とあるプロレーサーのインプレッション
13
神堂の顔をオンダの人間全員が唖然と見詰めていた。
「貴様ら車屋とて同じだ! 30年前にオンダにもモーター開発の話を持ってったんだぞ?
それを何だ! 『失礼ですが、ガソリンエンジンは今後100年無くならないので、電気モーターの開発はするだけ無駄です』だと!? ノータリンのヘタレはお前らの様な奴等の事を言うんだ!
俺の人生はそれで終わったよ! 何億もの借金で会社は潰れ、妻も子供も去り、30年間派遣生活の挙句に身体を壊した人間がこの俺だ。正直、森脇さんに援助してもらわなかったら、俺は野たれ死んでいただろうよ」
神堂の火の出るような言い方は次第に落ち着き、熾き火の様な熱さに下がっていた。
神堂の言葉を聞いて、桜田は申し訳ない気持ちと不甲斐なさが混ざった気持ちで一杯になった。長年技術の最前線で自ら苦労してきた桜田には、この老人の気持ちが痛いほど分るのだ。
すると、ガレージの隅に立っていたオンダのつなぎを着た初老の男が前に出てきて深々と頭を下げた。
「神堂さん、真に申し訳ありませんでした。過去のオンダの担当に代わり、謝罪いたします」
その初老の男は神堂に対して誠意を込めて謝罪を口にした。
「あんたは……?」
神堂はその男をジロッと睨みながら言った。
「私はオンダの常務取締役・技術開発参与の石崎と申します。我がオンダの人間が心無い対応をしたのは私も大変遺憾に思っています。ここは、森脇さんや小栗さんの面子も立てて、許していただけないでしょうか?」
石崎はそう言って再び頭を下げた。
「ふんっ! 勝手にしろ」
神堂はそういって不承不承気持ちを切り替えた様だった。
「君達も、既成概念とか下らない技術者のプライドなどは、スッパリ捨ててこのテストを客観的に評価するんだ! 私は少なくともこのモーターはエジソン以来の画期的な技術だと思う。未知の知識を教えて頂くのに、一人我ってな知識を振り回す学者さん達の顔を立てる必要は無いだろう?」
石崎常務は、ばつが悪そうに立っているオンダの技術者達に向かって言った。
「はい、分りました。神堂先生、すいませんでした!」
川越達オンダの技術者全員が、神堂に対して一斉に頭を下げた。
「う、ううむ、まあ私も八つ当たりしてたかもしらん……」
神堂も決まり悪そうに軽く頭を下げた。
それを見ていた森脇は内心ほっとした。
「それから神堂先生、オンダはこの技術に関するノウハウの基本契約を結ぶ用意があります」
石崎は森脇にチラッと視線を流しながら神堂に告げた。その視線には『森脇の事だ、本特許は期限切れになっていても、周辺特許は抜かりなく固めてあるはず』という含みがある。
「石崎さん、テスト後にその辺の必要書類も渡せると思いますよ? 流石に資金的に現在は国内限定ですが、先願権の猶予期間は十分ありますからね」
森脇がすかさず会話に割り込んだ。
『勿論、打てる手は打ってありますよ』という意思を表すためだ。
「うむ、契約関係は森脇氏に一任してある」
神堂も森脇とアイコンタクトを取りながら言った。
「それじゃあ、そろそろ入ってきてもらおうか……」
桜田はそう呟くとガレージのパドックに通じる扉に向けて大声で叫んだ。
「おい! 片山、こっちに来てくれ!」
小栗と森脇が桜田に不意を突かれた態で、件の扉の方に目を向けると、そこにはオンダのロゴが入ったレーシングスーツに身を包み派手なカラーリングのヘルメットを小脇に抱えた小柄な男が立っていた。
「なんだ!? 左近じゃないか?」
小栗は軽い驚きとニヤつく笑いを顔に貼り付けながら言った。
そこに立っていたのは片山左近、かつて日本人ドライバーとして、10年ほど前までF1に参戦していた男である。
「久しぶりだな? 元気してたか?」
小栗はニコニコ顔で左近の肩をバンバン叩きながら歓迎していた。
「神堂先生、森脇さん、こちらは今回我々オンダが用意したテストドライバーの片山左近です。この車の特性や、操縦する際の注意点などをレクチャーしてやってください」
桜田ははにかみながら突っ立って居る左近を、主に神堂に説明するように紹介した。
神堂を除くここに集まっている人間の殆んどは、この有名なドライバーと既に面識があるからだ。
「よろしく、片山左近です」
左近はそう言って頭を下げた。
◇ ◇ ◇
モリワキ・レーシングの『幻雷』はとんでもない性能を披露した。
レーシング界随一の冷静な分析眼を持つ左近は『これが本当に電気モーターで駆動されてるのか?』と、眩暈を感じるほどだった。
1速100回転でクラッチを繋ぐと、軽いホイールスピンと共に太っといスリックタイヤが路面を噛み締め、左近の身体をバックシートに張り付かせながらピットロードを加速し始める。
『なんてえトルクだ!? ドラッグスターじゃないんだぜ?』
左近はそう思い、乾きかけた唇をペロッと舐めた。
ピットロードの出口がどんどん迫り、スピードリミッターを解除すると再びリアがホイールスピンを起こしてマシンがコースに飛び込んで行った。
コースに侵入した時点で、ギアは2速、モーターは300回転、そこから再びホイールスピンが起こる事に左近は舌を巻いた。
『へへっ、このじゃじゃ馬め……』
左近は現役時代を思い出して心の中でニヤッと笑った。
1週目は兎に角この車とモーターの特性を知るために使う。
神堂氏の言う通りならば、アクセル・オフで強烈なエンジン・ブレーキならぬモーター・ブレーキが掛かるはずである。
左近は1コーナーのかなり前で試しにアクセルを抜いてみた。すると、後輪が白煙を上げて逆回転を始める。正確に表現するなら、タイヤが路面を転がるスピードよりも後輪が回転するスピードが遅いためそうみえるだけだが、バックミラーで覗いてみても衝撃的な光景だ。
ロックした訳ではないので、タイヤにフラット・スポットはできないが、左近はこのままブレーキを踏み込めば確実にスピンを起こすと感じた。
左近は咄嗟にアクセルを踏み足し、路面とタイヤの回転速度を合わせると、ゆっくりとアクセルを抜きながらブレーキを深く踏み込み減速を行った。
『なんだこの車は! トルクが強すぎる!』
左近はレクチャーされた通り、3速、4速を飛ばして5速にシフト・アップして2コーナーに侵入した。常識とは全く逆のシフト操作。
無茶苦茶アクセルワークが難しいが、クラッチを時折操作してモーターのパワーをカットしながら、ステアリングを大きく右に切る。前輪駆動のレースカーで多用される左足ブレーキに酷似した操作、『右足クラッチ』と言う所か?
左近は冷や汗を掻きながら、最初の2コーナーをなんとかクリアした。
『乗りにくい……低いギアでのアクセルの敏感度はF1以上だろう』
左近はコーナーの立ち上がりで5速のままアクセルをじんわりと踏み込みながら考えた。
『これは後輪駆動にするよりも、4輪駆動にした方が扱いやすいかも知れない……』
左近はそう思いながら3速にシフトダウンして再び加速を開始した。再びホイール・スピンを起こし、マシンは猛烈な加速を開始する。
リアタイヤを滑らせながらリズミカルなS字コーナーをクリアすると、逆バンクが迫ってきた。ここからダンロップコーナーまでは、考えようによっては大きなS字と言えない事もないが、中高速のギアを使用するためタイトなコーナーに振ったサスペンションが仇となる。鈴鹿はテクニカルなコーナーが多い為サスペンションは、弱アンダーにセッティングするのが普通だ。何故なら高速コーナーではハイギアードな為、トルクが細くなってアンダーが消えるからだ。
だが、このマシンは違った。4速に入れてもホイール・スピンするのである。
左近は逆バンクでコーナー内側にタックインし始めた『幻雷』の挙動を察知して、慌てて4速から3速にシフトダウンした。普通の車と真逆の操作、これは経験豊富な左近だからこそ出来る対処である。兎に角このモーターは高回転で回さないとトルクが小さくなってくれない。その代わり、アクセル開度には細心の注意が必要だ。
左近は冷や汗を掻きながら、デグナーから保々直角に右へと回りこむコーナーへと侵入した。
此処からは立体交差を抜けてゆるやかに下る短い直線である。左近は3速4速とホイルスピンをさせながら全力でマシンを加速する。
車速は240キロ近くまで伸び5速に入れた途端に110Rを経てヘアピンへの侵入だ。『幻雷』を操る左近は余裕を持ってブレーキングを行い、ステアリングを左にコックするほど切り込むと、200Rを慎重に加速して行った。此処で言う慎重に加速するという事は、低いギアでレブリミット(電動モーターでそう言う表現をするかどうかは疑問だが)まで引っ張り上のギアに繋がった際のトルクを弱めるという事である。要するに強烈なトルクバンド=低回転域を使わないということだ。
左近はスプーンカーブに向かいながら、このマシンに『トルク・コンバーター』を付けた方が良いんじゃないかと真剣に考えていた。
曲率の違う2つのカーブが合わさったスプーンを抜けると130R迄はバックストレートである。
左近は改めて早めのシフトアップでフル加速を開始した。モーターの特性を考えて早め早めのシフトアップを行う。すると左近は改めてこのモーターの実力に舌を巻いた。タイヤがスリップしっぱなしなのだ。F/Eのフロント・タイヤの幅が狭いお陰で、前輪が拾うコースのアンジュレーションが小さい為ホイール・スピンを起こしても小まめに宛舵を切れば真っ直ぐ進むが、雨などで路面が濡れてる場合を想像すると左近の背筋に冷たい物が流れる。
『幻雷』は惚れ惚れする加速を左近に見せつけ、6速にシフトアップして直ぐに130Rに来てしまった。車速は約300キロ、左近は4速900回転まで減速すると130Rに飛び込んで行った。
5/9マシン名修正しました