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怒れる発明家

12


玉置隆志は、ニコンの800ミリ望遠レンズ越しに奇妙な車を見ていた。今日は火曜日で、鈴鹿サーキットは草レースも走行会も行われていなかった。だが、今コース上には正体不明のフォーミュラ・カーが走っている。


 その車はシルバー・グレイでどこのスポンサーマークも入っていない。外見からするとF/Eマシンとしか思えないフォルムをしている。


『ここは、オンダのサーキットだろ? 噂では来年からF1に復帰するって話だけど?』

 玉置は頭の中に2つも3つもクエスチョンマークを浮かべながら望遠でその車の写真を撮影していた。


 玉置はフリーのカメラマンだった。カー雑誌と契約して、主にレースの写真を取って生計を立てている。彼の名前はそこそこ売れており、偶に海外での写真撮影も依頼される。


 今日は偶々買ったばかりの800ミリ望遠レンズの当たりを取るために鈴鹿に来ていたのだ。


 レンズを1500ミリに取り替えて鈴鹿のパドックに焦点を合わせて見る。そこには彼が知っている人間が2人いた。


 モリワキ・レーシングの森脇氏とオンダのレース顧問をしている桜田氏だ。オンダ技研のメカニックやエンジニアもいる。


 玉置は森脇が居る事から、『新シャーシの空力実証試験かな?』とちらっと考えた。森脇はレース・マシンのシャーシ製作では日本有数の技術を持っているからだ。


 しかし、パドックの奥から出てきた3人の内の1人を見た瞬間、更なる疑念が噴出した。その男は、F/Eに参戦するオグリ・レーシングの小栗その人だったからだ。


『オンダはF1とF/Eにダブル参戦するのか?』

 玉置はそう感じて夢中になってファインダーを覗いていると、いきなり後ろから肩をポンポンと叩かれた。


 ビックリして後ろを振り返ると、そこにはオンダの作業着を着た男が困ったような顔で玉置を見下ろしていた。



   ◇   ◇   ◇



「顧問、クランプメーターの数値では、このモーターの出力は100キロワットで間違いありません」

 エンジニアの川越が桜田に報告する。


「えらくシンプルな車じゃねえか、ええ?」

 桜田は森脇に向かって言った。既にお互いの紹介は済ましてある。


「このモーターが100キロワットでF/Eの2/3なのは、シャーシがもたないからですよ。その代わり水冷のウォータージャケットは大口径になってますし、ウォーター・ポンプも大型の物になってますから、F/Eと消費電力はそう違っていません」

 森脇は淡々と桜田達に『幻雷』の説明をしていった。


「そうみたいだな、フロントのサスペンションなんて鉛筆みたいな細さだねぇ」

 桜田も唸りながら同意する。


「変速機もF/Eのヒューランドの物は華奢なので、国産の『アイ精工』の前進6段・後進1段の7速セミオートマにしてあります」


「ほう、『ル・マン』とかで使ったやつだな?」

 桜田の問いに森脇が黙って頷く。


「このモーターは0~1500回転まで、無段階に変速する交流モーターで……」


「えっと、ちょっと待ってください!」

 エンジニアの川越が素っ頓狂な声を上げた。


 森脇は川越の表情から『またか……』とウンザリした表情を浮かべた。電気工学を普通に学んだ人間は、この部分からまったく理解できないのだ。


「馬鹿は、一通り説明を聞いてから驚け」

 少し離れた処に立っていた神堂という老人が明ら様に鼻を鳴らしながら言った。


 その言葉に川越がムッとした顔で口を噤んだ。森脇はその様子を横目で見ながら複雑な顔で説明を続けた。


「……回転数が毎分1500回で、トルクは約21キログラム、毎分100回転で、トルクは約78キログラムになります」

 森脇がそう言うとそこに居たオンダの人間がざわめいた。現在のF1のエンジンでもそんな数値は叩き出せないからだ。


「このモーターの特性上、回転を上げるとトルクが落ちますから、6速といっても非常にハイギアードなミッションの組み方になっています。実行使用回転域は100~1000回転ですが、実践ではドライバーの好みによって幅広い回転域で使用が可能ですね」

 そこで森脇は質問をする余裕を与える為、一旦説明を切った。


「ズバリ聞きます。そもそも、このモーターはどのような原理で回っているのですか?」

 川越は堪らず聞いた。


「交流モーターの原理は分りますね?」

 森脇は説明し始めた。


「三相交流は、3つの波形の電流が合成されて出来ています。それが3つとも交互に波の間隔が少しづつずれることで全体として一定した電圧を保っている事は基本中の基本ですので皆さん知っているでしょう。


 その電流の波のピークが1秒間で何回あるかという事を我々はヘルツと呼んでいるのです。日本では関東以北と以南では60ヘルツと50ヘルツに分かれていますが、それは元々日本に発電機が導入された時に、フランス製の発電機を導入したか、イギリス製の発電機を導入したかの違いでしかありません。


 話が脱線しましたが、交流モーターはそのヘルツ数がそのまま回転数に直結します

 つまり、その周波数の波の部分を利用して電磁石の磁性体を吸い付けるという特性を円運動に置き換えたのが交流モーターなのです。ここまでは、理解してもらっているでしょうか?」

 森脇は全員を見渡した。皆苦笑いを浮かべながら頷いていた。


「直流交流インバータで直流電気を交流に変換しますと、単相交流という電源が得られます。これはさっきお話した三相とは違い1つの波で構成された交流電源です。このマシンで使用する周波数は100ヘルツにしていますから、モーターが1回転する間に電磁石で1回加速すると100×60(秒)で6000回転でモーターは回る事になります。これを1ポール(極)の交流モーターと言います。勿論、このようなモーターは正常に回転しないでしょうから、モーターが1回転する間に電磁石で複数回加速してやると中心のローターがスムーズに回転するようになるので、通常作成される交流モーターは2ポール以上のモーターになり、この車に使用しているモーターは4ポールなので回転は1500回転になるのです。つまり1回転する間に4回加速してやるんですね」

 まるで学校の教師のように噛んで含めるように説明していた森脇は一拍置いた。


「ああ、このマシンのモーターは、100ヘルツの4ポール交流モーターだってことは分った。普通、単純な交流モーターは定格回転数つまりこのモーターでは1500回転でしか回らないわな?」

 桜田がぼそりと言った。


「そうですね、普通ではそうです。ですが、こう想像してください。

 1500回転で回っているモーターそのものを、回転方向と逆に回したらどうなりますか?」

 森脇の言葉にオンダの技術者達はぞっとした。


「そんなこと不可能ですよ! モーターに繋がっている配線がねじ切れちゃいます」

 川越が憮然として言い放った。


「川越さん、何も物理的にモーターの本体を回転させる訳ではないです」

 森脇は頭をポリポリと掻きながら言った。


「このモーターには軸の中心に小さなDCモーターが付いています。そのDCモーターの軸に交流モーターの電線がつながっていて、このコミュニテーターと呼ばれる電気配給環が電気的にモーターの電磁磁石を逆に回転させるというか、磁界を逆に回すと言う作用を起こすんですよ」

 森脇はポケットから直径10センチ程の金属の輪を取り出して皆に見せた。それは、何十個ものぶつ切りにした金属の輪を再び接着剤でくっつけ直した様なものだった。


「これが、コミュニテーターです。このリングの内側で電気を通電するブラシを回転させる訳です。するとコミュニテーターの1個1個のブロックはモーターの内側に接地された電磁磁石に接続されていますから、モーターの回転速度が変化するという訳です」

 森脇はコミュニテーターを皆に見せた。


「何てこったい! 今までそんな構造のモーターを誰も考え付かなかったのか?」

 桜田は驚いたように叫んだ。オンダの技術者も口々に驚きの声を上げた。


「考え出した人はいますよ。それがこちらにおられる神堂先生なんです」

 森脇の言葉に神堂は不貞腐れた様に鼻を鳴らした。全員の目が目の前のみすぼらしい初老の男に集中する。


「何で、失礼。神堂先生、何で特許をとらなかったんですか?」

 桜田は慌てた様子で神堂に尋ねた。


「30年前に特許は取ったよ」

 神堂は無表情な目で淡々と言った。


「それでは、日本の電機メーカーにその特許をお売りになれば良かったのでは?」

 桜田は何の気なしにそう言った。その途端、森脇が頭に手を当てて顔を歪めた。


「ふざけるな!! 日本の電機メーカー全てに売りに行ったわ! 奴等は俺の発明が本物である事を知っていながら、ワザと買わなかったんだ!」

 神堂は烈火の様な形相で捲し立てた。


「何故だか知ってるか? 奴等が協定を結んでたからさ! 当時電動モーターの変速技術でインバーターという物が世に出始めていた。勿論、そのインバーターは奴等が開発したもんだ。それには莫大な開発費が掛かっている。俺のモーターが世に出たらインバーターの開発・販売部門は壊滅的な打撃を受ける。

 なら、どうする? そうさ、奴等は協定を結び俺の発明を無視したのさ!」

 神堂の呼吸は浅く乱れており、目は怒りに見開かれていた。


 この場にいる全員が居たたまれない気持ちになっていた。


「だが、森脇さんだけは当時俺のために各方面……主に自動車メーカーだったが……を紹介してくれ奔走してくれた。本来なら俺はこの技術を墓の中まで持っていくつもりだったが、彼が電気自動車を作ると言う話を聞いてこうやって協力してるんだ」

 神堂の雰囲気は、虐待されて苛め抜かれた犬のそれに似ている。怨念のオーラが身体全体から吹き出ていた。


生暖かい感想お待ちしています

5/9マシン名修正しました。

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