17.
先代公爵夫人のリリーはロンの出産と同時に亡くなっている筈だ。
私が絵の具を奪われたのはそれよりも何年も先で辻褄が合わない。
こちらの胡乱気な視線に気づいたのか画材商は不味いという顔になった。
「あ、その、間違えました、先々代の奥様ですな」
成程、絵の具を欲しがったのはケビンの母親ということか。
孫と次男を同一視する位精神に問題が生じていると聞いたが絵を描く事は出来るらしい。
それ自体は不思議でもない。前世でもアートセラピーという物があると聞いた。
ただそれを今この場で私に告げた画材商の意図は気になる。
「それで、私に過去の顧客情報を聞かせてどうしたいのかしら?」
大方相手は姑なのだから過去の事は水に流せと言いたいのだろう。
別に昔の事はそこまで拘っていない。
昔から中身が変わって無さそうなこの男とこれ以上関わるのが嫌なだけだ。
「あの絵の具の事はどうでもいいわ。遅刻したのに笑って言い訳をする人間が嫌いなだけなの」
カーヴェルと家令の名を呼ぶ。
彼は一礼して扉を開けようとした。これは出て行けという合図だ。
「なっ、私どもは昔からアベニウス公爵家と!」
「だとしても今回の件は無しね。私個人の判断だけれど夫も反対しないでしょう」
子供や私に愛情が無くても公爵夫人や令息を軽んじられたと判断すればケビンは不快がるだろう。
それは公爵家と当主である自分に泥を塗るような物なのだから。
「貴方が謝罪の仕方を学んだ頃に又お話をしましょう。機会があるならだけれど」
「馬車までお送り致します」
カーヴェルが画材商に近寄る。中年男は髭を震わせながら立ち上がった。
「結構、年寄り扱いせずとも一人で帰れます!」
そう言いながら画材商は立ち上がり大股で歩いていく。
カーヴェルを押しのけるように勝手に扉をガチャガチャと鳴らし始めた。
しかし彼は一人でと宣言したが実は鞄持ちのお供も連れて来ている。
横でずっと私と上司のやり取りをハラハラと見ていた男性は慌てて鞄を持つと立ち上がった。
「今回の件、大奥様に報告させて頂きますぞ!」
そう言い捨てて男は扉を乱暴に開けて出て行った。
直後に小さな悲鳴が上がる。
「いたっ……あっ、ごめんなさい」
「小僧気をつけろ!」
子供の小さな謝罪と、それをかき消す怒声。
一瞬固まったが次の瞬間私はそれ以上に声を張り上げていた。
「ロン君に何してるのよ!」
瞬間湯沸かし器のように頭に血が上る。
私はロンと画材商の男へ駆け寄った。
どうやら廊下で二人はぶつかったようだ。
扉のすぐ近くにロンが尻餅をついていた。
恐らく画材商とぶつかったのだ。
「怪我は無い?」
「大丈夫……ごめんなさい」
「謝らないで良いの、悪いのは貴方じゃないから」
私が彼を立たせながら声をかけるとロンは青い顔で謝罪してきた。
口にした通り彼に謝る理由など無い筈だ。
けれどロンは今までの教育のせいで反射的に謝罪するようになってしまっているのだろう。
しかし本当に謝罪が必要なのは目の前で焦った顔をする画材商だった。
きっとこの中年男はロンが謝ったから反射的に怒鳴ったのだ。
まさか相手が公爵令息だと思わずに。
相手が下手に出れば出る程つけあがる、そういう生き方をきっとしてきたのだ。
「……もしかして彼を使用人だとでも思った?」
私はロンをカーヴェルに預けながら言う。
彼のケビン譲りの艶やかな黒髪はちゃんと手入れがされている。
服だって上等な物で良家の子息であると一目でわかる。
何より顔がケビンとそっくりなのだ。アベニウス公爵を見たことがあるならすぐに血縁だと気付ける。
「そんな事有り得ないわよね、こんなにお父様にそっくりなのに」
私が言うと画材商の男はロンに視線を向けた後、絶望した様子で目を泳がせた。
有り得ないと言ったが実際今気づいたのはわかっている。
流石に公爵令息を怒鳴りつける胆力はこの男には無いようだ。
だがもし使用人と間違えたとしても怒鳴って良い訳が無い。
「大奥様に報告するとか言っていたけれど、私も旦那様に報告するわね」
ただの画材屋が公爵令息にぶつかった挙句怒鳴りつけたという事実を。
私がそう告げると男は紙のように真っ白な顔になった。




