことがないほどの怒りをあらわにして言葉を荒げながら続ける。
「生を受けたものはすべて思っているさ。
生きていたいと。己で自覚できないだけでな!」
しかし、この世界はすべての人間が平等に生きられるほどの余裕はない。
常に切り捨てられる者がいる。
そんな者たちを糧にして、生き長らえる者がいる。
そうやって生きている者たちもいつ死ぬか、いつ切り捨てられるのか。
そんな恐怖に怯えながら毎日を過ごす。
「その恐怖を忘れるために幸せを望む。
だが、主人殿はそうしたくないのだろう?
背負うのだろう?
自分が切り捨ててきた者たちを背負って……生きると決めているのだろう?」
「俺、は……」
「主人殿は手を伸ばした。
しかし、届かなかった。ただ、それだけだ」
手を伸ばそうとした。
助けられると思った。
何かできないかと必死に頭をひねった。
でも、何もできない。方法がない。
「主人殿は精一杯のことはしたさ。
人間として、やれるだけのことをやろうとした。
今は、それで充分だと私は思う」
今でも、諦めたくはない。
今は浮かばない。
でも、もしかしたら、いつか自分ではない誰かが救えるかもしれない。
ライトは視線をシリアルキラーへと向けた。
会話をしている中でも人を食い続けていたらしく、奴の口は赤黒く汚れ、辺りには食べカスの肉片が転がっているのが遠目にも見える。
「背負うのならば生きろ。
生きて、生きて、生き抜いてみせろ。
例え、それがどれほど意地汚くとも、薄汚れても」
常に自分は切り捨ててきた。
見ず知らずの人たちを切り捨て、今の自分がある。
それはこの世界だけではない。
元の世界でも誰かを切り捨て生を受けていた。
(俺は、誰かが生きたかった今日を生きている)
『そう、世界はどこかで繋がっている。
それは一人の影響が世界にほんの少しの歪みを生む』
『歩いた時に地面が揺れるように、世界を僅かに揺らし、それで殺しながら進んでいる』
考えすぎだと言われるだろうが、ライトはすでに直接ではなく、間接的に生きたいと願っていた誰かを殺している。
『ねぇ、あなたは––––』
『––––何を想いながら生きていくんだい?』
そんなもの決まっている。
「俺は、背負って生きていく。世界を見るんだ。
俺が切り捨てた人たちの代わりに」
切り捨てた、殺した人たちの分まで喜びも、楽しみも、苦しみも怒りも体験する。
その人たちの分まで色々なものを見る。
自分の意思で、自分の想いを持ち、自分の体でこの世界を歩き、生き抜く。
そして、自分の手で自分が救えるものだけは救う。手を指し延ばす。
ライトは立ち上がり、白銀と黒鉄を拾い上げた。
「あ、主人、殿……!」
「デフェ。俺はウィンと合流する。デフェはホーリアの確保を」
「……ッ、ああ!」
デフェットは目に薄っすらと涙のようなものを浮かべながらも強く頷いた。
そして、クラフェットⅡを唱えるとホーリアが向かった方へと跳んだ。
「俺たちも、行くぞ」
『わかってるわよ。
あと、あんたのお仲間なら向こうに行ったわよ』
『いつでもいける。存分に暴れると良い』
白銀と黒鉄の声を受け取り、ライトもマーシャルエンチャントを唱え、ウィンリィの方に向かい跳躍した。




