26.
私からの返信はアイリからカーヴェルの手に渡り最終的にケビンの伝達使が持ち帰った。
その報告を受けてそっと溜息を吐く。
今日一日の予定が大幅に変わる事への億劫さだ。
本来は画材商からの対応を待ちつつ、行儀作法やダンスの講習などを受ける手筈だったのだ。
実は少し前から私も通いの教師を雇い貴族の女性らしくなろうと努力中なのだった。
作法教本なども入手して見たが文字だらけで、結局見て学ぶのが一番という結論に至った。
本には手元にさえあれば何時でも読めるという素晴らしい利点があるが、作法もダンスも文字だけで理解するのは難しい。
「アイリ、カーヴェルを呼んで頂戴」
「はい」
そう侍女に命じて暫くすると家令がやってきた。
「今日オルソン伯爵家に行くことにするわ」
「かしこまりました」
「だから今日の予定は全部取りやめになるわね」
「ではそのように手配致します」
「授業については別日に切り替えはしなくて大丈夫よ」
授業料は月額制だから考えなくて良い。
そしてこちらの都合での当日キャンセルだから日を改めての補講も不要だ。
授業が一回分減った勿体なさを押し殺しカーヴェルに指示していると扉が叩かれた。
外からレインの名乗りが聞こえる。
カーヴェルに目配せすると彼は扉を丁寧に開いた。
「ごきげんよう、奥様」
「早起きね、お医者様」
まだ早朝だというのにレインはシャツにスラックスとしっかり男装に着替え終わっている。
とはいえ彼女がスカートをはいているところ自体をこの目で見たことはまだ無いが。
「職業病かな、変な時間に来客があるとつい飛び起きて着替えてしまうんだ」
そう片目を閉じてレインは言う。
成程、彼女の実家は医院だ。ケビンの伝達使を急患の報せと勘違いしたのか。
内容を彼女にどこまで話して良いか迷う。
身内の恥が含まれ過ぎている。しかし短い躊躇いの後私は全てを話すことにした。
(レインは既にオルソン伯爵家の暴走を知っていたし今更よね)
私はケビンから手紙で伝え聞いたローズの言い分を男装の医師に話した。
カーヴェルもその場にいたが構わない。寧ろ二度説明する手間が省ける。
その間にアイリがレインの分の紅茶も持って来た。
「う~ん、なんというか……怖いもの知らずな令嬢だね」
レインは適度な相槌を交え私の話を聞いていたが、所々開いた口が塞がらないような表情をしていた。
その末に吐き出された感想に私は口だけで笑う。
ローズはそろそろ怖いものを知った方が良い。いやもっと早く知るべきだったのだ。
けれど親も教師も彼女に恐怖を教えるという役目をこなすことは無かった。
だからブレーキのかけ方を知らないまま暴走する女性になった。
「彼女がケビンの妻になるかもしれなかったと考えるだけで私は寒気がするよ」
「でもそうはならなかった。ローズが嫌がったから」
「勘は良いんだね」
レインが嫌味か賞賛かわからない台詞を言う。
「なのに私に奪われたなんて、彼女が何をしたいのかわからないわ」
もしかしてローズは自分が代わりに公爵夫人になろうと考えているのだろうか。
ケビンの妻という立場なら笑顔で譲り渡すが、あの女がレオとロンの母親になるのは絶対阻止したい。
「レイン先生なら、姉の考えていることがわかりますか?」
「医者としてはその場にいない人間について判断するのはしたくないね」
「では個人としては?」
「同年代で独り身の女としては、幾つか思い当たるよ」
そう言ってレインは細く長い指を折り数える。
「一つ目は自分が結婚出来ない言い訳、二つ目は本来得られる筈だった立場への憧憬、三つ目は自分を選ばなかったケビンへの恨みと選ばれた君への嫉妬」
これだと四つになるかと笑う男装の麗人に私は苦虫を噛み潰した顔をする。
「先程も言いましたけれど、結婚を嫌がったのはローズの方なのよ?」
「それを後悔しているのかもしれないね」
「……そして結婚したらしたで後悔するでしょうね」
実家で見るローズはいつも何かに不満そうな顔をしていた。
異母妹である私の存在が気に入らないということもあるだろう。
けれど目の届く位置に居なくてもローズの癇癪声は度々聞こえて来た。
(狭い一軒家ではなく貴族の立派なお屋敷なのにね)
子供の頃ならまだ可愛らしいが私が実家を出る前日にもローズの金切り声は聞こえていたのだ。
今考えると伯爵も夫人もよく彼女を自由に外へ出していると思える。
異母姉はどう考えてもまともではない。
「姉が何を考えているにしろ人前でアベニウス公爵家を侮辱したのは事実だわ。だから今日実家に抗議するつもりよ」
「エリカ嬢自身がかい?」
「対処を命じられたのは私だもの」
「だとしたら私もお供しようかな」
紅茶を優雅に飲み干すとレインは私にウィンクをした。




