【第1話:溶けた一千万と二度目の招待状】
2035年。他者口撃禁止法によって、表向きは誰もが笑顔で優しい言葉を掛け合う狂ったディストピア。
その社会の最底辺で、ヒロキはパチンコ台のサンドに最後の千円札が吸い込まれていくのを、死んだ魚のような目で見つめていた。
「嘘だろ……」
リーチすら来ない。画面の中で水着姿の美少女キャラクターが「また遊んでね!」と無機質に微笑む。ヒロキは台を軽く蹴り上げ、舌打ちをして席を立った。
つい数日前、ヒロキの手元にはジュラルミンケースに入った新札の一千万円があった。命懸けの闇ディベート大会「しゃべらすな」で、エリート弁護士を屁理屈で論破して勝ち取った血と汗の結晶だ。あの時は確かに「これで借金を全額返して、真っ当な人生をやり直す」と固く誓ったはずだった。
だが、根っからのクズであるヒロキの脳内には、どうしようもないバグが存在していた。「一千万あるなら、裏カジノで一億に増やしてから返済したほうが効率いいよな」という、文字通りの思考のショートである。
結果、裏カジノのバカラであっさりと半額を溶かし、残りを取り返そうとパチンコや公営ギャンブルを這いずり回り、見事なまでに数日で全額を電子の海へと還元してしまったのだ。
ポケットの中でスマートフォンがけたたましく震え始めた。画面には「非通知」。裏の借金取りだ。ヒロキは着信を無視してパチンコ店を逃げ出し、実家の薄暗い自室へと転がり込んだ。
万年床とコンビニ弁当の空き箱に囲まれた部屋で、ヒロキはパソコンのモニターを睨みつける。現実逃避の行き着く先は、法規制の目を掻い潜った完全匿名の裏掲示板「ホント」だった。
画面上では、今日も顔の見えない誰かが社会への不満を長文で書き連ねている。ヒロキは特有の気味の悪い半笑いを浮かべ、カタカタとキーボードを叩いた。
「あの、社会が悪いって言いますけど、それ単純にあなたの努力不足ですよね? なんか環境のせいにしてるデータとかあるんですか?」
すぐさま顔真っ赤にした反論が飛んでくるが、ヒロキはさらに事実と極論を織り交ぜたレスを返し、相手を徹底的に追い詰めていく。数回の応酬の末、相手が完全に沈黙したのを確認し、ヒロキは背筋がゾクゾクするような快感に身を委ねた。
これだ。他者を言葉で屈服させるこの圧倒的な優越感。最強論破王としての自尊心だけが、底辺の現実を忘れさせてくれる唯一の麻薬だった。
その時だった。
画面の右下に、見覚えのある黒いポップアップが表示された。完全な暗号化通信。
『闇ディベート大会「しゃべらすな」第2戦へご招待します』
血のような赤い文字。勝てば一千万円、負ければ命を失うという狂気のデスゲームからの、二度目の招待状だ。指定された日時は今日の深夜。場所は前回とは別の、郊外にある廃ビルの地下だった。
普通なら、あの死の恐怖を思い出して震え上がる場面だろう。敗者の頭部が吹き飛ぶ凄惨な光景は、脳裏に焼き付いているはずだ。
だが、ヒロキは狂っていた。借金地獄という現実の首絞めと、己の論破スキルへの異常なまでの過信が、正常な判断力を完全に麻痺させている。
ヒロキは着古したパーカーを羽織り、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。
「しゃあない、また一千万もらいに行きますか。コスパ良すぎでしょ」
命がけの死地に向かうとは思えない、コンビニへ深夜の買い出しにでも行くような足取り。懲りない底辺クズ男は、夜の街へとニヤケ顔で歩み出した。




