第51話「人間は考える葦である」
遅れて申し訳ありません。
一話完結までは休まずに走ります!
セルヴィアは何があろうと耐える、そう誓った。
痛みとはかくありなん――想像を絶するものだ。擦傷、切断、剥離と様々な痛痒が全身を駆け巡る度に、発狂しそうになる。
黄の宝玉の回復速度を最大限に高めて、その狂気さえも孕みかねない地獄を味わう瞬間を短縮こそはしている。だから、死なないという現実のみは尚も変わらない。だというのに……終着が見えないことに恐怖を感じてならなかった。
それでも、耐える。
耐えればいい。
彼女の魔力の枯渇はそう遠くない。
ずっと耐えてやろう。そうすれば体格も、経験も勝る自分がどうにかなることは万が一にもない。死ぬことはないのだ、今さえ乗り越えれば、再び明日は来る。
耐える。
耐える。
ずっと、ずっとだ。
斬られ、焼かれ、凍結されても同じことだ。
痛みの質が変わるだけで、為すことは、何一つと変わらない。
耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて……。
これはいつまで続くのだ――!?
彼女の魔力は底を見せる気配を一切に見せずに、延々と俺を”殺す“間際まで追い込ませている。俺がいつしか反撃の余地さえも与えられない一方的なカノンによる攻勢が開幕し、体感としてとうに一時間は経過している。というのに――その苛烈さを増すばかりだ。
何度も猛攻に晒され、その身は打ち崩されていく。連続する致死量の攻撃に、幾度と意識は失われるばかりだ。
「存外丈夫なのね」
カノンは強かに嗤う。
「無痛症で或る状態が通常だった余り、軽微な痛みで簡単に弱音を吐くものだと思ったのだけれど――」
こいつは、皮肉など言っていない、正直な感嘆の句を述べてやがる。
「何が貴方をここまで強くさせるのか、実に興味深いわね」
ここにきて、俺は一つの、放置していた疑問に至る、ここは現実世界ではないことに。
世界の色がおかしい。自身がまるで色盲症を患わせたかのようで、時間が経てばその分世界の色が単調な一色になむていく。
(俺はっ――幻覚を見させられているのか?)
そうだ、急激な痛覚の発生や意図しない感情の起伏は……彼女が齎したから他ならない。あの透明な眼球を観測して以来、俺の精神に不和が生じた、そうだ、それ以外には見当がつくまい。面妖な〈術式〉で、俺が未だ知ることのない……。
「あら」
途端、カノンを形成する実像が霞んだ。
「幻覚を想像したんだ、それもいいわね」
すっと、彼女の姿が消えたかと思えば、次なる不和は即座に訪れる。全球に、巨大な双眸が俺の真正面に存在を放ち始める。
なんだこれは、などと頓狂な声を出すまでもなく、それがカノンのものであることに気づく。
そう、彼女の手中に収められている。彼女の幻覚のような何らかの力に、見るも無残に俺は囚われていく。
――聞こえるかしら。
瞬間、脳内に直接流入するかの如く、彼女の声が浸透した。余りにもその浸透度の高さに、俺は眩暈を激しく起こす。それどころか、全身は打ち震え、情けなく怯懦する始末だ。
――イメージなさい。
頭部を勝ち割らん勢いで流入する言の葉による脳内の情報の氾濫を、下唇を血が出る程にかみしめながら懸命に堪える。
――私を殺したいのなら、念じなさい。
念じる? 何を……途端、全身が灰化し、崩壊を始める。
「なにっ……」灰化には筋道があった。先ず表皮の剥離だ。無理やり引きはがされるのと同様の作用が襲い、肌に鞭打つ程の痛みが迸る。第二段階に、遮蔽物を失ったことにより露出する筋繊維が、水分を急速に枯渇するように干上がる。
一度意識を失うが、数秒もすれば自身が拵えた宝玉によって復活が完了する。
「これでは先とまるで同じでは――」
言い淀んだ、違う、違うんだ。
これは“現実”に起こっているのではない、“虚構”だ。俺はあろうことか、虚構の痛覚を体験させられているのだ。これは所詮幻覚に過ぎない、幻覚である絡繰りがわかれば、何ら問題はない。
〈解呪〉を発動し、己に掛かるすべての圧を排除する。すると、自身に圧し掛かっていた力はすべてある一か所へと反転し、それが集った段階で一つの実像に衝突――姿を暗ましていたカノンに交差する。
「っ――」実体を現すも、カノンは反動からか動けていない様子だ。
今しかあるまい、俺は緑の宝玉による超過速にて、彼女との距離を限りなく零にし、即座に赤色に変換――硬直する彼女の首を刎ねた。自爆の可能性を排するべく、即座にその場を離脱するも、それはなく、彼女の死が謎の全球の崩壊を以て証明される。
「……詰めが甘かったようだな」
彼女の〈術式〉の真意を知り得なかったのは心残りではあるが、彼女は奇特なかの〈術式〉に過信しすぎていたようだ。それが俺に勝利を齎した。
全身がぐらりと崩れる気がした。胆力のみで意識を繋ぎとめてきたが、限界はとうに超えているようだ。実際問題、宝玉の色彩が翳りつつある。これほどまで指輪を酷使したことはなかったが、やはり無制限に使えるというわけではないか、これはいい学習となった。
元の部屋に戻っている、やはり幻術は打ち止めというわけだ。
「誰でもいい、誰か来い」
その呼び声に、在籍歴が長い信頼のおけるクレイが姿を現す。
「只今――随分と派手な戦闘が行われていたようですね」
「ああ、久方ぶりに骨が折れた、指輪も打ち止めといったところだ」
クレイは忠誠深い男だ。腰元に携えた太刀は主の覇道を害する存在を一刀に伏す、と平然とした顔で述べる、これまた奇異な人種だ。が、質実剛健で信頼はおける。権謀術数渦巻くこの世界での数少ない配下だ。
「では回復が?」
「使い物にならない、時間経過を待つしかないな」
クレイは俺の背後につき、血を流し絶命するカノンを俯瞰する。
「いくぞ、何れにせよこの拠点は捨てる」
「御意」
随分と暴れすぎた。最早隠れ蓑にするには限界があろう。
「これからも働いてもらうぞ、俺の右腕として――」その時、鋭い痛みと熱を感じた。
何が起こった、それをクレイに問うことはなかった。瞭然だった、彼の拳には太刀が握られており、それが俺の胸部を貫いていた。
「この時を待っていた」
「がっ……」
謀反か? このタイミングで――。いや、このタイミングだからこそか。指輪がその効力を著しく減少させている今だからこそ、俺を討つには丁度よい。
「がふっ」
地面に倒れる。ここで死ぬわけには……腹部程度の傷であれば、かろうじて宝玉を……。
が、クレイに躊躇いの表情を一つも見せず、即座に太刀を抜き取り、それを額に突き立てた。
「はっ――」
俺は、夢を見ていたのか?
俺は絶命をした筈だ。謀反を起こされ、そして……。
そうと思えば、これはなんだ?
目の前には尚もカノンの亡骸がある。
「誰か……」
誰でもいい、思いついた名前を呼びかける。が、反応はない。
その時、見知らぬ気配が大挙してきた。
「お前たちは……」
そう熟考する間でもない。この派手な白の、いかにも贅をつくした甲冑は間違いなく黒化直属の兵団だ。何故彼奴らがそこにいるのか、それもそう難しい話ではない。
国家の方針として、俺らを討伐せんと動き出した。元より、ディルベルトに仕向けようと水面下で動き回っていたが、余りにも大袈裟に広告しすぎたか、下っ端に一任したのが浅慮だったか、様々な考察が過ったが、何れにせよ追い詰められたというわけか。
(凌げないわけではないが、下手な交戦は避けるべきか)
魔力の残量も心持たない。が、体が沈んだ。
「っ――」彼奴等は、固有結界を展開した……だと?
まさか……が、確かに全身が脱力するのを強く感じた。
これは、簡易な結界ではない? 俺を討伐するために、周到な――。
何度も場面が転換する瞬間を俺は知覚した。
どういう因果で、俺は死を始めとした、不可解な体験をし続ける?
わからない、わからない……突破口も、糸口も。
発想を変えろ、思考を止めるな――。
「とでも、彼は考えているんでしょうね」
丁度、エンヌ先生と思しき気配が真横に着地した。
「……これはどういうこと?」
「どうもこうも、説明ができない」
彼がどうなっているか、私にはわからない。
「いや、見たらわかるじゃない……彼の眼球は白と黒の境界がなくなって、そう、全てが透明色に……」
「そうなっているんだ、成程、私の瞳の状態がそのまま移植されるという訳か」
エンヌ先生は動揺を意図する嘆息を僅かながらに零しているようね、表情はわからないけれど。その様子に、彼女なりの回答を出したか、問う。
「貴女、まさか視力が……」
「ええ、今の私は何も見えない」
だが、想定内だ。私が拵えた〈術式〉の跳ね返り――俗にいう代償というやつだ。
「通常の私が使う〈術式〉であれば、地面の板とか家具とか、代わりの“通貨”を返還するだけで事足りるけれど、今私が行使した魔眼に関してはその法則がどうあっても通用しない」
言葉の用法としては全くの間違いであるが、眼には眼を、だ。その力には“視力”のみしか通貨として適応できない――何度も再演算を重ねたが、それ以上通貨を軽減することはどう足掻いても不可能だった。精度を落とせばその限りではないが、それでは意味がない。
「それは治るの?」
「一週間もすれば少しは見えるようになるわ、完治にはそうね……最低でも二週間はかかる」
あくまでこれは演算結果による情報だ。多少の誤差はあろう。
「治癒を……」
「それも無理よ。これは単なる視力低下ではない、いわば強固な呪いみたいなもの、解呪にはそうね……かなり時間がかかるから、単に自然回復を待った方がいい」
今彼女はどのような表情をしているか? それが見物できないのは残念ならないが、致し方ない。
「彼はどうなったというの?」
「間違いなく、私の〈術式〉に嵌まった」
彼の瞳が変質しているのなら、それは間違いのない兆候だろう。
「私が開発したのは貴女の魔眼から着想を得た、発展形」
「発展?」
「ええ、服従にしろ、支配にしろ、圧迫にしろ――共通して感情に干渉することが始点にあるけれど、私はそれを疑った」
研究の根本は、まずもって疑うことにある。すでに定説化されている理論に対して自分なりの視点でアプローチをし、新たなる定説を作る。
「私は始点を、感情ではなく“想像力”にあるとした」
私が完成させたのは、想像力に対する干渉だ。
「私の新たなる〈術式〉は想像力を蝕む瞳――それを彼に見舞わせたのよ」




