第50話「欠落したココロのスキマ」
祝50話!
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その透明に成り果てた全球が何を投射するかは、行使者のカノンでさえ知る由もない。
下手に鏡面に反射させ、実験しようものならば、自身をも巻き込みかねないと――理論上ではそうなっている。
加減を無視した発動は間違いなく今回が初めてだ、先にアイルズが観たそれは眼球が黒色が霞んだ程度で、数度にもわたって入念に希薄された劇物程の威力でしかない。
が、今はどうか――セルヴィアには配下という括りも、協力者という括りもないのだから、其処に忖度を働かせることは万が一にもないし、それに何の意味もない。敵と認識した後に手心を加えるような聖人君子の性格は何処からカノンを何処から俯瞰したって見つかる筈がない。
その割り切った非情さこそが、篠崎奏音の本質なのだから。
しかして彼奴は彼女の術中に堕ちることとなる。
彼女独自のその〈術式〉は瞬間的でもその大伽藍となった全球を観測した時点で、彼女が為すべき作業は終了しているのだ。抵抗とか、相殺とか、反射とか、そんな細々とした足掻きを練れる隙を捻出することなんて、できるわけがなかった。
此処はどこか、というセルヴィアは真っ先に浮かんだ疑問を棄却した。その問答に意味がない、今に限って言うと――場所などどこでもよかった。外見は先ほどまでの森林そのものだが、確かに違った。
五体は? 満足だ。
では、いつかから消失していた感情とやらはどうか。それさえも変化はなかった。
次だ、彼は今謎の空間を潜航するように漂っているわけだが、先より戦いを続けていたカノンなる少女の姿を見回した。
が、何処にも彼女の姿が見当たらない。
またも身を隠し、不意を打つ形で俺を殺さんとしてくるか? そうとも考えたが一歩立ち止まる。彼女は自身で宣言したではないか、一分で決着をつけると。とうに一分は経過しているが、それが根っこからの法螺であるとも思っていない。
事実、彼女は桁外れの術師だ。術師としての経験は確かに初学者に近しいこそあれども、それを十分に補いうる技術がある。
(想像するだけでは埒が明かんな)
さっさと見つけ出さねば。
彼女は今なお実践で技術を磨いていっている。本来不足している経験を、着々と獲得していっている。長期戦に持ち込めば――手が付けられなくなる。すでに速度面では差が生じ始めている――である以上、魔力切れを待つ方が安牌に思えてきた。
消極的な戦法だが、俺の強みでもある。実際、彼女だって延々と無傷で俺を潰し続けているわけではない。微量ではあるが、傷を負っている。加えて稚児の体躯だ、傷を抱えるにも限度がある。
「そうね、それが正解だと思うわ」
やはり近場にいたか、俺は彼女を見据える。
「無痛症はさすがの私にも経験がないから少しばかし不安だったけれど、しっかりとモノを考えて想像することはできるようで安心したわ」
俺は、〈術式〉を制限することにした。当初の戦略であれば、彼女の速度に対応ができるし、それ以上に小回りが利く。そして着実に傷を作っていき――
「――」
胸部と腹部にかけて幾つもの風穴が前触れもなく乱造される。
「長考が過ぎるわ、隙だらけよ」
やはり尚も速度を上げるか、が、どうということはない。痛覚がなく、同時に宝玉を有する限り死に憶することなんて、
「そう、必要ないわね。だって、痛くもなんともないのだから無理だってお手の物。だけど、脳裏には過っているようね」
何を――、修復の最中、俺は彼女の言葉の意味を掴みかねていた。
「“もしも痛みがあったらどうしよう”という想像がね」
徐に、彼女は右手の人差し指と中指を合わせ、振るう。と、幾重もの音叉が空間中に反響しだす。心地よささえも感じられるが、不気味さも同時に混在しているものだから、脱力するには余りにも軽率に思える。
俺は最後まで緊張を解すことをしなかった。最初は精神攻撃の類を疑ったが、その読み込みは余りのも浅慮が過ぎた。それは丁度俺が直前に穿たれた傷が瘡蓋も消え去ったと同時のことだった。
体の節が、聞き逃してしまいそうな微弱な音を立てたのだ。
その不和は何か、可能であれば其処に集中力を割きたいばかりだったが、そんな余裕はない。予定外の行動をするよりも、当初掲げた指針――魔力の枯渇を誘うことを継続した方がいい。彼女が投擲した氷状の槍が、前方より迫る。
が、わかる、これは陽動。
即ち俺が宝玉によって回避することは折り紙付きだ。だからこそ攻撃を二重三重に交差させ、最終的には看破する術式を打ち込んでくる。すでに彼女の反応速度はそこにまで到達している、悲しい哉、消極的な戦法でしか勝利を勝ち得られないとは……。何度目かの貫通、彼女の槍の一条の線が、俺の腹部を僅かに掠った瞬間――。
「っ――」
それは容赦なく全身を恐慌に至らせた。
「どうしたのかしら――待っててあげるから、早く治癒なさい」
「……そうさせてもらおう」
「なんてね」
隙あり、と嘲るばかりに彼女は貫手を振るい、左の腕を、根本から分断した。
「がっ……」
「さっきから様子が変よ?」
様子、そう、そうだ、何かがおかしい。
先ずもって、発汗量が余りにも多い。理解できない、この空間は熱が籠っている様子もない。なのに、全身という全身から液体が噴出しては、俺の衣服を濡らす始末だ。
「う、腕が――」
「今更危惧することでもないじゃないはずよ」
黄色の宝玉は無事始動している。指輪の不備ではない。
いや、分かっているはずだ、これは何かを。
「貴方、痛みを感じているのね」
カノンは言い放つ。それを瞬時に否定することができなかった。
「痛み……?」
「この様子を見るに、生来の病なのね、痛みという概念そのものを知らないようだ」
抜かった、呆けに取られているうちに、胴部をガラ空きにしていた。
「おめでとう、これで貴方も普通の人の感性を手に入れた」
カノンは容赦なく生成した氷の剣で俺の肌に何本も、何本も何本も……線を引いた。
「ああああ!?」
「無痛症の治癒と共に、乏しい表情にもそれなりに色を見せてきたんじゃない?」
「やめっ――」
「ま、久方ぶりに見せた露骨な表情が苦悶ってのは……なんとも可哀そうな話だけど」
彼女は俺の額に丸めた指を押し当て、
「はい、デコピン」頭部をまたも破壊した。
そして光り、再生される。
「はっ……はぁっ、はぁっ」
頭部が首から離れたというのに、僅かな期間だけ意識が残るだけで……このようなことが?
待て、冷静になれ。たとえ痛痒を得ようとも再生能力を喪失したわけではあるまい。忍耐勝負というわけか――降参してなるものか。
「ふぅん、もうとっくに精神崩壊していると思ったのに」
「それが……狙いか!」
いつになく、声を荒げた。これが怒りというやつだと、カノンは懇切丁寧に解説して見せた。
「狙い? よしてよ、私はお人好しではあっても悪魔ではない――これは助言なのよ」
「助言、だと?」
「ええ――さっさと精神崩壊した方が、存外楽かもしれないわよ?」
目の前の少女の笑みには、多分に邪悪が含まれているのだった。




